『元禄の雪 白狐魔記6』
2017/07/03 21:04
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投稿者:百書繚乱 - この投稿者のレビュー一覧を見る
白駒山の仙人から化身の術をさずかったきつねの白狐魔丸
島原の乱で天草四郎時貞の最期を見届けてからおよそ六十年
ときは元禄、生類憐れみの令が布かれている時代
はじめて江戸に入り江戸城に出入りするうちに
浅野内匠頭の殿中刃傷沙汰にかかわることになる
読んでいるうちに歴史が好きになる1996年からの人気長寿シリーズ
既刊6冊の第6作は2012年初版
シリーズスタートから21年
前作刊行から5年がたち続刊が待たれるところ
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やっぱり好きだなぁ、白狐魔記。 前作で「白狐大仙(びゃっこだいせん)」な~んていう大層なお名前を白駒山の仙人から授かった白狐魔丸だったけど、やっぱりそんな立派過ぎる名前よりも白狐魔丸の方がしっくりきます。 これは白狐魔丸が持っているある種の素直さ、可愛らしさ、まっ直ぐさによるところが大きいのではないかしら??
今作は表紙からしても、タイトルからしても赤穂事件を扱っているのは読む前から明らかだったけれど、太平の元禄時代に江戸城から漂ってくるという邪気に関して言えば KiKi がイメージしていたものとは大きく異なっていました。 読む前にはこの邪気は吉良上野介と浅野内匠頭との間のスッタモンダによるものかと想像していたんだけど、太平の世ゆえの、そして徳川家独裁体制の中での大名家と幕府との間のパワー・バランスみたいなものに端を発している邪気という発想は KiKi にとってはちょっと意表をついていたのと同時に、読んでみて説得力のあるものでした。
白狐魔丸が人間社会を徘徊する際に化けるのは多くの場合が「白犬」か「人間の商人」というのは以前のシリーズからお馴染みだったけれど、今作は「生類憐みの令発令中」という状況下での「犬姿」なので、そこから出てくる物語にも説得力があり、安心して楽しめるサイドストーリーが多かったようにも感じました。
前作で白駒山の仙人様がご帰還あそばされたことにより、雅姫(つねひめ)の存在感は薄くなってしまうのかなぁ?と心配していたんだけど、結局せっかくご帰還なったものの1人でフラリと旅に出てばかりいる仙人様よりも、本人曰く「白狐魔丸とは格が違う狐」である雅姫の活躍ぶりは相変わらずでした。 もっともこのやたらと目立つ雅姫がいったいどんな風にして、白狐魔丸同様の(いやそれ以上の)霊験あらたかなお狐様になられたのか?に関しては、今作でも全く語られなかったんですよね~。 このシリーズの中のどこかでそのあたりの「雅姫はいかにして今の雅姫になったのか?」が語られることはあるんでしょうか??(笑)
浅野内匠頭の初登場シーンはちょっと意表をつくものでした。 もともと KiKi 自身は浅野内匠頭という人物に関してあまり好印象を持っていなかったし、今風に言えば「切れやすいタイプ」の人だったんじゃなかろうかと思っていたようなところはあったんだけど、こうもあっさりとそのイメージ通りの人物で描かれちゃうと、それはそれで唖然としてしまいました。 でも、白狐魔丸のセリフじゃないけれど、どんな事情があったにしろ殿中で刃傷事件を起こし、後のこと(領国のこと、お家のこと、そして家臣団のこと)をまったく考えていないようなお殿様はダメだよなぁ・・・・・。
さて、時代は元禄まで下ってきちゃったわけだけど、次はどの時代へ行くんでしょうか?? 逆に言えば現代まで残された時代もそうそう多くはなくなってきちゃったわけで、そこに一抹の寂しさを感じます。 と同時に、武士の時代をず~っと訪ね歩いてきた白狐魔丸が現代の日本人を目にしたら、どんな感想を持つのかに無性に興味がかきたてられます。
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時は、徳川五代将軍綱吉の時世。
赤穂藩主浅野匠守が、江戸城松の廊下で、高家吉良上野介への遺恨で刃傷沙汰をおこしてしまう。赤穂藩はとりつぶし、職を失った浪人侍が主君の仇を討たんとする実話が背景。
白弧魔丸は、浅野家家来の大高源吾と知り合ったことで、仇討劇を最後まで見届けることとなる。
