紳士君と豪傑君と、時々、南海先生。
2017/10/15 02:38
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投稿者:amanza - この投稿者のレビュー一覧を見る
中江兆民(1847~1901)が生きた19世紀後半、世界は帝国主義の時代であり、西洋の大国にいかに対応するかが日本でも喫緊の課題となっていた。そんな中、1887年に『三酔人経綸問答』は書かれた。
本書は、本のタイトル通り三人の酔っ払いが、経綸(ヴィジョン)を披露し、問答したものを整理したものである。まず、南海先生が紳士君と名付けた者が自分の経綸を述べ、次に豪傑君が、そして最後に南海先生が二人の経綸に意見するといった具合である。詳しい内容は読んでいただくとして、南海先生は一見相対立するようにみえる二人の主張に共通する急進性を指摘し、政治の漸進的な進歩を訴える。その内容はごく平凡なものであり、二人に笑われるのだが、この平凡な経綸に急進的な解決法がもたらす弊害を冷静に分析していた兆民の哲学者としての信念をうかがうことができるだろう。
読み進めるうえで感じたのは、J・S・ミルとの共通性である。兆民はルソーの『社会契約論』の漢訳で知られているが、本書でミルに何度か言及しているように、ミルの影響も少なからずあっただろう。ミルは『自由論』において、議論の必要性を訴えたが、兆民も問答という形式で訴えようとしているのは議論の必要性であり、どの意見として完全な真理を含んでいるとは言えないという点でミルと一致していると思われる。実際、三人の経綸のどれもが一部真理を含んでいるし、それを意図して書かれているだろう。また、漸進的な政治観という点でも、ミルが「制度というものは、国民の程度の高い低いにちょうどつりあっているのがよろしい」(p60)という主張を、紳士君を通じて導入しており、これは次の南海先生自身の言葉と通ずる所があるだろう。
「政治の本質とは何か。国民の意向にそい、国民の知識にみあった制度を採用し、国民が安らかに暮らし、幸福を得られるようにする、これです。もし国民の意向にそわず、知識にみあわない制度をいきなり採用するなら、安らかな暮らしも、幸福も得られません。」(pp119-120)
『三酔人経綸問答』は、「西洋の衝撃」にいかに対応するかについて、兆民が三酔人を通して考察したものであったが、そこでは国内政治、さらには国際政治の難しさを感じ取ることができる。現代は、兆民の時代よりも民主化は進んではいるものの、その方向性は多様であり、国際政治はより複雑になっていると言えよう。その中でわたしたちに求められているのは、山田博雄氏が解説で述べている通り、「自らの置かれた状況をできるだけ正確に把握した上で(「過慮」に陥ることなく)、読者の冷静で自由な想像力と、人間的感情と、持続する志」だろう。『三酔人経綸問答』は現代でもなお輝きを放っている。
言わずと知れた名著を今回再読
2023/12/10 22:58
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投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
NHK「100分de名著」の今月の一書ということで、久し振りに一読。「ヒョウタンツギ」のような「眉批」の面白さをはじめとして、非武装・無抵抗主義の「洋楽紳士」(「あとは、弾を受けて死ぬだけのこと。別に秘策もなしに」(73頁))と西郷隆盛の征韓論を思わせる論旨の「豪傑君」、そして現実・漸進主義の「南海先生」(「「よこしまにも来襲したならば、徹底抗戦です」(128頁)」の預言的なやり取りの興趣など、本当に古さを感じさせないわが国の古典であることを改めて認識しました。
