救いの無さに救いを求め
2021/10/27 21:52
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
あけすけな言葉で一旦は
相談者を突き放しておいてから、
自分自身の苦衷を吐露してみせる、
というのが著者の論法のようです。
良くも悪くも建設的な内容の回答を
読むのに飽き飽きしている向きに是非
おすすめしたい一冊です。
人に生まれれば苦労は必至
2016/02/20 20:23
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投稿者:猫目太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の仏教徒としての人生観がよくわかる。若い相談者には「人間に生まれ落ちたら、苦しい人生が待っている。仕方ない」と言われたら納得できないでしょうが。ある程度歳を重ねるとわかる様だ。「阿呆になれば楽」というのも一理あり。
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相談してはいけない相手。相談しても無駄な人。っていう人がそれぞれいると思う。
車谷長吉は、絶対に相談なんかしちゃいけない奴だと私は思う。
教え子の女子生徒が好きで好きで堪らず、「情動を抑えられません。どうしたらいいのでしょうか」という40歳の高校教師の深刻な悩みに、
「破綻して、職業も名誉も家庭も失った時、はじめて人間とはなにかということが見えるのです。あなたは高校の教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえばよいのです」
と、とんでもない、不道徳極まりない解決策をけしかけている。
こんなのが毎週朝日新聞の別刷りの紙面に連載されていたんだそうな。それが一冊にまとめられたのがコレなのだが、天下の朝日新聞が呆れたもんだ、などと言うつもりは、ない。
だって、痛快ではないか。
先の高校教師への回答は、
「そうすると、はじめて人間の生とはなにかとういことが見え、この世の本当の姿が見えるのです」
と締められている。
『人生の救い』というタイトルは、逆説的なタイトルではなくて、真に「人生」と大上段に構えるだけの深みがある気がする。こういう突き抜けた説法を目の当たりにしてしまうと、凡百の人生相談などはたんなる処世上の薄っぺらな解決策の安売りに見えてしまう。
車谷長吉は、西村賢太が現れるまで我が国の私小説作家の最後の生き残りだった。田山花袋以来連綿と生き伸びてきた私小説作家という絶滅危惧種の最後の一人が、それこそ人に知られずに埋もれた存在だったのを発見し、世に最初に知らしめたのは稀代の目利き白洲正子だった。彼女は、奈良や三重あたりの山奥だとかから、ゴミ扱いされていた能面やら古磁器やらの逸品を探し当てたのと同じ手法で、天下一品の旦那、次郎のことも掘り当てている。その目利きが「私が最初にめっけたんだからね」と、車谷との対談の中で言っていた。鶴川にある旧白洲邸に残されている書斎に、車谷の『塩壺の匙』があった。これは、白洲正子が掘り当てた車谷の最初の傑作で、本棚の一冊は著者からの献本であろう。裏表紙を開いたら、贈り主の名と感謝の言葉が書いてあるはずだ。ただ、傾きかけたその本棚に手を触れることは禁じられているから、確かめることはできなかったが間違いあるまい。
そんなわけで、その人の眼を信頼している目利きが見出したというのだから読んでみるか、と読み始めたのが『塩壺の匙』だ。その毒と棘を持った私小説ぶりは衝撃だった。
ただ、残念だったのは、その「毒」と「棘」は著者の周囲と著者自身を刺す棘でもあり、自らの息の根も止めかねない毒でもあったことだ。
些細な名誉棄損で訴えられ敗訴し、幾つかの作品だけを世に出しただけで車谷は私小説作家としての筆を折った。
その後いったいどうしているのだろう。と、消息を気にしていたのだが、こんな形で「毒」を含みすぎた危ない人生相談で糊口をしのいでいたのだろうか(またしても失礼、おゆるしを)。
たしかショウペンハウエルったと思うのだが、大戦末期のナチス独裁下の知識人の在り方について、面白い箴言を残している。
国家社会主義(ナチスのテーゼ)的であることと、知的であることと、誠実であることは鼎立しがたい(三つとも同時に成り立たせることはできない)。
つまり、
国家社会主義的で知的でもあるならば、その人は誠実ではない。
国家社会主義的で誠実でもあるならば、その人は知的ではない。
知的でなおかつ誠実であるならば、そのひとは国家社会主義的ではありえない。
私はこの言い得て妙なロジックの「国家社会主義的」のところを「私小説作家」と言い換えてみると、車谷長吉の私小説断筆宣言の顛末に得心がいく気がする。
なまじ慶應の文学部なんかを出てしまったインテリである彼は、作中暴露してしまった秘事の当事者を傷つけてしまったことをまじめに反省してしまう。つまり知的で誠実であった彼は、私小説を書き続けることができなくて当然だったのだ。
車谷さんの、時には実名をあげて人の人生の醜さを暴露していたような往時の小説作品の続編を私たちはもう読むことはできない。
