「乙女たち」の全体主義
2022/10/05 11:23
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投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
かのアンネ・フランク及び『アンネの日記』をめぐり、過去と現在が交錯し重層的に進む物語(その意味だけでは、高野文子『黄色い本』にも似ているか)。ストーリーの妙味と巧みな文体・表現で、ひき込まれた一作。さまざまな読み解き方が可能だと思うが、個人的には個人と全体主義の関係性ということに思いが至る。「乙女には真実は何の価値もない」(55頁、同旨32頁など)。そうした「乙女たち」(=現代社会における大衆でもあろう)のはざまで、「乙女」となることに抵抗を感じる中で「密告」されてしまうみか子や超然として「乙女」とは見えない麗子様が実は・・・といったあたりの「あわい」の姿が印象に残る。(そして、誰でも、時と所により「乙女」になるのかもしれない。)
「後ろの家」は「オランダ特有の建築方式で、建物の後ろの部分を意味する。」(49頁、アンネの学校時代にユダヤ人生徒は仕切られた教室の後ろ側に座らされたことを想起。また、ユダヤ人が「後ろの人」という謂いもあろうか。)
「戦後、ファン・マーレンは密告者として誰よりも強く疑われた。そのファン・マーレンの無実を確信したのは最もファン・マーレンを警戒していたミープ・ヒースだった。なぜか。戦時中、ファン・マーレンも自宅に人をかくまっていたのだ。」(65頁、これは初耳。出典知りたし。)
「オランダ警察にも記録が残っているのだ。誰かが隠れ家の住人八人を密告した。八人分の密告の褒賞金六十ギルダーを確かに誰かが受け取った。この数字が記載されている。ただし、密告者の名前は記載されていない。」(70頁、これも初耳情報であり、出典知りたし。ただ、とすると、かのアルノルト・ファン・デン・ベルフは、密告者ではなかったということか・・・)
アンネ・フランク及び『アンネの日記』について関心があればあるほど、読後感もいや増す良作だと思います。なお、日記の中で「一番重要な日」(6頁)とされている「1944年4月9日」だが、これって「4月11日」の間違いじゃないの?(例えば、文春文庫版(増補新訂版)の452頁を参照。)すごい違和感なのだが、「aバージョン」(96頁)ではそうなっているということなのか?
火花を散らす乙丸たち
2021/01/22 14:53
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
隠れ家で密告に怯えていたアンネ・フランクと、キャンパス内で囁かれる醜聞がリンクしていくようでスリリングでした。歴史を語り継ぐために、決意を秘めて演壇に立つみか子が美しいです。
アンネ地獄ですね
2019/01/29 22:40
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作は第143回(2010年上期)の芥川賞受賞作である。物語は京都にある外国語大学(京都外大)で「アンネの日記」について徹底的に読み込んでいる女の子たち(乙女たち)を描いている。担当のドイツ人講師、バッハマンは少しというかかなり病的な人で乙女たちをアンネ地獄に引きずり込んでいる。そんな中の一人が主人公のみか子なのだが、乙女たちはほんとうにアンネフランクリンのことが好きだ、あと若草物語や赤毛のアンなんかも好きだ。これらの作品を教材にして勉強している男子大学生なんていないだろうな
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まずは本が薄くてびっくり。それはどうでもいいか。
芥川賞受賞のときはけっこう話題になっていておもしろそうと思った記憶があったので即買い。
うーん、さすが芥川賞っぽい純文っぽい不思議な感じ。わかるようなわからないような。おもしろいようなおもしろくないような。エンタメじゃあないからな。
たぶん、ささっと読んでおしまいにするのではなく、じっくり何度も読むとよく意味がわかって発見もあるような気がするけれど。
京都弁が印象的。ユーモアがあって文章は好きかも。
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本の紹介にもある通り、「アンネ・フランクとの邂逅」ということばがぴったりの物語でした。しかも、生の切実感を伴った「邂逅」です。
意識的なのか、描かれている世界が少女チックな世界で少々とっつきにくかったのですが(笑)、解説の方も書いておられるようにスポ根物に近い背景と、ところどころに繰り出されるユーモア(特に、バッハマン教授の常軌の逸脱ぶりが面白い!)で、何とか物語に馴染むことができました。(笑)中盤の衝撃的告白には、自分もみか子同様、「ええっ!」と思ってしまいました。(笑)
社会の中で認められ働きたい。しかし、その「社会」は人を「他者」として疎外する側の集団でもある。そして、いったん「他者」と指定されてしまったら・・・。それでも、やはり「社会」の一員でいたい。しかし、名前のない「他者」ではなく、「私」と認めてくれたのは、皮肉にも密告者だった!「ユダヤ人 アンネ・M・フランク」であると!主人公・みか子の現実の世界と、「アンネの日記」のスピーチを通して絡み合う2人の切実な想いを、綺麗に融合した作品だったと思います。
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私が初めて、受賞時から読みたいと思った芥川賞作品です。
外大の女子学生達が繰り広げるお話、
とのことで、気持ちの上で、
近年の受賞作より何となく敷居が低いというか。
そうして「読みたい」「読みたい」とは常々言っていたものの、
結局、本屋さんで遭遇したのは、文庫本になってから。
買う予定だった本を戻してしまって(ごめんなさい~!)