一方で、訳文はリズミカルで読みやすいのですが、ところどころおかしいところもありますね。例えば、85頁の「一たす一は二というに等しい」は、原文である「是れ算数の理なり」(267頁)からは過剰な訳文であり、却って意味が掴めませんでした。また、121頁の「ものごとの踏むべき順番をたがえることにはならないでしょうか」は、原文の「豈事理の序ならん哉」(297頁)から離れてしまっており、訳すなら「事の理の出発点(糸口)としては拙速すぎていかがなものでしょうか」くらいなのではないかと。
現代にも通ずる名著
2015/08/11 17:25
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投稿者:DAYAMA - この投稿者のレビュー一覧を見る
洋学紳士、豪傑の客、南海先生という主義主張の異なる三者による問答は、当時の日本の状況を鋭く分析しているだけでなく、未来をも予測したものとなっており、作家の先見性に驚かされる。
ディスカッションのネタとしても扱える(誰の主張を支持するのかなど)と思うので、学生・社会人に特にオススメできる。
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日本には哲学者がいない。
当時、多くの葛藤があったと思うが、考えを伝えるためにわかりやすく書いてある。
現代人が読んでもいまの情勢を考える上で直結で役に立つと思う。
中江兆民はフランス語と漢語にも堪能だそうで文もおもしろかった。原文を一度音読してみたい。
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南海先生、紳士君、豪傑君の三者による対談形式。分量の半分以上は原文や解説なので、新訳の本編自体は短い。
洒落のきいた文章と、単純簡潔な構成(ヘーゲルの弁証法的?)でさっと読ませるが、中身は大問題に真っ向から取り組むもの。現代の憲法九条に関する議論もほぼこの本で語られていることにすっぽり収まりそう。
解説にもあるが不戦条約により建前だけでも戦争が不可になるのは1920年代になってからである。
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中江兆民 「三酔人経綸問答 」
明治時代に日本の未来像を考えた本
戦争を放棄して民主制か、アジアに侵略して欧米と戦うか、二項対立式な論述だが、民主制も侵略主義も実現困難とし、進化を待てとする 著者の結論は 歯切れが悪い
論争の中から 自由民権運動や征韓論の問題点を洗い出しているように思う
南海先生=著者の結論
*洋学紳士の説=全国民が一致協力しなければならず実現困難
*豪傑君の説=君主宰相が独断専行しなければならず実現困難
*我々は進化を先導してはいけない→ただその行くところに従ってついていくだけ
進化(スペンサー)
*自由放任主義により進化する→ 進化は 自由と法則を持つ→進化は理義の一つ
*地球上の生命、社会、政治〜単純なものが順次の分化を経て複雑なものに至る=普遍的な法則
中江兆民
*理義=真偽、善悪について同一判断をするための普遍的なもの〜民権や自由平等は 理義→力は正義(勝てば官軍)への批判
*力の政治は安定しない→力が強ければ逆転するから→平和で安定した社会秩序はない→ルソー 社会契約が必要
豪傑君=兆民のアジアナショナリズム、侵略主義
*世界は弱肉強食〜国家間に戦争は不可避
*弱小国は 軍備を整えて アジアに進出して大国となるべき
*自由=したい放題すること
*平等=例外なく なぎ倒して 平らにすること
洋学紳士=兆民のフランス流の民主主義
*民主制は 最も完全〜世界が採用するだろう
*弱者国は 民主制を取り入れ、軍備を捨て、学問を盛んにし、強国が いつくしむほかない 存在(国そのものが精緻に彫刻した美術品のように)になればいい.
