源ちゃんが最新の日本語を「メタメタに」斬りまくる
2013/05/06 17:43
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投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
「萌えな」ことば、「官能小説な」ことば、相田みつおな」ことば、「漢な」ことば、などなど様々な切り口で源ちゃんが最新の現代日本語を「メタメタに」斬りまくったエッセイ集である。
戦後民主主義を男女交際の自由という観点で徹底的かつ全面的に謳歌したかの「青い山脈」(余談ながら私はこの名曲を「君が代」に代わる国歌にしたいとひそかに考えていたのだが、全く同じ意見を内田樹氏が抱懐していると知って嬉しくなった)で有名な「洋次郎な」ことばや、いま千葉の海岸沿いに住んで東京のアホ馬鹿富裕層をコテンパンにのしてゆく真木蔵人の「クロウドな」ことばも面白いが、さいきん和歌、じゃなかった短歌に目覚めたわたくし的には新進気鋭の若き歌人たちの短歌を俎上に乗せた「棒立ちな」ことばの章が気に入った。
かの穂村弘センセの「裏側を鏡で見たらめちゃくちゃな舌ってこれであっているのか」とか、松本秀選手の「カップ焼きそばにてお湯を切るときにへこむ流しのかなしきしらべ」、中澤系選手の「牛乳のパックの口を開けたもう死んでもいいというくらいに完璧に」、奥村晃作選手の「「東京の積雪二十センチ」といふけれど東京のどこが二十センチか」、小林久美子選手の「ねじをゆるめるすれすれにゆるめるとねじはほとんどねじでなくなる」などの作品を前にすると、ここにこそかのアララギ流の鋭い「気付き」の現実観察と繊細な感性がそれこそ「棒立ち」になっていると深くうなづかずにはいられないのである。
最後に「こどもな」ことばの章における抄の武藤直樹くんの「ぼく」という作文を本書から無断引用させて頂いて本日の拙い読書感想文の結びと致したいと存じます。
ぼくは今二年生です
あまり勉強ができません
でも ぼくもぼくなりに
生きています
あたまわるいけど
学校がすきです
両手振りスキップしながら跳んで行くあの小学生にもう一度なりたし 蝶人
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高橋さんの芸が詰まった本。
色んな「ニホンゴ」たちが高橋さんの筆を通して伝えられる。それらは同じ日本語としてくくってもいいのだろうかと思うほど違う。
少し紹介。
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「官能小説な」ことば。高橋さんの得意分野。電車の中で読むには気が引ける章だ。「官能小説な」ことばは、まさしく「人びとがある目的のために作りあげた一つの世界、その中でだけ通用する、ことばの規則を持った世界」(P.49)なのだ。そこまでは笑える。そして、最後に政治や経済や科学、ジャーナリズムのことばも同じではないかと問う。そしてそのことに自覚的である「官能小説な」ことばの世界の住人の方がマシだよね、と締める。なるほど。
元々は政治家のことばを取上げて、その特徴について書こうとしていたということだから、間接的ではあるけれども、この部分こそは高橋さんが問題意識を持っているところであり、ことさらに言いたいことなのではないのかな。
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「みつをな」ことばは確かに論じるに興味深いことばではあるが、そこからなんと「実篤な」ことばに飛ぶとは、さすが。さらには「ドラえもんな」ことばへと並べるのだが、こうなるともう色々と何でもあり。「まるこな」ことばでもいいしね。
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「洋次郎な」ことばは、もう驚くしかない。時間の経過によって受け入れられることばがこうも変わってしまうのか。
そして自分たちがいま空気のようにひたっていることばもいずれ違和感を持って受け取られるようになるのだということにも思いを致すべし。
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「ケセンな」ことばは、読むべし。聖書に対する見方ががらっと変わる。ことばの持つ力も認識できる。
例えば、
初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
は、
初めに在ったのァ
神さまの思いだった。
思いが神さまの胸に在った。
その思いごそァ神さまそのもの。
となるそうだ。何だか分かるようになるよね。
そうなんだ。
『イエスの言葉 ケセン語訳』
http://www.amazon.co.jp/dp/4166608398/
