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  • 販売開始日: 2015/11/27
  • 出版社: 新潮社
  • レーベル: 新潮文庫
  • ISBN:978-4-10-208502-8
一般書

ボヴァリー夫人(新潮文庫)

著者 フローベール , 芳川泰久/訳

娘時代に恋愛小説を読み耽った美しいエンマは、田舎医者シャルルとの退屈な新婚生活に倦んでいた。やがてエンマは夫の目を盗んで、色男のロドルフや青年書記レオンとの情事にのめりこ...

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ボヴァリー夫人(新潮文庫)

税込 979 8pt

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商品説明

娘時代に恋愛小説を読み耽った美しいエンマは、田舎医者シャルルとの退屈な新婚生活に倦んでいた。やがてエンマは夫の目を盗んで、色男のロドルフや青年書記レオンとの情事にのめりこみ莫大な借金を残して服毒自殺を遂げる。一地方のありふれた姦通事件を、芸術に昇華させたフランス近代小説の金字塔を、徹底した推敲を施した原文の息づかいそのままに日本語に再現した決定版新訳。

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みんなのレビュー28件

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評価内訳

『ボヴァリー夫人』翻訳の決定版

2018/06/20 13:08

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:岩井 清隆 - この投稿者のレビュー一覧を見る

翻訳の問題は非常に難しい。そもそも異なった言語に、原文を全く損なうことなく翻訳すること自体が不可能であり、そこに至らずとも言語構造の相違には、翻訳不可能性の大きく深い淵が口を開けている。したがって、翻訳の方法論を大きく二分するなら、翻訳される言語に即して自然な文体を選択するか、飽くまで原文の持つ言語的な意義を重視(保持)するかのいずれしかないのだが、前者の場合は原文のもつ意義(味わい)を少なからず失うと言うデメリットがあり、後者の場合には翻訳されたもの(例えば日本語訳文)の読みづらさと言う弊害を伴う。一般的には両者の折衷と言うことになるのだろうが、翻訳に当たっての姿勢には折衷はあり得ないため、如何なる場合においても翻訳者は究極のの選択をせざるを得ないのだ。

さて、『ボヴァリー夫人』の最新のそして久々の翻訳である本書は明確に後者、すなわち可能な限り原文に沿った翻訳を行なっており、そしてその試みは、ある部分においてはこれまでの翻訳では伺い知ることができなかった成功を収めており、全体を通しても原文への忠実さと言う点においてかなりな程度成功していると言えるだろう。

翻訳がこなれていないとの厳しいレビューもあるが、これは原文に可能な限り忠実な翻訳を試みたが故のことであって、日本語としての自然さを多少は欠いてはいても、決して意味不明、文意解読不能なものとはなっていない。主語や述語が日本語としては不自然に感じられる部分も少なからずあるのだが、これは芳川氏の翻訳が拙いわけではなく、原文を自然な日本語に意訳することなく原文を可能な限りそのまま翻訳したが故にことであって、不自然な日本語を目にした時には「ああ、これがフランス語の言い方なのだな」と解して読むのが正しい読み方だろう。

実はこの本を決定版と評価したのは翻訳の対する姿勢そのものよりも、その姿勢の中核とも言える自由間接話法の扱いこそにある。自由間接話法に関しては本書の後書きでも触れられているし、そのことを主題の一つにした『「ボヴァリー夫人」をごく私的に読む ー 自由間接話法とテキスト契約』で詳述されているのでそれらを参照して頂きたいが、ここでは本書においては自由間接話法を明示しなおかつ日本語として自然な表現にするために、原則として自由間接話法が現在時制として表記されていることだけを指摘しておく。日本語訳で自由間接話法を明確に体感できる翻訳は現時点では本書だけであり、自由間接話法を享受できるか否かは、『ボヴァリー夫人』の観賞において抜き差しならぬことであることも重大な事実なのだ。

なお、『ボヴァリー夫人』は、最初の文が「わたしたち(Nous)」で始められているにも関わらず、このNousは冒頭のシャルルの来歴を語る部分以降は全く出現しないこと、作中には「ボヴァリー夫人(Madam Bovary)」との表記は一度もなされておらず、ボヴァリー夫人と目される人は三人いること(シャルルの母親、シャルルの前夫人と「主人公」と一般には言われているエンマ)、「主人公」エンマの死後もシャルルを中心として物語が語り続けられ、彼が死んでもまだ物語は終わらず、本作の狂言回し的な役割を担う薬剤師オメーの「些細な」エピソードをもってようやく幕を閉じるなど、単なる「夢見がちな田舎の女性の不倫劇」に収まることがない、豊かさと不可解さ、不敵さを湛えた極めて現代的な小説なのだ。その姿は「前衛的奇形」の様相をまとわない前衛作品と評することができるだろう。物語の筋からなんらかの「テーマ」を受容するのではなく、文の細部の豊かさで構成される小説と言う構築物を体感すること。

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ボヴァリー夫人

2021/11/07 23:04

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る

翻訳にとても力を入れている事が感じられる一冊。フランス文学の名作として何度も日本で翻訳されてきた「歴史」があり、その上で原作に立ち返り、作者の執筆上の工夫(客観描写と主観描写、自由間接話法など)に目が行くように苦心されていると感じた。
内容については、ボヴァリー夫人は、きっと現実から目を背けがちな人なんだろうな、ということを考えた。

