義経(上)
著者 司馬遼太郎
みなもとのよしつね――その名はつねに悲劇的な響きで語られる。源氏の棟梁の子に生まれながら、鞍馬山に預けられ、その後、関東奥羽を転々とした暗い少年時代……幾多の輝かしい武功...
義経(上)
商品説明
みなもとのよしつね――その名はつねに悲劇的な響きで語られる。源氏の棟梁の子に生まれながら、鞍馬山に預けられ、その後、関東奥羽を転々とした暗い少年時代……幾多の輝かしい武功をたて、突如英雄の座に駆け昇りはしたものの兄の頼朝に逐われて非業の最期を迎えてしまう。数奇なその生涯を生々と描き出した傑作長篇小説。
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この男に贔屓したくなるか
2022/05/10 15:19
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「判官贔屓(はんがんびいき)」という言葉がある。弱いものや不遇なものに同情し、肩入れすることをいうが、元々は鎌倉幕府をつくった兄源頼朝から冷遇され死にまで追い詰められた判官・源義経を同情する思いが由来となっている。
おそらくその感情の多くは、当時の京都の人々の思いであったはずで、そのあたりは司馬遼太郎が描いた文庫本にして上下となる長編小説の下巻を読むとわかってくる。
司馬が源義経を描いた作品を書いたのは1966年(昭和41年)2月から1968年(昭和43年)4月までで、雑誌「オール讀物」に連載された。
連載当時の原題は「九郎判官義経」であった。
1966年というのは、司馬にとっては作家として不動の地位を確立した頃で、この年の秋には『竜馬がゆく』『国盗り物語』で第14回菊池寛賞を受賞している。また、同じ頃『最後の将軍』や『峠』の連載も始まっている。
そんな年の連載開始で、義経の母常盤についての挿話から長い物語を始めている。
つまり、義経はまだ「牛若」と名乗っていた頃である。
義経は日本史の有名人だから、多くの人はその短い人生(享年は31歳といわれる)耳にしたことがある。
鞍馬で幼年期を過ごし、その後奥州の藤原秀衡を頼ってそこで成長していく。
その間に伊豆では12歳年上の兄頼朝が平家打倒ののろしをあげている。
上巻では義経が兄の戦いをたすけるために鎌倉へはせ参じ、京都で新たな勢力となった木曽義仲を撃たんと出陣していくまでが描かれている。
義経の魅力あるいはその悲劇性は下巻で示されるが、この上巻ですでに義経の幼児性があまた表現されている。
そのあたりを頭にいれながら、下巻に読むといいだろう。
与一
2017/12/01 12:39
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塾長 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中学国語の平家物語に出てくる、扇の的の描写はわずか数行、弓流しについては記述無し。
しかし、義経の生誕からの生い立ち、彼の内面と周囲の思惑を、しっかり理解できるので、上記教科書のシーンが何倍も楽しめるようになります。
NHKの大河ドラマと印象が違います!
2020/01/31 21:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなぽん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「源 義経」というと、昔、NHKの大河ドラマでみて、知っているつもりだったので、これまで司馬遼太郎先生の『義経』も読む気が起きなかったのですが、読んでみると、自分の記憶にある「源 義経」のイメージと、ずいぶん違うことがわかりました。また、司馬遼太郎先生は、さすが、ストーリーの展開がおもしろいです。
読書中、雨霧漂う森の中にいる気分
2004/09/05 02:16
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公は源義経。日本史上に燦然と輝く戦術の天才である。しかし、戦争というのは戦術だけではなくて、戦略による所が大きい。つまり、戦場で勝てばよいのだから、相手の戦力を戦場に来させなければよいのである。源頼朝は義経の「脳」として戦略をたて、義経はいうがままに懸命に戦う。頼朝に対するなんの野心も持たず。
義経は平家を追い詰め、太政大臣・平清盛にはじまる平家を壇ノ浦に滅ぼす。それは有名な鵯越をはじめ、義経の活躍なくしてあり得なかった。義経の周囲は義経に色々警鐘を鳴らすも、兄を信じる無垢な義経は耳を貸さない。その過程を司馬先生が悲哀をこめて描いておられる。
物語は義経の少年期から始まる。文章全体が義経の悲哀に向かって進んでいるので、筆致に何ともいえない哀愁が漂う。舞台は1000年前の日本であり、寺や山、弁慶とともに越える湖。1000年前というと、江戸時代のようにイメージが頭に浮かばないのも手伝って、雨の滴る森の中にいるような雰囲気を誰もが感じられるように思う。
義経は死んだのではなくて、大陸に渡り、チンギスハーンとなってモンゴル帝国を創立したのだという伝説がある。100%荒唐無稽とは必ずしもいえないが、そういう伝説が語られるほど悲しい存在であり、日本人が好きな人物像だと思う。
戦国時代に興味をもたれた方ならば、きっと上下巻を楽しく読んでいただけると思います。
判官贔屓の所以。
2005/01/25 04:46
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:由良 博英 - この投稿者のレビュー一覧を見る
義経は自ら矢面に立ち、天才的な戦術を操ったが、政略的には無知であった。否、そもそも権勢欲を持たない人物であったと思う。けれども、平家との戦を勝ち抜いて高まる人気が、頼朝をますます恐れさせた。邪気のない者の人望が、猜疑心の強く嫉妬深い人間の不興を買い、遂に滅ぼされる。今日、狡い邪気を抱いて、矢面に立たず、しかし、頼朝ほどに深謀もなく、権力や名誉を求める輩がどれほど多いことか。判官贔屓の所以であろう。