この本は聖書の例だけど、次の般若心経現代語訳も、同じようにこう言ってくれると分かるという例。
http://alfalfalfa.com/archives/6348666.html
ことばの力って本当に見直してもいいよね。
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Twitterなども十分使いこなしている高橋さんなら「2chな」ことばなんかも期待したかった。あのことばこそ、この時代においてまな板に上げて料理する価値があるのではと思う。
もう「ことば」ということばをこれから何気なく使ってもいいんだろうかという気になってくる。
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ケセン(気仙沼)な言葉とクロウドな言葉は良かった。ケセンな言葉の「(日本語大辞典によると)愛とは相手を好きになること。自分の気に入ったものは愛しますが、気に入らないものは愛せません。これは自己本位的感情だとあります。愛は上下関係につながります。上のものが下の者を愛するのです。対等の相手や目上の人の対しては愛するとは言えませんでした。下のもが上の人に対していだく好意は「慕う」というのです。」(p251)
◯ちょっと違うけど、「大人の作法」にも愛するに関する記述がありました。
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都築響一さんの夜露死苦現代詩を思い出しました。ことばをクローズアップ。面白がるが勝ち、という気がしました。ケセンなことばは源一郎さんのすっぴんでも取り上げられて気になっていました。源一郎ゼミ楽しそうです。
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源ちゃんが最新の日本語を「メタメタに」斬りまくる
「萌えな」ことば、「官能小説な」ことば、相田みつおな」ことば、「漢な」ことば、などなど様々な切り口で源ちゃんが最新の現代日本語を「メタメタに」斬りまくったエッセイ集である。
戦後民主主義を男女交際の自由という観点で徹底的かつ全面的に謳歌したかの「青い山脈」(余談ながら私はこの名曲を「君が代」に代わる国歌にしたいとひそかに考えていたのだが、全く同じ意見を内田樹氏が抱懐していると知って嬉しくなった)で有名な「洋次郎な」ことばや、いま千葉の海岸沿いに住んで東京のアホ馬鹿富裕層をコテンパンにのしてゆく真木蔵人の「クロウドな」ことばも面白いが、さいきん和歌、じゃなかった短歌に目覚めたわたくし的には新進気鋭の若き歌人たちの短歌を俎上に乗せた「棒立ちな」ことばの章が気に入った。
かの穂村弘センセの「裏側を鏡で見たらめちゃくちゃな舌ってこれであっているのか」とか、松本秀選手の「カップ焼きそばにてお湯を切るときにへこむ流しのかなしきしらべ」、中澤系選手の「牛乳のパックの口を開けたもう死んでもいいというくらいに完璧に」、奥村晃作選手の「「東京の積雪二十センチ」といふけれど東京のどこが二十センチか」、小林久美子選手の「ねじをゆるめるすれすれにゆるめるとねじはほとんどねじでなくなる」などの作品を前にすると、ここにこそかのアララギ流の鋭い「気付き」の現実観察と繊細な感性がそれこそ「棒立ち」になっていると深くうなづかずにはいられないのである。
最後に「こどもな」ことばの章における抄の武藤直樹くんの「ぼく」という作文を本書から無断引用させて頂いて本日の拙い読書感想文の結びと致したいと存じます。
ぼくは今二年生です
あまり勉強ができません
でも ぼくもぼくなりに
生きています
あたまわるいけど
学校がすきです
両手振りスキップしながら跳んで行くあの小学生にもう一度なりたし 蝶人
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源ちゃん、若いなぁホントに(^-^;
考えるのが仕事なのはわかるけど、って、もともとそおいうタイプの人種なんやろなぁ、この人は(笑)
どこまで本気で書いてるのか?いや、結構本気っぽいな…書かれた方はどお思うかなんて関係ない。
やっぱ、凄いんじゃないですか?って仕事でした。
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最初の2つを読んだ時には、このまま読み進められるのか心配になったけれど、その後は一般的に受け付けやすいコトバについて語られていたので、安心した。
ゼクシイなコトバに笑い、こどもなコトバには感動。
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考えてみると、日本人って世界一多彩な応用表現を使いこなしてるような気がする。JK言葉しかり、萌え語しかり。それに方言や古文ときたら、頭パンクしないほうがおかしい。