だが、「亭主がじじいのくせに浮気しやがって」とか、「父親が女性の下着を集めていて、でも父のことは嫌いじゃなくて」とかの相談が寄せられ、回答者の車谷さんが自らの人生を引き合いに、いっそどん底に落ちてみなはれ、みたいに答える。
かつて、稀代の目利き白洲正子が見出した、類例のない「毒」の魅力を湛えた車谷長吉の文学世界は、しっかりここに命脈を保っていた。
この一冊で紹介された「悩みのるつぼ」なる連載は、まだ続いているのだろうか。
新聞の定期購読はとっくに止めてしまった我が家だが、来週の土曜、朝日新聞朝刊は買ってみようと思う。
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もー車谷長吉すばらしすぎる。。。人畜無害なタイトルと装丁がかえって凶悪なこの劇薬毒薬感。救いなんてどこにもない。
話題になった女生徒に恋した高校教師の相談ももちろん収録。これは何度読んでも傑作。(知らない人はググって読むべし)
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ぜんぜん相談の回答になっていないのがいいのかなと思った。
「私は「うれしいひなまつり」という歌が好きです」
というのが面白かった。
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この本を読み始めてすぐに、頬を平手で叩かれたような感覚に陥った。
目が覚めるとはこういうことか。
最初の相談についての答えは、自分の不運を嘆くことは考えが甘い、覚悟がないとけんもほろろである。相談者の悩みに寄り添って回答するありがち悩み相談とは一線を画している。
もうぐうの音もでない。
この本は車谷長吉が朝日新聞の悩み相談で回答したものをまとめたものである。
朝日新聞が車谷先生を起用した心意気はあっぱれ。
こんなこと言っちゃっていいの?とハラハラするほどの珍回答(?)続出。
教え子の女性とが恋しいとの相談には、恐れずに仕事も家庭も失ってみたらと説く!!
人生には救いがない。その救いのない人生を、救いを求めて生きるのが人の一生だと繰り返し本書では語られる。
この作者の信念があってこその回答だと思うと実に深い。
小さなことでクヨクヨするなと叱咤激励してくれるこの本は、私の大事な大事な本になった。
最後の万城目学のあとがきがまたいい。この二人は奈良に共通項があるんだなとニヤニヤしてしまった。
車谷さんの小説は読んだことがないが、これは読まずにいられない。一刻も早く!
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赤目四十八瀧心中未遂を読んだ時は
その面白さに釘付けになり、いままでなぜこんな素晴らしい作家をしらなかったのだろうと思ったものだった。
白洲正子さんの本に夢中になっていたころ、
車谷さんのことが書いてあって、
あんたって怖い、とあの白州さんが言っていたほどの人・・・というのが
頭の片隅に引っかかっていて、
あ、と思いだして図書館で探したらこの本が一冊あったのだった。
性欲は強いものの、相反して他の欲にたいする欲望のなさに、底知れぬ恐怖を感じて釘付けになったのだ。
欲望のなさとは、死を思い浮かべるが、死も、死にたいという欲望のひとつである。
しかし・・・恐れ(あるいは畏れ?笑)を感じた作家さんが、新聞の人生相談の回答者になっているということを知り、矢も楯もたまらずアマゾンに注文・・・
一人目の相談にたいする回答を読んで、この人、仏教徒かなと思った。
途中で自分は仏教徒だという記述があったが、まず多用している文句は、
「救いはありません。」「阿呆になるのが一番です」
「この世は苦の世界です」
「奈良盆地あたりの散策をお勧めします」
教え子の女生徒が恋しいんですという40歳の高校教師には
「恐れずに、家庭も仕事も失ってみたら」
そうするとはじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるという。
人の不幸を望んでしまうという46歳主婦には
「何も問題のない家庭をお持ちなのだから、まず自分が不幸になって苦い思いをなめる以外に救いの途はない。あなたには人生の不幸を乗り越える力がありません。愚痴死が待っているだけです。あなたには一切の救いがないのです。」
相談内容にもよるので、もちろん温かい回答もある。
72さいの祖父に困っているという12歳の女の子には、
「おじいさんをとがめてはいけませんよ、お父さんやお母さんに相談してみましょう。」
父が女性の下着を持っているという18歳女子高生には、
「父上の一番良い所をみてあげて。それがあなたの救いにもなります。」
人生相談の回答って難しいなあと思っていたけれど、車谷さんの回答は全部筋が通っている。
結局は自分を救うのは自分であるということなのだ。
自分を救えるような自分におなりなさいということだ。
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回答の意味がよく分からないところがありましたが、悩みを人に解決して貰おうと言うのが無理な相談なのかと思いました。
