宮本民俗学を理解するための決定版的一冊です!
2020/06/01 10:44
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、民俗学者、農村指導者、社会教育家として活躍された宮本常一氏による作品です。宮本氏は、人々とその職業との関わりと変遷、またお互いの交流・交易のありようとその移り変わりの実態を徹底したフィールド調査によって解き明かしてこられた民俗学研究者として有名で、同書では、海の民、山の民、川の民、村の民、町の民といった様々な人々の生業について研究した宮本民俗学の決定版です。同書の構成は、「序 現代の職業観」、「第1章 くらしのたて方」、「第2章 職業の起り」、「第3章 都会と職業」となっており、宮本民俗学をより理解できる一冊となっています。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
宮本常一の民俗学の代表作で、興味深く読むことができました。徹底したフィールドワークで、素晴らしかったです。
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日本の村と町の様々な仕事の変遷を描いている。山、村、海辺、町での様々な職業をその起源から説き起こし、更に著者が各地を旅した時の見聞を散りばめているので説得力が有る。ちょっと前のほとんどの日本人が、色々な生業に携わり、ぎりぎりの生活をしていたというのに驚かされる。明治以降の新しい産業の担い手が、農村に居場所が無い次三男たちと農村を積極的に離れた女性達で有ったというのも興味深い。今後の日本を支える生業が何なのか考えさせられた。
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江戸時代以前は、藩や国の単位で往来が制限されていた、、というのは武家社会の話で、農民や商人といった一般層はかなり自由に行き来していました。街道とは別に赤線と呼ばれる山間の道を通って、博労や女衒といった人身売買も盛んに行なわれていました。
人身売買というと物騒な雰囲気ですが、戸籍制度が整備される以前には丁稚奉公や養子縁組といった形で子どもにより良い暮らしをさせる選択肢は普通にありました。
たとえば富山の薬売りは有名ですが、それは日本海沿岸で塩づくりをしていた製塩業が、瀬戸内海などでの効率的な入浜との競争に負けて下火になっていったところに浄土真宗の毒消しの製法が広まり、手の余った若い娘が売り歩くようになったのが起源と言われています。
このように労働力の伝播に従って、文化や習慣、そして生業もバリエーションが増えていきます。上流から下流に行くに従って分業制が生まれたり、専業者の村ができたりといった形で専門職がつくられていき、技術が高度化していったのです。
民俗とはこのように、人々の交流と時代の要請に従って移り変わっていくものなのでしょう。まさしく生き物のような生業の変遷を、もっと追いかけていきたいものです。
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青春18切符で旅行中、移動の電車の中で読みました。
地域に生きた人の生業が地域をつくってきて、その軌跡を思い浮かべながらの電車旅。旅行に持っていってよかった。
企業に雇われ働くようになったのはたったここ1世紀の話。
常に貧困と隣り合わせの中で、必死に働き、仕事をつくり日本人は生きてきた。どのような地域で、どのような自然の中で暮らしているかによって、仕事のあり方は違った。仕事×民俗学。地理的、歴史的に俯瞰する本。
面白かったーーー。
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宮本常一は相変わらず、とにかく平易で読みやすい。この本は民間のさまざまな「職業」にスポットライトを当てており、中身も興味深く、宮本民俗学の中でも特に面白い一冊と言えるのではないだろうか。
宮本常一や柳田国男を読んでいて気になるのは、「昔は○○だった」と書かれているとき、その「昔」とはどのくらい昔のことを指しているのだろう、ということだった。
私の推測ではほとんどの場合、「昔」と呼ばれているのはせいぜい江戸時代なのではないか。ただ、農業に関しては、農機具や生活状況は室町時代からほとんど変わっていない、と何かの本で読んだことがある。
民俗学はこのように、しばしば正確な「とき」を明記しない場合があるが、かといって民俗学者は歴史を知らないなんてことは全くなくて、実に様々な史料を手にしているはずだ。
山口昌男さん辺りを参考にすると、おそらく、こういうことだろう。
