極端な社会、思想は悲劇を生み出す
2018/01/30 12:22
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投稿者:Snowglobe - この投稿者のレビュー一覧を見る
社会体制が「安定」に向かいひたすら突き進めば、最終的に待ち受けているのはこのような「個」を封じたディストピアなのだろう。自分自身が社会の安定を重んじる思想を持っている為、「人間らしくない」方向へ極度に傾いていないか、自戒させられた。ただ、この小説の「人間らしさ」代表として登場する野蛮人も困ったもので、あまりにも極端な思想の持ち主なのである。狂信的で、歪んでいる。唯一の愛読書がシェイクスピア全集でなければ、野蛮人地区の宗教が穏やかなものであれば、ある程度周囲に調和する形でエンディングを迎えられたのかもしれないと思うが、それでは凡庸で安易な展開になってしまう。
また、こちらの出版社の電子書籍は初めて購入したが、解説文も充実しており、本文読了後の考察の供として、興味深く読ませて頂いた。
二大ディストピア小説
2013/11/18 22:18
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投稿者:読書・読書読書 - この投稿者のレビュー一覧を見る
長らくこの書には翻訳がないと思っており、改めて自分の浅学さに恥じ入った。ようやく読むことができ、満足した。ディストピア小説は意外に多く書かれているが、本作と「1984年」はディストピア小説の双璧をなす。
ハクスリー、オーウェル、二人とも階級社会イギリスに生まれ育った点では共通しており、前者の視覚障害、後者の社会的ドロップアウトの経験が、作品に濃い影を落としているように思われた。
いずれにしても本作は、読書人、教養人必読の書であろう。
ディストピアの世界的名著
2018/05/13 16:15
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投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
某大統領の就任以来、ジョージ・オーウェルの『1984年』が急に売れるようになったという。本書もオーウェルと同様にディストピアを考察する重要な作品だと思われる。内容はまさに近未来SF小説の堕落した状態を描いている。オーウェルが徹底した管理社会を描くのなら、ハスクリーは徹底した科学の恩恵による堕落を描いている。SF小説の意義の一つに、未来の予告と警鐘がある。オーウェルとは別の未来への注意喚起作品として読む価値は非常に高いと思われる。
すばらしいディストピア
2021/12/14 08:37
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投稿者:ぽんぽこ仮面 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ディストピア物の代表作ですけど「1984年」や「われら」とはちょっと違ってドタバタ劇っぽい笑えるところもあります。でもやっぱり悲観的なところに魅力を感じてしまうなかなかの作品です。
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投稿者:うどん99 - この投稿者のレビュー一覧を見る
幸せについての意見を少し固められたような気がする。
幸せを得るためには、人は、社会は、捨てなければならないものがある。
それを得るためには、幸せを諦めなければならない。
恒久的な幸福を実現した文明社会の統制官と、その社会の外から来た野蛮人の対話の部分がとても好きです。
SFとは思考実験である
2023/04/25 20:59
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投稿者:マーブル - この投稿者のレビュー一覧を見る
物語の前半は、生育途中のミスにより他人とは異なる育ち方をしてしまった男が感じる疎外感を軸に描かれる。しかし彼には世界を変えるような力も思いもなく、偶然手に入れたチャンスに舞い上がり、それまで軽蔑していた人びと同様、ディストピアに飲み込まれる。 後半の主人公は、この「新世界」と「旧世界」の落とし子が担うわけだが、彼はあまりに純粋でひ弱すぎる。 過去に描かれたディストピアは現代に影を落としてはいないのか。ユートピアとは何のか。架空世界を考えることは、現実社会を見直す思考実験であるとあらめて思う。
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「条件付け」と「ソーマ」の世界はとても安定していて、そこに暮らす人々はもしかしたら幸せなのかも。。
1930年代に書かれたとは思えない先見性と普遍性を持ち合わせた作品。
翻訳が素晴らしく、旧訳で挫折した自分にとっては、思わず「同じ話?」と疑いたくなる程楽しめた。