*自由こそ人間社会の最高の価値〜歴史は それへの進化の過程
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翻訳が分かりやすくてすいすい読めるし、想像以上に書かれている内容が今読んでも古びておらず面白い。(これが明治20年(1887年)時点で書かれていた驚き…)もちろん原文も収録されてます。
豪傑君、西洋紳士君、南海先生の3名による正解のない議論(あえて読者に「そこ」を考えさせる構成)に加え、脚注と解説で補足された事項を踏まえ、もう一度ゆっくり咀嚼して読み直したい1冊でした。
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1987年(明治20年)。平易な言葉に翻訳されてはいるが、当時の政治状況などよく理解していないと楽しめないだろう。とはいえ、文面を読むに、当時も現代と似たような不安を人々は抱えていたのだろうと推測できる。名作とされているが、これを現在の作家が書いて出版しても売れるとは思えず、名作というものはその時代にマッチした作風であり、文体であり、内容であり、さらに、それが時代を経てもなお残っているもののことを言うのだなと思うのだった。
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大酒飲みの南海先生の家に、自由平等・絶対平和の追求を主張する洋学紳士君と軍備拡張で対外侵略をと激する豪傑君がやってきて、それぞれの主張を述べて南海先生も持論を述べ、夜が明けて紳士君と豪傑君が帰るまでの話。
物語が書かれた時代というところをイメージできた方が、それぞれの主張の背景みたいなものがリアルに感じられて面白いのかも。
2人の対極な、でも極端であることは共通している主張も、のらりくらり話を聞いていた南海先生の話す2人よりマイルドな持論も、それぞれなるほどなと思う部分もあるし、現代はこうなってるよって3人に教えてみたい気持ちにもなった。
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現代語訳されているので非常に読みやすかった。1880年代に、これからの日本の国家論を述べたもの。
洋学紳士は世界中の国が民主制を整えることで世界から戦争をなくすことができると唱える。一方、豪傑君は欧米列強は軍備を強化しており、いつアジアを占領しに来るか分からない、したがって日本も植民地を持っておくべきだと主張する。南海先生が言うには、洋学紳士の主張は理想論で、豪傑君の主張は今日では役に立たない。立憲制度を整え、平和外交を基調とする。様々な権利は次第に制限を解き、商工業も次第に浸透させる。こうした現実主義的な方針こそ、激動の時代を迎えていた日本が取るべき策なのだと主張した。果たして日本は戦争を重ね、領土を拡大していってしまうのだが…
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明治時代に、このような知識人がいたということを知れただけでもまず読む意味があった。
大正から令和の時代の今までの歴史を振り返ると、その慧眼に驚く。
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登場人物は、洋学紳士、豪傑君、南海先生の3人。
3人はお酒を飲みながらこれからの日本について
語り合います。
洋学紳士と豪傑君2人の考え方はそれぞれ異なり、
洋学紳士は自由・平等・博愛による平和主義者。
豪傑君は軍備を増強し国を強くする帝国主義者。
2人の意見を聞いた南海先生が最後に出す答えとは。
著者は「東洋のルソー」と言われた中江兆民で
明治時代の政治思想家です。この本は1887年に
書かれたもので、100年以上経った現在でも議論に
なる内容がたくさん書かれています。
山内図書館Teens おすすめ本紹介より
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お馴染みの洋学紳士、豪傑君、南海先生の3人がヘネシーを飲みながら経綸について語り合うという本を現代語に訳したもの。100年も前の話だけど、中身はまだ舞台を現代にしても通じるんじゃないだろうか。
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1.この本を一言で表すと?
平和主義と武装主義の議論を対話形式でまとめた本。
2.よかった点を3~5つ
・
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・なぜ対話形式の内容になっているのだろうか?
・立憲制と民主制を区別しているのはなぜだろうか?
・洋学紳士は「狂暴な国は決してないことを知っています。」(p73)と言っているがそんなことはないということは明らかだ。
・豪傑君の理屈は現代社会では通用しない。
・欄外の「眉批」はどのように捉えればいいのかわからなかった。
3.実践してみようとおもうこと
・
5.全体の感想・その他
・最後の南海先生がまとめた内容は当たり障りのない内容で意外だった。
・解説を読んで大事なんとなく著者の言いたいことはわかった。19世紀後半の日本において日本がいかに生き延びるかをよく考えた結果なのだと思う。
・この本が書かれた明治20年頃にブランデーがあったのは知らなかった。
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明治の政治思想家の本。酒好きの「南海先生」を2人の客(洋学博士、豪傑の客)が訪ねてきてそれぞれの視点・思想から国のあるべき姿を論じ、意見を戦わせているという構図。この3人の他に注釈が、さらにこれを聴いている聴衆(時にヤジ的な)が加わる。
当時の社会情勢や倫理観を踏まえておかないとわかりづらい部分もあるが、概ね普遍的な話しが展開している。それぞれの理想と現実が色濃く表れ、極論が展開される傾向もありつつ、しかし現実的な話でもある。
著者は各論客の意見を極端に位置付けながらも、当時の国民に様々な視点から物事を考えるよう啓蒙する狙いを持っていたのかと思える。
映画やドラマ、小説にも「当時の社会情勢」という注釈が入るのを良く目にする。昨今の作品も何十年か先には同じように「当時の」とつくこともあるんだろうか、なんてことも考えてしまった。