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電子書籍
デモクラシーの冒険
著者 姜尚中 , テッサ・モーリス・スズキ
1100万人を超える人類史上最大の反戦運動もむなしく、アメリカとその同盟国は、ついにイラク攻撃に乗りだします。デモクラシーを高らかに謳いあげる国々による圧倒的な暴力は、人...
デモクラシーの冒険
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デモクラシーの冒険 (集英社新書)
商品説明
1100万人を超える人類史上最大の反戦運動もむなしく、アメリカとその同盟国は、ついにイラク攻撃に乗りだします。デモクラシーを高らかに謳いあげる国々による圧倒的な暴力は、人々の意志が政策に反映されることのない絶望的な光景を、かえって浮き彫りにしました。果たして、政治はひと握りの人間によって決定され、他の者たちは粛々とそれに従うほかないのでしょうか? 本書では、世界的に進行するデモクラシーの空洞化を多角的に分析しながら、私たちの政治参加の可能性を探ります。日豪屈指の知性による、深くて鋭い盛りだくさんの対話劇。「イラク戦争以後の民主主義入門書」を片手に、いっしょに考えてみませんか? 【目次】序章 ヤギさん郵便、あるいはデモクラシーの議論への誘い/第一章 デモクラシーの空洞化――冷戦構造崩壊後、自由は勝利し、それによって自由な選択肢はなくなった/第二章 グローバル権力の誕生小史・第二次大戦後50年――国家と企業の癒着、民営化/第三章 政党、世論、ポピュリズム――デモクラシーのブラック・ボックス/一 政党をめぐるおしゃべり/二 世論をめぐるおしゃべり/三 ポピュリズムをめぐるおしゃべり/第四章 直接民主主義と間接民主主義――デモクラシー思想の歴史と「外国人」/第五章 間奏曲「月夜の対位法」――デモクラシーは酸素なんだよね/第六章 ふたたび「暮らし」のなかへ――今、私たちに何ができるのか/一 想像力を奪うものへの抵抗/二 グローバル権力と、内なる無力感への抵抗/あとがき/人物・用語解説/みんなでつくるデモクラシー・マニフェスト
目次
- 序章 ヤギさん郵便、あるいはデモクラシーの議論への誘い/第一章 デモクラシーの空洞化――冷戦構造崩壊後、自由は勝利し、それによって自由な選択肢はなくなった/第二章 グローバル権力の誕生小史・第二次大戦後50年――国家と企業の癒着、民営化/第三章 政党、世論、ポピュリズム――デモクラシーのブラック・ボックス/一 政党をめぐるおしゃべり/二 世論をめぐるおしゃべり/三 ポピュリズムをめぐるおしゃべり/第四章 直接民主主義と間接民主主義――デモクラシー思想の歴史と「外国人」/第五章 間奏曲「月夜の対位法」――デモクラシーは酸素なんだよね/第六章 ふたたび「暮らし」のなかへ――今、私たちに何ができるのか/一 想像力を奪うものへの抵抗/二 グローバル権力と、内なる無力感への抵抗/あとがき/人物・用語解説/みんなでつくるデモクラシー・マニフェスト
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紙の本
無気力からの脱却へ、個々人からの発信を
2008/10/16 09:10
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
政治に対する無力感が蔓延している。どうせ何をやったって世の中は変わらないよと。
80年代は、無気力とか言われながら、ユニークな市民運動が各地に生まれていた。だが90年代に入ると、世の中全体を無力感が覆うと同時にナショナリスティックな言説や、外国人差別、弱いモノいじめが広がった。
なぜそうなったのか。
経済のグローバリゼーションがその背景にあるという。大工場などを背景に発展した労働組合は、よりコストが安い国や企業に生産をまかせてしまうから、労働者同士の団結がなりたたず、力を失う。矛盾は弱いところへ弱いところへと押しつけられる。
WTOでは企業の論理ばかりが幅をきかせ、国民国家が判断をできる幅が狭まってきた。アメリカ以外の政府は、どんな政党が権力をにぎっても、WTOの権力に対して、ほとんど影響力を行使できない。与党でも野党でもグローバルな権力を変えられない。何をやってもムダという意識が浸透した。
政党も、差異がなくなってきた。日本では小選挙区制の導入が大きかった。オーストラリアでも「イラク戦争反対」を言えば票を失うため、労働党でもそう主張できなくなっていった。
安定はしているけどどうせ選択肢はない、という閉塞感に覆われたとき、安心して叩ける「敵」を見つける。北朝鮮であり、人種差別であり、学校のいじめでもある。
では、こんな社会で私たちは何ができるのか。
デモクラシーの「消費者」であってはいけない、という。
企業の知的所有権は、グローバル企業の利益を守るものだ。ことにエイズ治療薬は、企業の知的所有権強化のせいで、安価なコピー薬品が製造できなくなり、途上国では薬ものめずに多くの犠牲者がでた。ブラジルと南アフリカが反旗をひるがえし、安価な薬を使えるようにした。NGOなどのネットワークが両国を支えた。ブラジル憲法が88年に生存権の規定を入れていたことも、その支えになった。ナショナルな憲法とグローバルなNGOなどが結びついて闘った成果だった。
