著者は読者の欲望を満たすことを欲望としている?
2015/07/07 09:16
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投稿者:サッサン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ほとんど分からなかったラカンだが、本書でその入り口までは連れて来てもらった。読者(=私)のためにこれ程手を尽くして書かれたテキストは今まで見たことが無い。著者は「他人の(分かりたい)欲望を欲望」として書いているとしか思えない。少なくとも、もう少しラカンを読もうと言う気にさせてくれる。
この人の視点は面白い
2018/05/31 18:59
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
神戸女学院大学を退官したウチダ先生の最後の講義を収録したのが、内田樹『最終講義』。この人の視点は面白い。
ウチダ先生によると、自殺率は、平和な時代ほど高くなるそうです。
過去100年の日本で、自殺率が一番高い年は(すなわち、最も平和だった年)、1958年。
この年に私は生まれました。
ふーん、そのとき、日本は最高に平和だったんだなあ。
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
神戸女学院大学の定年退官講演と同時期の講演を書籍化したもの。どれも噛み砕いた理解しやすい内容で、この人の思考パターンやテーマ(教育だとか贈与、など)が繰り返し出てくるのでなじみやすい印象も受けるが、考えてみると意外に深い内容ではないかと思う。
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赤坂真理さんが解説でべた褒めされているが、たしかに良かった。話が多岐にわたっていて、思い出せない部分もあるのだけれど、教育や医療を市場原理に持ち込んではいけないという点は一貫している。これは一部の州だけのことかもしれないがアメリカでの現状を聞くとひどい話だなあと思える。要するに税金は払うが、自分が払った分は自分のために使ってほしいということ? それのどこがいけないの、という声も聞こえそうだけれど、持ちつ持たれつというか、世の中いろんな人がいて成り立っているのだから、まあ、人助けのために税金を使ってくれるなら良し、とすればいいのではないかな。沖縄に核兵器があるという話(実際のところどうかは別として)、これ内田先生だから公の場でこんな話ができるのだろうか。それがまた、北方領土返還と関わっているというのは、そんなこと考えたこともなかったから、実におもしろい(おもしろいなんて言える話ではないのですが)。ヴォーリズの建築、ぜひ見てみたい。体感してみたい。政治家には100年先を考えてほしい。(原発の再稼働なんてありえない)自分の利益ではなしに。
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講演集のため,より平易な文体で構成されている分,他の著作より読み易い.何よりも,各講演のテーマ“人文科学の未来”,“日本行政”,“大学の存在意義”,“日本の教育”,“ユダヤ人と日本人の関係”,“共生”それぞれの立ち位置とそこに至った事由が詳らかにされる内容に,真の知性を感じる.論理的な思考を基に,手に入る情報を有機的に体系化し,本質に至るというプロセスを辿れることこそ,脳味噌を使うことであり,生きるということだと実感する.ちょっと考えれば分かる,全くその通り,大半の人間は考えたくない,プロセスは省き答えだけを知りたいのだ,その正誤も関係なく.本書で言及する通り,70年掛けて構築したシステムで動いているのだから,変革は極めて困難であり,可能な方法論は戦後からやり直すことだけだと個人的には思う.
