「感字」ではなく
2019/08/30 18:11
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投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
非常に面白く読みました。
最近とみに増えている、いわゆる「キラキラネーム」についてまとめた一冊。奇抜な名前の紹介に止まらず、日本における漢字の歴史など、内容も多岐に及びます。森鴎外の長男、於菟(おと)という名が漢籍に由来するなど初めて知りました。奥が深い。
オススメ本です。
本当は「キラキラネームをつける人たち」に読んで欲しい本
2016/12/16 17:30
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投稿者:木置場住人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
帯にある「漢字の奥深さがわかる」は大げさではありませんでした。
戸籍法の「名前の読みに制限なし」が前提にあるのかもしれませんが、キラキラネームをつける人たちが多くなった背景を歴史的な観点も踏まえ1章ごとに丁寧に分かりやすく解説してくれました。コラムも面白く一読の価値があります。
ただ、「『漢字』を『感字』にしてはいけない」という筆者の結論も、やまとことばを漢字を使って表すことに苦労した先人の苦労も、この本を読まない人たちには届きそうもなく、カジュアルに漢字を使う世代が外人の「変な漢字タトゥー」を笑わなくなる日は来ないことを祈りました。
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どうやって読んだらいいのかわからない名前が増えてきている。例に上がっているのが以下の名前だ。
1.「苺苺苺」
2. 「紗冬」
3.「愛夜姫」
4.「手真似」
モクモク羊は、「いちごたくさん」、「さゆ」、「あやひめ」、「てまね」と思ったが、甘ちゃんだった。正解は、「まりなる」、「しゅがあ」、「あげは」、「さいん」。
著者によると、このような名前を付ける親は一部の特定の人たちに限らない。むしろ、日本語の歴史をたどると「無理読みは伝統だった」と述べている。
今でもキラキラネームに対して批判している人はいるが、今に限ったことではなかった。古くは「徒然物語」の著者の吉田兼好や、江戸自体の国学者の本居宣長が痛烈に批判している。
明治維新で文明開化が起こった時、西洋から入ってきた概念や物に対してそれ相応に見える漢字を当てて新しい日本語の一丁出来上がりで大量生産してきた。
人命に関してもなかなかきらりと光る名前がある。1959年に出版された『名乗事典』(荒木良造編・東京堂出版)を著者は紹介している。その中で男子と女子でうーんと思ってしまう名前が挙げられている。その中でも特に印象に残ったものを挙げる。男名では、松と書いて「ときわ」と読む。女名では、日露英仏と書いて「ひろえ」と読む。どちらも難易度が高い。
著者が「漢字」から「感字」へとして漢字を文字としてではなく感覚でとらえていると、漢字の調査をしている笹原宏之早稲田大学教授の分析を交えながら指摘している。「感字」とは恐れ入りました。
「感字」で子どもの名前を考える親がこれからも出てくるだろうから、もっと驚くような名前が登場してくるに違いない。子供が非公開度まっしぐらの札付きの悪になるか、それとも森鴎外の子供たちのようにキラキラネームに負けることなくいろいろな分野で活躍する人間になるか、子供も大変な時代を生きているなあ。
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名付けを考えるのに参考になるかと思って読んでみた。
興味深かったのは”漢字”と日本人の関係性について。
漢字は元々中国のものだけど、それを日本文化に融合するときに(融合の仕方によって)漢字をどう捉えるかが全く異なっている。
しかも、漢字を使い出したのは平安時代なのに、昭和になってもまだ漢字をどうするかという議論をしている。志賀直哉なんか日本語は「不完全で不便」だからフランス語にしようという始末。
著者は昨今のキラキラネームは”漢字”ではなく”感字”によって起きていると表現している。”声の文化”はひらがなで、”文字の文化”は漢字で、というバランスが崩れ、声の文化のみが優先された結果がキラキラネームの発端と考えている。
キラキラの境目は難しいけれど、きちんと由来を話せる名前にしたいなと思う。
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いわゆるキラキラネームが今なぜマジョリティになりえたのか。
読みづらい名前、おいおいな名前は昔からあった。
そもそも、日本語とは、漢字とは、日本人の名前とは、といろんな観点から切り取って見せてくれる。
これは面白かった。
何より、ぼく自身の名前自体が、それなりに「キラキラネーム」の一派だったことを思い知った。
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我が子への無理読みな命名。最近流行りのこの現象について,真面目に考えた一冊。揶揄と嘲笑に満ちたいわゆるDQNネームサイトとは一線を画する内容で,殊更に取り上げられる奇嬌な名前は都市伝説だったり極一部の特殊例であることを確認した上で,日本語や名前の歴史を踏まえつつ中立的な立場で論じている。さすが書籍の貫禄というところ。
一見キラキラに見える鴎外の名付けと現代の名付けの比較などを通じて見えてきた結論は,漢字のカジュアル化。無理読みは昔からあったし,そもそも訓読みの本質は無理読みである。それが教養と伝統の文脈を無視して大衆化し花開いたのが,キラキラネームの現状,ということになる。そしてこの動きはIT化の流れとも無縁ではなく,もはや抗いがたいがたいものなのだ。
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「だめじゃんキラキラネーム!」といいながら笑い飛ばす本かと思いきや。