近代西欧を支配してきた<直線的な歴史観>に対して、近代化以前の日本民俗の宇宙は<円環的な時間>の世界であり、営々とつむがれてきた<庶民>が住まってきたのは、たとえばヘーゲル的な進歩史観とは全く隔絶した空間なのである。
そこには終わりも始まりもなく、人々は喜怒哀楽、生老病死を無限に繰り返しては後代へとバトンタッチしていく。
これはきっと、南方熊楠の<森の生活>に通じるものがあるのだろう。
本書によると、近代的な意味での貨幣経済体制が本格的に動き始めたのもやっと江戸時代である。ただし網野善彦さんあたりはそうは見ていないので、考え方によるところだろう。
貨幣経済が本格的に僻地の<ムラ>にまで届いたのは、きっと江戸時代後期から明治にかけてのことだろう。
その頃、私たちの生活圏は<円環する時間>を永遠に失ってしまったのである。
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物々交換〜行商が、この国の商売のルーツであり、各地の営みと生業(なりわい)が丹念に綴られる。 『芸事』も、施しを受けて来た“流浪の民”が、生きていく為の『売り物』として成り立って来たという説も興味深い。 夏休みの自由研究的に、民俗学を“かじり知った”一冊。
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時代は循環しながら発展していくと言われるもので、高度経済成長時期を過ぎ、人口の減退期にある日本では、自然農やマクロビオテックといった動きが、昔ながらの地方の田舎の暮らしをモチーフとしたイメージ作りとともに、一部で力強いムーブメントとなっている。心理的な側面として、現代社会に対して多くの人が食や経済やらに関して、不安・生き難さを感じているのではないかと想像する。
チャールズ・アイゼンシュタインは「聖なる経済学」の中で、人々に分離感やエゴ意識が高まり、疲弊していく社会を救う考え方として、贈与経済の有効性を述べている。これによればマネー経済は領域を縮小させることになるのだが、それはかつて日本で行われていた暮らしに近いものがありそうに思える。
また、オーストラリアで生まれた持続的な農業を主とした暮らしを実践するパーマカルチャーは、しばしば、日本の江戸期に見られる循環型の社会と比べられる。
この本では、中世・江戸期・昭和30年頃までの日本における経済と暮らしを「生業の推移」としてまとめられている。1965年刊。かつての日本の暮らしを再確認したいと思って手にした。
結果を言うと、明治初期の人口3500万くらいだと、うまく自給できるところも7割くらいあるが、その他3割は物々交換やマネーを介した交換経済が中心であったこと。それも安定的なものではなく凶作も起きるし、出稼ぎや人身売買などもあるし、人が食べていくためには生業も固定的ではなく、いろんな変遷があったことが分かる。江戸時代万歳といった簡単な話ではない。
今の時代は確かにマネーでいろんなものが代替できて、職の自由もあるのだけれど、かえってマネーに縛られることが多くなり、貧富の格差に対する感覚も以前に比べ広がっているとされている。人件費よりも安い化石燃料で機械化され、出荷時期をずらしたことが付加価値とされる今の農業がいつまで成立するものか。
これからの社会のあり方がどう変わっていくのか深く考えさせられる。
一文だけ理想的な自給社会像の例を紹介しておく。
【鹿児島県大島郡十島村宝島】鍋釜鍬鎌のような金具類、材木以外は自給できた。砂糖、塩、タバコ、イモ焼酎、バショウ繊維、生糸、船などは自給した。造船や鍛冶の仕事は技術を持った人が行い、頼んだ人はその間、船大工や鍛冶屋の畑仕事をするという労働交換であった。
島内では金銭は必要なく、島で生産できないものを購入するために砂糖やカツオブシを鹿児島まで行って売った。財産も平均して他人の生活をうらやましがることもなければ、その世界はまさに天国であるといっていい。古い時代にはこのような集落が本土にも広く分布していたと思う。
・・・まるで、「懐かしい未来」のラダックだ。
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2012年改訂版復刊(初版1965年)。著者は武蔵野美術大学教授。
副題「生業の推移」が本書の体を表わす。つまり、各種職業の史的変遷について、著者のフィールドワークとそこから導出される過去の生業の原風景に依拠しつつ解説を加える。
達意の文章か、読み易いからか。その理由は不明だが引き込まれるものがある。例えば、ある漁民の形成例と生活に関し、漁民化の淵源(島での鼠の大量発生と作物の壊滅)と成立過程の説明に際し、熊野との繋がり、釣糸の技術革新、漁法の種類、とれる雑魚を山民に売却する女行商も併せ説明していく。なのに明快。多様な情報を縦横無尽に駆使する様は凄い。