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ディストピア文学の最高傑作が遂に新訳。本作で描かれる未来世界では管理こそあれ、監視や抑圧、暴力等は存在しない。高度資本主義と科学的手法を突き詰めた画一的社会では禁止ではなく刷り込みと条件反射による自然反応で管理され、欲望の発散すらも国家から支給されるソーマで充足される世界。それはとても幸せそうで、どうしようもないくらいに醜悪だ。「要するに君は、不幸になる権利を要求しているわけだ」そう、だからこそ自分は不幸になる権利を要求する。大丈夫、それはとても人間らしくて、求める事自体は不幸などでは決してないのだから。
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有名なディストピア本の一冊を初読。本書を読んでいて思ったのは、自分はユートピア/ディストピア系の小説がたまらなく好きだなということ。本書は「1984年」とか「われら」に比べると、結構情緒的な側面に力点が置かれていて読後のしんみり感高い。
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日本のことだな、と誰もが思うでしょう。
ジョンと世界統制官の対話が白眉。
ここはカラマーゾフの兄弟の写しなのか。
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本屋で平積みになっているのを見かけて衝動買い。予備知識無し。
禁書になった時期があると解説にありましたね。確かにそうかもな。このSFが書かれたのが1932年(1932年と言えば日本は五・一五事件)。著者の慧眼。先見性に脱帽ですわ。もしこれが2013年に書かれましたと言われても不自然じゃないもんな。
以前も書きましたが、「こういうことになる可能性もあるよね」との文明批判。社会風刺が利いている。おぞましい。
社会主義は過去のものとされ、資本主義社会に身を置く私たちですが、さあ、次はどんな装置が導入されるのか。本書では社会主義的な資本主義というか、超福祉国家というか、そういったハイブリッドな統治機構が仮構されていますね。
面白かった(好きだった)箇所は、後半の“野蛮人”(つまり私たちとほぼ同じような価値構造を有しているある人)と“すばらしい新世界”側のボス的な人との会話、舌戦のシーン。人間とは何か(なんて手垢のつきすぎて手垢そのものになったような言葉ではあるが)的テーマを掘り下げていく。やはり、ここではないどこかを規定しておいて、つまり物語というBGMを流しつつ、この本題に入っていくあたり読まされてしまう。ぐいぐいと惹き込まれた感覚があったなあ。
決して読みやすい本とは言えないな。読まなくてもいいけれど、読んでしまう。読まなくてもいいけど、こういう本が無いとダメだとも感じる。苦しい本ではある。しかしながら、苦しむということは自分の外側から来た異物であり、新しい何かなのだろう。従ってそういうものを享受する読書は頗る刺激的で楽しいし、有意義であるとみなしています。つるつるした啓発書を読むのもそれはそれで面白いのだけれど。
http://cheapeer.wordpress.com/2013/07/16/130716/
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・あまりにも有名なオルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」(光文社古典新訳文庫)、 所謂ディストピア、反ユートピア小説である。オーウェル「一九八四年」やブラッドベリ「華氏451度」等と並ぶ名作である。久しぶりにこれを読んで、ハクスリーがかなり異質であるのに驚いた。その出自によるものか、あるいはその資質、思考によるものか。単純に物語に対する好き嫌ひといふ点から言へば、私は ハクスリーよりオーウェルやブラッドベリの方が好きである。こちらの方が物語としておもしろいし、それゆゑに分かり易くもある。
・「新世界」前半、苦悩せるバーナードとその友人ヘルムホルツの物語になりさうである。それはたぶんオーウェルやブラッドベリに近い物語となつていくはず である。ところがさうはならない。バーナードは優生学的に失敗作のアルファといふところである。それゆゑに劣等感を持ち、憂ひに沈む。その憂ひが反体制的 な想念を生む。ヘルムホルツはそれに共感する。その共謀を阻止するために、バーナードは左遷されさうになるのだが、その前に彼は恋人(とでも言つておく) と北米のインディアン居留地に行く。インディアンとは野蛮人である。基本的に私達と同じ生活様式である。生業も生活も私達の知るインディアンである。ここで出会つたのがリンダとジョンの親子である。ここから物語後半、リンダはかつて行方不明になり、この居留地の人々に助けられたベータであつた。それゆゑに 2人は居留地から「すばらしい新世界」に連れてこられる。ここに於いて先の2人に共謀の目は完全になくなる。バーナードはジョンの世話役となつて皆の注目の的、以前の劣等感はなくなつたかのやうである。