- 販売開始日: 2015/09/30
- 出版社: 早川書房
- ISBN:978-4-15-050353-6
妻を帽子とまちがえた男
著者 オリヴァー・サックス , 高見 幸郎 , 金沢 泰子
妻の頭を帽子とまちがえてかぶろうとする音楽家、からだの感覚を失って姿勢が保てなくなってしまった若い母親……脳神経科医のサックス博士が出会った奇妙でふしぎな症状を抱える患者...
妻を帽子とまちがえた男
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商品説明
妻の頭を帽子とまちがえてかぶろうとする音楽家、からだの感覚を失って姿勢が保てなくなってしまった若い母親……脳神経科医のサックス博士が出会った奇妙でふしぎな症状を抱える患者たちは、その障害にもかかわらず、人間として精いっぱいに生きていく。そんな患者たちの豊かな世界を愛情こめて描きあげた、24 篇の驚きと感動の医学エッセイの傑作、待望の文庫化。
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人間らしさ、ということ
2010/05/24 23:40
17人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
心理学や脳神経科学の本では、脳機能の欠損によって人の顔が分からなくなる顏貌失認という症状や、自分の手を自分のだと認識できないといったような症状に見舞われた人の例が参照される。現象として非常に興味深く、脳機能の分析にとっても有用なのだろうけれど、では、その失認症などに罹った当人にとって、それはどういうことで、その人たちはどうやって生活しているのか、という具体的な状況は見えてこない。心理学の理論などの概説という本の性格からいって仕方がないのだけれど、そうした人たちの世界観というのはやはりとても気になるものだった。
で、ちょうど文庫化していたこの本を見つけて、タイトルからしてこれだ、と思い読んでみると、まさにど真ん中。サックス本人が診察し、観察した患者たちのありようが丁寧に描かれている。
私の興味に合致したからというだけではなく、これはホントいろんな人に読んで欲しいと思う。神経科の患者の症例集ということで、珍しく興味深い症例が豊富にあり、のぞき見的好奇心を掻き立ててしまうところもあるけれど、そういう読者の首根っこをつかんで、患者が被る社会的な問題にも眼を向けさせ、さらには通俗的な「人間性」のイメージを突き崩して、さらにより広いレンジから「人間」を捉え直そうというきわめて大切な試みがなされている。
この本で記述される患者たちの症状は、多くが認識や知能、あるいは記憶といった、「理性」、「知性」という一般に「人間らしさ」の根幹に障碍を負っている。脳、神経の障碍は、やはり身体的機能の障碍とは意味が違ってくる。人権問題にも直接繋がっていくようなきわめてデリケートな問題でもある。
表題になっている「妻を帽子とまちがえた男」は、人の顔が認識できなくなる顏貌失認の症例で、題の通り、妻と帽子が区別できなくなるというような障碍が起きる。それ以外ではごく普通の人物であるにもかかわらず、だ。
パーキングメーターを生徒とまちがえてなでてみたり、ドアノブに話しかけて返事がないのを訝しんでみたりと視覚的認知能力が失われ、音楽家としての資質があり音楽教師として優れているけれども、日常的行動にも困難を来してしまう。そんな彼だけれど、歌を歌っている限りは行動に支障を来さず生活することができる。途中で邪魔が入り、歌が中断されると途端に糸が切れたように何もできなくなってしまうため、彼の日常生活はつねに歌いながら行われる。歌がなければ生活できない。
かといって本書ではそうした悲劇的な話ばかりではない。障碍と才能が表裏一体のものでもあることがいくつもの事例で描かれている。
トゥレット症候群、というチック(つい何かに手を触れたり、体を動かしたり、奇声をあげたりといった不随意的な行動)を引き起こす障碍があり、レイという患者は攻撃性や粗暴性を抑えられず、会社勤めや結婚生活に支障を来していた。しかし、知能は高く機知にあふれ、なによりジャズドラマーとしての素晴らしい才能があった。突然襲ってくるチックの衝動性を利用した、意表を突いた即興演奏が彼のドラムの魅力だった。彼は様々なゲーム、スポーツも得意で、即興性と反射神経にあふれた機敏な動きを見せる。
