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世に棲む日日(二)
2007/08/19 11:28
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投稿者:よくきた - この投稿者のレビュー一覧を見る
松下村塾である。
久坂玄瑞(げんずい)が高杉晋作を、吉田松陰に紹介した。
松陰は晋作がさしだした詩文集に顔を伏せ、熱心に読んだ。
それは、この詩文のどこが面白いのだろうと、晋作自身が聞
きたくなるほどの熱心さだった。
‥‥やがて顔をあげ、松陰がいった言葉は、晋作が終生忘
れられないところであった。
「久坂君のほうが、すぐれています」
晋作は、露骨に不服従の色をうかべる。(思ったとおりだ
)。人を見る目が異常に優れている松陰は、最初から、尋常
でない男が来たという感じをもった。若者は渾身にもってい
る異常なものを、行儀作法というお仕着せ衣装で、やっと包
んでいる。待ち望んだ奇士が二人になった(一人目は玄瑞)
と、松陰は喜んだ。
「僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなすつもり」、と
いう有名な文句で、門人たちの怖気(おじけ)を叱った松陰
は、萩から江戸に護送され、幕府評定所の吟味を受ける。
そして、晋作が江戸留学をおえて間もない、安政六年(1
859)十月二十七日。すっきり晴れた晩秋の朝、松陰は伝
馬町の獄内で斬首された。
松陰の刑死を知った後も、晋作の腰は定まらず、新鋭艦に
乗っても、気鬱(きうつ)がなおらない。品川の妓楼では、
大小を帳場に預けさせた。若者は刃物がそばにあると、死だ
けが自分の救いであるような気がしたからだ。
気が滅入る本当の理由は、「俺にいったい、何ができるの
か」という、自問することさえ怖ろしい課題があるからであ
る。というより、自分は何事もこの世で為すことのない、不
能の人物ではないかという、恐れと不安と懐疑とが、晋作を
叫び出したいような心境にさせていた。
作者いわく、彼はまぎれもない天才なのである。それは彼
自身も、薄々気づいている。しかし、なんの天才なのか、と
いうことになると、彼じしんも見当がつかない。それが晋作
の焦燥であり、何をやればいいのか判らないのであった。
剛毅な印象の晋作が、現代青年と同様の悩みをもっていた、
とは驚きである。大志を抱く若者の憂いは、想いに比例して
深くなるようだ。
久坂らの勝手な裏工作により、再び江戸出仕となった晋作
は、「これでおれの一生は決った」と肚(はら)をきめ、村
塾出身者の首領に納まる。その頃になると、久坂の口から倒
幕(トウバク)という過激語が飛び出し、藩政担当者の周布
(すふ)政之助をあわてさせる。
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明治末期の変革期の青年の群像を描く歴史長編の第2巻です!
2016/09/02 09:40
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
司馬ワールド全開の第2巻。海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩公害、松本村に蟄居させられます。そして、安政ノ大獄で、資材に処せられるまでのわずか三年たらずの間に、粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、やがて狂気じみた、すさまじいいまでの勤王攘夷運動に成長して、時勢を沸騰させていきます。
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松陰先生の生き方に打たれた
2020/07/19 17:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
第二巻前半では吉田松陰の人生の円熟期の様子が語られる。底抜けにポジティブに、そして自分の信じた「正義」に対して謙虚に、正直に生きること。松陰先生が我々に教えてくれた一つの人生観である。私もこれを謙虚に受け取りたいと思う。
司馬先生の筆は次のように語り、松陰先生の人生を締めくくる。
松陰先生が和田倉門外の評定所で奉行たちに取り調べを受ける場面である。
・・・松陰は語りはじめた。やがて奉行以下がぼう然となるほどの正直さで、かれがやったり企てたりした反幕府活動のいっさいを語った。あほうといえば、古今を通じてこれほどのあほうはいないであろう。
松陰は、吟味役の老獪さを見ぬけず、むしろ他人のそういう面を見ぬかぬところに自分の誇るべき欠点があるとおもっていた。
「余は人の悪を察すること能わず、ただ人の善のみを知る」と書いたことがある。(以上156ページから抜粋引用)
幕府の重役たちが自分を極刑にもしようという評定の中で、その企みに乗って自分の信じた正義を語らせられた訳だが、この生き方は私にとっても憧れである。
松陰先生が今に至っても人々から慕われる理由が本巻を読んで腑に落ちた。修身の道徳本でもない歴史小説を読んで大いに感動させられた。
