0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
劉邦の不思議な人となりと項羽の激しくも単純な人となりがわかる中巻です。項羽のエピソードはなるほど項羽らしいと思える内容だけど、劉邦のエピソードはそんな面もあるのかぁというような意外な印象を受けるものが多いですね。
人間性溢れるヒストリー
2021/12/04 22:51
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:某歴男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
前編に続いて買いました!
中編では楚の人柄というのがよく表現されていてとても楽しく学ばせていただきました
そして盛り上がってきた時に切れるのもまた好きです
是非読んでみてください!
めくるめく登場する個性的な武将たちの活躍が面白い
2020/12/26 23:59
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
会戦の模様にしても、諸将の武勇伝にせよ極めて密度の濃いストーリーが展開させる。 じっくりと味わって読むほどに面白く、個性的な武将が後から後から登場してくる百花繚乱状態。よくもこれほどの幅の広い人格の人々を一つのストーリーに収めきれたものと感心してしまう。お蔭でページをめくる速度は、どんどん読み進めた「竜馬がゆく」の半分ほどに落ちてしまう。が、内容は濃縮された面白さだ。 特に韓信が魔術的とも言える心理作戦を仕掛けていくあたりはわくわくしながら読んだ。
また一つの事象を儒者として見た場合と老荘思想から見た場合の解釈の違いも語られるなど、「戦国物語」を読んでいるのだが思想史の蘊蓄にも触れることができる。
それにしても司馬先生の本は、中国大陸に根ざしている長江を挟んで北と南にわかれる民族の違いを言語や風習、食べ物の違いなども解説してくれるなど、中国古代史を読みながら「街道をゆく」を読んでいるような楽しさも味わえる。 読み終えた時には疲れの中に達成感も味わえる巻だった。
投稿元:
レビューを見る
さて、物語は盛り上がりを見せる。劉邦の陣営にいる有能な人間が、その有能さを突出させはじめるのだ。そして一気に劉邦が天下を……というわけにはいかない。項羽にけちらされ、命乞いをするまでに負ける。なんとか命拾いし、地方へとばされる劉邦。そして再起。とにかく忙しい。その間にも才能ある部下をどんどん得て、勝ったと思えば項羽が直接でてきて負け。を繰り返す。これでこの先どうなるのか。GWのうちに下巻に直行する。正直、こんなに面白いとは思わなかった。
投稿元:
レビューを見る
負けるケド、さやかのすきなんは項羽。自分と親近感持つのも項羽。すきな男のタイプも項羽。・・・幸せになれないな(笑)
投稿元:
レビューを見る
鴻門の会あたりから劉邦が陽城から逃げるとこまで。上巻を読み終えたところでは断然項羽派だった私ですが、残念ながら今や状況は完全にひっくり返ったと言わねばなりますまい。かといって項羽から劉邦にということではなくて、まあみんなそうでしょうけど、劉邦というよりは部下のファンになったという方が正しいですね。夏候嬰や韓信や紀信とか、あと樊。題名こそ「項羽と劉邦」でありながら今読む限りは完全に群像劇というかオムニバスというか。でも下巻読んだらまたイメージが変わるかもしれません。何てったってクライマックスだし!
