紙の本
非常に楽しい
2007/01/30 17:54
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ssc - この投稿者のレビュー一覧を見る
非常に面白かったです。
上中下とありますが、書評を書くべきは、下でしょう。
通して読むものですし、語るべきも、上のみ、中のみ、下のみではなく、
上中下と通して判断すべきものですね。
河井継之助という先を見る眼をもちながらも、
武士として、儒教者として、不器用に生きざるを得なかった男。
立ち回りをしくじり、自藩の多くの民を殺した悪人でもあり、
実直な快男児、英雄といっても遜色ない大器の人物の人生の物語に
目を通せ、本当に満足です。
最初はとっつきにくい人物かと思い読みましたが、
私は、彼にどんどん惹かれていきました。
身分の上のもの、女、外国人に、がつんとぶつかっていく様は、
惚れ惚れします。
非常によい作品でした。
紙の本
読み応えあり。
2019/04/21 11:32
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投稿者:トッツアン - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔、NHKの大河ドラマで「花神」がやっており、その時に初めて河井継之助を知った。高橋英樹が演じていた。とても魅力のある人間に思え購入したが、昔見た大河ドラマとダブり面白く読めた。いよいよ藩政に関わり、力量を発揮しはじめるところ。若いころに研鑽し、蓄積されたものが活かされていく。一気に読んでしまった。
紙の本
継之助の変わらない豪胆さが印象的
2022/06/09 17:29
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投稿者:higassi - この投稿者のレビュー一覧を見る
物語が大政奉還前後の混乱期に入っていくのと、継之助の変わらない豪胆さとの対比が印象的な中巻。文明開化の象徴としての横浜の街の描写も色を添えている。
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この『峠』、河井継之助の魅力に参ってしまう前に、こうした細部の社会が描かれているので、その日本の精神文化のレベルの高さにメロメロになってしまう小説なのだった。それから司馬氏の小説(クセなのだろうが)、「女」がカッコイイ。凛として立つ、というか、颯として在る、というか――ウーン「歩く姿は百合の花」で内面はもう、緋桜お龍さんである。
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河井継之助。良運さん、スネル、ガットリング砲、大政奉還、福地源一郎、福沢諭吉。私は越後長岡藩の家老であるというだけで人の世に存在している。
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時代が音を立てて震動するような状況になっていく訳だが、本作の継之助は「だからこそ」とばかりに色々な人と交わる“自分探し”を行い、それを通じて「自らの立場、または進めべき方向」を定めようとしている。彼が交わるのは、地元長岡の幼馴染である親友の良運さん、乗り込んだ幕府軍艦の士官、横浜で親しくなった福地源一郎、その年上の同僚である福沢諭吉、身の回りの世話をする忠僕の松蔵、横浜の女郎、外国商人のスネルなどなど実に多彩である。こうした多彩な人達と出会い、言葉を交わす都度に本作の継之助は自らの考え方を“確信”に高めていくのである。
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幕末時代に生きた、長岡藩家老河井継之助の生涯。結構読むのに時間がかかったけど、生き様に脱帽!絶対に1回は読むべき作品です。
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「彦助、犬死ができるか」
途中、継之助がいった。
「おれの日々の目的は、日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている。死を飾り、死を意義あらしめようとする人間は単に虚栄の徒であり、いざとなれば死ねぬ。人間は朝に夕に犬死の覚悟をあらたにしつつ、生きる意義のみを考える者がえらい。」
「はい」
彦助は提灯の灯を袖でかばいつつうなずく。
「いま夜道をゆく」
継之助はいう。風がつよい。
「この風が、空だを吹きぬけているようでなければ大事はできぬ」
「と申されまするのは?」
「気が歩いているだけだ」
「ははあ」
「肉体は、どこにもない。からだには風が吹きとおっている。一個の気だけが歩いている。おれはそれさ」(p.23)
「ねがわくは一生、拍子木をたたいて時に青楼に登る、という暮らしがしていものだ」
シナ人の張が、声をあげた。
「それは老荘の極致ですね。カワイサンは老荘の学問をおやりになったのですか」
「いや、私は孔孟の徒だよ。一生あくせく現実のなかにまみれて治国平天下の道を尺取虫のように進もうという徒だ」
「であるのに厭世逃避のあこがれを」
「持っているさ。しかし息せききった仕事師というのはたいていそういう世界にあこがれている。よき孔孟の徒ほど、老荘の世界への強烈な憧憬者さ。しかし一生、そういう結構な暮らしに至りつけないがね」