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松陰vs晋作
2015/06/19 18:53
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ジミーぺージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
第1巻と第2巻が吉田松陰の伝記で、第3巻、第4巻が高杉晋作の伝記です。
吉田松陰は熱い言葉と思いやりで人を引き付けますが、高杉晋作は行動力で人を引きつけます。吉田松陰はガリ勉タイプ、高杉晋作は、いつ勉強しているのか分からに内に東大現役合格という感じの天才です。
長州藩の志士たちが、明治政府誕生まで生きていたら、すごい日本になったいただろうなと感じさせる小説です。
ふたりの生き方を対比して読み込むと面白いですよ。
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明治維新の功績者といふと誰を思ひ出すだらうか。
私の場合は、薩摩の西郷隆盛、土佐の坂本龍馬、長州の桂小五郎、そして幕府では勝海舟といつたところか。
この作品では、吉田松陰とその弟子の一人高杉晉作の人生が描かれてゐる。
吉田松陰は「松下村塾」で維新の志士を育てた人物だし、高杉晉作は長州で奇兵隊といふ身分を問はぬ軍隊を作つた人物だ。
私はその程度の認識しか持つてゐなかつた。
吉田松陰は思想家である。
その思想とは、簡單に云つてしまへば、日本の國は天皇が治めるべきだといふことだ。
つまり倒幕派の思想的バックボーンである。
この當時、勤皇派はすなはち攘夷派であつた。
これは當然のことながら幕府の方針とは相いれない。
それゆゑ吉田松陰はいはゆる「安政の大獄」で處刑された。
そして、大老・井伊直弼は、幕府が天皇の意向に逆つてまで開國した爲に、攘夷派の志士達に殺されたのである。
その弟子はたくさんゐる。
そのなかで、最も思想的に松陰を受け繼いだのが久坂玄瑞であり、それを行動に昇華させたのが高杉晉作であつた。
長州はその當時、急進派と穩健派との間で搖れ動いてゐた。
高杉晉作の功績は、その長州に革命を起こしたことだ。
世界の中における日本といふ視點からものを考へ、日本を變革させる手段として長州を變革させた。
彼がいなければ長州は倒幕に團結することもなく、したがつて明治維新が實現したかどうかもわからない。
彼は、時代がその存在を求めた、一世一代の風雲兒であつた。
もし彼が結核で亡くなることがなく、明治政府のなかで重要な位置を占めてゐたら、日本はどのやうになつたのだらう。
そんなことを想像させられた。
高杉晉作に較べれば、桂小五郎(のちの木戸孝允)や伊藤博文は人物がひとまわり小さい。
山縣有朋にしても高杉のカリスマ性に較べれば小さい、小さい。
でも、もしかすると西郷隆盛のやうに政治からは彈き出されてゐたかもしれない。
さういふことまで想像すると、高杉晉作とは時代が與へた役割を果して、そのまま舞臺から退いたのだと云へるだらう。
辭世は、
「おもしろき こともなき世を おもしろく」で、
わづかに27歳8ヶ月の生涯であつた。
2004年12月21日讀了
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竜馬がゆくに次いで、読みやすかったのは、「燃えよ剣」上下2巻なのですけど、主役は新撰組副長、土方歳三。「竜馬」と同じくらい面白くて、ある種マンガっぽく、ドラマチックで、泣きあり笑いあり別れあり、「竜馬」がゆっくり長編モノに対し、「歳三」はワンクール短期集中ストーリーで、展開が早く、グイグイ先へと惹きつけます。「竜馬」の8冊は大変だ、と思って手が出せない方は、「歳三」から読んでみてはどうでしょうか。きっと読書や幕末モノが好きになるのではないでしょうか。
で、今回がこちら「松陰と晋作」物語。全4巻、竜馬と歳三の間あたりの長さかなと思うのですが、これまた面白い。物語の展開が早く、内容も分かりやすい。というのは、幕末列伝を幾つか読んでいて、舞台情景が浮かぶから、というのが大きいのだと思いますが、それにしても、こりゃあ面白い。マンガティックであって、ドラマティックな長州の物語が今宵も続きます。
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吉田松陰が主人公かと思って読んできたのに、この2巻の途中で松陰が死んでしまう。言われてみたら安政の大獄だ。って歴史で学んだ出来事の意味合いを改めて考えてみる。
松陰亡き後はその門下の高杉晋作を中心に描かれる。2巻ではいかに革命家になっていったか。
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この巻から高杉晋作登場!吉田松陰が獄中生活が始まる前後辺りの話。ほとんどは高杉晋作の話だが、吉田松陰とこの人の全く対象的な二人の運がすごくストーリーを劇的にしている。吉田松陰の不運と、高杉晋作の強運の違いはおおきい。しかし、のちの世に神と崇められたのは吉田松陰。ここらへんは日本人の判官びいきに通じるものがあるのであろうか?