赤穂事件の内容は、キツネが絡むことでやや違ってくるため、忠臣蔵ファンが読むと、感想がまた違ってくると思われる。
今回の『元禄の雪』は、これまでのものと比べ、白弧魔丸が人間の中にすんなり入りこんでいるような感じがした。
まだ術もろくに使えない、幼さ危なっかしさが残っていた最初のころの白弧魔丸のほうが、かわいらしくて好きだったが、もうベテラン化け狐になったということだろうか・・・
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何故、この人の言葉はこれほど心に残るのだろう。決して感動を誘うような場面でなくても、ちょっとしたつぶやきのような言葉であっても、しっかりと地に根を張っているような、どっしりとした安心感がある。実感があって、そこから言葉が出ている、という感じ。
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戦国の世でなくとも、人の死は常にそこにあるのですね。
今回のキーワードは、生類憐みの令と忠臣蔵です。
前回の『天草の霧』もそうでしたが、自分が既に知っていた物語と「真実」が少し異なるところに、胸がドキリとしました。
時代はどんどん今に近づいてますね。次は「いつ」なんでしょう…?!
白狐魔記サイコーです!
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白狐魔丸シリーズの6作目です.
舞台は元禄期,前作からの時間はそんなに経っていないかなとおもいました. ここを使わないと次が幕末になってしまうからなのかな.
赤穂浪士の事件が舞台ですが,こういった書き方になるのかと感心させられる展開でした.
このシリーズを小学生のころから読み始めて既に就職しましたが,この歳になって読んでもなお楽しめるシリーズなので,この次にも期待してます.
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久々の白狐魔記です!
話を忘れているかもと思ったけど、読んでいるうちに思い出した。やっぱりしっかりした話は簡単には忘れ去らないものなのね。
忠臣蔵ですね。上野介が生きていたとは!!あんまり歴史に詳しくはないのですが、上野介がいい人に描かれていたのが新鮮でした。討ち入りの理不尽さが、変な言い方ですがよかったです。庶民の間で勝手に事実を捻じ曲げられたあたりも面白いと思いました。
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毎回思うけど、「白狐魔記」って児童書のくくりだけど・・・
大人の読者に対して書いてる感があるくらい、歴史を勉強した者にとってはメチャ面白い。
白狐魔丸は武士が嫌いだけど、今回は武士があふれている江戸に来て、しかも浅野と吉良の松の廊下事件から討ち入りまでの事件に係わる。
やはり根底には武士の死への美学への疑問かなあ。
人はどんな身分でもどんな立場でも命を大事にしなきゃね。
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またまたやってしまいました…。これもシリーズものだったのですね。
ですが、これまでの経緯が説明されていたので、読み易かったです。 シリーズを通して白狐魔丸(狐)の「人間探求」の物語らしいですが、白狐魔丸の素直さやまっすぐさがかわいいなぁと思いました。今回は赤穂浪士の討ち入り。好奇心から関わってしまった白狐魔丸の目を通しての武士観察は面白かったです
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実は、元禄の雪って聞いても
ピンとこなかったんです
それなのに赤穂には
行ったことがあったりして(;^^)ゞ
さて、久しぶりのシリーズです
児童書だからか、読みやすいです
歴史ものというより
ファンタジーベースだからかな
今回は、忠臣蔵です
予備知識がほとんどないので(;^^)ゞ
白狐魔丸と一緒に探索気分です
今まで読んだ文楽小説や
歌舞伎衣装図録の記憶をたどりながら
楽しみました
「黙示録」と同じような時代なんですね
そんなところも偶然だし
読んだ時期も討ち入りの日近くだったし
よかったですよ
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忠臣蔵!
