こんな血族、血脈ものは作家の伝家の宝刀なんでしょう。でも、オモロイ!
2005/01/14 15:34
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
街の本屋を覗くとワゴンに『血脈上・中・下』の文庫が全点平積みで華々しい幟が立っている。凄く面白い本で大正・昭和の裏面史を縦軸に佐藤家を横軸にハイテンションなドラマを演出してくれている本です。
余りにも濃い過ぎる血のごった煮の大家族を舞台に文人佐藤紅緑、詩人サトウハチロー、著者の佐藤愛子という個性の際立つ三つ巴の乱闘劇は読み出したら、途中で本を投げ出すことが出来なくて単行本で上、中、下と一気読みしてしまった経験があります。そんなことは北杜夫の『楡家の人々』、檀一雄『火宅の人』、山口瞳の『血族』以来で、文学的装いを凝らしたスキャンダラスな家族ドラマは読み手の下司な好奇心を多少なりとも満足させてくれるところもあるのでしょう。ぼくの自慢できないミーハー的感性を刺激したことは間違いありません。
でも、読書動機がどうあろうと、それが、きっけで、大正昭和の文壇史、芸能など、今の言葉で言えばサブカルですか、まあ、大衆文化の一端を多少なりとも知る手掛かりになりました。そんな文化状況の第一線で活躍するオヤジ(佐藤紅緑)とムスコ(サトウハチロー)が家庭内でこんな壮絶なドラマを演じていたとは、一応の前知識はあったが、佐藤愛子のこんなことも書いてもいいのかと、その本の内容に驚き、作家という職業の業の深さにただ、圧倒された思いがありました。
それが、文春文庫として発刊されたのですが、1月24日からNHKでサトウハチローを中心に『ハチロー母の詩、父の詩』というタイトルでテレビ化されますが、それにリンクした販促でしょう。東京テレビで久世光彦演出、中島丈博脚本でもドラマ化されましたが、かような家族ドラマは小説家にとって伝家の宝刀なのであろうか、『楡家の人々』、『火宅の人』でも、作家の代表作でしょう。いまだに読み継がれている。恐らく佐藤愛子の他の作品が忘れられても、この『血脈』は残るでしょう。
そのことが作家にとって幸福なことかどうか、わからないが『小さい秋見つけた』、『おかあさんの詩』、『りんごの詩』そして、テレビで好々爺ぶりを発揮した詩人サトウハチローの破天荒な不良人生、そのロリータ好み、だらしなさ、世間のモラルを一笑に付す飛んでいるとしか言いようのない抒情詩人の虚像と実像の段差には唖然としました。そのようにして身内の人々を書いてしまう佐藤愛子の私小説家の覚悟って、どうゆう心のバランスをとっているのだろうかと、読了して本筋と関係ないところで暫く気になってしかたがありませんでした。未読の人は文庫化された機会に手にとってみてはいかがでしょうか。
千人印の歩行器
投稿元:
レビューを見る
佐藤愛子による、佐藤愛子の一族の話、「血脈」。
上巻は愛子が生まれる以前、佐藤紅緑(佐藤洽六)と妻のハルが構成していた佐藤家から始まる。その後、紅緑は女優のシナに傾倒しハルとは離縁。紅緑の葛藤、そして分散していく佐藤家の兄弟を長男であるサトウハチローを中心に描かれていく。
シナに愛されていないと感じるたびに躍起になり強行の末に空回りで自滅していく紅緑と、、紅緑を愛しもせず反抗もせず、無言で観察者に徹するシナとの関係。父と母と自分との関係に折り合いが付けられぬまま其々に崩れていく兄弟の心がテンポよく綴られる。
それでいて実直で豪気な紅緑という人間に惹き付けられざるを得ない。
これは小説だ。フィクションとして描かれているはずだ。
だが、事実である。全てはノンフィクションの物語でもある。
そこらの自伝小説とは格が違う、菊池寛賞受賞作。
投稿元:
レビューを見る
著者の一族に流れている、破滅的な『血』をテーマに描かれた、私小説的な作品。
物語は、著者の父親である、作家の佐藤紅緑と、著者の母親である女優の万里子(シナ)との出会いから始まり、その時から歯車が狂ったように、家族がバラバラになっていく。
義兄のサトウハチローを始めとして、佐藤家の男達の生き様の凄さ、酷さと言ったらない。どうしてこうも、揃いも揃って身を持ち崩していくんだろう。