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吉田松陰が死んで主役は高杉晋作へと移っていく巻。
純粋すぎる松陰と比べると幾分安心してみていられる。
この時代の長州人は過激なのが多いねぇ。
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安政の大獄の余波でついに吉田松陰は処刑されます。松陰先生・・・、あなた純粋過ぎ。そして、ついに高杉晋作の登場です!
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おもしろきこともなき世をおもしろく
松陰が処刑され、晋作は熱烈な攘夷論者となっていきます。司馬さんの外国へ行った日本人の心情論が面白かった。
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吉田松陰の播いた思想の火種を高杉晋作が受け継ぎ、ボッと点火させるあたりまでが書かれている。晋作が清国への視察団に選ばれて、そこで外側から見た日本や西洋の考え方に触れ、過激な攘夷行動によってしか日本を生き残らせる術がないことを悟る。過激な攘夷行動によって、海外との間に対日戦争を巻き起こし、徳川家を困らせ、戦乱の果てに倒幕、国内をまとめ上げようという着想である。次巻からは実際に倒幕への行動が描かれていくと思うので、晋作が志士達をどのように動かしどのような手を打っていくのか見てみたい。
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狂気って素晴らしいね!!
狂こそ美だよね、松蔭先生!
松下村塾生がなんか可愛いですv
時代の変動も見られておもろい。
『生涯を賭けるー』
晋作が松蔭から受け継いだもの
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(2015.01.20読了)(2013.06.15購入)
【杉文とその周辺】
1854年のペリーの米国艦隊の日本への再訪から1862年の晋作の上海洋行あたりまでが書かれています。
松陰は、密航を企て、ペリーに拒否されると、奉行所に自首して罪人となった。
江戸で裁かれ、長州萩に送られた。
野山獄でしばらく過ごしたのち、自宅蟄居となった。
そこに門弟を集め、松下村塾をはじめた。多くの塾生と共に学んですごした。
松下村塾の存続期間は三年。(120頁)
安政の大獄に連座した梅田雲浜との関係を問われ、江戸送りとなったが、自ら罪を被り、刑死した。
松陰の死後は、高杉晋作を中心として、話が進められます。
妻のお雅さんのはなしとか、長州の航海練習船丙辰丸に乗る話とか、信州松代に佐久間象山をたずねる話、最後は、上海へ行く話です。
【目次】
死への道
下田
必敗
奇妙人
晋作
久坂玄瑞
野山
村塾
奇士
村塾の人々
空の青
評定所
二十七日、晴
お雅
雪の夜
航海
信州松代
福と狂
毛利敬親
長井雅楽
暗殺
長州人
上海にて
戦争と革命
●松陰(14頁)
かれ(松陰)は、その性格の欠陥とさえいえるほどに現実の世の中での立身を望まなかったが、しかし死後の功名には執着した。現実にあっても一番槍、一番駈けといったたぐいの功名はどうも欲しかったらしい。
●知識欲(43頁)
「この事件(松陰の密航)は、日本人というものがいかに強い知識欲をもっているかということの証拠として非常に興味がある。かれらは知識をひろくしたいというただそれだけのために、国法を犯し、死の危険を辞さなかった。日本人は確かにものを知りたがる市民である」
●「講孟余話」(80頁)
松陰はこの書において「孟子」を語るよりもむしろかれの勤王思想というこの当時の危険思想を語ろうとした。松陰に言わせれば日本の中心は天皇であり、幕府ではない。さらに日本人たるものは大名から庶民に至るまで天皇の臣であり、将軍の臣ではない、という幕府がこれを知れば飛び上がっておどろくであろう思想を述べた。
