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必笑小咄のテクニック
著者 米原万里
佐藤優氏推薦! 短くて人を笑わせる話―単にネタを暗記するのではなく、笑いの構造を理解すれば、臨機応変・自由自在に小咄を創り出せる。本書では、日本人離れしたユーモアセンスの...
必笑小咄のテクニック
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必笑小咄のテクニック (集英社新書)
商品説明
佐藤優氏推薦! 短くて人を笑わせる話―単にネタを暗記するのではなく、笑いの構造を理解すれば、臨機応変・自由自在に小咄を創り出せる。本書では、日本人離れしたユーモアセンスの持ち主である著者が、世間に流布する笑いの法則を突き止めて分類し、自作も含めて豊富な例をあげながら、笑いの本質に迫る。詐欺にも似た、相手を錯覚させる方法、同じ内容の順番を変えるだけで悲劇が喜劇になる方法、マクロとミクロを反転させる方法など、思いがけないオチをつけるテクニックをマスターして、窮地に立ったときこそ、周囲に笑いを呼び込もう!【目次】第一章 詐欺の手口
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紙の本
苦しい時に笑い飛ばせるかどうか。その鍵を教えてくれます。
2006/06/19 00:06
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本文の最後には、視野狭窄症にかからないためのオマジナイが記されております。
「病気とか、不運な事故とか、人を失ったり裏切られたりする悲しみとか、悔しさとか、理不尽な差別とか、不公正とか、腹立たしい悪政とか、単なる間の悪さとか、窮地に立つと、人は視野が狭くなって、ますます自分を追い詰めてしまいがち。苦しいときこそ、そんな自分や不幸の元を突き放して笑い飛ばしたいものだ。・・」
ここで「笑い」のオマジナイは
「小咄という文学ジャンル(と言ってしまおう!!)」と宣言になっております
(ここは笑うところではありません)。
その大いに役立つ方法論を、この新書で生み出そうとしておりました。
さて、小咄をさっそく引用ちゃいましょう。
こんなのはどうです。
「地獄の悪魔代表チームが天国の天使代表チームにサッカーの試合を申し込んだところ、天使側は快諾した。
『ああ、いいですよ。でも、勝ちはこちらがいただきですね。だって、いいサッカー選手、ほぼ全員、こちらの住人になってますもん』『そりゃあそうかもしれんが、やはり勝ちはこちらがいただきだね』と悪魔側。『何しろ、審判はどいつもこいつも、こちら側の住人になったからね』」(p134)
せっかくですから、
小咄の裾野を知るために、
もう一つ、引用しておきます。
「秋には総裁選も予想されますので、有権者の抱く理想の政治指導者像についてアンケート調査を実施します。
1.非合法の金融業者や暴力団関係者との並々ならぬ間柄について噂が絶えない。病気持ち。妻以外に愛人が二人。ヘビー・スモーカー。毎日マティーニを八〜十杯引っかけている。
2.二度も免職されたことがある。夜更かしで正午まで寝ているクセが抜けない。学生時代には麻薬を吸っていた。毎晩ブランデーを一本飲み干す。
3.勇猛果敢な軍人としていくつかの勲章を授与されている。ベジタリアンにして非喫煙者。酒は、ビールのみを愛飲している。マフィア、刑事犯、マネーロンダリング、その他の不法行為とのいかなるかかわり合いも疑われたことがない。贅沢嫌いで生活はつつましい。
以上のように三人の有力政治家の皆さまのキャラクターを記しましたので、理想とする政治家の番号を○で囲んでください。あなたの貴重なご意見は、総裁候補選出に際して必ず参考にさせていただきます。ご協力ありがとうございました。
なお各番号に相当する政治家は、次の方々です。
1. フランクリン・ルーズヴェルト
2. ウインストン・チャーチル
3. アドルフ・ヒットラー 」(p179)
小咄の引用は、
二つで十分でしょう。
まだ、読み足りない方のために、この新書が読まれるのを待っております。そして残念ながら、当のご本人はこの5月25日、56歳で亡くなっております。
この新書の「あとがき」が、まるで読者への最後の挨拶でもしているように。手を振って笑ってでもいるように、私には読める文になっております。
小咄はちょっとという方には、この「あとがき」だけでも、お薦めしたくなります。
紙の本
抱腹絶倒ではない。むしろ緻密な。
2008/07/15 22:06
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ばんろく - この投稿者のレビュー一覧を見る
小咄集である。小咄を集めてその構造を分析する。趣旨はなかなか面白い。読み心地もよい。しかし読みながらどうしても感じてしまうのは、ここに載っている小咄、ほとんどが別にそんなに面白くない、ということである。いや、面白くないと言うのはちがうか。ただ、思わず笑うというよりは、そうきたかと感心させられてしまうようなものが多い。では米原さん自身はなぜ抱腹絶倒などという言葉を使うのだろうか。一冊の本にするために、玉石混淆を承知で褒めそやしたのだろうか。いや、どうもそうではないらしい。
一つにはネタとなる文化が違うこともあろう。だが、我々の日常では(正直に言ってここでの我々をどこまで一般化できるかは心許ないが)このような「ハナシ」となるほどの比較的長い小咄を使う機会がない、という点に違和感を感じるのではないだろうか。ここに紹介されている小咄は、分析されうるほどに論理的なのである。オチに対して、そのオチが裏切るべき予定調和を演繹するに十分な状況説明がついている。そう、どれも前振りが長いのだ。日常で前振りが長い話は好まれない。
しかしよく考えてみると、長い前振りがなくても理解できる話というのは、そこが浅い、バリエーションが少ないともいえる。といってしまっては語弊を生むだろうが、前振りが少ないということは、オチが裏切るのは常識的な感覚ということになり、ここから逆算すると、互いに常識が共有されていることが前提条件にならないだろうか。
ここで米原さんを信用して(?)、少なくとも彼女にとってはこれが抱腹絶倒ということを真であるとする。これを彼女の職業に結びつけて考えるならば、国際感覚というものが少し見えるような気がする。我々が日常ともにする仲間との会話は、行き着く先を常に常識が想定させるが、互いに常識の異なる者同士が予定調和を生み出すためには(ここでの話題はそれをさらに裏切ることにあるわけだが)、どうしても理屈による話題の方向性の提示が必要となってくる。最初に「我々」という言葉の及ぶ範囲の曖昧さを断ったのは、別に国内にいようと常に異なる立場の者と関わるような環境に身を置く人間は、このような「際」の感覚はわざわざ言及するまでもないであろうと想定するからである。
米原さんはよくシモネタは世界共通ということを言われていた。冗談混じりで、聞いたほうも思わずにやりと笑ってそりゃそうでしょうと受け流しがちだが、必ずしも常識というものに身をあずけられない世界では、シモネタというのは共通の論理帰結を有した安全地帯なのかもしれない。