ハルドールという薬をレイに投与すると、チックが抑えられると同時に、機敏さや即興性、つまりドラムの才能が失われることがわかった。二十数年チックとともに生活してきて、チックであることも自身の重要な一部だというレイにとって、自己表現の手段でもあり、生計の手段でもあるドラマーとしての資質が失われることは看過できない。そのため、彼は平日はハルドールを飲んで普通の人として暮らし、休日になると服用を辞め「機知あふれるチック症のレイ」としてドラムの才能を活用しているという。
「レイはトゥレット症にもかかわらず、また、ハルドールによって人工的なものを強いられ、よって「不自由」であるにもかかわらず、それをうまくやりくりして満ち足りた生活をしている。われわれの大半が享受している自然のままの自由という生得権をうばわれているにもかかわらず、満ち足りた生活をしている。彼は自分の病気に教えられて、ある意味では、それを乗り越えたのだ」
病者の存在を矯正すべき異常のみと見る見方、それが本書では退けられ、障碍という得難き才能、多彩な充足、幸福のあり方が取り上げられている。知的障碍、自閉症、その他の脳神経系の疾患が受けやすい偏見を取り払い、彼らにも彼らの世界、意味があるのだと指摘してみせる。彼らもまた人間であるということを強く印象づける。彼らの世界の豊穣さと同時に哀しさもまた描かれている。
彼らのそうした世界の個性、特性を無視して、健常者の社会に従属させるようなものを治療と呼んで良いのかという疑問が投げかけられる。「かわいそうな障碍を持っている」から「彼らを健常者にできるだけ近づけなければならない」というロジックが果たして正しいのか、ということ。そうした処置はしばしば、彼らの長所や充足を否定し、せいぜい平均より劣った健常者として社会に包摂する結果となる。「機知あふれるチック症のレイ」は病者の長所と健常者の社会とを意図的に使い分けることができた希な例だけれど、より重篤な自閉症や障碍となると、そうした器用な生活は難しくなる。
数に対してきわめて敏感で特殊な能力を持っていた自閉症の双子(この双子の素数による「会話」にサックスが参入したシーンは本書でももっとも印象的な場面のひとつ)が、矯正を施されて明らかに生の喜びを失い、「小遣い稼ぎ程度の仕事」に従事するより他なくなってしまった、という非常に悲しい例がその一例だろう。
ここで例示してみたのはごく一部でしかなく、私の取り上げ方もひどく単純化されたかたちに過ぎないので、是非ともじっさいに読んで欲しい。この本には、社会的にも、芸術的にも、心理学的にも、科学的にも興味深い、示唆あふれる事例と観察と議論がある。重篤な障碍を持ちつつも社会的に地位を得、生活を送れるようになるといった幸福な話も、障碍に潰されたまま、立ち直れない哀しい話もある。
とにかくも、間違いなく名著と呼ぶべき著作でまあ既に有名な本なのだけれど、まだ読んでいないという人で、ちょっとでも興味があれば是非とも薦めたい。素晴らしい。
もうちょっと長い元記事
素晴らしい作品です
2021/09/21 21:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:飛行白秋男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間としてのアイデンティティを大切にされる作者の深い深い思いやりというか、人を愛する姿。感動以外にはありません。
少し厚い本ですけれど、ぜひお読みください。
生き方が変わりますよ。
病気と治療
2018/05/07 14:30
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者が、病気を治すべき悪いものと決めつけていないところが面白い。ともすれば、病気が発生するメカニズムを解明し、症状をなくしたり和らげることに注目しがちだが、神経症の場合、それは必ずしも問題解決に繋がらない。治療が新たな困難を生み出す場合があるからだ。
病気と向き合う患者の視点に立ってものを考え、治すよりも患者のより良い人生が送れるように配慮する著者の姿勢は医療のあるべき姿だと思った。