そこまで過激ではない
2020/08/22 14:50
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投稿者:Lily - この投稿者のレビュー一覧を見る
社会科系科目の教科書に登場するくらい有名な作品なので、ずっと前から気になっており、読んでみました。読み始めた最初のうちはページの進みが遅かったというか読むのに時間がかかりましたが、段々とこの作品の雰囲気に慣れてきて、全体的には割と読みやすい作品であったと感じました。この程度で話題になったのかと思ったレベルだというか、そこまで過激ではないという感想を持ちました。このような終わり方もあるとは思っていますが、ここで終わりなのかと思ったくらい、私には終わり方が物足りなく感じて不満でした。この時代なのに、女性の主人公が結婚前から経験があったことに驚きました。教養のために、一読をおすすめします。
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投稿者:たらのり - この投稿者のレビュー一覧を見る
木村政則訳は、心地よく耳に響いてきます。伊藤整訳、伊藤整・礼訳、武藤浩史訳、永峰勝男訳、を読み比べましたが、最新訳だけあって、訳文がこなれており読みやすいです。
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2015年7月の課題本でした。
http://www.nekomachi-club.com/side/23828
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今月の猫町課題図書読了。伊藤整による翻訳が(「チャタレー事件」で)有名だが、今回は光文社古典新訳で読む。文庫本なのに 1,700円もしてびっくりした。
第一次世界大戦後の混乱の中、価値観が物質文明、極度な資本主義へと移り替わる中、自然回帰、肉体回帰を訴えた作品。猥褻文書裁判の影響で猥雑部分のみに注目が集まることが多いが、現代の目で見ると猥雑というほどのものではない。むしろ、ヘンタイの最先端を行く現代日本人の目から見ると、D.H.ロレンスの方が時代の制約に縛られていて、逆にもの足りないくらい。
興味深いのは、ラグビー邸に集まった友人の会話に「未来について書かれた本を読んでいた」として紹介される未来像が Brave New World そっくりなこと。解説を読んで知ったのだが、D.H.ロレンスは晩年、ハクスリーと親交があったらしく、ハクスリーが Lady Chatterlay のこの挿話に強く影響を受けたことは明らか。あの奇想のもとが D.H.ロレンスだったとは、びっくりだ。
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乱歩の芋虫は人としてのコミュニケーションは成立せずに性でのみ繋がっているのに対して、本作はコミュニケーションは成立するけれど性の繋がりはない。
性というものを考えるのにこの2作品の比較はヒントになり得るけど、私の頭じゃ難しい。
時間を置いて再チャレンジしたい作品。
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クリフォード・チャタレーの妻コニーは、“男と恋に落ちるには、まず言葉で親密な関係を築く必要(p21)”がありました。そのため、性生活をあまり重視しないクリフォードとの、“性を超え、男の性的な満足感も超えた自分たちの間柄に”、“多少の誇らしい喜びを覚え(p31)”ていました。
“ただコニーはどうしても子供が欲しいと思った(p31)”のですが、クリフォードが戦地から送り返されてきたとき、ずたずたの状態で、一命は取り留めたものの、体の下半分、つまり腰から下が永久に麻痺したままとなってしまいました。
いつしかコニーには、“自分を犠牲にし、クリフォードに一生を捧げてどうなるというのか(p151)”という“反抗心”がくすぶります。そして、森番のメラーズに恋をします。
裏表紙には“地位や立場を超えた愛に希望を見つけようとする男女を描いた至高の恋愛小説”と書いてあります。確かに二人の地位は異なっており、それでも関係なく惹かれ合う恋愛でした。
しかし、読んでいて二人はいつか別れるのではないかと思っていました。メラーズが妻バーサ・クーツとなかなか手を切れずにいて、彼女が下品な話を触れまわっているとコニーが知ったとき、“遠方に来ている自分までもが汚辱にまみれようとしている”と、“メラーズに怒りを覚え”(p550)ています。また、コニーが「赤ちゃんができたの(p572)」とメラーズに言ったとき、メラーズの顔からは、いっさいの表情が消えます。コニーが「うれしいと言ってちょうだい(p572)」と言っても、メラーズは言ってくれません。
それでも、最後のメラーズからコニーへの手紙は、美しく、愛している気持ちと、希望を感じることができました。
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準男爵で戦争で下半身不随となった夫とラグビーに住む妻のコニ―。夫の世話で一生を終えるはずが屋敷の森番メラーズと出会い逢瀬を重ね階級を越え結婚を誓う。初対面は最悪、会話も続かなくても身体を通して語り合い解放されていく。しかし立場と世間の眼を克服した先に幸せがあったのかはわからない。人生は短いようで長いから。ただ、二人のような濃厚な時間を若くて綺麗な時期に持てるっていいなぁ。生きてるって感じがとても伝わってきた。