即刻購入ののち、帰宅後一気読みしました。
まず、執拗に繰り返される、
「乙女」という言葉が印象的で癖になる。
そういえば、最近では最早死語のような気もする程、
歪に聞こえる言葉だけど、私達は乙女なのだー。
少し前に、アンネの日記を読んだところだったので、
彼女のユダヤ人としての誇りや葛藤、
「オランダ人になりたい」という本音、
アツい叫び声を読む中で圧倒される、
その気持ちはよく分かりました。
そして、彼女の周りで起きる「事件」や「密告」と、
アンネの周りで起きたことやミープの存在等を、
熱に浮かされたように重ねて、
突き動かされていく様子は、あまりにリアル。
読書家って、こういうところがあると思うのです。
実際起きていることは大した話じゃない。
だけど脳内では勝手に壮大なドラマになっている。
誰か、強烈な人物と重ね合わせてみたりして。
個人的に衝撃を受けた部分として、
主人公のお友達(貴子さんだっけ、、、)で、
ドイツからの帰国子女の方のエピソードがあります。
彼女は、ほぼ母国語と同じようにして、
ドイツ語を学んだ経緯がありながら、
長い間触れる機会がなかったために、
発音なんかは完璧だけど半端に忘れてしまっている。
その「忘れている」という事実を強烈に恐れている。
「○○ってドイツ語でなんていうんだっけ」
に答えられないとき、
「答えられなかった」「単語を忘れてしまった」
という事実に驚愕し、おびえる。
みんなとは異なる結び付き方をしているからこそ、
日本人目線でのドイツ語の授業には違和感がある。
これをフランス語に置き換えたら、
完全に私になりそうなんですもの。
最も、まだ、私は大学生ではないけれど、
フランス語を完全に取り戻すために、
専攻語にするつもりでいます。
だけど、これを読まなかったら、
彼女と同じになっていたかもしれない。
変に、やさぐれていたかもしれません。
どれだけ意気込んでいても、
自分の記憶と正面から向き合ったときに、
失ってしまったものに愕然として、
背を向けてしまっていたかもしれません。
今だってふと冷静に、
自分がどれだけフランス語を覚えているか考えてみて、
単語が抜け落ちすぎていることを思うと、
胸が苦しくて、自分の一部がどこかに行ってしまったような、
喪失感に襲われるものです。
だけど、今はその事実と、
わざわざ向き合う必要は無いからいいのです。
もしも、大学で勉強するとなれば、逃げられなくなるのです。
その「来る日」��前にこれを読めて良かった。
勿論、失ったものと対峙するのは、
どれだけの覚悟があっても足りない位、怖いことです。
だけど、一度、やさぐれてしまった人を見て、
それを反面教師にして、自分なりに戦ってみるのと、
何も無くしてぶつかるのとでは大きな違いです。
赤染さんがこの作品の中に、そんな人物を生んでくれたこと、
本当に感謝しています。
「なり得たなりたくない自分」を見せてくれたこと、
本当に感謝しています。
(赤染さん自身外大出身とのことで、ひょっとしたら、
赤染さんの周りにそんな方がいらしたのでしょうか。)
ありったけの★を差し上げたいです。
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文庫棚を「あ」行から見ていて、あまりの薄さと題名のチープさに、思わず手にとり、「帯」に『芥川賞受賞作』って書いてあって、「あ、そう言えば、聞いたことある名前」と思った。抜け落ちてたわ。どんな話なんやろう・・・。パラパラ・・・と立ち読みして、ぐいぐい持っていかれた。買って帰って、一気読み。「なんやねん、それ。」とツッコミいれながら。
中学校の時に観た演劇鑑賞の劇団京芸の『アンネの日記』を思い出した。
もう一度、今度はちゃんと、アンネの隠れ家と向き合いたいなあ・・・。
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独特の世界観というか、今どきこんな女子大生いるのか?と言うのが率直な感想。乙女乙女と連発されるのになんだか疲れて読了した。日頃「文学」と呼ばれる作品を読んでいないせいかも知れない。
