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彼岸過迄
2020/10/03 15:56
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
夏目漱石は短編を集めて一つの長編のようにできないかと考えて、この作品を書いたという。実際、いくつかの章は独立して出版されたこともあるらしい。
この作品は占いで言われたお告げがステッキであることに気づく場面や、「停留所」で松本が来る停留所を当てる際にステッキを倒して、それが倒れた方の停留所にいくという趣向に無理があると思われたのか、低い評価もあるようだ。
就職を拒否しながらも、結構な暮らしをする様子は『それから』の代助に似ているし、ズバズバといく女と煮えきらず悩む男という構図は『三四郎』などにも似ている。しかしそれらの作品と決定的に違うのは、須永は母とつながりがあるのか、という問題である。父が亡くなった今、唯一自分と関わりがあるのは母だけなのだが、その母が実の母か分からないという孤独感にさいなまれる須永の様子はなんとも言えない。
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短編が連なって長編をなすという形式の作品で、いわゆる新三部作の第一作目。
物語の視点が何度が変わるものの、基本的には須永君の恋愛物がメインにあります。
嫉妬に関する部分が個人的には印象に残っています。
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冒険などのロマンが好きな敬太郎。職を得るため探偵めいたことをしてのち、やがて彼は友人・須永の深い内面世界の傍観者となる―――ってこんな感じでいいんだろうか。前半はイラン&失敗&構成がなってないっていう意見が昔からあるらしいが退屈な日常に漠然とした不満を持って何か起こらないかなと敬太郎が思ってるのはいいなと思った。「雨の降る日」から急に面白くなり始めます。雨の降る日は漱石の実体験に基づいてるだけあってリアルで怖い。そのあとの「須永の話」須永と千代子の関係やエピソードに激しく燃えました、萌えました、悶えました。千代子可愛すぎる!!「嘘よ」のシーン可愛すぎる!ノックアウトされたあ!非常に密度の高い理詰めな文章がまたたまらんくってこれにも胸を締め付けられてました。はあ〜……後期三部作の幕開けですぞ!まだまだ内容的に暗くないから読むべき。
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学校を卒業したばかりの主人公敬太郎は、自分の職を探しながらも冒険に憧れていた。友人である須永に職の斡旋をしてもらい、結果的にその親族との交友を持つことになった。そして大人しい人間だと思っていた友人須永が実は結構な冒険話を抱えていたことを知る。この話を通じて、結局話を聞くだけに終わった敬太郎は、平凡である自分が歯がゆくもあり、また幸せであるとも思ったのだった。 最近、夏目漱石ばかり読んでいるので、この人の文体に慣れてしまったようです。しかし一人の人に絞ってその著作を読んでいくと、一冊目よりも幾冊か読んだ方がその理解がより深まると思います。しかし、私の心中は専ら明治時代にあります/(^o^)\ナンテコッタイ
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『それから』を再熟読したいがために『三四郎』、『門』を手にしたときと同質の動機で、『こころ』を味わいためにここから始めた。所謂後期三部作の一作目である。
ぼくが漱石の作品に寄りかかるときの最大の理由は「文章」が持つ可能性の最高到達点を確認するためである。物語に身をゆだねるというよりも言葉の力を体感したいからである。
この作品は「嫉妬」の心理状況をわれわれ読者に露呈してくれる。重厚かつ深遠な文章だけでは到達しえない嫉妬心のリアリティは、軽薄かつ浅薄な人間の性質を知り尽くした漱石の業によってのみ文章化可能である、と敢えて断言させていただく。
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8月?
