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  • 販売開始日: 2014/08/08
  • 出版社: 文藝春秋
  • レーベル: 文春文庫
  • ISBN:978-4-16-724015-8
一般書

犠牲 わが息子・脳死の11日

著者 柳田邦男

「脳が死んでも体で話しかけてくる」冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。彼は意識が戻らないまま脳死状態に。生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のた...

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犠牲 わが息子・脳死の11日

税込 570 5pt

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商品説明

「脳が死んでも体で話しかけてくる」
冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。彼は意識が戻らないまま脳死状態に。生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のため、父・柳田邦男は思い悩んだ末に臓器提供を決意する。医療、脳死問題にも造詣の深い著者が最愛の息子を喪って動揺し、苦しみ、生と死について考え抜いた最後の11日間。その日々を克明に綴った感動の手記。

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みんなのレビュー75件

みんなの評価4.3

評価内訳

死を急がせてはならない

2007/10/17 22:53

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ポカ - この投稿者のレビュー一覧を見る

これは、
脳死の状態になった息子との11日間の記録であるが、
肉親の死への記録というのに留まらず、
死に対してどう向き合うかということや、
または、脳死や脳死移植といところから命というものを見つめる
というような大きな視点へと広がっていく。

そのなかでも印象に深かったのは、
死を「人称」に分けて考える、ということであった。

死には三種類あるという。
ひとつは、一人称の死(自分自身の死)。
次が、二人称の死(ごく近しい人の死)。
最後が、三人称の死(第三者の死)。
これら三種類の死は、全く性質が違う。
自分以外の人の死においても
二人称の死と三人称の死とでは、全く違うものであると。
三人称の死では、夜も眠れないとか、
生活が全く変わってしまうような感覚というものは起きないだろう。
しかし、連れ合いや両親、兄弟、恋人など
人生と生活を分かち合った肉親との死別、
つまり「二人称の死」においては、
その喪失感や悲嘆、後悔において、
生活が一変してしまうような辛さを抱えなければならない。
どんな亡くなり方でも、残された者がそれを受け止めるには、
かなり大きな衝撃である。

肉親や恋人のような極めて近い人が亡くなったとき、
自然科学的な説明ではなく、
腹におさまるような物語をつくるより仕方がないのだと、
心理学者の河合隼雄先生のことばがあげられていた。
いくら死をまねいた病気や事故の状況や原因を完璧に説明されたとしても
イコール納得になるかというと、それはまた違うのである。
自分自身で、物語を組み立てていくことが、
自身の腹におさめるには不可欠であるのだということである。
ある程度の時間をかけてゆっくりと、
それぞれの物語をつくっていくということが
現実を受け入れていくという過程の中では、必要なことなのだ。
納得できる物語をつくり、その死という現実を腹におさめる。
そして、残された者たちは、
ようやく死という現実と折り合いをつけることができるのである。

死を急がせてはならない。

著者も、息子との11日間のなかで、
今起こっている現実を受け入れ、
息子の今までの人生を受け入れていくために、
必要な時間だったと言っている。
看取るためのゆっくりと流れる時間。

ゆったりと、といっても、
もちろん慌て動揺し、悲しみに暮れ、後悔し、
心の中は決して穏やかにはしていられないだろう。
それでも、時間が流れていく中で、
少しずつ物語をつくってゆき、
自分のなかでおさまるような物語をつくることができたとき
そこに、ゆったりとした穏やかな時間が訪れるのではなかろうか。
これは、急いではできないことである。
時間が必要なのだ。

私の場合も、祖母を亡くしたとき、
看取るまでの間、少しの時間を与えられた。
そのおかげで、看取る準備ができたように思える。
準備といっても、
段々に、心の中が人生の終焉の方向に向かっていく
という気持ちの微妙な動きなのではあるが、
それができるのとできないのとでは、
人が亡くなってからの立ち直り方に大きく影響するのではないだろうか
と、思った。