また、農耕用の牛馬の賃貸借が「山」(貸主)と「里」(借主)との間で多く見受けられたとのこと。牛馬は高価で、必要なのは田起こし等の農繁期の一時期のみという点が考慮されたようだ。
また、いわゆる農民が職業民全体の3分の2、他の漁民・商業民・職人が残3分の1という解読には成程の感。
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日本の経済史と産業史を地方を見聞して歩いた経験を持ってまとめようとしたもの。農村で完全に自給自足ができなかったことからいろいろな生業が生まれた。その中で、忌み嫌われるがなくてはならない生業の一部が差別の対象となったことなども記されている。
『民俗のふるさと』の下巻のようなつもりで書かれたとのこと。
宮本常一が社会を見つめる視線は温かいなぁと感じる。
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「家職・家業がしだいに姿を消して、子が親の職業を継がなくなり、出稼ぎから解放されると初めて、近代化したと言えるのであろうが、まだ遠い距離がある」と結ばれている。1965年頃らしいのだが、すでにそんな時代がとうに来てしまっているのだった。
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人々の生活の歴史が詳細に描かれている。
杉は近世になると桶や樽の材料として利用されるようになり、都市で酒が作られるようになると、吉野熊野で大量の樽材が求められた(樽の記述は水の文化史にもあり)。
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むかしの人がどのように働いて、どのように生きてきたか、働き方の移りかわりと生活の移りかわりを紐づけながら追いかけた宮本常一の本です。
それぞれの時代、それぞれの地域の人々が、その時代その地域に合わせてなんとか食いぶちを作ってしぶとく生きてきたのだというのが印象的でした。昔からそうであったようにこれからの仕事のありかたも移りかわっていくのだろうと思え、読み終えて労働感が柔軟になった気がしました。
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「みんなの民俗学」を読んでからまた民俗学づいている。
民俗学の本、読んでるととても楽しい。なにか知識として身についている気は特にしないが、きっともっと大事な何かが身についているはず!
民俗学って、「普段の生活」が時間が経つと「学問になる」というのが面白いと思っている。いっそのこと、今この瞬間が既に民俗学の対象になりうるわけだし。
この本は江戸から昭和あたりの人々の暮らしー農民、出稼ぎ、行商、丁稚奉公、女性の仕事など、なんかよく見るテーマから、物乞い、被差別職業、人身売買など、おおっぴらに語られなさそうなものも研究対象の一つとして平等に紹介しているのがとても良い。
ただ、それぞれ一つのテーマを別々に紹介していくというより、「すべてが繋がっている」ように説明してくれるので理解しやすい。
あとは昔は良かったみたいな風潮あるが、昔のクソなところは本当にクソというのはちゃんと理解しておかなきゃとはやはり思う。昔はなにより人の命が軽すぎた。
また、日本の古い言葉は漢字の読みも含め、今の観点から見直すととてもエモいので覚えていきたい。
かもじ: カツラ
販女 (ひさぎめ): 魚売りのこと
杣 (そま):古代から中世にかけて律令国家や貴族・寺社などのいわゆる権門勢家が、造都や建立など大規模な建設用材を必要とする事業に際して、その用材の伐採地として設置した山林のこと
オーレン:黄連という生薬?
塩飽諸島 )しあく) 香川県
雑喉場 (ざこば) 大阪
水分 (みくまり)
特牛 (とつこい)
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読了して、民俗(学)というのは、理想ではなく現実だという思いを強くしました。宮本常一「生きていく民俗」、生業の推移、2012.7発行(1965.2刊行、1976.5文庫化)。長い間、女の勤め口といえば、小学校の先生か女工か女中くらいのもの、大半の娘は家にいて嫁に。(でも、農家には嫁に行かぬ) 戦後、有名大学卒業という条件はあるものの、男女とも、職業が自分の好みで自由に選ばれるようになった。でも、大会社は小会社に、中央官庁は地方官庁に、官吏は一般民衆に、優越感を抱き、職業による貴賤感はいまだ根強い。