●高須久子(90頁)
「罪は姦淫でございます」
と、武家言葉でわるびれずにいった。高須久子は三十前で後家になった。そのあと一、二度男出入りがあったために親類一同が協議のすえ、藩にたのんで彼女を五年の刑ということで入牢させた。封建時代の士分社会ではこういう委託刑といったようなことがある。そのかわり食費その他は、親類持ちである。
●奥州人江幡五郎のために(101頁)
「古来、日本で友人のために死のうとした者がひとりでもいたか。義卿(松陰の字)をもってそういう日本人の最初の人物とする。英雄乎非英雄乎などを吉田寅次郎において論ずるのは愚だ。かれは誠実ということにおいて人間ばなれのした人物であり、かれみずからの志もそこにある。」
●安政の大獄(153頁)
松陰の答えは明瞭で、なにも密談などはしませぬ、梅田(雲浜)は以前江戸で一度会った旧知であり、かれは萩にきたついでに拙者方に一応のあいさつに参っただけでござる、その時学問の話や禅の話などをしました、とすらすら答えた。
●善のみ(156頁)
「余は人の悪を察すること能わず、ただ人の善のみを知る」
●思想(199頁)
思想とは本来、人間が考え出した最大の虚構―大うそ―であろう。松陰は思想家であった。
●狂(229頁)
「ものごとの原理性に忠実である以上、その行動は狂たらざるをえない」
●強者の道(231頁)
真の強者の道は自分の天命を知り、自らの運命に満足することであるかもしれない、というものであった。
●桂小五郎(233頁)
桂には思慮深さと同志に対する親切心があり、その点人望があったが、しかしみずから時代の局面をひらくという創造的才能を持っておらず、その点では松陰の気に入りであった久坂玄瑞も同様であった。
●上海(285頁)
文久二(1862)年の初夏、高杉晋作は海をわたって上海へ「洋行」した。
●貿易調査(287頁)
上海への使節派遣というのは、貿易調査が目的であった。幕府はすでに諸外国と通商条約を結んでおり、それをやがては実行しなければならない。ところが港をひらいて貿易をするについてどういう貿易実務をすべきかがわからず、それを上海において見学しようというのである。
●西洋文明の正体(292頁)
西洋文明の正体というのは道具である、と思った。そのモトは、どうやら数学だと、思った。
●公的政府(303頁)
上海での晋作の実感は、
―日本に公的政府を作るべきだ。
ということであった。それには、天皇家をかつぎだすことであった。
☆関連図書(既読)
「花燃ゆ(一)」大島里美・宮村優子作・五十嵐佳子著、NHK出版、2014.11.25
「世に棲む日日(1)」司馬遼太郎著、文春文庫、2003.03.10
「吉田松陰」奈良本辰也著、岩波新書、1951.01.20
「吉田松陰」古川薫著、光文社文庫、1989.06.20
「吉田松陰の東北紀行」滝沢洋之著、歴史春秋出版、1992.12.25
(2015年3月24日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩郊外、松本村に蟄居させられる。そして安政ノ大獄で、死罪に処せられるまでの、わずか三年たらずの間、粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、やがて狂気じみた、すさまじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく。
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松陰の死からスーパーファンキーボーイ2代目高杉晋作の話。このひとちょっとサイコパスっぽいぞ。おもしろい。