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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
深刻な事件のノンフィクションだが著者が作家であるため、どこか冷静な目で見ている感がする。それが物足りなくもあり考えさせられる材料にもなる。凄惨な事件を引き起こす原因は何なのか考えるための本。
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投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトル通り、様々な犯罪を取材し、わけても殺人犯の心情にまで踏み込んで書き続けてきた著者の、ある意味、集大成と言える作品。獄から手紙で呼びかけてきたりする囚人がいるあたりは、氏が、それだけの実績を残してきた証だろう。注目される裁判の後、感想を求められる姿がよくTVに映し出されていたが、サラリーマン記者とは比較にならない、本物のジャーナリストだった。一方、しょうせつかとしての氏は、直木賞を獲った「復讐するは我にあり」の名著も残して旅立っており、優れた物書きを失ったと思う。
これまでの仕事を総括する作品
2015/11/08 09:22
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
惜しくも先日亡くなられましたが、偶然にもこの本書は、佐木氏のこれまでの仕事を総括するような内容です。全18章で過去に作品となったそれぞれの事件を取り上げています。もちろん個々の作品についてはそれを読むしかないのですが、ほとんど廃刊になっているようです。この作品では過去の取材した事件のエピソードや苦労話が綴られています。よくこれだけの事件を取材し、作品を書き続けてこられたと、驚くばかりである。
佐木隆三作品目録
2015/10/03 15:52
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投稿者:hiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
ノンフィクション作家佐木隆三の作品目録といった一冊。自身がこれまでのエポックともいえる作品(要するに事件ルポ)について、それぞれの状況や思いなどを振り買った内容で、著者のファンであれば興味深く読めるのではないか。私は特に著者に思い入れはないが一ノンフィクション・ファンとして、ここに取り上げられた事件については「ああ、そういえばあったなぁ、こんな事件…」という感慨があり、それなりに興味深く読めた。
一つ一つの事件については概要だけしか触れられていないので、事件の真相や犯人とそれを取り巻く人々の関係など、細部にわたって事件が掘り下げられているわけではない。個々の事件について興味をもって読むのならば、何とも消化不良のもどかしい気持ちにもなるだろう。だからこれを読んで、中途半端な気持ちにさせられた人、さらに詳しく知りたいという気持ちになった人は、著者の過去の作品を読めば良いといことになる。そういう意味で、これは佐木隆三作品ガイドブックと言える一冊だと思う。
扱っている事件が古いものが多い
2015/06/02 03:53
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投稿者:くりんぐりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
殺人者には会ったことがないので、どんなものだろうかと思って購入しました。
本書で取り扱っている殺人事件(及びその犯人)が古いので、どんな事件だったかイメージできずじまいでした。
もう少し新しめの事件及びその犯人への考察も入っていると、事件をイメージしながら読むことができてより深くこの本を読むことができたのではないかと思います。
著者最晩年の犯罪と裁判の書
2016/07/23 00:44
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投稿者:道南 - この投稿者のレビュー一覧を見る
先年惜しくも亡くなられた著者ですが、お元気な頃には自ら刑事裁判の法廷を傍聴して書かれたノンフィクションノベルが次々と刊行され、その都度興味深く読んだものでした。
お年をめされるうちに、以前ほどのペースでは刊行されなくなり、短いものが多くなってきたのですが、それでも楽しみにしていたのです。
この書は著者のそのジャンルの最後の著書と思われ、かなり最近の事件までもが取り上げられています。
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佐木さんの小説の話題が多くて、読んだことがない私には?な箇所もあったけれど、「犯罪を犯す人間と犯さない人間は、程度の差であって、種類が違うものではない」という言葉にはゾッとしてしまった。
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18名の殺人者たちを取り上げ、その取材方法からインタビュー内容、佐木さんが感じ取ったそれぞれの事件に対する思い。
それらが1冊にまとめられた本。
「復讐するは我にあり」が初めての犯罪小説だと思っていたけれど、佐木さんはそれ以前に「偉大なる祖国アメリカ」という本を書いていた。
沖縄で起きた少女殺害事件を扱った小説らしい。
多分にフィクションも入っているようだけれど、根幹を成す部分は取材に基づいているようだ。
残念ながら取りあげられた事件の多くをリアルタイムでは知らない。
けれど、犯人の多くが「自分は理不尽な扱いを受けている」と感じているところが興味深かった。
世の中には思うようにならないことが多い。
というよりも、ほとんどが自分の思惑とは違う方向へと流れていってしまうのがあたり前だ。
何をきっかけに人を殺してしまうような犯罪に手を染めてしまったのか?