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純文学に近い感じがしますが、読みやすかったですね。けれど世界観が独特過ぎで、あまり理解できませんでした。私の想像力がないからですが。
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無駄のない構成で、完成された方程式のような作品。淡々とした文章は乙女が集う大学という閉鎖的な空間をうまく表現するのに適しているように思える。
後で、書くお
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芥川賞受賞当時も気になっていたけれどなんだかずるずるとここへきて、たまたま文庫として発売されていたので読んでみました。本が薄いです。力を入れて書いているのは伝わってきたのと、畳み掛けがすごいです。気持ちによってはすごく嵌りそうな作品でした。
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自己、他者、密告者、言葉、記憶、乙女、噂。。。。。
観念の風が、断続的に折り重なって吹いてくる。
そんな印象と、アンネフランクの生きた情景が
オーバーラップして、重ね書きされていく。
関西弁がいい、オアシスのようになっていて、
独特の感じを醸し出していて。
良い出来なんじゃないかと思いました。
面白い作品です。
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思ってたよりあっさり終わってしまった。
もっと引き込まれたかったけれど叶わず…
アンネの日記を読むことにしよう。
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文体がリズミカルで
登場人物も面白いので
さくさく読めてしまったが…
ラストに近づくにつれ
?????
読み返したけど、
???
だけど
疑問とは違う何かが残る。
乙女たちの習性がやっぱり嫌になる。
乙女をやめて良かったと思う。
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外国語大学に通う「乙女」たちは『アンネの日記』の一部をスピーチコンテストで暗唱することとなっていた。
『アンネの日記』の決まった一節を必ず忘れてしまうみか子、スピーチを生きがいとしているような麗子、帰国子女の貴代、そして風変りなバッハマン教授。「乙女」たちが見つけるアンネ・フランクとは、そして「自己」とは。
うーむ…なんというか…とても勿体ない!!という感じの作品だった。
試みていることもわかる、伝えんとしていることもわかる、でも何もハッキリとは見えてこない。
思うに、『アンネの日記』の中でもとりわけ彼女のエスニック・アイデンティティが揺らいでいる部分を取り上げて、それを自分は日本人であるというアイデンティティに欠片ほども迷いを抱いていない「乙女」の自意識形成とラップさせようとしたのは失敗だ。
その溝を、帰国子女である貴代や、日本で教鞭を握るバッハマン教授が埋めてくれるのかと思いきや、彼ら(特に貴代)はこの問題に何ら関与しない。
他にも母娘の関係など、何かあると匂わせておいて結局なにも起こらない伏線もどきが多かった。
蛇足ながら、女子校育ちで大学は外国語学部という、この作品で言うところの「乙女」度合は筋金入り(笑)の私から言わせてもらうと、この作品に描かれるような「乙女」らの争いやアイデンティティ・クライシスは大体中学校か高校までには収束し、大学生になる頃にはもう少し地に足がついた?生活を送っている。どうせなら「第二外国語としてドイツ語を習うお嬢様高校の一幕」くらいにしておいた方が、まだ設定にリアリズムがあったのに。
…と思っていたら、作者自身が京都外国語大のご出身とのことで、もしかしたら世の中にはこういう純粋な外語大生もいるのかもしれない。