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エンマは最低の女

2019/05/26 23:55

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

いままで読んできた小説の中で、主人公(男)の最悪は西村賢太氏の「小銭を数える」の主人公「私」だろう、何かと理由をつけては同性相手に対してドメスティックバイオレンスを繰り返すとという卑劣な男であったが、主人公(女)の最悪はこのボヴァリー夫人だろう。「危険な関係」のメルトイユ侯爵夫人もなかなかのものだが、最後で酷い目に遭うので読んでいる方としてはスカッとする。私はこの主人公は最後は自殺はするにしても、優柔不断のきらいはあるもののいい夫といえるシャルルを「つまらない男」と粗末に扱い中身がないとしか思えない男たちと関係をもってしまうこの女がどうしても許せない。放蕩したあげくに自殺して、こどもにも幸せの生活を残せなかったこの女が、やはり最悪だろう

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文体の翻訳への果敢な挑戦

2024/12/13 15:32

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:正直レビュアー - この投稿者のレビュー一覧を見る

フローベール『ボヴァリー夫人』を久しぶりに読み直してみたくなり、深い考えもなく芳川泰久氏による最新訳を選んだ。文庫本の帯には「原文の息づかいそのままに、日本語に再現した決定版新訳」とある。光文社古典新訳文庫の「いま、息をしている言葉で」という謳い文句とさほど変わりはなく、『これまた読み易さを最優先にした、古典のライトノベル化の試みのひとつか。願わくば程を弁えたものであってほしい』と思いつつ、吉川訳を繙いた。
 しかし読み始める否や、それが杞憂であることがわかった。この新訳『ボヴァリー夫人』、決して読み易いものではない。いや、ある意味では読み難いとすら言い得る。が、その読み難さは、所謂語学者の翻訳にありがちな、訳文の生硬さによるものではなく、原作者フローベールの文体を翻訳のプライマリー・ターゲットに据えた芳川氏の大きな野心の結果なのである。
 疑似直接話法(自由間接話法)を駆使したフローベールの文体そのものを、可能な限り日本語に移し替えること。
 言うまでもなく、これは至難の業だ。疑似直接話法(自由間接話法)を駆使して独自の文学世界を築いたフローベールと同時代の作家として、たとえばロシアにはドストエフスキー(フローベールと同い年で、生没年月日も近接している)がいたわけだが、度重なる翻訳の試みにも拘らず、ドストエフスキーの文体の息遣いを十分に伝え得た日本語訳は未だにひとつも無いのである。
 フランス語を介さぬ私に、吉川氏の挑戦がどの程度まで功を奏しているのか、評価する資格はない。しかし、複数の作中人物の意識が、都度臨機に交代しながら、いつの間にか地の文に流れ込み、叙述が意外な発展を遂げ、たえず読者に快い緊張を強いていく、謂わば”読ませる“翻訳文学の創造に吉川氏は成功した、と私は思う。
 但し、不満も無しとしない。割注が嵩張り過ぎていて煩わしいこと。注は各編または各部の末尾に纏めるか、あるいは思い切って全て巻末掲載とした方がよかった。

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海外小説の翻訳における「違和感」あるいは「出来不出来」ということ

2015/06/17 06:59

11人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:或るアルケミスト - この投稿者のレビュー一覧を見る

最近久々に海外小説を読みたい気持ちが高まって、つい先日も数冊まとめ買いをした。その中の1冊『ボヴァリー夫人』だが、かつて読んだことがある。あれはたぶん高校生の頃だったと思う。色恋などとは無縁の当時(今も大して変わらないが……)でも一応最後まで読んだ、読めた。新潮文庫版で翻訳はたぶん生島遼一氏だったと思う。(スタンダールの『赤と黒』も確か生島訳で読んだはずだ)なつかしい。話を戻して、今回『ボヴァリー夫人』の新訳が新潮社から出たのを知ってわくわくして読みだしたが……50ページも進まなくてこの本はあきらめた。他社の文庫を探そうと思う。
「違和感」海外小説の翻訳ものにたまに出くわす。語学的に正確な訳であることと、優れた翻訳であることとは必ずしも一致しない。一般的な読者がおおむね違和感を覚えないレベルの訳文を「翻訳」と呼ぶべきではないかと思う。訳文で一番陥りがちな穴は直訳的な生硬な表現、逆にくだけすぎた表現、それらの混在による違和感の喚起だろう。流麗とまで言わなくても(翻訳にはおのずと限界もあろうから)読みやすい、わかりやすい、こなれた訳文をお願いしたいところだ。違和感が続くと読むのが嫌になる。言い過ぎかもしれないが、生理的に合わない、隔靴掻痒、気持ちが悪い。また、日本の作家の本に戻りたくなる。
さらに言い過ぎを重ねるなら、原作者のフローベールに申し訳ない。この本を手にする若い読者が気の毒。そして、天下の出版社の良識を疑いたくなる……とまあ散々なことを書きました。高名な翻訳者にたいして大変失礼なことを申し上げたとも思います。しかし、千円足らずとはいえ自腹で買った本だ。ネットの文章を読むのとは期待感が最初から違う、ということも申し上げたい。
読者諸兄のご意見をぜひお聞きしたいと思った次第です。
ちなみに、同社の新訳『ゴリオ爺さん』は今回楽しく読了しましたし、同じく『月と6ペンス』も楽しく読んでいるところです。
この文庫については読了していないのに評価することは不遜かもしれませんが、翻訳に対する主観的な心情からあえて評価の一石を投じさせていただきました。

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2015/09/01 14:18

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