紙の本
読みやすい
2016/09/22 10:37
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mah - この投稿者のレビュー一覧を見る
旧版のものももっているが、こちらのほうが読みやすい。
あいかわらずの名言のオンパレード。
今のマインドフルネスの先駆け。
ただ、意味がわかって読まないと、
それとかあれとか言われても分からない。
「私」が射るのではなくて、「それ」が射る。
紙の本
ドイツ人哲学者による日本の武道と芸道を研究した一冊です!
2019/01/26 13:03
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ドイツ人哲学者へリゲルによる日本文化論です。彼は日本滞在中に弓道を学び、その中で自我を捨て、心を無にして的を射よという師匠の教えから「無心」という禅の教えは、日本のあらゆる武道や文化に通底するものであることを見抜き、それをもとに日本の武道と芸道を研究し、分析した画期的な一冊です。外国人による日本文化論の名著です。
紙の本
200ページ弱の文庫本なのに880円!!
2022/03/04 11:38
4人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:jack - この投稿者のレビュー一覧を見る
値段も見ずにレジへ持って行って、880円を請求されたときに思わず店員が操作ミスをしたのかと思いましたよ。
200ページ弱の薄い文庫本で、著者も65年前に亡くなっている。
ちょっと価格が高すぎないでしょうか?
しかも200ページ弱とはいえ、付録の講演50ページと解説50ページを除くと、
「弓と禅」本文そのものは100ページ弱なんですね。
よっぽどこの新訳を買う意味を見出すのではない限り、
中古本とか安いもので十分だろうと思いました。
あと、本書の付録の講演「武士道的な弓道」は、岩波文庫から「日本の弓術」として出ています。
その翻訳を比べると、岩波の方が良い。
たとえば、本書では「(日本人は弓道を)精神的なものと理解している」というくだりは、
岩波では「(日本人は弓術を)精神的な経過と考えてる」と訳されています。
似ているようで両者の指すところは全く違います。
それから岩波版は弓道ではなく、弓術と記しているのも良いですね。
岩波文庫の訳者の方が、日本の武術に対する考察が鋭い。
なので、付録の講演「武士道的な弓道」も、岩波文庫で読んだ方が良いと思いました。
トータル的な評価として、
角川ソフィア版に対して星1つとします。
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全てに合わせながら、全てを自らに適応させる水のように「無心」になるにはどうすればよいのか。
ドイツ人哲学者であるヘリゲルが弓の修行を通じてそれを得るまでの過程を述べた本書は、外国人が禅を知るための本として、スティーブ・ジョブズも愛読していたと言うことで手に取ってみた。
原著は60年も前のものだが、この新訳では文章をより分かりやすく見直すとともに、師匠の阿波研造の解説も加えられており、背景を含めて弓と禅の理解を深めることができる。
そして、師匠からヘリゲルに送られた弓は、現在、円覚寺に蔵されているという。
弓をやったこともなく、「無心」になる経験は出来ずとも、本書を片手にいつか訪れて、それに思いを馳せてみたい。
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古典的名著。
マインドフルネスなどで仏教や禅などが注目されている今こそ改めて読む価値があるかもしれない。
ドイツ人哲学者の文章なので小難しい表現もあり翻訳の難しさもあるだろうがこの本は新訳なので非常に読みやすくなっている。
とても面白かったです。
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ドイツの哲学者が弓を学ぶことで禅の世界へアプローチするその体験を綴った本。
自分が日本人なので不思議とさへ思わなかったことが多くあることに気づかされる。例えば旧来の武器であった弓がその役目を銃や砲に譲ったあとにも残り、それはスポーツとしてではなくむしろ精神修養としての役割を担っていたり。昔の日本には西洋でいうスポーツってない気もしてくる。肉体を鍛えるために何かをするって発想が日本には乏しいのかな、だって真面目に働いていれば体は逞しくなるのが当然の時代だから精神修養に重きを置かれるのか。そんなこんなで未だに高校球児は修行僧のようになっているのかとも思う。日本人はどこへ進もうとしてたんやろ。
あと、達人で連想したのは中島敦の名人伝だった。
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2部構成で、1部はドイツでの講演会。
岩波は、仙台での講演会。
わかりやすいのは、岩波。