投稿元:
レビューを見る
関中に入った劉邦。
鴻門の会。
漢へ。
韓信の登場。
彭城攻め。そして敗北。
陳平の登場。
滎陽城の陥落まで。
たんたんと話がすすむ。
きらびやかな英雄たちに見えないところがいい。
しかしおもしろい。
2008年04月12日読了。
投稿元:
レビューを見る
張良が好きだったのにラストあれはないだろ…!紀信と周苛の格好良さに揺らがざるを得ない。紀信ツンデレ2008/6/16
投稿元:
レビューを見る
高校時代に読んだ本。自分の生き方に影響を与えた一冊です。
始皇帝を前に、項羽と劉邦がそれぞれ述べた言葉。この言葉がその後の両者の運命を物語っていると感じました。
頭脳明晰のエリート項羽と、仁徳とカリスマ性のある劉邦。
その対照的な二人が戦乱の時代を駆け抜けていく。
やがて二人は天下を二分する戦いで対峙することとなる。
司馬遼太郎の中でもお気に入りの作品です。
投稿元:
レビューを見る
実は司馬遼太郎の本がかなり好きで
中学高校時代は良く読んだものです。
最近になって読む機会があり
さらっと読んでみたのですが
示唆に富んでいる本だなと
今回は思いました。
今まではあぁ面白いなぁとか
わくわくするなぁとかしか思っていなかったと思うのですが
最近読んだ感想は人物像や人望についてなど
やっぱり受け手によって本は変わりますね。
ちなみに、項羽は武力等において非常に優れた
人材だったけれど人望はなく
劉邦は武力はなく、心意気のようなものも欠けていたように
描かれているが、人望はあります。
歴史上の最後の勝利したのは劉邦というのは
そういったほかの人がつい助けたくなる人の
人望の有意義さを示しているのではと
感じました。
数年経っただけの同じ人間の意見でさえ
変わるのだから違う人格だったら
言うまでもないだろうと思います。
今、ふと漢文の「いわんや」「且つ」とか思い出しました笑
投稿元:
レビューを見る
罪人を静まらせるには、食事の塩の量を減らせばいい、
という言葉が印象的だった。この時代からすでに、栄養学の知識がそれなりに浸透していた点は驚きである。
投稿元:
レビューを見る
劉邦が項羽に牙を向き、一時期項羽を凌ぐが、項羽が再び盛り返す。
項羽・・・・・強い。カリスマ性もあり、仲間にはやさしい。だけど、敵に対してはかなり非情だから評判良くない。范僧が役不足な気がするなぁ。
劉邦・・・・・自然体。とくに飾らず威張ったりもしない、人をひきつけるものがあり、自然と有能な武将が集まる。でも、読んでると劉邦自体は何か大きな決断をしたわけでもないし、運がうまく回ってきた感じ。
やっぱ項羽のほうが好きだな。不器用でなかなか報われないとこが応援したくなる。
もし自分がこの時代に生きていたらどのキャラクターになっていただろ。
つまらぬ矢にあたって死ぬ一兵士か、一尺の土地に目を光らせる将か。
陳平のひねくれ具合にも共感。
投稿元:
レビューを見る
劉邦、関中王になるも、項羽により僻地に追いやられる。
しかし、めげずに項羽と戦う。
しかし、項羽が怖くて仕方がない。
有名な澒門の会が収録されています。
投稿元:
レビューを見る
昔読んだ記憶をもとに以下をコメント。
なんで中巻にしたかというと、張良が登場するから。
あまりにリズムのいい文章で、「張良のことである。・・・」から2ページくらい書き写した。
そんな本はこれ以降ありません。
投稿元:
レビューを見る
時間がなくってなかなか進まん・・・。
帷幕の謀臣である張良、全軍の総司令官となる韓信、奇策家である陳平の登場、そして最後の「人の一生というのは、戸の隙間から、白馬の駈け過ぎるのを見るほどに短いという。こういう趣向で死ねるとは、まことに快とすべきではないですか」と言って、壮絶な死を迎えた紀信と周苛が印象的でした。
P.28
虚心は人間を聡明にするものである。
P.43
張良が「太公兵法」から得たとされる思考法の基礎は、常に先の先を考えて手を打ち、手順をつくり、基礎を一つずつ築いて、すべての物事を未然に始末をするということであった。張良の一代は常にそのやり方で通した。後世、太公望に仮託した「六韜(りくとう)」の基本的な思考法もそうである。
P.48
劉邦はただ、「己の能くせざるところは、人に任せる」という一事だけで、回転してきた。劉邦は土俗人なら誰でも持っている利害損失の勘定能力を備えていたが、しかしそのことは奥に秘めてあらわにせず、その実態は常に空気を大きな袋で包んだように虚であった。
P.53
張良は、あらためて劉邦が大きな空虚であることを思った。・・・
これが、劉邦に指揮権が戻ると、幕下の者たちは劉邦の空虚をうずめる為に各々が判断して劉邦の前後左右でいきいきと動き回り、時にその動きが矛盾したり、基本戦力に反したりすることがあっても、全軍に無用の疲労を与えない。
