珠玉
著者 開高健 (著)
青い海の色をしたアクアマリン──床にオガ屑を撒いた酒場で出会ったのは、海で行方不明になったらしい息子を探し続ける医者だった。赤い血の色をしたガーネット──渋谷の中華料理屋...
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商品説明
青い海の色をしたアクアマリン──床にオガ屑を撒いた酒場で出会ったのは、海で行方不明になったらしい息子を探し続ける医者だった。赤い血の色をしたガーネット──渋谷の中華料理屋の主人が貸してくれた宝石は、スランプだった「私」に赤い色にまつわる記憶を呼び覚ます。乳白色の月の色ムーン・ストーン──その石を手に入れたときから、心に生まれた白い核。若き女性編集者と情事を重ねながら、その核心を追い求める「私」。三つの宝石に託して語られる、作者絶筆の三部作。
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死の直前に筆者の頭の中にあった思いは
2010/03/20 11:39
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:analog純 - この投稿者のレビュー一覧を見る
わたくし事から入っていきますが、私に「文学青年的ものごころ」が付いた頃、時の「文壇アイドル」といえば、大江・開高・石原・三島・安部・倉橋といった作家の方々でありました。
その中でも一等賞の「アイドル」は、やはり大江健三郎だったですかね。
そこでとりあえず私は、まず大江健三郎を読み始めました。
初期の作品からどの辺くらいまででしょう、『洪水はわが魂に及び』あたりでしょうか。このあたりまでの大江の小説には、若き頃は適度な青年的ナルシズム、お子さまがお生まれになってからは、現実に誠実に立ち向かう青年知識人という感じで、「文学青年」がとても感情移入のしやすい設定がありました。
だから、一概に私のせいではないですよね。
何がって、今回報告する小説の筆者・開高健の本を、さほど読まなかったことについてであります。
もちろん幾冊かは読みました。
デビュー作や芥川賞を受賞した作品。『日本三文オペラ』、これは面白かったです。三回くらい読みました。でも、あとは、ぽつりぽつりと長編が一つと中短編を幾つか読んだだけでした。私としては、絶えず気になっていた作家のつもりではありながら、少し手に取りにくかったんですね。
今回、久しぶりに開高健の小説を読んでみて、その理由が分かりました。(というか、思い出しました。)
開高健の作品を少しまとめて読んだ人なら、当たり前のように理解していることであると思います。
それは、この作家の小説は、その風貌や、世界を股にかけて釣りをするアウト・ドア派の報告や、はたまた直接には存じませんがユーモアあふれる話しぶり(『四畳半襖の下張り』猥褻裁判記録での筆者の弁護は、本当に腹を抱えて笑いました)などから想像される、マッチョでタフで荒っぽくて、そして、スケールの大きい生き方・行動力の印象と全く異なって、極めて極めて繊細な文体で書かれているということです。
その文章への気の配り方は、何というか、全く一文節さえゆるがせにしないという表現そのままで、またそれが(いかにも大阪人的サービス精神のゆえか)、これでもかこれでもかと溢れるばかりの饒舌さで書き綴られます。
これは、筆者の言語感覚に対する特異な才能を、全く堪能させてはくれますが、読んでいると、時に辛くなることがあります。
わたくし思うのですが、これだけ精密に言語に拘った仕事をしていると、作者にはかなり強烈な疲労が訪れるのではないか、と。
その疲労は、我々が読んでいてちょっと疲れる、なんてものとは比較にならない質量のストレスとして、精神の中にほぐしようのない硬い芯となって澱み溜まっていくのではないか、と。
筆者の釣りやアウト・ドアの仕事は、それとのバランス故に生まれたとは思いますが、それでバランスはとれたのでしょうか。
開高健の、同時代作家と比べての相対的な「死の早さ」は、これとは無関係なものなのでしょうか。
さて一方、本作の内容についてですが、文章に息づまるような所があったように、テーマについても同様であります。
この連作集は、「遺作」なんですね。発表は、筆者の没後であります。本書の、三つの短編連作を貫くテーマを、無理を承知で一言でまとめますと、
「生きる意味とは何か」
であります。こうして書くと、それだけで食傷気味に思えそうですが、しかしサービス精神旺盛な筆者ですから、十分に面白く、本当に「珠玉」のような作品となっています。
ただ、その美しい「珠」の底に流れているテーマは、重い「生きる意味」であります。
この思考が亡くなる間際の筆者の頭の中にあったのだと、そう考えるだけで、面白いという以上に何ともいえぬ背筋の伸びるようなものを感じます。
そうして私は、改めて「文学青年的ものごころ」が付いた頃のように、腰を据えてじっくりと開高健を読みたいものだと思うのでありました。