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解説の万城目学が書いているように、悩みを次々と殺していく、車谷長吉さんのお悩み相談。
朝日新聞の連載のときも、車谷さんの当番回が来るのがいつも楽しみでした。
もはや悩みの回答になっていませんが、妙に痛快で、読みながらふっと笑ってしまえる不思議。
中年には絶望的な切り返しがおおいけれど、まだまだ先が長い若者にはあたたかい目線があったりするのも、なんだか和みます。
読んでいるうちに、「私の悩みなんて、たいしたことないのかもしれないなぁ」と思えてきます。
個人的に一番好きなのは、「同僚の女性がむかつきます」の回答。
傑作だと思います。
車谷さんに言われちゃうと、もう山登りして歌うしかないかなと思えてくる(笑)
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【メモ】解説 万城目学
すすめられて読んだ。
笑えるのに、笑ってだけいちゃいけないかな、とちょっと落ち着かなくなる。と、思っていたところ、万城目氏の解説が見事にこの感覚を言語化していた。
じたばたせずに阿呆になれるよう精進せねばなあ。
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何かね、人生相談いうより、人生両断という感じで。どこか辛口、でも、救いの真実の言葉が心地よい。新しい感覚の癒され感覚であった。
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前半は厳しいなあ、人生相談になってるのかいな?と思って読み進める。後半の若い女性たちの相談事に対する回答は共感できる部分が多かった。苦労の上に成り立った回答には圧倒された。
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愛読する朝日新聞の身の上相談コーナー。「おすすめ文庫王国」で炎の営業杉江さんが推していて、これも本になっていたのを知った。杉江さんの言うとおり、車谷長吉さんの回答はいつも同じ。でも読ませる。これはもう「芸」です。
なんといってもすごいのは、車谷氏自身は、人をおもしろがらせようとか、ウケようとか思って書いているわけではない(と思える)ところ。そして、その誰に対しても同じ答えである「人としてこの世に生まれたことには、一切の救いはありません」という言葉に、その絶望的な響きとは裏腹の、突き抜けた励ましを感じてしまうところ。
しかしそれにしても、思わず「え~!?」と声の出る箇所がいくつか。
「うちの嫁はんは三日に一度は『くうちゃん、長生きしてね』と言うています。『くうちゃん』とは、私のことです」 くうちゃん…。
「この夏も、青森県の山の中で、小学校で習った唱歌を歌ってきました。独りで。気が晴れ晴れとしました。私は『うれしいひなまつり』という歌が好きです」
「私が結婚したのは四十八歳の秋でした。それまでは毎日毎晩、寂しく、夜は木目込み人形を抱いて寝ていました」 この人形には「美禰子」って名前をつけてたんだって。うーむ。
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回答者の車谷さんの歩んで来た人生が壮絶過ぎて、相談者の悩みが霞んでしまう。
相談に対し、ご自身の苦悩や人生経験を述べられ、
「人生に救いはないのだから、ありのまま今の自分を受け入れ、阿呆になり黙々と生きなさい」
と諭す、斬新な回答スタイル。
車谷さんの苦悩が桁違いに大きいので、相談者の悩みはちっぽけに思われ、昇華される。
まさに毒をもって毒を制す!
解説で万城目さんがこのことを、「殺す」と表現されていたのが可笑しかった。
「人の不幸を望んでしまいます」という相談には、
「子供が不治の病にかかるとか、夫が事故死するとか、
苦い思いを舐めない限り救われないでしょう。
あなたに待っているのは愚痴死だけ」と、ほとんど呪いのような言葉が....。
ホント、殺してはるわ〜(笑)
かと思えば、結婚するまでは寂しくて木目込み人形を抱いて寝ていたとか、
「ほんまかいな?」というエピソードもちょいちょい挟まれ、
冗談なのか真面目に言っているのか分からない、ぎりぎりのラインがまた可笑しい。
車谷さんのことは今まで知らなかったが、俄然興味を持った次第です。
私も山歩きが好きで、奈良にもよく出掛けますが、
いつか山で「うれしいひなまつり」の歌声に遭遇したいものです。
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ブログに掲載しました。
http://boketen.seesaa.net/article/383998582.html
ブッダ原理主義作家、人生に救いはないことを説く
朝日新聞土曜別冊beに連載された、車谷長吉の人生相談。
掲載時(2009年4月~2012年3月)から、それまでのどんな人生相談にもなかったスタンスで読者を驚かせた。
なんらかの「救い」や「癒し」を求めてやってくる人たちを、おだやかに励ましたり、さとしたりするのが普通の人生相談というもの。
車谷は、人の世は生きるに値しないし、人生に救いなどないと、自分に照らして断言する。