理由がなくても外圧でなにか事を起こさざるをえないことがあるのだなあ
大石内蔵助が浅野の家老で、吉良上野介に馬鹿にされて浅野が切りかかり、切腹した敵討ち
整理できたー
やはり空しさはかわらず
かなしす
最近の話はちょっとマンネリ化してたけど、また面白かったー
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赤穂事件にかかわります。
いままでのものに比べると接する人物との接点が薄いせいかいまひとつ面白みにかけました。
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児童書ですが、大人でも十二分に楽しめる白狐魔記シリーズ。
歴史ファンタジーで、人の世の無常を狐の白狐魔丸の目線から描いた作品です。
今作は人間よりも酔狂な雅姫の方が目立っていました。
対照的に白狐魔丸の真面目な性格が大変可愛らしく描かれています。
忠臣蔵や赤穂浪士について全く知らなかったので歴史のお勉強としても読めました。
今作は人間との距離が遠い分、狐の目を通して人間について見つめ直すというテーマが伝わりやすかったです。
他の動物から見た「芝居」の酔狂さは今まで気がつかなかったです。
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白駒山の仙人の弟子となり、修行ののち、人間に化けることができるようになった狐、白狐魔丸の人間探求の物語。時は江戸時代中期、元禄十四年。俳諧や歌舞伎など町の文化が花ひらき、人びとは天下太平の世を謳歌していた。しかし、白狐魔丸は江戸城から強い邪気がただよってくるのを感じる。赤穂事件がおきたのは、その直後だった。
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この巻で白狐魔丸は江戸に出て、そこで忠臣蔵の物語の現場に立ち会うことになります。江戸城に忍び込んだり、吉良邸に忍び込んだりなどして重要な場面を目撃しはしますが、赤穂浪士や吉良側の内側にはほとんど入り込まないし、赤穂に場面を移したりもしないので、江戸に当時生きていたらこんな風に見えたんではないか、という言わば忠臣蔵を外側からリアルタイムで見た町人感覚を大事にした描き方をしているようです。それは、歴史というものは伝聞と推測で作られた物語であって、特に忠臣蔵のように人形浄瑠璃や芝居で脚色された物語は、現実とは似ても似つかぬものになっているものだということをどうやら本巻の裏テーマにしていることによって選ばれた方法であるように思います。
本巻で何度か繰り返して語られるもう一つのテーマは、切腹すれば目的や結果の成否は問わず正義となる、という侍の生き方・責任の取り方への疑問です。白狐魔丸シリーズを通して武士は嫌いだと言ってきたわけですが、巻によって武士への視線の温度には高低があるように私には見受けられました。この巻ではその点、だいぶ冷たかったです。
こういったようなこだわりのテーマをもって書かれたと思われる本巻では、作者自身、読者を楽しませることすらよりも、これらのこだわりを意識的に優先したんではないかな、と私は思います。というのは、町人から見て忠臣蔵は、なかなか討ち入りに来ない間延びした出来事だった、ということを結局本書では書いていて、読者にもその感覚を追体験させているわけで、それが本書の中だるみになっています。そこで中だるみを防ごうとするならば、やはり白狐魔丸も赤穂に舞台を移して、大石たちの葛藤にも立ち会うとか、そうしなくても江戸で赤穂と関係を持ったオリジナルキャラをもっと活躍させるとかなんかやりようがあったし、斎藤洋にはそれができたはずです。なので、それをしなかったのは、斎藤洋の故意だったのではないかと私は思います。
とはいえ、うちの子は楽しんだみたいですね。特に最後のあたりは面白かったと言っていました。死ねば正義という侍の生き方はいやだ、と言って違和感を感じたのも成果ではないでしょうか。私はこの本を読んで、天草の乱の頃から生きている人がまだいた頃だった、というのと、生類憐れみの令が行われていた時期だった、ということなど、別々に習ってはいても私の頭の中では全然つながっていなかった事柄が、当時の江戸の空気感みたいな感じで知ることができたのも嬉しかったです。