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すごく面白かった。
大爆笑。
そして、あぁ、その通りだな…と思うところもあって。
とにかく心底楽しかった。
同じ日本語でも、自分が普段使っている言葉とは背景にある文化が違うのではないか?と思うことがある。
読めるけどちんぷんかんぷんなのだ。
この本で取り上げられている「ことば」の中にもそういうものがあった。
でも、分からないことが面白い。
こういう世界があるのねと驚いて、高橋源一郎さんのツッコミに心地よく笑えました。
この本の素晴らしいところは、テーマと著者のバランス感覚だと思う。
引用されている文章に私が引いている時には一緒に引いてくれて、面白がっている時にはさらにのってくれている。
一緒に読んで、一緒に笑って、一緒につっこんで、一緒に感動している気になってくる。
こんな本、書けるんですね。
初めましての「ことば」も多かったし(というか、ほとんど)、あんまり読みたくない描写も引用されてたりしたけれど、全部読まなきゃ気が済まないくらい惹き付けるパワーがあった。
そしてドン引きしてる人間を笑わせてくれる絶妙なツッコミ。
やはりそこが1番すごいところかも。
いい!と思うことばも、なんじゃこりゃ!と思うことばも、全部日本語で書かれている。
日本語って、本当にすごい。
すごく面白い。
そう気付かせてくれる1冊。
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コトバも、その使われかたがグループ分けできる!として、いろいろな場面に見かけるコトバの数々から、、、いたい何が見えるのか?
非常に興味深くもあり、思わず声に出して笑ってしまうユーモアたっぷりの文章。本を読んで、真木蔵人に注目したり、キリスト教の教義よりも、こころにぐっとくる相田みつをに再びカンドウしたり。はたまた心の病を持つ人々の妄想的コトバ。シュールなコトバ達は、文字に起こして読んでみると面白い。人気のある一冊、納得!
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おもしろかった。けど、なんとなく深い、感じはなんか嫌。げらげら笑って読むのが正解かなって思ったが、それにしては、時折はいる皮肉が気持ち悪い。
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今年最初に読んだ本だが、最初から大当たりとは幸先がいい。さすが天才詩人だと思う。正月から笑わせてもらった。とても幸せな気分になった。
言葉にに対する「感度」がとても高いのだ。これはどういうことなんだろうと自分なりに考えてみたのだが、どうやら「書いた人の気持ちを考える」という、およそ小学校の国語の時間がら教えられていることなのだろうという結論に至った。そして、如何に自分はそれができていないか思い知るのである。
コミュニケーションが何故難しいのか。それはお互いの思いが伝えられないからだと思う。その対策として、言葉にどれだけ向き合えるか、が重要なのだろうと改めて感じた。
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面白い本です。ページを繰るごとに、黒い笑いが口角を引き上げました。そして、ところどころでほろりとさせられ、気持ちの振幅がけっこう大きかったです。全体の構成、並び方も工夫されたものだなあと感心。
これは自分の興味の対象のせいなのか、「VERY」なことばと「ゼクシイ」なことばはチンプンカンプンでしたけれども。
「棒立ち」「ケセン」「こども」に感動しました。
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文体の使い分けによる表現の違いを吟味するエッセイ。
著者のコトバに対する感性が窺えてオモシロイ。
「萌えな」ことば、「洋次郎な」ことばには大爆笑。「人工頭脳な」ことばは、恐ろしいことに早くも時代遅れだ。そも人工頭脳の概念が変わってきているしね。
なにより「VERYな」ことば、「ゼクシイな」ことばには参った。およそ空疎な言葉の羅列なんだなぁ。ポジれば直感だけに訴えている表現と言えなくもないけど。中身は何にもないよね。
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「ゼクシィなことば」
ゼクシィの式場の広告の写真は、新婦は日本人で新郎が外国人(もちろん欧米系)、そして友人も全員外国人…率が高すぎる、ていうのに笑った
でも1つの式場は、、上に加えて新婦の両親も外国人でどーいうこと!?っていうツッコミをしてて、そこを読んでる時は電車の中で口開けて笑ってしまった