紙の本
とてつもない任侠の人
2020/03/28 18:07
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投稿者:井沢ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
下巻は上巻ほど面白くワクワクして読めなかったが、明石家万吉、別称、小林佐兵衛の世間に対する貢献度のすごさを知った。旧長洲系の政官に利用されて全財産を投入、大阪の消防局の走りを作ったり、身体障碍者や貧困層の生活を支え職業訓練を施したりして世間に尽くし余人をもって代えがたい。死を恐れず立ち向かい自分を犠牲にして人助けをするという請負い仕事を生活の糧にしていたが、とても同じようなことをできる人はいない。今回初めて知ったが、もっと評価されて巨匠として歴史上で紹介されてもいいのではないかと思える。
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武士物が多い司馬遼太郎氏の作品としては珍しい任侠物。
実世界はもちろん、物語の中でも会った事がない、変わった人「明石屋万吉」の話は面白かった。
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わが人生は一場の「俄」のようなものという明石家万吉の人生訓が、理解できるのがこの後編。時代は、ちょうど長州藩が京都で負けたあたりから万吉最後のおお仕事までの話。前編ほど痛快ではないが、万吉の度胸と運の良さは顕在。しかし、時代の変わり目からか少しこころに余裕があったのかいろんな葛藤がえがかれている。そういう意味では前編よりも少し感じる部分がおおい。
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幕末の動乱の中、初志貫徹する明石家万吉の粋な生き方が描かれている。司馬遼太郎は、幕末ものだと、こういう男を描くのが得意だね。最初の期待が薄かったので、かなり満足度高いね。
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浪華遊侠伝 幕末から大正を生き抜いた大侠客、明石家万吉(小林佐兵衛)の生涯。銭取屋、どつかれ屋、市中警備、賭博元締、相場妨害、幕軍傭兵、相場師、消防、病院、養老院、少年院、選挙妨害、実社会との接点は様々な形知変わるが、一貫した狭義心と、人社会の底辺に、それでも何物にも囚われずに独り立ちすると言う徹底した覚悟で、幕末から維新の激動の時代を生き抜いた人。生き様が侠客という言葉そのものの定義。
後の完成された作品に多い武士の視点とは異なり、一般市井の底から幕末維新を眺める事で、同時代がより立体的に浮か上がる。蛤御門の変、鳥羽伏見の戦い、新政府による旧幕時代権威の粛清、堺でのフランス人打ち払い事件と新政府の対応、その顛末は全く新しい史実として学んだ。
並の弱いひとりとして、究極の怪態な男に憧れます。
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自分の命を粗末にする主人公に次々とやってくる難解なミッション。今度こそ死ぬんじゃないかと心配でたまらない。読んでいる自分が本の残ページの厚みに命の安心を求めてしまうという・・・こんなことは初めてだw
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さて下巻です。
以下いきなり多少、ネタバレ。
大雑把に言うと、幕末の混乱期。
万吉、基本は幕府側の流れになっていますが、長州が没落したときに、落ち武者刈りを命じられてるのに「かわいそうだから」という理由で逆にかくまって落ち延びさせる。
それが理由で幕府側から殺されかかる。
にもかかわらず、また頼まれて、鳥羽伏見の戦いに、幕府側として参戦、惨敗。
維新政府に死刑にされると思いきや、かつて志士を助けたご縁で生き延びる。
明治になって、混乱期に右往左往するが、かつての縁で米相場師となって金持ちに。
「頼まれたから」自腹で自警団、消防団、難民救済所までイロイロ趣味で作って、顔役として長生き。
まあ小説は、40代50代くらいまでで、よくある司馬作品と同じでにょろっと終わります(笑)。
それでも全然面白い。
基本的には事件の羅列なんですけどね。一個一個の事件は、まるでその場にいたかのように迫真で描く。
どの場面も、バカが商売、阿呆が元手、痛みと破産を恐れずに、死んでモトモト侠気稼業の痛快さ。
大切なのは、オトコとしての評判と面子。弱いものいじめだけはできません。あとは自分がナットクすること。強がりプライド空元気。