P.165
「大王よ、大王と項王の人物を秤にかけられよ。まず、勇悍である点、仁強である点において。―」
この二つを基準に両者の重さを測れ、という。勇悍とは勇敢という以上の積極的な精神能力で、具体的には戦場における猛々しさを指す。仁強とは仁以上の倫理感情である。配下に対して心優しいというだけではなく、荒っぽくて狂おしいばかりの愛情を示すことを指す。勇悍と仁強は一見矛盾したものだが、ときに相克する性格が一ツ人格の容器に入っている場合、理想的な王が出来上がる。この時代は少なくとも王の資格はそのように考えられていた。
P.171
韓信のみるところ、愛すべき愚者という感じであった。もっとも愚痴という意味での愚者でなく、自分をいつでも放り出して実体はぼんやりしているという感じで、いわば大きな袋のようであった。置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などはなく、ただ容量があるだけだったが、棟梁になる場合、賢者よりはるかに勝っているのではあるまいか。賢者は自分の優れた思考力がそのまま限界になるが、袋ならばその賢者を中へ放り込んで用いることができる。
(劉邦という男は、袋と言うべきか、粘土のかたまりというべきか)
韓信は、話すうちに劉邦という男がひどく新鮮に見えてきた。当初、どろがあいまいに人の形らしい格好をなして座っているような印象でもあったが、韓信が話し終わったとき「どろ」がいきなり人になった。劉邦は右こぶしを挙げ、喜びのあまり傍らの小机を打った。
P.177
社は元々やしろでなく、神そのものをさした。とくにその国土を象徴する守護神のことで、小さくは村里にもあり、大きくは国土にも「社」はと��う神がまつられる。
稷(しょく)もまた神である。五国の神である。社という字義と同様、神をもさし、同時にその祠をもさす。土地神と農業神をまつって国家の宗廟とする古代中国の思想または風習はその後の中国では変質し、衰弱したが、以下はついでながら上代日本にそのまま輸入された。伊勢神宮は古代権力が多分に人工的につくった廟所だが、まず日の神がまつられた。次いで後代いつほどか同格の農業神が合わせてまつられた。それが、稷である。やがて内宮・外宮を律令国家の社稷とした。律令日本は仏教を輸入しただけでなく、国家の社稷も輸入したと言っていい。
さらについでながら、この時代の中国の里には二十五戸の集落とされていた。里ごとに氏神として社があることは既に述べた。里における社には、建物がある。しかし王国そのものの社稷には、建物がない。杜(もり)という神聖空間があるだけである。
その杜の中に特別な空間を設け、そこに神がすむとする。ただ空間のみをあがめるというのは、日本の原始神道にもある。もっとも上代中国の場合、天の陽気(日光や風雨)と地の陰気(霜や露)をそこでうけるため、という陰陽説による神学的説明がある点、日本の原始神道と異なる。
P.187
これらは、紀元前206年〜205年にあたっている。
西にローマという、市民性の高い巨大な文明が爛熟期に入っていたが、地球の他の部分では劉邦のいる中国大陸が、右とは異質ながら文明の高さを誇っていた。あるいは人々の文明感覚の繊細さにおいては比類がなかった。
ただ、中法の属する中国社会は徹底して灌漑農業社会で、主権者は水を制すれば水の及ぶ限りの地域全体を制することができたという点、ギリシア・ローマ世界と異なる。
中国大陸は、乾田の非米穀物、水田の米作、草原の遊牧、河川や沿海の漁業、山中での冶金といったふうにあらゆる古代的技術集団が流入し雑居し相互に影響を与えあったために紀元前で巨大な文明をつくった。ところが基本があくまでも灌漑農業社会であったために、農民個々が個人として独立せず、その独立性が尊ばれず、ついにギリシア・ローマ風の市民を成立させなかった。しかしこのことは文明の進み方が遅れているというものではなく、単に生産社会の事情が異なっていただけに過ぎない。
むしろ逆にいえば、灌漑農業社会の古代における高度の発達のために、ギリシア・ローマ世界よりも、一定面積の上ではるかに多くの人口を養うことができた。これらの事情のために地域ごとに農民を密集させ、密集している分だけ人々の個性をすり減らせ、ギリシア・ローマに比べて人間の独立性という点を希薄にした。しかし一面、事があればあらゆる地域にいる農民が、地球上のどの社会の常識も当てはまらないほどの規模で一定の場所に大密集をとげえた。この点は、ギリシア・ローマ世界では考えられもしないことであった。さらにこのことはこの大陸にしばしば政治上の軌跡を生む結果にもなった。たとえば易姓革命がそうであった。