元々そういう本性を持ち合せていたのか、それとも後天的な環境がそうさせたのか。
読み終えて感じたのは、やっぱり理解できない・・・だった。
獄中婚をする死刑囚もあり、誰かを大切に思うことで人間らしさを取り戻していくこともあるらしい。
でも、それでは遅すぎる。
奪った命は二度と戻らないのだから。
永山則夫を取り上げた章が特に興味をひいた。
高裁で無期懲役の判決を受けた永山に対し、検察側は「判例違反」として上告をする。
論点は次の3点だった。
・4人も殺した被告人が死刑を科せられなかった前例がない。
・「いかなる裁判所がその衝にあっても死刑を選択するであろう程度の情状がある場合に、限定されるべき」との見解は以後の死刑判決のできなくする。
・世論や被害感情からみて無期懲役は納得できない。
高裁では
・永山の年齢が19歳を越えたばかりだったことと、精神的な成熟度において18歳未満の少年と同視しうる状況だったと認めらられる点。
・収監中の永山に大きな変化があらわれたこと(反省と贖罪の気持ちが著しい)。
・印税を被害者の遺族におくり、慰籍の気持ちをあらわしている。
を理由に、被害者の冥福を祈らせつつ、生涯を贖罪に捧げしめるのが相当という意見だった。
だが永山は結局死刑となる。
そして現在、「永山基準」というあらたな基準が前例として使われることが多い。
判例主義の裁判において、永山の起こした事件がひとつの指針になっている。
人として最低限の環境を与えられるのは憲法で定められた国民の権利だ。
けれど、永山にはその最低限の環境すら与えられなかった。
時代が違う・・・と言ってしまえばそれまでなのだけれど。
それぞれの事件がどれも凄惨で極刑もやむを得ない、と思うものだった。
時間をかけて取材をし、ノンフィクション・ノベルという分野を作り上げた佐木さんには敬意を表したい。
「殺人者と他の人間との違いは程度の差であって、種類が異なるのではない」(コリン・ウィルソン)
佐木さんはトルーマン・カポーティの「冷血」に強い刺激を受けたと書いている。
上記の言葉は、イギリスの評論家コリン・ウィルソンの「殺人百科」に書かれている一文である。
道を踏み外すかどうかは、結局その人自身にかかっているのだろう。
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星3.5
久しぶりの佐木隆三さん。
殺人百科もそうだけど 1人の犯人についての分量が少ないので さらっと読めるけど 物足りない部分もあり。
むかし 死刑囚ものをたくさん読んでたときに 手記を読んだ死刑囚もいて その時は知らなかった前科前歴を今回初めて知って 今更ながら 自分の甘さに気がついたっていうか。
最近の事件はちょっと変わってきてるけど その当時は 確かに罪は重いけど そこに追い込まれた犯人の事情も重いものがあったり そこで一線越えてしまう犯人とわたし自身って そこまで大きく違わないんじゃないかとか 警察の捜査の仕方もどうなの?とか いろいろ考えて。でもやっぱり手記って 客観的じゃない部分とか 自分に都合悪いことはかかないとか そのまま鵜呑みにしちゃダメなんだなって思った。ある意味ショーゲキだった。
勉強になりました。
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佐木隆三と言えば『復讐するは我にあり』が真っ先に浮かぶ。
この作品は原作よりも映画を先に観た。映画を観て大分経って
から原作を読んだ。
犯人が中華料理店に立てこもり、パンツ姿で逮捕・連行された
『深川通り魔殺人事件』は事件自体のインパクトも大きかったが
作品で綿密に描かれた犯人の「電波に憑りつかれている」と
の言い分に、やりきれないものを感じた。
大事件の裁判になると必ずと言っていいほど佐木氏のコメント
が報道される。ご自身が「作家・裁判傍聴業」と名乗っている
ほど、裁判傍聴歴は半世紀にもなる。
その裁判傍聴半世紀の間に出会った18の事件の回顧録が本書。
それぞれの事件への考察というより、事件を引き起こした犯人
にまつまわる思い出エッセイという感じか。
「自分のことを書いてくれ」と手記を送りつけて来る犯人って
結構いるんだね。それがきっかで作品になったりするんだが、
犯人の言い分を丸呑みするだけじゃ「作家」とは言えないんだな。
裁判に通って周辺を取材し、事実関係を積み重ねて、時には
犯人の身内に遠慮がちに接したり。
「事件」を描くことの難しさってあるんだろうな。読む方は