「西洋には」
と、若いスイス人がいった。
「汝ニ休息ナシ、という諺があります」
「なんのことだ」
「神が天才にあたえた最大の褒め言葉です」
「わからん」
「その才能をもってうまれたがために生涯休息がない。そういう意味です。汝ニ生涯休息ナシ」
「私が天才かね」
「そのように思えます」
「天才とは戦国のころ私の故郷から出た上杉謙信とか、尾張から出た織田信長に対することばだ。なるほどかれらの生涯は死に至るまで休息がなかった」(p.157)
継之助のみるところ、福沢諭吉は奇人どころではなく真実を露呈しきっている人間なのである。福沢の場合、思想と人間がべつべつなのではなく、思想が人間のかたちをとって呼吸し、行動している。そういう人間であるには、ときには命をもうしなうほどの覚悟と勇気が要ることは、継之助は自分の日常の内的な体験でよく知っていた。(p.407)
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上巻より続く。
とにかく面白い。
武士とは何か。時代とは何か。
独りよがりな中に侍を感じる。
男性は特に読むべし。
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1861(文久元)年、福沢諭吉はヨーロッパへ渡った。ドイツのプロシャが力を持ち、ウィルヘルム1世がドイツを連邦を統一して帝国へ。日本も倒幕して不合理な連邦政府(共和政体)から立君政体へ変わる必要がある。
「西洋事情」からもわかるように思想は尊王ではなく勤王であり、大名同盟では貿易がわずらわしくなり、戦になる。これでは世界についていけなくなるので、文明を吸収するなら封建制を廃して立君しなければならない。西洋の先進文明を成り立たせているのは「free]と「right]であった。福沢はこれを自由と権利と訳した。
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福沢諭吉も出てきて、その権利と自由について語っている。継之助は福沢を理解したようである。上巻と同じく陽明学に関する記述を拾ってみると「おのれの日々の目的は、日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている。死を飾り、死の意義をあらしめようとする人間は単に虚栄の徒であり、いざとなれば死ねぬ。人間は朝に夕に犬死の覚悟を新たにしつつ、生きる意義のみを考えるものがえらい」「肉体はどこにもない、からだは風に吹きとおってる。一個の気だけが歩いている。おれはそれさ」「左様。御上洛がおわりますれば、その翌日ためにござります。その翌日がおわりますれば、さらにその翌日のためにござります。生は事を行う為の道具にすぎませぬ」
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実はこの本、今回で5回目(6回目だったかもしれない)というくらい、定期的に読み返している作品である。(これに似たポジションを占めているのは、他には「ノルウェーの森」位しかないかな)
頭脳、胆力、行動力の全てにおいて傑出したものを持っていた、主人公の河井継之助。継之助は解明論者であり、武士の時代が終わり商人の時代が到来することを見通していた。幕末の人物で彼ほど日本の将来がどこへ向かっていくのかを見極めていた人物はいなかったろうと思う。
そして彼は政治の目的は経世済民であることも理解していた。
しかし、彼は自藩を戊辰戦争の真っただ中にたたき込み、結果藩士だけでなく一般民衆を巻き込み、ぼろぼろにしてしまう。もしこの藩に河井が生まれてこなければ、きっとこうはならず、無難な結末(新政府に恭順)となっていたに違いない。(この作品では、器の合わない英雄を持ってしまったがために引き起こされた小藩の悲劇が描かれている。)
しかし、このような、いわば「ごまめの歯ぎしり」のような継之助の「愚行」「暴走」に、読者は、ある種の「美しさ」を感じずにはいられないのではないかと思う。
なぜだろう。
継之助に「志」あるいは「凛とした生き方」を感じさせてくれるからではないか。日々を怠惰と多くの妥協にまみれて生きている人々に、彼の生き方は、「何か」を指し示してくれているような気がするのだと思う。(ただし、自分の大事な「志」を貫くために、彼は罪なき民を犠牲にしてしまう。この事についてもまた考えさせられるのであるが。)
ところで、シリアスな事ばかり書いたが、この作品には継之助の人となりが醸し出すユーモラスな場面(例:河井はコスプレマニアであったとか、無類の女好きであったとか)も沢山あり、エンターテイメントとしても、しっかりと成立している。
「志」とか、「生き方の美学」とか、そういう難しいものを追っかけたい人も、そうではなく、面白い話を読んでみたいという人にも、幕末に散ったこの稀有な存在、「継さ」(河井のニックネーム)の物語に触れてもらいたいと、切に思う。
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言わずと知れた長岡藩家老・河井継之助のお話です。
もともとは河井さんの友人・大野右仲が出ているってんで読みはじめたんですが、内容が濃くて面白くて、面白くて、長岡藩を調べたくなっちゃいましたよ!!