それでも司馬さん好みにウェットじゃなくて、どこか飄々、淡々、イデオロギーも恨みつらみも、どこ吹く風の町人精神。
そして、他の司馬作品と同じで、タマタマ万吉さんは、幕末維新を生きた。なので、そこは乱世。世が世ならただのヤクザの犯罪人が、なぜだか武士になる。
なぜだか大阪の治安を守る。なぜだか桂小五郎を助ける。
結局、維新の当事者はみんな武士なので。
維新というものを大阪の町から見上げると、こんな風景だったんだなあ、と。
そういう気分や発見があるのも、司馬作品の常連読者としては楽しいですね。
そしてやっぱり、大阪にいる間に読んでよかったなあ、と。
地名が分かるっていうのも大きいし、気分がわかるなあ、と思います。
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ちょうど十月に、歌舞伎の「夏祭浪花鑑」を見ました。大坂の侠客のあんちゃんが主人公で愛之助、世話になってる親方みたいなおやじが翫雀、というキャストでとても楽しんだのですが、この「俄 浪華遊侠伝」もまさに「舞台は大坂」「侠客もの」ということで、タイムリーに楽しめました。
以下備忘メモ。
*主人公の万吉が、かっこいい。特に印象に残っているのは、「男稼業は泣くな」のシーン。
*万吉その他の侠客仲間は、決して思慮深いタイプの人物ではなく、勢いと男気あふれる台詞を軽快な大阪弁でしゃべる。それだけでなんとなくおかしみがあるというか、かっこつけてない雰囲気になる。ように感じた。
*幕末の動乱にも巻き込まれるのだが、新撰組の歳三も登場してきちんと絡みもあったりして、嬉しい。その他、他の幕末作品の主人公も少しずつ登場する。豪華な気分。
*万吉が新撰組に捕らえられて蔵の中で寒さに打ち勝つために踊るシーンは、病院の待合室で読んでいたのだけど笑いを堪えるのにとても苦労した。
*堺での土佐藩士たちの切腹。切腹シーンそのものも、そこへ至る過程も、迫力あってドラマチックで、読ませてくれた。
*堺筋が堺につながっているということを、ちょっと考えればその通りなのに、この本を読むまで気づかなかった。
*全体的に面白かったが、わかりやすいただひとつのクライマックスというのはない。まあ、人の一生だから、そうよね。
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おもしろかった。
命を捨てる稼業。
幕末から明治にかけて生き抜いた 極道。
男のかわいげ を充満させる。
明治という国ができていく過程がつぶさに語られる。
伏見鳥羽のたたかいの裏側が 明らかにされている。
薩摩は 策士が多い。
錦の御旗のでき方が,なるほどと納得。
明治の時代が まるでパロディみたいである。
愚直に 時代を見ていることが すっきりする。
それにしても,徳川幕府が瓦解していく有様が
あっけなさすぎる。
そういうなかで 明石屋万吉。
運が強いだけでなくいさぎよい。
頼まれ稼業を 有無を癒さず,実行する。
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ヤクザながらも力で人を押さえつけるのとは違う戦法で成功を収めて行くのが面白い。どんな難題も命をはって堂々と受け止める万吉の生き方は爽快でかっこいい。周りの権力に流されず、命を狙われている長州人達を助ける心意気も粋。
新撰組の1人が万吉を狙うも斬れなかった場面の部分が印象深くて好き。
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【読了日】
2014.05
【タグ】
時代小説 幕末 大坂 大阪
【経緯】
・今さら司馬遼を読んでみようキャンペーン
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・幕末から明治、大正にかけての実在の侠客が主人公。
・武士の少ない町大坂で「どつかれ屋」から身を起こした貧しい少年が、任侠の世界で頭角を現し、堂島米相場で財をなし……というふうに出世していく前半が特におもしろい。
・時は折りしも幕末、維新の直前。シンプルな親分の出世物語では終わらない。幕府側は親分のごろつきども動員能力、統率能力を利用しようとする。
・大坂は海上交通の要衝だけに、海からいろんな人物がこの町に潜入するところもまた読みどころ。長州藩士もかなり潜伏していたらしい。親分は幕府側につきながらも、長州の男達に好ましい感情を抱いているらしい。
・次郎長と生きた年代、世界がかぶる。次郎長の親分は明治新政府に協力している?