この物語がどのやうに構想されたのか私には知る由もないが、ジョンの登場により、作者は反乱よりも新世界 のすばらしさを述べることに重点を移したやうである。それを語るのが世界統制官ムスタファ・モンドである。支配階層アルファの頂点に位置する人物である。 たぶんハクスリーはこの2人の論争を書きたかつたのである。それによりユートピアのユートピアたる所以のものから、その反ユートピア性を際立たせたかつた のである。同じく全体主義を描くといつてもこれが決定的な違ひである。強固な大堤防もアリの小さな巣穴から崩壊は始まるやうに、いかなる独裁体制、全体主 義体制も必ずどこかからほころびてくる。ハクスリーはそれを信じないかのやうである。モンドの論理は完璧な独裁支配の論理である。しかも、モンドは禁書を 何冊も読破した後にさういふのである。ブラッドベリと違ふのは新世界が予め定められた階級社会であるといふこと、誰も異論をはさまず、疑問を持たず、唯々諾々として生かされてゐることである。反抗は基本的に無い。バーナードとヘルムホルツはその希少な例外であるが、最後は喜んで極地に送られていく。ここまで人を飼ひ慣らしてしまふ社会である。ジョンが違和感を抱かないはずがない。そこでジョンははかない抵抗をするのだが、最後は自ら縊死するしかない。基本的な思考のベースが違ふのである。これではなかなか物語にならない。どうしてもお説教になる。実際、モンドはジョンにお説教してゐるのである。ただし���理 解できないことを百も承知で説教してゐるのである。だからジョンを泳がせ、縊死させる。それが全体主義だと言へばそれまでである。ただ、それでも世界はまだそこまで進んでゐないことに安心はするのである。いかな中国や北朝鮮でも優生学のかくの如き利用法を知らないはずであるし、反体制的な動き、反抗がなくはないからである。この完璧な新世界、いつ実現するのであらうか。
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今らしい訳で、前世紀に書かれたとは思えなく読みやすい。古典を読むのが楽しくなりますね。
シェイクスピアの引用や対比がしつこく感じたが、ユートピアである新世界は生々しい怖さを感じさせる。
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1932年発表されたディストピア小説。工場での人間の生産、条件付け教育による社会階層の振り分け、フリーセックス、快楽薬などにより、誰もが不安を抱かなくなったユートピア。それに疑問を抱き始めた不穏分子達の末路を描く。
全体的に極端に描かれているのでシュールな劇を見ているようではあるが(シェイクスピアの引用が多いことがかなり効いている)、思ったより古さを感じず(訳のうまさのおかげだろう)、他人ごとでは済まされない話だと思った。特に日本を見ていると、ここまで極端ではないものの、着実に、大衆には見えない形で忍び寄るように、こうした社会に近づいている気がする。ただ、果たしてそれはユートピアなのかディストピアなのか。幸福を追求すべきだとするならば、ユートピアともとれる(日本はこの立場に近いと思う)。しかし科学的真理や芸術的感性を追求すべきだとするならば、あまりにも窮屈なディストピアだ(というより、窮屈さを感じることができなければ科学や芸術を押し進めようとは思わないだろう)。
私は後者だと感じたが、すると新たな疑問が浮かぶ。巻末の著者の解説を読むと、この小説では主人公が二つの選択肢しか与えられておらず、その妥協案が提示されていないというようなことが書いてある。しかしその妥協案の、謂わば希望の一縷の光のようなものが、作中に示されているような気がするのである。それは世界統制官や、彼の流された島じゃないだろうか。結局、真に理想的な社会というのは、一方で幸福な飼い犬のような人を量産し、一方でそういったところから漏れ出す人を満足させるための避難場所を用意しておく、といった構造をとるのではないか。しかし、そうなった場合、管理できる人と管理しきれない人、その両方を大きな存在(国など)が管理できてしまうということになる。つまり、一向に管理から逃れられない。
何だか、全くもって出口が見えない気分になった。
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すばらしい「社会」だ。だが、そんなに羨ましくはない世界である。
悩まず、苦しまず、悲しまず。ただ楽しさだけを追い求められる未来。こんな素敵な全体主義というのは、実際どうなんだろう。少なくとも『1984年』よりはましではあるが。
新世界の人びとは、社会の維持だけが目的となっている。しかも合理的に。ここにある非人間性を指摘して批判するのは簡単だ。シェイクスピアを持ち出せばよいわけだから。それに社会の維持は生物の本能でしょう。まあ、この世界は極端すぎるけど。
でも真に恐ろしいのは、そこではない。怖いのは画一化だ。違和感を違和感だと言えない恐怖。他人と違うことが当たり前でない恐怖。
みんな同じでいいじゃないか。すばらしい新世界へようこそ!
...私は嫌ですけどね。