脳死の問題についても、
やはり納得できるかどうか、ということで、
その納得の仕方は、人それぞれ違って当然なのだろう。
問題は、医学的に「脳死は死である」とか「死ではない」とか、
そういう理論では解決しないのと思う。
人に決められて出す答えではなく、
自分たちで導き出すしかない答えなのである。

やはり、死は急がせてはならないのである。

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社会のシステムの中での「臓器移植」そして身内を送り出す側の「臓器移植」という視点

2005/01/10 21:18

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Yumikoit - この投稿者のレビュー一覧を見る

既にこの本にはさまざまな書評がついている。そこで私は臓器移植という視点から書評を書いてみる。

息子が精神を病んで自殺した。すぐに救急車を呼んだが、脳死状態になり…生前の息子との会話、日記の数々、色々なことを思い返し、悩んだ末に臓器移植を決意する。

一人称(自分)の死、二人称(家族、友人、知人…)の死、三人称(それ以外の人々)の死…。
確かに、臓器移植というシステム、制度を考えるとき、それは三人称の死として定義し、その倫理その他について考えていく。しかしそれを利用する側(特に提供する側)にとってはそれは二人称の死だ。
その間にある感情、そこに到達する過程は、他者の死や「脳死」に対する定義などに周りから決められてしまうものではない。通常の死…心臓死である場合でさえ、家族にとっては簡単に受け入れられるものではない…まして、まだ身体が温かく、機械に頼っているとはいえ呼吸さえしている場合には。

「死」とは違う方向でのテーマになるが、近年、向井亜紀さんが海外で代理母によって子供を得た。
不妊に対しても、特に人工授精に関しては他者からは簡単に「神の領域を侵す」として否定的な意見を得ることが多い。それも三人称にて(或いは自分がそういう対象として生まれることになる二人称として)、論議されることについては そういう理由でよい。

しかし、実際に自分に子供が生まれない立場からの論議であったとしたら。
医学的に既にある程度確立されて、実現可能な方法が目の前に示されているのに、それを選択するのは個人の自由である。その感情はあくまでも当事者としての感情であって、第三者から一方的に与えられるものではないのだ。

心臓を移植すれば治る、と海外におもむく方々のニュースは美談のように報じられるのに、子供が欲しくていく場合にはなぜ非難されるのだろう、といったことを向井亜紀さんがどこかに書いておられたが、私も同じように思うのである。


話を「死」そして「臓器移植」に戻す。

以前、新井素子さんの「近頃、気になりません?」というエッセイ集でも脳死について取り上げられていた。人間も生き物の連鎖の中にいる という考え方を持ち、作品中でも「人間が料理される」というシーンがミョ〜に多いこの作者。
彼女にしてみても
「だって、死んじゃって火葬になっちゃったら私の体全部なくなっちゃうんだよ! 臓器移植とか何とか、そういう形でも役に立つなら!」
と社会的な意味での臓器移植を肯定しつつ、その一方で
「でもだんなの身体は絶対にだめっ。だってまだ生きてるんだよっ。身体があったかいんだよっ。思いっきりひっぱたいて 起きろよっこらって 無理やりにでもなんでも生の側に呼び戻したい」
…と、文章そのものは思い出して書いているのでかなり違うと思うが、身近な家族の死としての脳死は想像するだけで受け入れにくいものだと考えられる。

家族、それも身近な「自分の子ども」や「配偶者」の死。それもまだ身体が温かい状態の「死」
それをどう受け止め、受け入れるか。
受け入れるために色々思い煩い、そしてひとつの方向性を定める。
臓器移植。
それらの決定はまだ身体の温かいうちに行われたものであり、勿論、それだけで全ての意味でココロが穏やかになるわけではない。
何度も何度も反芻し、思い返し、言葉にして語り、書き出すことで浄化していく。
この本自体が、柳田 邦男氏の息子さんへの鎮魂歌だ。

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「納得できる物語」の創出

2003/03/17 12:59

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Helena - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本の柳田の主たるテーマである、自死、脳死をめぐって書かれていることは、もちろん、壮絶な記録であり、心が揺り動かされるものであった。もちろん、それだけで十分に読むに値する。
 ただもう一つ。柳田が、これらの記録を綴ることを通して、自己を再生していった過程が、自覚的に述べられていて、興味深い。