福村のはむずかしいので、
あんちょこで、これ。
でも、読んでよかったわ。
人生の問題の9割がたのところまで来た。
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無心になることで、自然な離れがなる。弓道の修行を通じて、禅の真髄を知る。ドイツ人の視点から見た、日本人の精神性。
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講演録と「弓と禅」を一冊に収め、新たに訳したもので、充実した解説も付されて、オイゲン・ヘリゲルが経験したことがより深く理解できるようになっています。何度読み返しても感動します。
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海外で日本哲学を学ぶ際に避けては通れない本らしい。
戦前の日本にきたドイツ人が、弓を通して日本の文化や禅について体験した事を書いている。
非常に静かで、時間の流れか現代とは違う。
しかしその事で自分との対話が今よりもできたているのではないか?と思いながら読んだ。
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2016年64冊目。
西洋哲学の研究者であった著者が、日本滞在中に学んだ弓道の中に禅の思想を見出していく。
的を狙ってはいけない。射ようと思って射てはいけない。
「無心」の為せる技。術なき術。
満を持した時に自然と放たれる矢は、「私」ではなく「それ」によって放たれているという。
自己に集中しているようで、自我を手放している。
マインドフルネスに関心が高まっている中、この本はとても面白い。
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神秘体験に関心のあった一人のドイツ人哲学者が日本に来て弓道を学んだ体験記で、短い本なのだが、これほど強く感銘を受けたと感じたのは久しぶり。日本の武道とそれが志す精神性が、はっきりと浮かび上がってきてとても感動した。日本文化に馴染みのない外国人だったからこそ、ここまで丁寧に浮かび上がらせることができたのだと思う。ここに記されている伝統的な日本の精神は、現代では薄まりつつ確かに残ってもいて、そういう中途半端な時代を生きる日本人にとってはすごく読む価値のある本だと思う。
これを読むと、禅や武道の修行というのは「無我」を目指すものだということがよく分かる。そして、そういうものを目指して修練してきた人が尊敬に値することもよく納得できるし、ことば数は少なく背中で語るというようなタイプが規範的な日本人像とされてきたのも合点がいく。一方で、禅や武道の教えや慣習が、合理性を第一に重視する現代社会と合いにくいのも随分納得できる。禅の教えは、成熟を目指すときには有効だが、発展を目指すには効果的でないという感じだろうか。読後、個人的な生き方や、良い慣習と悪い慣習をどう分けるかみたいな社会的なことなどにもあれこれと考えが及んでいたので、それだけ刺激的な本だったのだと思う。
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・師はそれを見てしばらく考え込んでから、終に次のように言われました。
「あなたは、甲矢が的の真ん中に中ったことは、達人の芸ではないと考えられるかも知れません。何しろ、私はこの道場で優に三十年以上も稽古しているので、真っ暗闇であっても的がどこにあるかを知っているに違いないから。その限りでは、あなたは正しいかも知れない。
けれども乙矢はどうか。これは『私に』起因することではありません。『私が』中てたのでもありません。こんな暗闇の中で狙えるものか、あなたはとくと考えて下さい。これでもまだ狙わなければ中てられないという思いに止まろうと思われますか。我々は的の前で頭を下げようではありませんか、仏陀の前でそうするように。
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翻訳家の魚住氏の美しい日本語訳を本の内容を一層際立たせる感じでした。
目標は小手先の技だけでも達成できるかもしれないし、ある程度のレベルまで行けるかもしれない。しかし、稽古を重ねてきちんと会得した技であれば、何にでも活用できる。
短期間で達成できるかもしれないし、長期にわたるかもしれない。とにかく日々、精進するのみ。
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弓道を通じ、禅とは何かに辿り着いた、著者の実体験を記した書
それゆえにリアリティがある
スティーブ・ジョブズの愛読書でもあった
意識を超えた無心の行為=禅
とても深く、難しい内容ではある
しかし、呼吸法やルーティンについての言及部分などは、素人ながらも理解が及んだ
また、「快・不快の間を行き来することから離れる」というのも、まさに実感しているところであり、感銘を受けた