紙の本
ニルヤの島
2016/11/07 13:06
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投稿者:によ - この投稿者のレビュー一覧を見る
すごい!これはすごい!!すごくおもしろかった!!なんだこの興奮!!
『宗教と死後の世界を否定する』とは何だ。
まずはそこから、作者が描こうとする世界を掬い上げるために読み進めた。
叙述された今があれば、記憶の断片化がなければ。
『帝王の殻』のPABの廟にも似て。
「利他的なことこそマクロな意味での利己的行動」ミームはミームのために。
人間は、遺伝子を運ぶ機械であれば、ミームを運ぶための入れ物であるのか?
地獄も天国も、すべて人間の頭の中にあり、でもだからこそ、死者の国は頭の中に作り上げられた概念。
何度も意味づけが覆されたり上書きされたり、驚き息をのむ瞬間があったり…すごい本だった。
ぜひ再読したい。
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すごい!これはすごい!!すごくおもしろかった!!なんだこの興奮!!
『宗教と死後の世界を否定する』とは何だ。
まずはそこから、作者が描こうとする世界を掬い上げるために読み進めた。
叙述された今があれば、記憶の断片化がなければ。
『帝王の殻』のPABの廟にも似て。
「利他的なことこそマクロな意味での利己的行動」ミームはミームのために。
人間は、遺伝子を運ぶ機械であれば、ミームを運ぶための入れ物であるのか?
地獄も天国も、すべて人間の頭の中にあり、でもだからこそ、死者の国は頭の中に作り上げられた概念。
何度も意味づけが覆されたり上書きされたり、驚き息をのむ瞬間があったり…すごい本だった。
ぜひ再読したい。
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第二回ハヤカワSFコンテスト受賞作。「著者のペンネームと風貌とツイートが面白いから」という理由で衝動買いしてしまった。
自分が普段あまりSFを読まないことや、ミクロネシアという馴染みのない舞台・文化に最初はとっつきにくさを感じたものの、途中からは全く問題にならなくなった。
登場人物の混乱と読者の違和感を丸ごと飲み込んで収束するクライマックスは読んでいてとても心地よく、根幹のアイディアは特筆すべきものだと思う。
あとボードゲームで1日8手駒を進めるだけの仕事に僕も就きたい。
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日本経済新聞社
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ニルヤの島 死の概念を巡る大胆な仮説
2014/12/10付日本経済新聞 夕刊
天国も地獄も、人間が死後に行くと信じられている世界であるから、それらをめぐる物語はすべて純粋に想像上の産物だ。
にもかかわらず、この手の物語はあふれ返るほど存在する。ヒトはなぜ、死後をめぐる物語を必要とするのか。
表題は、ミクロネシアで、ヒトが死後に赴く島をさす。西暦2069年のミクロネシアは、島と島とをつなぐ大橋環が形成され、船による航海が不必要になったばかりか、ヒトの生前情報がすべてデータ化可能になったため、むしろ死後の物語は宗教もろとも失効してしまっている。
しかし、実際には太平洋の船乗り文化と連関する民話が根強く、植民地主義的状況下で海外から移植された宗教が「死後の世界」のコンセプトを、強く打ち出す。その様子を、現地の人々の生存データ化を詳細に検証しながら、じっくり描き出したのが、本作品だ。
話題が話題だけに、いささかたじろがせるところもあるが、死の概念を人類はどのように文化遺産として蓄積してきたのか、とてつもなく大胆な仮説が堪能できる。第2回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作品。
(小谷真理)
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死後の世界を否定された人類はどう生きていくのかが主題のSF。
途中でギブアップ。
全体的にフワッとした印象で一貫性が足りない。生前の記録が残るからという理由だけで死後の世界が完全に無くなるとは思えず理由付けも弱い。途中の挿話も全体的に意味が無い。
合わなかった。
