妻と私・幼年時代
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妻と私・幼年時代 (文春文庫)
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紙の本
自身を形骸と断じて自死を選んだ江藤淳
2006/09/14 20:56
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:とみきち - この投稿者のレビュー一覧を見る
妻を看取った後に書かれた『妻と私』、それから自死直前の絶筆『幼年時代』を収録。追悼文を福田和也、吉本隆明、石原慎太郎が寄せている。さらに武藤康史編による江藤淳年譜。
『妻と私』は妻が発病してから死に至るまでの日々を、抑えた筆致で描いた記録である。文章の背後から、かけがえのない妻を突然の病魔によって奪われる理不尽さに対する憤りや、その後、自身も死の縁をさまよったよるべなさが立ち現われ、読む者の心にせつせつと迫ってくる。
妻が入院し、モルヒネの投与も開始された頃の記述。
〈新聞だけではなく、私の仕事がよほど気になっているらしく、編集者が本の校正刷を持って病院に現われたときには、一瞬意識が戻り、やや鋭い声で、詰問するように、「あの人、何しに来たの?」と質ねた。「今度出る本の、著者校を持って来てくれたんだ」と説明すると安心したと見え、家内はまた静かな眠りのなかに沈んでいった。
あるいは、家内はこの頃、私をあの生と死の時間、いや、死の時間から懸命に引き離そうとしていたのかも知れない。そんなに近くまで付いて来たら、あなたが戻れなくなってしまう、それでもいいの? といおうとしていたのかも知れない。
しかし、もしそうだったとしても、私はそのとき、家内の警告には全く気付いていなかった。ひょっとするとそれは、警告であると同時に誘いでもあり、彼女自身そのどちらとも決め兼ねていたからかも知れない。〉
そして、妻は亡くなり、江藤は、葬儀に関わる、一切が日常性と実務に埋め尽くされる時にいやおうなく連れ戻される。看病と葬儀等での無理もたたって、葬儀後には前立腺肥大が極限まで悪化し、敗血症寸前になって緊急入院する。その窮状から何とか持ち直して退院し書き上げたのが、『妻と私』なのである。この文をもって江藤は復活した、と思われたのだが、その後、脳梗塞に見舞われ、有名になった次の遺書を残して自死する。
〈心身の不自由は進み、病苦は堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず。自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。〉
最愛の妻を失ったあと、4歳の時に死に別れた母の記憶をたどりながら書き始めた『幼年時代』。江藤はおそらくもう一度、自身の生を辿り直す旅を始める決意だったのだろう、脳梗塞が起きるまでは。生きるためのよすがをもう一度自分で見つけ出し、死から目をそむけるのではなく、生を見つめることによって日常を生きていくための、ほのかな光を見出そうとしたのではないか。
そんな矢先に脳梗塞が見舞った。そして、自死を遂げたのは激しい雷雨の日だったという。ほのかな光は、その雷雨と暴風にかき消されてしまったのかもしれない。