家族を捨てたとも言える、紅緑が一番の元凶と言えなくもないけれど、同じような境遇の人間は、彼らだけではないだろうし、そんな中で真っ当に生きてる人間も世の中には多くいる。
見てると、結局は悪い事はみんな自分の環境や周囲の人のせいにしてるだけって感じで、結局のところ、自業自得としか思えない。読んでて正直なところ胸糞悪くなった。
著者は、結局はみんな同じ血が流れてる、その血脈から逃れ切れない、ような事を作品内で暗示してるようだけれど、こちらからすると、それも単なる言い訳に過ぎない感じがした
確かに血筋の影響も強いとは思う。でも、そこから逃れられない程に強いものなのか、疑ってしまう。
あと、これって小説?と疑ってしまう。だって、全員実名で出てるんだもの。
サトウハチローの息子なんて、まだ生きてるし、長い時間をかけて描かれたものだから、執筆中に存命してた人もかなりいる。こうやって実名で大々的に描かれて、トラブルとか無かったのだろうか。なんせ、描かれてる様は、酷くて、まさに駄目人間って感じだからね。
小説としてかなり脚色してるという感じはしなくて、赤裸々な暴露書みたいな感じ。
元々佐藤愛子は毒舌家だから、書き方が厳しいんだよね。
佐藤一族の自堕落な故に自滅していく人々の人生を、ゴシップ雑誌を覗くが如くに読まされたって感じが、私にはするのだけれど、この作品を絶賛する人も少なからずいらっしゃるんだよね。。。菊池寛賞まで受賞してるけれど、内容の凄さに誤魔化されただけじゃないの?と言う気がしないでもない。
ここまで書いたら名誉毀損とかになっちゃうかな?好きな人にはごめんなさいです。
投稿元:
レビューを見る
上中下三巻。佐藤愛子にしか書けない傑作だと思う。おもしろエッセイなんかは昔読んだが、サトウハチローの異母妹だったことはおろか、小説家の父佐藤紅緑に至っては名前すら知らなかった私には、まず佐藤家の異常な家族構成とその成り立ちだけでも充分に面白かった。
大体家族同士なんて、好意も嫌悪も他人よりずっと濃くなる訳で、しかも書いているのがあの佐藤愛子である。さぞかし心中は荒れ狂っているだろうに、そこは作家の目で冷徹に客観的に書かれているところがさすが。だからこそ、抑えきれずに垣間見えてしまう(箇所によっては垣間見えどころではない)感情的な部分がすごく面白い。
読んでる最中は救いようのない家族たちが、読後は愛すべき人達として思い起こされるのも、佐藤愛子の個人的な愛憎と、「こいつらおもしれえ」という作家の視点がせめぎ合った結果の表われじゃないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
狂気は連鎖する佐藤家の血の歴史。人の人生を淡々と語っているだけだからなのか、とてもヘヴィーでした。でもこういうだらしがないというかいつもどこか行き詰ってしまう感じの人達は一族に一人はいるものかもしれません。
投稿元:
レビューを見る
佐藤家に脈々と受け継がれる「荒ぶる血」の大いなる記録。
激情家揃いの佐藤家の人間は社会性と協調性に乏しく、周りの人間も嵐と乱闘に巻き込み、平穏な暮らしとは無縁の日々を送る。
特に父・佐藤紅緑と異母兄・サトウハチローに関する物語は圧巻。
投稿元:
レビューを見る
にちゃんねる用語でDQNという言葉がありますが、この佐藤家はまさに全員がDQN。す、凄まじい。
この本を手に取ったきっかけは、NHKのドラマでした。この本が原作だったのですが、ドラマのほうは、「野放図で、でもどこかほっとけない悲しみを漂わせたサトウハチローと、それに振り回される家族の物語」的に描かれてて、主題歌もいかにもホロリとこさせるのを狙った曲を使ってたんですよ。
この原作本を手にとって、何度も何度も、描かれている家族模様をドラマのテイストに変換しようと、この本を最後まで読んだときに救われなさそうな自分の心を妄想の力で救おうと頑張ったんですけど、無理でした。「宿命の一族」とかそういうギリシャ悲劇的なキャッチも似合いません。「家族崩壊」ってわけでもありません(っつーか一人ひとりが既に壊れ気味)。