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死後の世界の周りをぐるぐるする話だからかもしれないけど航路とか虐殺器官を彷彿とさせて、途中まではせっかく面白いんだからお願いだから既出の話を後追いするような流れにはしないでくれ、後半はこんなにここまで面白いけどこれどうやって終わらせるんだ、お願いだから最後で台無しにしないでくれよ、と思って読んでいた。最高ではないかもしれないけど、そつなく終わっていたと思う。舞台設定とかガジェットが好きなタイプのものであっただけに多少目が眩まされているのはあるかもしれないけど、すごく面白かったです。表層を生きる人と骨組みを組む側の見せるバランスもよかったと思う。時系列がばらばらになっているのもくらくらする感じがよかった。多分回収しきれてないので後でもう一回読むと思うけど。
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近未来のミクロネシアを舞台に、個人の人生全てがデータ化され死後の世界の概念が失われた世界で、死後の魂とは何かを問う。
攻殻機動隊の「ゴースト」の考え方と、エヴァンゲリオンの「人類補完計画」のエッセンスが溶け込んだような作品。
肉体の死はもちろん存在しても意識=魂は永劫存在し続けること、死の恐怖を乗り越えるには他者と総体になる場所=ニルヤの島が必要だということを語る。
また生命であるならば、いかに否定されようとも宗教を求めるものなのだということも語ってるように思え、「BRAIN VALLEY」のテーマも盛り込まれているように感じる。
ただ、テーマは面白いのだが、時間軸や場面が転々とする描写や、思弁的過ぎる文章が世界に入り込むのを妨げているように感じるのが非常に残念。
まだ27歳と若い作家さんなのでこれからに期待。
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生体受像の技術により生活のすべてを記録し、いつでも己の人生を叙述できるようになった時代。ログを再生すれば、死者との記憶を何度でも物語として再生できる。あるいは、死者のログを元に精巧な人形に人格をAI化してコピーすることさえ可能だ。
この時代、人々から“死後の世界”という概念は失われた。しかし、ミクロネシア経済連合体においてのみ、死後の世界を主張する新興宗教が現存する。彼らは言う。人は死んだらニルヤの島へ行くのだ…と。人間にとって死後の世界とは何か?
第二回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。
人間にとって死後の世界が必要な理由。また、この時代において死後の世界が消滅した理由。対してミクロネシア経済連合体においてニルヤの島信仰が浸透している理由。これらについては、作中で以下のように答えが提示されている。
ひとつ。死後の世界とは、記憶の断片化により喪失したアイデンティティーの穴埋めとして、自己のルーツを“死後の世界にいる祖先”に求めた結果である。この時代においては、主観時刻により記憶の断片化が発生しなくなったため、人々は自己のルーツあるいは物語性を外部に求める必要がなくなり、死後の世界もまた消失したのだという考え。
ひとつ。死の恐怖とは他者との断絶にこそあり、それを防ぎ、他者と総体になる場所として、ニルヤの島が存在する、というもの。自己の物語性が完全に叙述されても、それが誰からもアクセスされなくなっては非存在に等しい。また、主観時刻には後悔や悲哀までもが記録されるため、人は死後も救いがないまま延々と生き続けることになる。だから人々は救いを求め、ニルヤの島を目指すのだという考え。
ニルヤの島信仰により生み出されるのは、人々の「記憶」が海中で混在した状態。主観記録があくまで「個人の物語」を個別に記録するものであったのに対し、ニルヤの島はすべての人の物語=ミーム(模倣子•文化的遺伝子)が記録され、溶け込んだもの。前者においては、いずれ忘れ去られたミームが孤独に「死滅」していくことになるが、後者ではすべてのミームが同一の場所で混ざり合い、徐々にその規模を広げて、永久に海を漂い続けることになる。すなわちニルヤの島とは、他ならぬミーム自身が永続性を獲得するための概念であり、故にニイル(ミームコンピューター)は浸透を図ったのではないかと。
結局のところ、生体受像の技術によって自己を完全に叙述できようと、永遠を獲得できようと、やはり自己と他者という区別を持つ限り、人にとっては「ここではない救済される場所」が必要なのではないか。
自己と他者があるからこそ愛もあるけれど、同時に孤独や喪失といった不安も抱えることになる。孤独や喪失を恐れるのは、共同体を形成して生きることが種の保存に有利であったためだし、共同体において利他性を選択することも結局は利己性なのだけれど。いっそ意識などなければ、自己と他者という境界がなければ、不安などなくなり、母と一体だった赤ん坊のように、安らかな気持ちに包まれるのではないだろうか。