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本作を読んでいると、SNSには「成功という雌犬に腰を振る」ヤツばかりいるように思えたし、私自身も「ゴムとプラチナ」で出来てるヤツに思えてきて仕方がなかった。坑夫たちが鉱山に宿る霊ならば、コニーとメラーズは森に宿る霊だろう。やがて破壊される運命の森の霊。いつまで守れるかわからないけど、たとえ短いあいだであっても名もなき神に守られてほしい。柔らかく温かい二人の肉体は、森に咲く花々のように美しいけど、はかなく脆い。コニーとメラーズの心の揺らぎも、魅力的だ。生身の人間らしく、恐怖や不安に揺らぐ意識は、香水やスパイスのように、美しく、魅力的に描かれている。常に一貫性を保つブレない意識など、ありはしない。意識の揺らぎは、甲殻類的人間(外側が堅い甲羅で、肝心の中身が溶けている人間)ではない証左だろう。沢山の「ハイライト」をKindleに引いた。記憶に残したいフレーズが沢山あったからだ。主人公達以外の人物も、興味深く描かれていて、会話部分もお洒落である。
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これは予想外!官能小説かと思っていたら、淫靡さよりも崇高さを感じさせる社会派。エロいっちゃエロいが(笑)。
近代化により失われていく人間性や生命力を見つめ、その本源的な回復を性愛に託して表現したというところだろうか。けっして単純に「わいせつ」という言葉だけで片付けられる内容ではない。約1世紀を経た現代にも通じる文明社会批判と、性を通じてスピリチュアルな高みにまでのぼる思想性が際立つ。
発禁や裁判などで有名な本作。過激な性描写と背徳感に満ちた世界観を予想していたのだが……。良い意味で裏切られた感と、その清々しい感動に今、他の翻訳も読みたくなっている。
こんな時代だからこそ、希望を胸に秘めて、本物の人生を生きろと語るメラーズはエロゲの主人公のようにカッコいい。
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同時に読み始めて、永井荷風の「四畳半襖の下張」から9日遅れで読み終えた。芸術か猥褻か、の判例で有名な作品だが、猥褻さはほぼ感じない。ベッドシーンはせいぜい数%程度か。(猥褻さは、村山由佳さんの「ダブルファンタジー」の方が十倍位えげつない。)
内容は、純愛小説のような、昼ドラ小説のような。身も蓋もない言い方をすると、体の相性が妙に良い39歳の森番と20代の若奥様がセックスに嵌る、というお話。妻は世間体を気にしながらも最後は夫に告白し、夫は人格が崩壊する。
純愛といえば純愛なのだろうが、恋愛のスイッチはどこにあるのかも分からなければ、いつオンになるのかも分からない以上、出会い頭の衝突事故のようでもある。
主人公2人のうち、コニー(女)の方は現代的で魅力的だが、メラーズ(男)の方は正直行けすかない。身分差はともかく、夫が荒れたのは分からないでもない。。
100年近く前の作品としては、新訳のおかげか随分読みやすかった。
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いつか読みたいと思っていたよ!
あの、最後死んじゃうやつね…!と思ってたら違った。夫人違いだった。(なんのネタバレよ)
原題は"LADY CHATTERLEY'S LOVER"、初出は1928年。木村政則訳。
最初に訳者まえがきがあることで、だいぶとっつきやすくなっていると思う。個人的にはメラーズの訛りはもっと方言ぽくてもいいと思うけれど、このへんは翻訳の限界ともいえそう。
舞台は第一次世界大戦後のイギリス。
准男爵夫人であるコニー(チャタレー夫人)は、若くして結婚するも、夫が戦争で下半身不随となり、性生活を営めなくなる。子供が欲しいと思いながらも夫の世話をする喜びのない日々を送っていた。
そんなときコニーは、屋敷の森番メラーズに心を奪われ、秘密の逢瀬を重ねるようになる…。
本作は100年もの間、世間をざわつかせてきた作品である。1928年に作者が不謹慎承知で、私家版として出版し、酷評もされつつ、一部では人気を博する。
イギリスで無削除版(という言い方が既にエロい)が公刊されたのは1959年。猥褻文書として告訴されるも、結果は無罪となる。
日本で初めて無削除版が出たのはそれに先立つ1950年。当局からは発禁処分を受け、出版社と訳者がわいせつ文書頒布罪で起訴され、有罪が確定する。これが、かの有名な『チャタレー事件』である。言論の自由とは、わいせつとは何かということが、何人もの著名人が出廷して証言し、法廷で真面目に論じられたのである。
一度は絶版という憂き目にあった完訳だが、社会通念の変化という(猥褻に寛容になった?)世の流れや、本国イギリスでの無罪も受けて、現在は完訳が普通に流通している。
急に濡れ場になっていたり(ぼんやり読んでたら、「はっ、何、もう始まってる!」と驚く)、コニーが性の悦びにふけり、やたらと子宮に注意を向けたりするし、セックス前後の男根の有様がリアルに描写されたりするもんで、なるほど、こりゃ1950年代なら『猥褻文書頒布』とか言う奴いるんだろうなと少し納得もする。(今では考えられないけど)
いや、でも面白かったです。確かに男女の性愛を描いているのだけど、主題の描写に必須だっただけで、殊更にエロを描こうとしてるんじゃないよね。読めばそれはわかる。夫も妻も、どこかしら、身につまされることがあるのではないかな。
やはり良きも悪きも、話題になるロングセラー作品には、普遍性が感じられる。
小説は読んで面白いと感じられるかどうかで、わいせつかどうかなんかを考える前に、純粋に作品として楽しんでほしいなと思う。たぶんロレンスもそう思っていたはず。
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新潮文庫の方は、多分、学生の頃に読んだきりなので、かなり久しぶり2回目。
チャタレイ夫人にばかり注目してる感じがしていたけど、チャタレイ夫人の恋人である森番メラーズが重要なんだと今頃わかる。
メラーズの考えがロレンスの考えを投影しているのだから。
他の本で、愛することは技術的なことで、なかなか難しいことだと書かれていた。
そうかもしれない。
というか、そうなんだろう。
自分が思っていた愛するは、本当は違うのではないかと思うようになった。今頃。
それがロレンスの言ってる愛するとも違うかもしれないけど、愛するというのは本当はものすごく難しいものだと思う。