 柳田は、河合隼雄を引用しながら、「人が生きるうえでの物語の意義」について述べている。身近な者の死に直面したときに、いかに人は、「納得のできる物語」を作っていくのか。その過程そのものを、グリーフワーク(悲嘆の癒しの仕事)だとしている。
 『犠牲』を読んだ読者たちが、その感想を綴りながら、自らの身近な者の死を綴った手紙を、柳田に寄せる(それを集めたものが『『犠牲』への手紙』)。そのこと自体が、グリーフワークになっているという。「なぜなら、他者に向かって語るとか書くという行為は、自分の内面にある混沌として喪失対象の人間像や人生の足跡や自分との関係性を整理して、“物語”として組み立てる作業にほかならないからだ。」[手紙:19]

 『犠牲』を読んでいて、柳田が、これを書くことで、なんとか自分を保とうとしていることが、痛いほど伝わってくる。私にとっては、その痛いまでの柳田の思いが、『犠牲』の、最大にテーマになっているように感じられていた(その意味で、巻末に掲載されていた、高校生の感想文には、ちょっと違和感が)。
 
 辛い現実に向かって書くということが、いかに勇気を必要とすることか。けれどもう一方で、そのことによって自らを保つ。書くことの深さを、改めて考えさせられた。

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人の死について深い考察を促す一冊

2023/04/20 08:28

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る

自ら直面した息子の自死、そして脳死。
柳田邦男さんご自身の体験を基に、生前自己犠牲について考え続け精神を崩した息子への追悼記あると同時に、人間の死とは何か、脳死とは何か、脳死段階での臓器移植や医療とはどうあるべきか、などなど考え抜いた一冊。
当事者である著者の筆致があまりに冷静で、過酷な体験は読むのもつらいのだが、なかなかに読み応えがある。

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洋二郎さんを偲んで

2020/05/30 23:10

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:やっこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

紙でも電子書籍でも持ってます。
時折、洋二郎さんにお会いしたくなり、ページをめくります。
心の病を患った洋二郎さんの分まで生きようと思います。

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20代に読みたい一冊

2001/11/13 21:10

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:3307 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 矛盾するようだが、どの年齢で読んでも、得るところの大きな作品ではあると思う。

 ただ、もし20代にこの本と出会えたなら、活字を追うだけで心の底に大きな傷が残るほどに深く、何かと出会えるかもしれない。

 柳田さんの目を通して語られる亡くなったご子息の苦しむ姿はあまりに誠実で、それだけに命が失われたことが惜しい。

 彼や柳田さんの苦しみを追体験するなんて、おこがましいけれど、本書に触れることで読者それぞれが、自らの課題と向き合えるのではないだろうか。

 磨き込まれた鏡のような一冊。

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ノンフィクション作家の感じた「親としてのおびえ」が印象的。第43回菊池寛賞。

2001/03/06 12:12

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者のノンフィクション作品は数多く読んでいないが、最近多い、調査を重ねながら当事者の視点に立ち、気持ちに寄り添っていこうというスタイルとは違っているような気がする。

 自分の感情をできるだけ排除しながら、クールな分析を広げたり掘り下げる。ここまで調べるのかというぐらい深い処に到達して、その先に見えるものを提示する。正確なデータも多用する。
「科学的手法」でどこまで切り取れるかを試み、そこから先を別の何かに託す…といったイメージである。

 ひとつひとつの仕事に、相当の消耗があるのだと察せられる。だから、柳田さんはやせてる…などと考えたりしていた。

 本書は、心を病み、首にコードをまきつけて死を選んだ25歳の次男・洋二郎さんが脳死となり、死亡を確認され、臓器提供者となるまでの一部始終を記録したものである。
 だが、単にその間の出来事だけではなく、中学・高校時代から既に心を病んでいた息子のことを知らずにいた父親としての情けない思い、家族の苦悩や家庭の崩壊までも隠さずに語られていて、「よくぞここまで書いたものだ」という感じがする。