好き勝手に批評していればいいのだけれど。
深川通り魔殺人事件の犯人に対しては、改めて切なさを感じた。
事件を起こす以前に誰かが病院へ連れて行ってあげれば防げた
かもしれないのに。
読み終わって『復讐するは我にあり』の映画を観たくなった。
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昭和・平成にわたって世の中を騒がせた
いや、世間が騒いだ18件の殺人事件を
裁判傍聴業などして、ずっと取材してきた作家が
ノンフィクションなど自身の過去の作品にからめて振り返っている
一章から一八章まで
わたしが記憶しているものもいくつかあり
たとえば
場所は千葉、女医の妻殺人の医師藤田正
金沢の老舗菓子舗のおかみになっていた福田和子
連続幼女誘拐殺人の宮崎勤
和歌山毒カレー事件の林真須美
オーム真理教事件の浅原彰晃
大阪池田小大量殺人事件の宅間守
などなどの18件のおぞましくやりきれない殺人事件の犯罪者の人物
その後の顛末や詳細を冷静に簡潔に書いてある
フィクション、ノンフィクションどちらが好きか
と問われればわたしは断然フィクションがいいし
それもファンタジーに走らず
ミステリに近く、ストーリーが複雑で
なお、文学性に富んでいる本が好みなのであるが
しかし、この本はノンフィクションであるのに
あまりにも文学的な文学だと、とても感心してしまった次第
それは佐木さんも背中を押され、この本の解説者も指摘しているように
「文学とは人間という不可思議な生き物の正体に、どこまで迫れるかだ」
という埴谷雄高さんの言葉に表れている
それは理不尽な殺人事件を起こしてしまった
死刑や無期懲役になったおぞましい最低と言える犯罪者を
普通の人間の隣人であると思うことである
「日常の陰の隣人たち」(佐木さんの言葉)
おそましい、おぞましいと読みながら
果たして自分が、自分の周りがほんとうに正常かあるいは清浄どうか
だんだんとわからなくなってくるのである
また
後期高齢者になった作者自身の自分史のようなものまで
率直に書き込んであることに好感を持った
北九州の郷里に戻られ、妻子とも別れ
海の見える高台で、畑を作りながらの一人暮らし
といいながらこのような書き物もしていらっしゃるのであるが
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18件の事件を簡潔かつ個人的な観点から紹介した作品で、読んでいて少々物足りなさを感じたものの、淡々と語られる事件内容があまりにも凄惨で、むしろこの程度でなければ読めなかっただろうなと思った。一方で、事件物を語る上で一部を抜粋したり、要約してしまうのは偏見や誤解を招きかねず、危険なのではないかとも思った。とはいえ、興味深く読了した。
中でも印象に残っているのが、小林薫と宅間守の事件だ。池田小事件は、私が小学生当時の事件で、前例のない凶悪さに、つい先日のことのように強く印象に残っていた。それだけに、興味深かった。作中で紹介されていた長谷川博一氏との獄中の会話には、心を動かされた。そちらも読んでみようと思う。
冒頭でも触れられているが、読んでいて思うのはこの犯罪者たちと私とは、大きな差はない。私はいつだって、一歩踏み出せば、そちら側に行きかねない。そのことを絶対に忘れてはならないと肝に銘じた作品だった。
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まさか、あのように報道されていた死刑囚に、そのような一面があったとは。情報を与えられるだけである事の危うさ。足を使い、自ら知りに行くことの大切さ。勉強になった。とても面白い。
しかし、「殺人者と他の人間の違いは程度の差であって、種類が異なるのではない」は、反社会性パーソナリティ障害持ちの殺人者たちが存在する現代社会では、全く同意することはできず、人間の正体など無い、としか思えない。
「感情で動くことしか出来ない人間」を越えられない限り(越えたら人ではなくなりそうだが)、何かの拍子で殺人者の側に行ってしまうのは、極々自然であろう。
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これまで記してきた著作の回顧録。いっぱい書いたから目録でも作りたかったか。かいつまんだ話だけなのでこれで何かを知った気になるのはおこがましいし、もちろん読んで楽しい本でもないし。