キラキラネームの根源は、古代から綿々と続く言葉の歴史の森の中にあったとは。
軽い興味で読み始めたのだけど予想以上に森は深かった。
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自分の名前も読めないがキラキラと思っていない。
この本出だしのように、上から目線で書いた本は気分悪くなる。読まなければ良かった。後悔。
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とってもおもしろかった!昨今のいわゆるキラキラネームから、万葉集の時代まで遡って「読めない名前」を大研究。難読名乗りブームは今までにもちょくちょくあり、難読ブームと、使用文字や読み方の制限などが何度か繰り返されてるのがわかった。江戸時代には光多(みつな)、美臣(よしを)、明治前後に「十九(とみちか)」「松(ときわ)」って名前があったとか、昭和初期にも欧米への憧れから、「亜幌(アポロ)」も「七分(すちぶん)」って名前があったとか…
そもそも今では当たり前のようになってる漢字の読みも、そもそもは難読ネームだったという話も。「和」と書いて、かず、との読みも、本居宣長が、あやしき訓だとか言って問題視するようなものだったらしい。日本語の漢字がそもそも構造的に自由な読みを許容しやすいというようなことは聞いたことがあったけどもほんとにそのようです。
著者としては、結局、そういった歴史的な難読ネームと、現代のキラキラネームとの違いは、現代のは、漢字の意味まで深く考えずに、感覚で使っていることと捉え、漢字の深い歴史に思いを馳せずに、これを薄っぺらいものにしてしまってるのではないかという問題意識のようです。現代の難読ネームにも、漢字の意味まで考えてるものもあるとは私は思うけどね。でも知らないことがたくさん書いてあって、「へー」で終わらない考察までちゃんとされてて、とてもおもしろかったです。
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名付けをきっかけとした、日本人と漢字との関係の歴史を考察した1冊。
タイトルは軽いですが、中身はしっかりしていると思います。
正しいか正しくないかは置いておいて、とても納得できる内容です。
と同時に、我々がいかに薄っぺらな漢字の世界に生きているか、反省させられました。
知識の浅さが若干気になる点もありましたが、個人的には、十分に満足できました。
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名前の付け方、読み方について詳細に記されており、読む価値のある本です。タイトルは軽いですが中身はまっとうで社会人の知識として損はないものです。
本書第六~第七章の考察で多くは理解できます。
字の持つ意味を無視した漢字を用いことへの解釈は丁寧に解き明かされていますが、私には文化的側面が抜け落ちているように感じます。
微笑ましいキラキラネームではなく、愛夜姫と書いてアゲハと読ませる子供を水商売にするつもりかのような親の精神構造、DQNネームの問題には突っ込みが足りません。(伊藤氏は文中でDQNネームの呼称を何度も使用している)
序盤で多少触れられていますが、結局は程度の低い親の問題かもしれませんが、伊藤氏はその特定を避けています。
それは、本書のレビューに一つ星を付けた、上から目線で名前を語るなと書いた人が居るように、中年以降の年齢からすれば珍妙極まりない名前であっても一生背負わなくてはならない方への配慮でしょうか。
提言しておけば哀れな名付へのブレーキになったかもしれないのに。
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キラキラネームというのは漢字を日本語のやまとことばで無理やり読ませようとした結果である。
情報が多量で多様になった為
簡単に個性を出したいという親の欲求が
キラキラネームに繋がったのだと思う。
その安易な考えは他の人もしているという事には気づいていない。
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専門だけあってか、割と後半も面白かったです。
なんだ、日本は昔からキラキラネームだったのか、と。
和える、の漢字の感覚とか、あ、和子も変な読み名前なのね、と。
何事も、一人よがりの考えすぎは良くないのだなあ、と遠い目。もうちょっと漢和辞典読もうよ…と思った。
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日頃のニュースで登場するときといえば「読めない!」「ひどい!」というネタ提供でしかないキラキラネーム(またはDQNネーム)を、日本語の漢字受容史や歴史的な命名の変遷などもふまえてまじめに分析した本。無責任な批判でも安直な羅列でもなく、予想外の深さでおもしろかった!
20年余前に見出された頃は「頭の悪そうな」「ヤンキーっぽい」でかたづけられたが、今や人気の名前トップ10の多くが(擬似)キラキラネームという現状、いろいろ考えあわせてみるとこの問題は奥も根も深く、こういう名付は漢字受容からこのかた多様な音訓や万葉仮名・和製漢語を生み出しルビまで駆使してきた日本語のほとんど性(さが)のようなものということにも納得できたし、一方で漢字の扱い方についてはこれが当たり前になっていくのはあやういという危機感にも共感した。
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ものすごく軽~い書名ですが、
中味はなかなかの読み応え
単なる 「イマドキの命名は…」になっていない
読み応えのある一冊になっています
筆者が古典文学に精通しているのも
その論考の厚みになっていますね
巻末の参考文献のランンアップが
とても興味深い
名付けの意味
名付けもまた その時代を反映する
名付けもまた その教養が背後にあった(!)
名付けもまた その教養のあるなしが大きく左右する
「漢字」そして「感字」の造語
いやはや 楽しい時間が持てました