無限花序
著者 宮城谷昌光
小説という虚構の世界に人間の真実を宿らせるには、どうすればいいのか。物語を解体した。言葉に疑念をはさんだ。そして、いつしか「おはよう」という挨拶すら容易に口にはできなくな...
無限花序
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商品説明
小説という虚構の世界に人間の真実を宿らせるには、どうすればいいのか。物語を解体した。言葉に疑念をはさんだ。そして、いつしか「おはよう」という挨拶すら容易に口にはできなくなっていた――故立原正秋氏らに才能を評価されながら、著者は郷里に帰り十数年余、研鑽を重ねた。古代中国の世界を描く以前の初期作品を厳選し、デビュー十年を機に刊行する。
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現存作家が、実験作というよりは習作に過ぎないような若書きの本を麗々しく出版などしているから、マンネリに陥るんだぞ、ねえ、そう思いません?
2003/10/02 21:03
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
もう大分前のことだけれど、たしか遠藤周作か吉行淳之助が、生前に全集を出した時、「本来、全集と言うものは、作者が亡くなってから編まれるべきものだ」と申し訳なさそうに書いていたのを読んだ記憶がある。今でも、三島由紀夫の未発表原稿などが発見され騒がれることがあるけれど、それらが生前に発表されないには理由がある。プロとしての自覚が、若書きを恥じるからだ。それは正しい姿だと思う。
この本は、中国を舞台にした小説で人気の宮城谷が、1976〜1983年に同人誌とおぼしき雑誌に書いた習作四編をまとめた作品集で、表題の「無限花序」がワープロで、一回で出てきたのには驚いた。意味が分らないので辞書をひいたら、ちゃんと載っている。反対語で有限花序もある。調べてみてください。
で、読んだ印象は、確かに習作。特に私のような、構成を重視する読者には悪夢のような作品。若い作者の気負い・気取り、独善が表に出て、今の時点で出版されるべきか大いに疑問だ。筒井康隆が見せる攻撃性も、井上ひさしの愉悦も感じられない。これが純文学だとすれば、やはりこの分野は衰退するしかない。
むろん、文章と言うものを拒絶し、言葉そのものの自立性を問う実験作であることは分る。文学青年ならば一度は通る過程かもしれない。しかし、それを商業ベースに乗せて売り出すのは、出版社の倫理が問われるべきではないのだろうか。ついでに言えば、埋もれていた作品が世に出て嬉しい、などと能天気に言う著者にも、羞恥というものは無いのか、とさえ思う。
以前、カメラを主題にした宮城谷の私小説を読んだことがある。それは今回の作品と現在の中国ものの間に位置付けられるもので、充分に小説として成立していた。それに比べれば、今回は問題外のレベルにある。あとがきで著者が嬉々として回想しているけれど、読まされる身にもなって欲しい。せめて、私家版で出されるべきものだろう。
少なくとも、この作品が出されたあたりから宮城谷の作品が、完全に停滞しマンネリに陥っていることは、かれの愛読者であれば分かるだろう。新潮社装幀室のデザインが、詩集を思わせる清楚なもので、あまりに素晴らしいだけに不満が噴き出る。無論、読む私の読解能力の無さ、文学的素養の欠如を指摘する人もいるだろう。それを承知の上で書く。感動も感心もない小説の存在意義を、是非自分で読んで考えて欲しい。