そして私、長岡にホントに行っちゃいましたvvv河井さんに本当に惚れてしまいました。
勤王でも佐幕でも無く、中立を理想とした河井の考えが、切なかったです。
ガトリング砲や近代兵器を買い求めて独立国の為に兵の強化を進めたり、産業をするべきであると藩の財政を立て直したり、そういう意味では現実を理解していたのに、戦の駆け引きでは、理想は無力でしたよね。
奥羽列藩同盟に長岡藩が最初っからいたら、仙台もあんな決定(恭順のこと)はしなかったんじゃないかなぁ。会津の戦いも変わっていたでしょうね。
なにはともあれ、長岡藩はキーマンだったと思います。
あ、最後になりますが、大野さんの台詞は格好良すぎて、男前でした!!
大野さん好きには堪らない、そんな大野さんが見られますよvvv
そして、全編通して、河井さんの魅力に参りました。
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長岡藩の百石藩士・河井継之助の備中松山、長崎の遊学の旅、藩主・牧野忠恭の覚え目出度い継之助の異例の大出世、大政奉還後の長岡藩の藩政改革の様子など、痛快な挿話の数々が情緒豊かに語られていく。風雲急を告げる時代を背景に、譜代大名長岡藩の行末を按じ、一命をかけて闘争の炎を燃やす家老・河井継之助の凄まじい生涯を描いた、著者の筆力の凄さに今更ながら驚き、この歴史小説の世界に引き込まれていく。
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幕末の越前長岡藩に、河井継乃助という男があった。
独特な癖をもち、一匹狼のようであるため、人々から敬遠されていたが、幕末という激動の時代において、彼の持つ鋭い先見の明と、行動力が買われた。
彼は、一介の藩士にも関わらず、長岡藩家老として登用された。
幕府の時代、武士の時代はじきに終焉を迎え、全員町人の時代が訪れると、いち早く見抜き、徹底的な合理主義、西洋近代技術を取り込んでゆき、藩政の改革に挑んでゆく。
武士という感傷的な過去を潔く切り捨ててゆくその冷徹な姿勢は、周囲の人々からの誤解を招く結果となり、命を危険にさらすことが往々にしてあるのだが、自らの命も捨てる覚悟で、ただ長岡藩のために奔走をする。
河井は、ご先祖代々の宝物を後生大事にしたり、帯刀にこだわる武士の姿、という形式的な武士道精神を何より嫌悪したが、崇高な武士道精神にはこだわった。
日本は大きく変わると強烈に意識しつつも、結果、長岡藩を捨てることはなく、その藩のためだけに命を注いだ姿勢は、そこからくるのか。
「峠」に登場する人物たちは、みな生きている。
中巻では、慶応義塾の福沢諭吉や、福地源一郎(東京日日新聞の社長)などと、河井が対面する場面などもあり、高い見識と教養を持った人物たちが、それぞれの立場で、日本の将来をどう捉えていたのか、を垣間見ることができ面白い。皆、個性的で癖のある人物として描写されている。
もちろん、歴史小説である限り、史実として捉えるべきではないが、司馬遼太郎さんの本は、歴史への入り口としては最適。
どちらかといえば、読者への啓発の要素が強い。
「覚悟とは、元来ひとりぼっちのものだ。人に強要するものではない。」
という、河井継乃助の言葉が深く響いた。
下巻に期待。