夏目漱石の後期三部作を読了。
敬太郎の目を通して、見える世界を中心に描いていく。
主人公が、聞いたことを書いている。
「こころ」の主人公と違って
積極的に、関わっていこうとするわけではない。
あくまでも、一定の距離を保ちつつ世間を垣間見ようとしていく。
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病後の漱石が連載した小説。
主人公の友人須永の心の葛藤が
「こころ」につながっている気がした。
だから三部作なのか・・。
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モザイクが細かくなっていき、だんだんはっきりと画像が見えてくる感じ。
主人公は狂言回しに過ぎず、本当の主人公は須永なのだろう。
好きなのに好きとは云えず、裏の裏まで読んだ気になってしまう須永。
須永と千代子の物語は三部作のなかで形を変えて出てくるのだろうか。
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狂言回し的な主人公である敬太郎の周辺の人物たちを巡る作品。
同じ下宿の住人である森本、友人の須永、その叔父である、実業家の田川と、高等遊民の松本、そして、従妹の千代子。
話は、森本から始まり、田川と松本との接触、須永と千代子の関係、松本の話に終わる。
本作で最も中心を成すのは、須永と千代子の話、補足的にそれにまつわる松本の話である。
「行人」の一郎同様、須永の苦悩は根本的に、千代子(それに拡大解釈すれば彼の母)を含めた女を介した、他人に対する「不可解」なのではないかと思う。
同時に、「行人」のレビュー・感想に記したごとく、自らにとっても、この「不可解」や、他者との交感、他人を受け入れる苦悩が重要な命題でもある。
ただ、一郎とは異なり須永の場合は、その苦悩の原因が、女=他者ではなく、須永=自分自身である。
一郎は妻お直を含めた他者を理解できないことに悩まされたが、須永は従妹の千代子によって、自らの持つ苦悶に気付かされ、苛まれれている。
個人的には、本作や「行人」のみならず、他の漱石作品に数多みられるこれらの煩悶に、はたして他人も悩まされているのかどうかと、つくづく思う。
ただそれは決して他人を軽んずるような意味なのではなく、他人を「不可解」に感じている自分にとっての大きな疑問でもあり、他者を理解や受け入れるとのできない、自らにとっては永遠の謎のようなものなのだと思う。
他人も顔に出さぬだけで同様に悩み苦しんでいるものなのかどうか、精神的な意味で他人に近しく接することのできない自分にとっては、おそらく一生分からないのではないかとも思う。
一方で、必ずしも苦悩と感じているかどうかは定かではないものの、この「不可解」という命題は、敬太郎を除くそれぞれの登場人物にも端々に感じ取れもする。
風来坊的な森本、どこか他人に心を許さない感のある田川、高等遊民を称して世間と隔絶した風のある松本、自ら期せずしてか須永を翻弄する従妹の千代子。
みんな、どこか他者への理解を拒絶し、どこか他人と打ち解けようとしていない感じすらある。
案外、他人もそのようなものなのかもしれないとも思う。
ちなみに本作も、10年以上前の学生のころに一度読んだのだが、今回「行人」の読後、改めて青空文庫のものを読んでみた。
さらに余談ながら、以前、「行人」を読んだ友人に、一郎からお前を連想した、と言われたことがある。
ただ、一郎ほどの英才でもないし、本作を読み返してみて、自分自身は、一郎よりもむしろ須永に近いような気もした。
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仮に岩波文庫版で登録しました。
本当は、
生誕百年記念
夏目漱石全集第八巻
日本ブック・クラブ
昭和42年初版
昭和43年再版
です。
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「『彼岸過迄』というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空しい標題である。」
そんな由来だったとは。漱石後期三部作、その一。
まず登場するのが敬太郎。冒険を夢見るロマンティストでありながら、実際は大学を出て職も見つからず汲々としている青年である。物語の前半はどちらかというと軽妙な筆致で、敬太郎を中心とする人間模様が描かれる。謎めいた隣人に探偵ごっこにと、読者を楽しませるようなエピソードが目立つ。
ところが後半になると雰囲気は一変する。敬太郎が主人公なのかとおもいきや、今度は彼の友人である須永の存在が物語の全面に出張ってくる。従妹の千代子との恋愛を通して須永の内面が赤裸々に吐露されるのだ。「須永の話」における彼の告白は痛々しいほどであり、『行人』の一郎に繋がる一本の道筋を予感させる。『人間の頭は思ったより堅固に出来ているもんですね、実は僕自身も怖くって堪らないんですが、不思議にまだ壊れません、この様子ならまだ当分は使えるでしょう 』須永に共感できる自分が怖くって堪らない。
須永の口から語られる終盤のシリアスな展開に思い切りのめり込んだだけに、振り返ってみると前半の滑稽味はどこか取ってつけたようなものに感じられる。新聞小説ということで色々事情もあったのかもしれないが、終わり方も幾分唐突に過ぎるのではないだろうか。
構成の点では少しまとまりに欠ける印象も受けたが、後期漱石作品を貫く主題は紛れも無く本書の中に息づいている。
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(1991.05.11読了)(1991.04.27購入)
(「BOOK」データベースより)
いくつかの短篇を連ねることで一篇の長篇を構成するという漱石年来の方法を具体化した作品。中心をなすのは須永と千代子の物語だが、ライヴァルの高木に対する須永の嫉妬の情念を漱石は比類ない深さにまで掘り下げることに成功している。
☆夏目漱石さんの本(既読)
「三四郎」夏目漱石著、新潮文庫、1948.10.25
「それから」夏目漱石著、新潮文庫、1948.11.30
「門」夏目漱石著、新潮文庫、1948.11.25
「坊ちゃん」夏目漱石著、新潮文庫、1950.01.31
「明暗(上)」夏目漱石著、新潮文庫、1950.05.15
「明暗(下)」夏目漱石著、新潮文庫、1950.05.20
「虞美人草」夏目漱石著、新潮文庫、1951.10.25
「道草」夏目漱石著、新潮文庫、1951.11.28
「こころ」夏目漱石著、新潮文庫、1952.02.29
「倫敦塔・幻影の盾」夏目漱石著、新潮文庫、1952.07.10
「行人」夏目漱石著、新潮文庫、1952..