ただ血縁で結びついているだけで、何か条件を設けて選出されたメンバーではないのに、こんなに「本気でヤバい」面子がそろうなんて。これぞまさに偶然の必然、血脈の凄みなんでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
佐藤愛子を読んでごらんなさいと言われて、佐藤愛子ユーモア集と一緒に買った本。・・・佐藤家一族の壮絶な人生の始まりです。
投稿元:
レビューを見る
この作品が新刊として本屋に並んでいたときのことはよく覚えている。新宿の紀伊国屋でポスターと平積みされた本を見比べながら、買うべきか否か非常に迷った。(そして買わなかった。高くって。)このたび、文庫になったのでさっそく買った。
本書は、作者の父である作家紅緑、異母兄の詩人サトウハチローら、一族をモデルとした大河小説である。もちろん愛子自身も登場する。なのに終始第三者的な視点で数多い登場人物を描き切っているのがすごいところだ。特に自分の母シナをここまで客観的に描けるとは。そういう意味で、佐藤紅緑やサトウハチローの研究書としての側面があると思う。佐藤家の生き証人として、この作品を彼女が書いてくれた(書いた、ではなく)ということがとても重要だ。
それにしても。因縁というのは何代にも渡ってこうまで強く出るものなのでしょうか。晩年(作品後半)の愛子の感慨がしみじみと印象的。
☆菊池寛賞
投稿元:
レビューを見る
<上>2005.3.17〜4.1 読了
<中>2005.4.2〜16 読了
<下>2005.4.16〜28 読了
投稿元:
レビューを見る
友人に薦められて上巻中巻下巻一気に読みました。
佐藤愛子さんの平易で分かり易い文章で読みやすくて引き込まれるのも早かったです。読んでいてここまで人の道から外れた一族ってあるんだなとホント驚きの連続でした。昔のお殿様とかは愛人と言うか妾なんて普通にいたし女性の地位も低かったのでこう言う事もあったんだろうけど。紅緑さんのような作家さんで子供と奥さんを捨ててまで己の愛情に正直な人っていたんですね~。これ当人だったらたまったもんじゃないんだろうけど佐藤家の人たちって各々が物凄い活力もってるからなんとかなってたんだろうな~。読んでて途中途中でイライラしたりスッキリしたりを繰り返したんだけどその自分の感情で自分と言うものがどういう基準を持って生きているのか分かったのでほんと面白かった。
投稿元:
レビューを見る
あまりに壮絶な上に幸せになりそうな見込みもなくて苦しくなって断念。
やっぱりハッピーエンドの話が好きだわー。
投稿元:
レビューを見る
分厚い本だけど、あっという間に読むことができた。
この佐藤家の波乱の元凶はお父さんの紅緑さんが
妻ハルとその子供たちを捨てて、シナに走ってしまったこと。自分のやったことが、息子たちからのお金の無心という形で返ってきているとしかいいようがないと感じた。
投稿元:
レビューを見る
2018年10月28日、読み始め。
229頁まで読んだ。
著者の家族をモデルにした小説と思われる。
佐藤紅緑は、個性豊かな人物と思われる。
2021年5月16日、追記。
著者、佐藤愛子さん、ウィキペディアには、次のように書かれている。
佐藤 愛子(さとう あいこ、1923年11月5日 - )は、日本の小説家。
大阪市生まれ・西宮市育ち。小説家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として出生。異母兄に詩人・サトウハチローと脚本家・劇作家の大垣肇。甲南高等女学校(現・甲南女子高等学校)卒業。
更に、ウィキペディアには、次のような記述がある。
遠藤周作はエッセイの中で『灘中学校時代、通学電車で乗り合わせた彼女は我々のマドンナ的な存在だった』と書き記している。
ちなみに、遠藤周作さんは、ウィキペディアには、次のように書かれている。
遠藤 周作(えんどう しゅうさく、1923年〈大正12年〉3月27日 - 1996年〈平成8年〉9月29日)は、日本の小説家。
つまり、遠藤周作さんと佐藤愛子さんは、ともに、1923年生まれになる。