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内田さんの教育論は、理想的に過ぎるとか抽象的だと言われかねないなぁ、今の社会では。でも、教育が人を育てる営みである以上は理想がなければいけないし、カタチのないものを作る営みである以上はそれを語る言葉も抽象的なものを選ばざるを得ない。
いまの世の中、特に抽象的なものって嫌われがちな気がする。なんでも具体的でないと相手にされない。でも内田さんの話を読む時は、教育というものの性質に鑑みて、揚げ足取りせずに読んでほしいです。
内田さんの主張することはいつも一貫していますが、この本は講演の書き起こしということで、話し言葉で語られているためとても分かりやすく読みやすいです。
「教育に等価交換はいらない」という主張はいつも通り、他にも「知性の身体性」「アカデミック・ハイ」など、キャッチーなフレーズが出てきて面白いです。
内田さんの入門編にいいかも。
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内田先生の講演集。現代社会を分かりやすく、ちょっと過激に、ユーモアを交えて解説してくれる。大学人としてはやはり教育について多くメモった。「ゆっくりと活気のない国」になっていく日本での「教育立国は手遅れ」なのかもしれないが、大局観をもって生きていきたいと思った。と、最後に副題の「生き延びるための七講」の意味が分かった。
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人間を人間たらしめるものは何か。朝四暮三の故事からそれを「夕方の自分も朝方の自分も同じ自分だ」と思える能力ではないかと導き出す。
過去、現在、未来、すべて自分であり過去の行いが未来を創る。それを、本当に考えているのか。現在だけを見て未来を見ていないのではないか、と政治に対して警告する。
内田樹の神戸女学院大学退官前の7つの講演録。
ある大学で「先生、現代思想を勉強するとどんないいことがあるのですか?」という質問を受けた。
学費を払ってその授業を聞くのだから、何かリターンが無くてはならないという、教育をサービスと捉えた資本主義の考え方に染まっている。
筆者は教育への資本主義の導入に警鐘を鳴らしてきた。この学生に対する答えが印象に残った。
「悪いけど、僕がこれから教える話は、君にはまだその価値が計量できないものなんだよ。喩えて言えば、君には君自身の価値判断のモノサシがある。そして、そのモノサシを持ってきて『先生がこれから話すことの価値は何センチですか?』と訊いていた。でもさ、もし僕がこれからする話が、ものの重さや時間や光度にかかわることだったら、そのモノサシじゃ計れないでしょ。世の中には、度量衡そのものを新しく手に入れなければ、何の話かわからないこともあるんだよ」
教育は未来への投資と良く言われるが、投資ではない。投資はリターンを求める。投資であってはならない。
それでも何故勉強するのかを、うまく言い表している。新しい価値を計るためのモノサシを手に入れるためなのだ。そのモノサシは、将来に役に立つか立たないかわからない。しかし、そのモノサシが無ければわからないこともある。
実学のみを教育に求めようとする今の世論は、極端に精密な一つのモノサシを作ろうとしているように思う。そのモノサシに適した価値を計るには、より精密なモノサシが優位だろう。しかし、計るべき価値は時代によって異なる。精密に作ったモノサシが、いつでも求められるとは限らない。
また、卒業間際に必修単位を落として留年しそうな学生に対して、普通なら許可されない単位を許した先生がいた。
そのことから、「評価というのはふつう過去のことについてなされますが、そうではなく、もう一度チャンスを与え未来に谷を達成するかを見る」とう教育のあり方に筆者が気づく。
過去と現在だけではなく、その人物の未来にチャンスを与えている。
人、外患なければ必ず近憂あり。
未来を見据えた生き方でありたい。
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教育論に初めて触れた。
―――pp.247
『教師の仕事というのは「すべての子どもに対してドアを開く」受容性と同時に、「子どもがそれにしがみついている狭隘な価値観を壊す」否定性と、その両方を持っていなければならないということです。』
何のためにやっているのか判然としなかった分野の教育も、こういう意味があったのかと気付かされた。
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言葉にできない、単純な言葉で表したくないけど心から沸いてくる、高揚感に似た気持ちがとても心地よい本。
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講演録。内田樹の著書は結構読んでるから耳たこな話も多かったんだけど、私がここ数年で最も衝撃を受けたアメリカのある都市の話に対しての見解が知れたことが一番大きな収穫だった。サンディ・スプリングス市は本当に狂気の産物だと思う。