「坑夫」夏目漱石著、角川文庫、1954.05.30
「草枕・二百十日」夏目漱石著、角川文庫、1955.08.10
「吾輩は猫である」夏目漱石著、旺文社文庫、1965.07.10
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無理やり評価しているような解説は、蛇足。はじめの探偵物語は短編としてももう一つだろうし、前半と後半のつなぎなどはやはりどのように解釈しようとも構成が破綻している。
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オモシロイ。ほとんど、あだち充さんのマンガの世界です。後半は。
ほんっとにドキドキものの心理劇、恋愛劇、サスペンス。
「幼なじみ」、「いいなずけ」、「恋のライバル」、「出生の秘密」…。
後半は…、なんですけどね。
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「それから」に引き続いて、久々の、多分25年ぶりくらいの夏目漱石さん。
夏目漱石さんの長編小説は、どれもこれも昔読んだ時から大好きで、本当に熱狂的に好きだったんです。
なんですが…。若い頃に読んだ時も、「面白かった順位」で言うと。
「坊ちゃん」
「それから」
「明暗」
「行人」
「こころ」
このあたりまでがトップクラスで。
「三四郎」
「道草」
「草枕」
そして
「彼岸過迄」
「虞美人草」
「吾輩は猫である」
あたりは若干、劣る。
そんな印象がありました。
なんとなく、そんなことを確認もしたくて、再読。
作者の漱石さん自身が冒頭で書いてますが、「短編がいくつも並んで長編となる」という作りになっています。
①「風呂のあと」
②「停留所」
③「報告」
④「雨の降る日」
⑤「須永の話」
⑥「松本の話」
⑦「結末」
の、7章。そして、再読してみると。
簡単に言うと、①~③が面白くない。けっこう、面白くないです。
そして、④~⑦が面白い。特に、④⑤の2章はもう、キラキラ輝くくらいに面白い。
④は、幼い子供が突然病死しちゃった、という家族の話です。
悲劇です。これを何と言うか、淡々と、という感じです。決して、お涙ちょうだい風になりません。なんだけど、この理不尽な出来事の痛みが、とっても伝わってきます。
⑤は恋愛心理劇です。女に恋した男のどろどろした心理です。理性とプライドと恋心と矛盾と嫉妬にみじん切りに切り裂かれる若い男のみっともないココロの七転八倒です。
それが何とも科学的に解剖されるような語り口で綴られます。何とも深刻で難解で、同時に滑稽でスリリングでたまりません。
だからまあ…やっぱり前半が面白くないっていうのはケッコウ致命的ですね。
これはまあ、正直、面白くない。
やっぱり登場人物の心理に全然のめり込めない。
これは解説で評論家の人が、「前半が詰まらないと言われるけど、こういう角度で見ると興味深い」というようなことを一生懸命書いている。
そういうことを書くということは、要するにやっぱり面白くない。
ただ、文学研究者たるもの「前半は面白くない」ではアマチュアとおんなじだから色々な角度で解説を試みる。
その解説自体は成程面白いかも知れない。
しかし言えば言うほど、まあ、つまり前半が面白くないなあ、ということが炙り出てくる。
つまり、前半が面白くない。
でも、後半は面白い。だけど、やっぱり話はなんとなく繋がっているので、後半から読むわけにも行かない。しかし前半はなかなか苦痛である。
と、言う訳なので、やはり「彼岸過迄��を読むのなら、せめて「坊ちゃん」「それから」「行人」「こころ」あたりを読んで、夏目漱石さんの特色とか個性とか語り口に惚れてから、の方が良いんだろうな、と思いました…。
############以下、備忘録############
①「風呂のあと」
敬太郎、という、どうやらそこそこの学校を出て、就職口を探している若者がいる。なかなかうまくいかず、焦りながらもぼんやり暮らしている。
そんなに内向的な性格ではなく、冒険とかロマンを求めているけれど、とにかくまずは働き口がない。
日常は冒険もロマンもなく、下宿でぶらぶらして、風呂屋に行く。
風呂屋でいっしょになった、同じ下宿の森本という男とおしゃべりする。
森本という男は、色んな商売を経て、色んな冒険譚を持っている。