 著者もあとがきで明らかにしているが、「洋二郎の生きた軌跡を等身大で読者に正しく理解してもらうには、生き残った者が恥をさらしてでも、事実をさらけ出すべきだし」という悲壮な決意があり、天職を、自分のスタイルをまっとうしようという柳田さんの姿勢の厳しさが怖いくらいである。

 不謹慎ではあるが、「わかりすぎる親を持つ子は不幸だ、子が自分のエゴを出せなくなるからだと、心理学の専門家がいうのを私は聞いていたから…」と本文にあるが、その怖いぐらいの厳しさが緩められたものが、もっともっとこの本に出てくればよかったのにという気がしないでもない。

 父子の交流が薄かったわけではない。在宅の仕事も多いから、時事問題や文学や音楽について多くを、子どもたちと話していたという。大学に入ったものの強い対人緊張のために授業に出れない次男とは、ずいぶんといろいろ話したと書かれている。
 子どもの愛読書や好きな映画なんて知らない親が結構多いと思うが、洋二郎さんの好きだった本の記述が、全体の構成の中で大きな比重を占めている。
『百年の孤独』『審判』『深い河』『夜の果ての旅(上巻)』など机に残された本、『異邦人』『新しい人よ眼ざめよ』『潮騒』『北回帰線』など日記に書かれた本。
 その他、息子が聞いている音楽でその日の感情のコンディションをはかっていたこと、この本のタイトルにもなっているタルコフスキーの映画のことなど、語る材料は沢山あったと伺える。

 しかし、「たがらこそ」なのだろう。語る材料をこえて先にあったものの存在に手が届かなかった父としての無念が、人格を育てるという大きな仕事を十分にしたかという疑念が、あるいは、その大きな仕事に対する「おびえ」が、自分を書くことに向かわせずにはいられなかった。
 この大きな打撃を経た柳田氏がどこへ向かい、これから何を書き残すのかが気になるところである。

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残された者にできること

2001/02/22 01:21

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 一人の人間の死は重い。とりわけ肉親の自殺は、残された者に重い問いを投げかける。しかし、死には意味がない。死に意味を求めてはならない。理解すること。性急な言葉を慎み、ただ理解すること。彼もしくは彼女の生を、そしてその死を。

《彼が抱いていた究極の恐怖とは、人間の実存の根源にかかわることで、一人の人間が死ぬと、その人がこの世に生き苦しんだということすら、人々から忘れられ、歴史から抹消されてしまうという、絶対的な孤独のことだった。》

《われわれは人の死というものを考えるとき、自分の死も他人の死もいっしょくたにしていることが多い。しかし、死というものには、「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」があり、それぞれにまったく異質である。》

 これらの言葉に私は深い感銘を覚える。そして、「文庫版へのあとがき」に記された次の文章を、私は感動をもって読んだ。

《…そうした切々たる[読者の]手紙から伝わってくる深いものがある。それは、人は悲しみの海のなかから真実の生を掬い取るのだということだ。私自身、息子を喪った悲しみは、むしろ時がたつにつれて深まるばかりだし、ひとりでいるとき、何かのきっかけで涙があふれてきて止まらなくなることが、しばしばある。そして、不思議なことに、悲しみの深まりと比例するかのように、洋二郎の魂の実在、洋二郎の魂が私の心の中にしっかりと生きているということを、ますます実感するようになっている。その実感は、「生きてゆく自分」を日常のなかで自己確認する感覚に直結しているように思える。》

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死と向かいあう親の気持ちがわかる一冊

2002/07/27 22:26

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ビンゴ - この投稿者のレビュー一覧を見る

心の病で自殺をはかり、意識が戻らないまま脳死状態になった息子のことを書いた、ノンフィクション作家の壮絶な手記です。さすがにこういったことを書こうとする親の決意や苦悩などを考えると、軽くは読めません。ただ少し重いけれども、読んだ後にいろいろと考えさせられる作品でした。

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2004/11/08 13:33

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2005/06/09 01:12

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2005/05/30 05:43

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2005/10/05 23:28

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2005/05/05 09:36

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2006/05/06 23:13

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