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ウチダ先生、タイトル通り大学教授としての最終講義を収録。教育の現場が歪められていることを痛切に感じる。何のために勉強するのかという問いに対して明確な答えを出すことを学校に強い、その学びがすぐさま投資回収できるかどうかで学生が学校を選ぶという風潮が、この国に瀰漫している。それに気が付かない大人たちは、将来に責任を持たないという点において重罪であると思う。
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神戸女学院大学を退官した内田樹教授の講演録である。
なかなか面白い評論をする人なので本屋で見かけた際に購入した。
7つの講演録が載っておりどれも独特な視点で興味深い内容だった。
教育の考え方についてはとくに考えさせられる。教える方はいつも与えているように思えるが、実は受け身で、教えを請いに来る人がいなければ教育は成り立たない。
そして学ぶ側が求めなければ知識を得る以外の何も起こらず、本当の教育にはならないというわけで、教育とは決して知識の商品ではないと言うことがよくわかる。
また、北方領土の問題でアメリカがロシアに干渉しないのは、北方領土をロシアが返せばロシアはアメリカが沖縄から撤退するように要求しアメリカにとっては不利になるからだなど、なるほどと思われる視点もあって、7つの講演内容は多岐にわたり面白かった。ちなみに、専門がフランス現代思想だというのだから面白い。
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内田樹さんの本は、読みながら深くうなずいてしまう。
まず、現場の人と評論の人のくだり。自分自身に照らすと典型的な現場の人。工場経験が長いからでしょう。
次は、つぎは、次へ、つぎへ・・・。読み進んでしまう。
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著者が1990年から21年間勤めた神戸女学院大学における伝説の「最終講義」はじめ、7つの講演を収めたのが本書。
私は割と熱心な内田樹ファンで著書もかなり持っていますが、調べると「ウチダ本」を読むのは実に1年2か月ぶりでした。
しばらく追い掛けていましたが、発刊ペースが速すぎてついていけなくなったのですね笑。
それだけ多作な方です。
私がウチダ本を読む理由はただ一つ。
知的に負荷をかけたいからです。
自説を補強するような読書には興味がありません。
どこかで聞いたような話をわざわざ本で読みたいとも思いません。
極端なことを云うと、そこに書かれていることが正しいか正しくないかにも然したる関心はないのです。
私は、一部の方たちがどうしてそこまで書物の内容の「正しさ」に過剰にこだわるのか、実は理解できないのです。
読書の愉しみのそのぎりぎりの勘所を述べよと云われれば、やはり心が揺さぶられることではないでしょうか。
せっかく読書をするのだから、こちらの先入観を見事に覆し、期待を大胆に裏切って、新たな地平へと運び去って欲しい。
そんな欲求を満たしてくれる数少ない書き手の一人が内田先生です。
えーと、前置きが長くなりました。
本書の読みどころのひとつは、「教育論」でしょう。
ご存知の通り、1984年の臨教審以降、教育改革が叫ばれて久しいわけですが、近年は特に経済界の要請が教育現場に色濃く反映されるようになりました。
経済界の要請とは何か。
端的に云えば、「集客力のあるクライアントに魅力ある教育プログラムを提出するのが学校の責務でしょ」ということです。
これに対して、内田先生は明快に「否」と云います。
「市場のニーズに追随して大学が次々と教育プログラムを変えてゆくと何が起こるか。簡単ですね。日本中の学校が全部同じになるということです」
市場のニーズに対応する大学は一見、アクティビティ(能動性)が高く見えますが、実は「市場のニーズに対してつねに遅れている」。
つまり、アクティビティが高いわけではなく、パッシビティ(受動性)が高いと著者は喝破します。
教育はニーズがあって提供されるものではなく、まず教える側が旗印を高く掲げ、そこで学びたいという者を創り出すものであるべきというのですね。
ほら、凡百の評論家とはひと味もふた味も違うでしょう?
第5稿「教育に等価交換はいらない」は、ビジネスマインドがいかに教育分野に馴染まないかを情理を尽くして教えてくれます。
長いですが引用します。
「日本人が教育をビジネスのタームで考えるようになった病的な兆候の最たるものは『教育投資』という言葉ですね。(中略)では、教育が投資だとしたら、いったいその投資がもたらす利潤とは何でしょう。みなさんが、ご自分の子どもに教育投資を行う。高い教育を受けさせる。すると、子どもたちの労働市場における流通価値、付加価値が高まる。子どもたちが学校で身につけた知識や技術がやがて労働市場に評価され、高い賃金や地位や威信をもたらした。その総額が投下した教育投資総額を超えた場合に『���資は成功だった』とみなされる。要するに、教育投資の総額と子どもの生涯賃金を比較して、投資額よりも回収額の方が多ければよい、と」
こう読むと、いかに「病的」かが分かろうというものですが、残念ながら私たちにはあまり病識がありません。
教育の最終的なアウトカムは軽量不能であるという著者の言葉を、私たちは虚心に返って噛み締めるべきではないでしょうか。