ところが、その森本はその後、下宿代を払わずにドロンする。
②「停留所」
敬太郎の友達に、須永という男がいる。この須永という男は、まだ大学生である。この当時の大学生ということは、物凄く希少価値だし、今でいう大学院みたいな感じ。
この須永という男は、裕福な実家らしく、特段に働く気もなく暮らしている、非常に内向的だしブンガク的な気難しい若者である。
この須永の叔父に田口という中年男性がいて、いろいろ実業で活躍している紳士である。
敬太郎は就職口を探している。須永は敬太郎に、叔父の田口に頼んでみたら、と紹介する。敬太郎は田口を訪ねてお願いをする。
そんな敬太郎に、田口は依頼をする。
「とある日に、とある時間に、とある停留所で降りる、これこれな風体の紳士の後をつけて、探偵してほしい」と…。
で、敬太郎、それを実行する。
さて、その紳士を尾行すると、若い淑女と落ち合って、食事をして、帰って行った。
③「報告」
結局で言うと。
敬太郎が尾行した紳士は、実業家の田口の義兄・松本だった。つまり、田口の親戚。ということはつまり、須永の親戚でもある。
松本と言うのは、中年のオッサンである。妻もいて子供もいる。そして資産があるのか、ぶらぶら暮らしている。「高等遊民」である。
そして、その松本と会食していた若い淑女は、実業家の田口の娘であった。
別段、そこにややこしいスキャンダルはなくって、単なる友好的な親戚の付き合いだった。
つまるところ、尾行を依頼したのは、実業家の田口の、暇つぶしのいたずらみたいなものだった。
そして、敬太郎はそんな田口のいたずらの犠牲者になった。その代りに、田口の家に出入りするようになった。そして、それなりの地位の就職口を得た。
④「雨の降る日」
敬太郎は、田口の関係で職を得た。なので、田口の家に出入りしたり、その親戚でもともと友達の、須永の家にも出入りする。
一族からみのお友達になっていく。
そこで話をいろいろ聞いていく。そこで、「高等遊民」の中年男・松本のうわさ話を聞く。松本は、須永の叔父にあたる。
「松本は、かつて雨の日に接客中に、幼い児を突然死で亡くした」という話を聞く。
なので、松本はその後、雨の日の訪問者を嫌うという。
⑤「須永の話」
須永の一人称。須永と、従姉妹にあたる千代子という女性との、恋愛譚。
須永は、母一人子一人である。いろいろ内面に鬱屈を抱えたインテリ青年である。
従姉妹の千代子という若い女性がいる。家族同様に付き合っている。
実は母は、子供の頃に、「将来、千代子と須永を夫婦に」と、千代子の両親と話した。
それを須永は知っている。恐らく千代子も知っている。千代子の親も知っている。
けれども誰も話さない。
千代子の親からすれば、須永はインテリだが、実業に野望も無い屈折した青年で、決して望ましくないのではないか。と、思っているのではないか。と、須永は思っている。
須永は、千代子のことは好きだけど、そんなに好きじゃないと思う。
面倒だから、俗だから、千代子とは結婚したくないと思う。親戚や母にもそういう。だが、千代子には言えない。
そうなのだけど、千代子の周りに若い男がいる。自分と違い非常に健全な世間性を持っている男がいる。
そうすると、何だか大変に面白くない。大変に不愉快である。自制心が薄くなる。
そして、「あなたは卑怯だ」と、とうとう千代子に言われる。千代子と対決する。
⑥「松本の話」
須永と千代子の話・・・というか、須永の話の続きである。
語り部は、須永の叔父の「高等遊民」である、松本に移る。
要点で言うと、須永と、須永の母は、実の母子ではない。
須永の父が、別の女に生ませた子を、実子として育てた。
父が死に、須永と母は仲が良い。須永は母を大事にしている。
しかし、須永はあるとき、実子ではないことを知った。内心ぎくしゃくする。
そんなことが、須永の面倒な屈折の裏にはある。
須永は大学を卒業前に旅行に行く。行っていろいろ考える。母のことや千代子の事。
千代子と須永はどうなるのか、分からない。
⑦「結末」
短いエピローグ。
特段のドラマチックなモノゴトは無い。
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後期三部作の1作目。短編を繋げて長編に仕立て上げるという構想のようだが、全体を通じて一貫する物語がないので消化不良感があった。