一歩でもいいから、たとえばホームページを作るだけでもいいから、動け。発信せよ。「デモクラシーの消費者」であることから脱せよと説いている。
紙の本
衆愚政治がつくられる
2007/07/20 04:46
7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
憲法「改正」のための国民投票法が成立し、与党自民党は悲願の憲法「改正」に向け、今後、一層、形振り構わぬ推進姿勢を見せてくることが予想される。
国民投票法が成立した今となっては、現行憲法を守るためには、国会で出される改憲の発議を国民投票でもって否定するしか道は残されていない。
護憲を求める者の一人としては、いささか心もとない。
やはり、国民投票法の成立断固阻止が、憲法擁護の絶対条件だったのではないか。
そもそも国民投票法自体の必要性については、法の成立までに様々な意見があった。改憲派がそれを必要であるとしたのはもちろんであるが、護憲派の中にも国民投票法自体は必要であるとする意見が結構聞かれた。「正々堂々、国民投票により護憲が選択されるべき」といった類の意見である。
結局、国民投票法阻止の陣営は一枚岩とはなりえず、法案は成立してしまった。
今、各地の地方自治体で行われている住民投票は、確かに有効に機能していると思う。
原発や基地、産廃処分場などの誘致是非を問う住民投票の結果は、法的拘束力はさておき、各地の首長も無視できないものとし貴重な抑止力を発揮している。権力の暴走を抑える役目を果たしている。
しかしである。やはり私は、憲法「改正」のための国民投票法だけは、成立断固阻止が、憲法擁護の絶対条件だったのではないかと、今さらながら思う。
それは、自民党をはじめとする改憲勢力の憲法「改正」に向けての執念が、とてつもなく大きいからだ。そしてそれに対する野党があまりにもふがいないからだ。さらには、本来なら弱者、有権者の立場になって、有権者に味方すべきジャーナリストや知識人たちの現在が、あまりにも頼りないからだ。
あえて挑発的に言えば、今の改憲勢力の力をもってすれば、「衆愚政治」がいとも簡単につくられてしまう可能性があるからだ。
それは、例えば、小泉パフォーマンスへの圧倒的な国民の支持、有事立法成立の際の大勢翼賛的国会運営、統一地方選での腐敗した現職圧倒的有利といった状態から見て容易に推測できる。
本書を読んであらためて意を強くした。
本書より抜粋。
『民主主義的なものと実際の政治の間に、ものすごいズレができあがってしまった。・・・デモクラシーにも似たようなところがあります。どのボタンを押しても反応がないから、どのボタンも押さなくなってしまった。』『デモクラシーを支えている人たちの声と、本来はそれをすくいとってくれるはずの政党、あるいはいろんなメディアが垂れ流す情報や言説の間には、大きなギャップがあるんですね。・・・ほんとうに多くの国民を代表している声なのか。』『民主主義がフィクションであることは誰もが知っているから、無力感や徒労感のようなものが蔓延してしまう。・・・自分とは無関係な「民主主義的な」世論が存在するかのように錯覚させられて、自分とは無関係に政治は動いていってしまう。』
二人の本当の意味での知識人が、知の冒険に誘ってくれる。
紙の本
「あなたは、自分たちが暮らしているこの世界をより良い方向に変えていくことが可能だとしたら、そうすることを選びますか」
2004/12/14 10:24
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:植田那美 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は一言で述べれば「金で買える民主主義」を「金では買えない民主主義」に変えていくためのガイドブックである。姜尚中とテッサ・モーリス−スズキという2人の著名な学者の対談集でもある本書は、拝金主義的経済の論理に従属した民主主義の空洞化を克服し、「それを望むすべての人々」の手で民主主義を再創造しようという思考の探索図で充ちており、私たちの「デモクラシーに対する乾いた不信感」と「そうしたことに決定的な関わりをもつのを控えたいという防衛機制」を粉砕してくれる。「デモクラシーに「消費者」なぞ存在しない」と宣言する著者らは、経済的強者の決定事項に同意をする権利のみを与えられた「観客民主主義」の「消費者」から私たちが脱却するために、具体的に以下のことを提案する。
(1)インターネットを始めとする非主流のメディアを利用し、殺される側あるいは抑圧される側の視点に立って考える。例えば主流メディアが「自衛隊の人道支援」と称する同じ現象が非主流メディアでは「占領システムへの荷担」と呼ばれることなど。
(2)デモクラシーについての自分のアイディアを少しでも発信する。例えばネット上で「支持政党なし党」の結成を呼びかけるなど。これについてはすでに「老人党」というなだいなだ率いる(?)ユニークな政党が存在するので参考になるだろう。