自己、自意識の確立。多数の異なる意識に基づく無限の選択肢。それは���という種の保存のために必要だったのだろう。今でも我々は自己の物語性を追い求めて生きている。芸術によって、あるいは偉大な技術を開発することによって、その名を後世に残し、自己の物語の永遠性を担保する。もしくは、愛の物語を紡いでは自己の遺伝子を、子孫を残す。
けれど、文化の発展により人は多くの現象に対する対抗手段を得て、今、既に我々を絶滅させるほどの脅威を持った生物はいない。この状況下でも、まだ意識は必要なのか。意識があるからこそ、人は他者との断絶を恐れる。現代日本において、意識はむしろ種の保存にマイナスに働いているような気がする。現代日本ならば、ニルヤの島信仰はすぐに浸透しそうだな。
ミームの操作により社会を安定化させる、という考え方は、「虐殺器官」の影響を感じさせた。SF界の流行かしら。などと言っている私自身も、意識の必要性などと考えている時点で十分「ハーモニー」の影響を受けているのだけれど。もう永遠に次回作は読めないけれど、伊藤計劃ならどこまで掘り下げてくれたんだろうと思ってしまう。知りたかったな、彼の考えを。
いつか人は他者と総体となるための技術すら手に入れるのだろうか。
そんな技術が開発された時、あなたは何を思うの。
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場面の転換についていくのに疲れて、中身に入りきれず。
語り手の一人であるイリーさんですら、自分の記憶の転換についていけないのだから、仕方ないのかな。
生体受像の発展で、自分の人生をいつでも叙述できえうりょうになった世界。生体受像で、記憶がごちゃまぜになる様子は、JOJO第六部の神父の能力で、1周した地球にいるかのような感覚でした。
いや、結構違いはあるのだろうけども、印象としては。
入りきれなかったのは、ミームということを、まがりなりにも理解できていないからかなぁ。
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死後の世界を否定された世界。大環橋−グレートサーカムに繋がれた島々からなるECM。死後の世界を信じる統集派−モデカイト。死者が行く場所、ニルヤの島。ミーム。カーゴカルト。
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第二回ハヤカワSFコンテスト受賞作。難しくて売れなさそうな感じ。主題は模倣子学(ミーム)と天国とか地獄とかの死生観。
ミームコンピュータができましたよ。末端は人ですよ。中枢はチェスっぽいものですよ。計算能力はたくさんあるので国の運営もできるようになりましたよ。という部分はおもしろかったけど。
人生を記録できるようになったら、死後の世界というのは不要になりました。でもでも、やっぱり必要な感じですという話なんだろうか。読解力不足。
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物語らしい物語もなく、登場人物の独白めいた文章が延々と続き、同時並行した視点が収束もせずに終わってしまった。
最後までよく分からなかった。
ただ、よく分からないのに、なぜか最後まで読んでしまった。
なんだこれ?
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結局ニルヤの島に行く、ということは何だったのか?
もしも、現実世界でも死後の世界が否定されたとしたら、今ある宗教は意味を無くしてしまうのだろうか?
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ポカンと日が照りつける南洋の島で、静かに進んでいく物語。読むうちに時間と記憶の間で迷いそうになる。途中からだんだん悪い予感にドキドキしてくる。
読後、溜め息が出るような満足感があった。テビュ一作とは思えない落ち着き、ほどよく枯れた感じが心地良かった。
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「死後の世界など無い」とローマ法王が宣言し、死後の世界を誰も信じなくなった世界で。「じゃあ、死んだら人は何処へ行くの?」という主題を登場人物達が延々と考えている、哲学小説。主観は次々にスイッチするが物語は同じ所を少しずつズレながらぐるぐると巡っている。たびたび眠くなってしまった……。