明石屋万吉(小林佐兵衛) 1829(文政12)-1917(大正6)
清水次郎長(山本長五郎) 1820(文政3)- 1893(明治26)
・俄というタイトルは、親分が自らの人生を振り返って「まるで俄のようだ」と述懐した、という設定から。
動乱と新時代到来の世の中を渡っていく劇的な生涯であり、一幕の芝居のようだという意味がこめられていると思われる。
・「まるで芝居(=歌舞伎)のようだ」とは言わなかったのはなぜなのか。当時あるいは司馬の執筆当時に「俄」が持っていた意味合いが、現在の私には明確に通じないが、次の個人的興味もまたそこにある。
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下巻読了。
身体を張りまくった万吉の生涯。
上下巻と合わせて結構ヴォリュームありましたが、一気に読めてしまいました。
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この位、破天荒でないと歴史に名
が残らないのだろうなぁ。いつ死んでもおかしくない生き方。数人分の人生を送ったとしか言いようがない。そこで、名士、奇人と出会うのだろう。
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町人の街大坂が明治維新の流れに巻き込まれる中、侠客の明石家万吉の波乱の人生。上下巻の下巻。
司馬遼太郎の作品、随分と読んだつもりであったが見逃していた作品。「手掘り日本史」で紹介されていたのを機に読んでみました。米相場師だった司馬の祖父の姿が万吉に投影されているらしい。
司馬の本当の魅力は本書のような司馬の出身、大阪の言葉、風俗、文化を活かしたものにあるのかもしれない。
明治維新の流れの中、私欲なく行動する万吉。見返りを求めぬ姿を天は見ているのだろう。決して粗略に扱われない。
本書で初めて知ったのが堺港攘夷事件。万吉の仁義も見事だが、本書とは違った視点で掘り下げてみたい。
テンポよく痛快な娯楽対策。日本史に名を残す人物でなくとも楽しめる作品、ぜひご堪能あれ!
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(ええっ)
と万吉は内心、叫びたくなるほどの驚きで建部小藤治をながめた。考えてみればこの小役人は、わが藩とわが身可愛さのあまり、万吉を他人の手で殺そうとしてきた男ではないか。
それが、
「頼む、わしも一緒に連れて行ってくれ」
というのである。
(全く、妙な生きものやな)
万吉は腹が立つよりも感嘆したい思いで建部小藤治を見ている。
建部にすれば、もともと万吉に悪意もなければ幕府に忠誠心もない。ただただひとえに自分の信念のなさと小心のために強いほうになびいているだけのことだ。
(世の中の人間はどいつもこいつも建部小藤治と似たようなものや。建部だけがおかしいわけやない)
万吉はそう思った。
むしろ建部小藤治は善人なのである。善人とは小心で毒にも薬にもならなくて一向に前後の見通しがなく、常に大きいものに巻かれることをもって生き方としている人間とすれば、建部小藤治は善人の標本のようなものだ。
(まあ、ええおっさんや)
万吉はそう思うのである。しかし考えようによっては善人ほど始末のわるい悪をする者はない。建部のこんどの行動などはその格好な例だろう。万吉を殺すために京につれてきたことも、「大公儀のため、御家のため」という立派な「善」に装飾されている。この善のために、殺される万吉の方こそいい面の皮だが。