(3)みんなでデモクラシー・マニフェストを作る。本書の末尾には10条のマニフェストが用意されており、6条から9条までが読者のために空白になっている。ちなみに私は「すべての人間に尊厳があることを認める」「誰もが同じだから平等なのではなく、誰もが違うからこそ平等なのだと知る」「自分の権利を守るために他者の権利を守る」「1日1回以上は不条理なことを見つけて怒る」という4つを書き込んでみた。あなたならどんなマニフェストを考えるだろうか。
言うまでもなく、著者らの提唱する「もっとも不利益をこうむる者が、もっとも発言力をもつ」という原則を実現する民主主義への道のりは遠い。特に「戦争もしくは政治に寄生した資本主義」や「政党というブラック・ボックス」、小選挙区制の導入が私たちを無力感で苛み、「その無力感に根ざす自己嫌悪」が在日外国人やホームレスといったマイノリティに対する「憤怒や排斥のエネルギーに反転」してしまっている現在の日本ではなおさら、遠い。しかし、民主主義を「決して完成されることがない」「絶えず未完成であり続ける」冒険そのものだと定義する本書を読んでいると、その冒険には楽しみながら試す価値がある、と素直に思えてくる。
“There is no way to peace. Peace is the way”という言葉がある。おそらくは民主主義も、そうだ。
紙の本
リゾートでの優雅な対談
2005/12/11 05:35
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
学ぶべき点もあったが、違和感も多かった。その違和感を中心に感想をば。
1
《デモクラシーに「消費者」など存在しない》
そうかなあ。なんか消費者のことを、「消費するだけの人」としか見なしてないのね。「消費者主権」という言葉もある。消費者としてものを言い、行動する人も大勢いる。一般の消費者はもちろん、消費者運動をやっている人に対して無体な発言に思える。
2
冒頭、マルティン・ニーメラーの有名な言葉--大意、「行動した時にはもう遅すぎた」--が掲げられている。
次は、あとがきから。
《わたしたちは、読者が一ミリでも、一センチでも、具体的な行動に踏み出して欲しいとの願いをこめ、この対話の企画を思い立った。》
お二人がそう考えるのは、デモクラシーの現状に強い危機感をもっているからだ。「デモクラシーの空洞化」や「惨状」、「瀕死の重病に冒され、死期を迎えようとしているように見えることがある。」・・・と相当なものだ。
しかし、この「性急な行動要請」には、イマイチついていけない。それは仲正昌樹氏の『不自由論』での、「気短な人間はやめよう」という呼びかけに共感したこともある。「今すぐ行動しないやつはダメだ」というレッテルが、これら危機感の裏に張り付いているように見える。
さらに、それだけの危機感をもって臨んだはずの対談が、何とも優雅な休暇風ときてる。
主な舞台は、オーストラリアの風光明媚なリゾート地ハミルトン島。広々とした、コテージでの対談。カートを運転して、レストランへ食事。のどかな美しい景色(写真つき)。冒険どころか、緊張感のかけらも感じられない。
メールやファクスで遠隔の人と簡単にやりとりができ、搭乗券も容易く手に入れられて、オーストラリアのリゾートに気軽に行けるようになったなんて、デモクラシーが多少なりとも根を降ろし、「グローバル化」が進捗してるからできることじゃないの?・・・と皮肉ってみたくもなる。
3
「みんなでつくるデモクラシー・マニフェスト」から。
《もっとも不利益をこうむる者が、もっとも発言力をもつ。》
それなら、北朝鮮による拉致問題は、被害者とその家族が「もっとも発言力をもつ」はず。力をもったから、世論の支援を引き出し得たはず。
ところがこの問題だと、こんなコメントになる。
《姜 たしかに、当事者たちへの理解は大切なことです。しかし、ある事件や事故の被害者に対する過剰な感情移入が湧きでてくるときには、まずは自分に対して冷静になったほうがいいと思います。そんなときは、往々にして、自分のなかの加害者性が見えなくなっているときが多い。》
アーレントも指摘する「同情の政治」を批判するという文脈なら、分からないでもない。ならばそれを貫くべきだろう。
《姜 とにかく、国交正常化は何よりも優先すべきことです。》
これでは、マニフェストの適用範囲が偏っていて整合性がない。
4
本書に通底する違和感は、お二人にとっての「善きもの」だけを、「民主的」「デモクラシー」としているように見えるところ。その反対は、デモクラシーの後退としてしまう。
それって、デモクラシーに対する理解が一面的だとしか思えないのだが。
例えば、ある文章の一節。
《もしも最高裁で非民主的な体制寄りの判決が出た際に》
まったくの独裁国家ならともかく、完全ではないが、一応日本は民主制を敷いている。「体制寄りの判決」=「非民主的」と読めるような(というか、そうとしか読めない)表現は、フェアじゃない。その場合の、政府やそれを支持する側も、同じデモクラシーの担い手であるはずだ。
お二人の反対者にも、フェアじゃない人が多いのは認める。
それでも(偏見から完全に逃れ得なくとも、リベラリストでなくとも)、できるだけ「公平・公正」に物事は見たいもの。お二人にはその矜持があると思っているだけに、少し残念だった。