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親しみやすい文体で書かれた「反」アート入門。
最終章で自然にアートの門へと到達できるように、戦場(アートのおかれている現状、世界そのもの。片仮名で語られる「アート」「美術」「芸術」のくすぐったさ、もどかしさ)を解説。
カットアップリミックスという切り口で世界のアートを横断紹介。資本主義の滝壺で洗われたあとに、日本の悪い場(美術が日本に輸入されてからの先人の功罪)の歴史を振り返り。20世紀の芸術家が生きていく平坦な戦場にたどり着いた。でも、そこは、門の手前でしたというお話。
表紙にあしらわれた黒々とした「即身仏」の彫刻は、
(金色の仏像を西洋観でアレンジしたマーク・クインの「悟りへの道」とは対極的な表現)日本の美術のメンタリティ、いまの若い世代の作家の気風を表現しているとも言えるだろう。
変に理解されて(おおむね間違った理解)ポピュラリティを獲得することを意識しないではいられないが、常にポピュラリティ(大衆意識)とは背中合わせであるべきアート入門へ。
*時々、手を入れると思います。
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近代絵画の成立。貨幣と絵画の相似性。移動する聖地としての絵画。岡本太郎の呪術の復権。なぜウォーホルは毛沢東を描いたのか。水墨画のラディカリズム。ロシア・中国の現代アート。ハイデッガーの美学。「アート」をめぐるさまざまな論点の交錯。生硬な文章に著者の熱度を感じた。
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「アート」は崇高で難解?いえいえ。ルールさえ分かればとても分かりやすい。本書ではアートが置かれている状況を、世界の戦後美術史を紐解きながら解説している。
目次はこんな感じ↓
第一の門 アートとはどういうものか
第二の門 アート・イン・アメリカ
第三の門 冷戦後のアート・ワールド
第四の門 貨幣とアート
最後の門 アートの行方
解説書としては、とてもわかりやすかったし面白かった。
でも、本当は今後のアートはどうなっていくのか、また著者はアートがどう展開していくべきだと思っているのかを知りたかったが、その辺のことについてはあまり得られなかった。椹木氏の意見としては、全ての人が制作者になり鑑賞者になれるアートがあってもいいのでは、ということなのだけれど、本人も言っているとおり漠然としすぎていて物足りなかった。
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表現が多彩で、美しい。
かなり多くの事柄を扱っていて、
多角的な見解でありながら
明瞭端的な表現でわかりやすい。
特に第ニの門 アート・イン・アメリカ
は読み応えがある。
きれいな絵画にちらりと見える社会背景など、
いつでも芸術はその時代を現している。
リンダ・ノックリンの『絵画の政治学』を読んだ時を思い出す。
現代美術ってよくわからない、
アートってなんだかむずかしい、
そんな方にも読んでほしい。
チンポムとコラボした
西尾さんの作品が表紙ってスゴい。
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近代絵画と貨幣
マーク・シェル「芸術と貨幣」
非物資的価値を運ぶ器
1=2という論理的矛盾
キリスト教におけるパンとワイン
ハイデガー
真理ーアレーティア(隠れ・なさ)
ものが、ないのでなく、存在する、根源的驚き
水墨画の
滲みぼかしによる偶有的な自然現象の利用などにみられるような
[あらわれと消え去り]の重要性
絵画という器自体も変形させてしまう、
(あるジャンル)「の、ようなもの」としてのアートの可能性
白紙賛、4・33、未知、空
人が無と向き合うことで有(未知)が生じるー「趣」
自他合一の変容
民藝
かたちに込められた心の記憶=手・仕事
ー集合的に受け継がれる
美術史的な偉大な個人によるでなく
芸術は宗教以前の段階をもつ、呪術と芸術の違いは人間の営みとして節度を保たれるように制御されているということ
呪術ー経験の一回性、宗教ー媒介物の物神化
アートの境界
アートとは人にとっての「遠く」と「近く」を弁別する線分を見いだすための技なのです。うつりゆくもの
動物は芸術をなすときはじめて人となるのである
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広い意味でのアート、そして最近話題のアート、がただの情報にしか視えなくなりつつある自分にとってはいいタイミングで読めた。限界と状況を冷静に受け入れた上での開かれた視点? 紹介されている著作、特に山水画について、は深追いしたい。
あらわれと消え去り
工(わざ)よりも趣(おもむき)を
芸術の分際
ひとりひとりの人間がいまここに存在しているという驚きそのもの
個性ではなく孤生
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批評ってなんだろう?の答えを美術分野に求めて読んでみた本。
「アート」、「美術」、「芸術」の言葉の意味から、キリスト教、貨幣価値、冷戦など(西洋の)歴史の流れのなかでのアートの変遷。
「入門」というだけあって、非常に読みやすく理解しやすい。
(ん?でも理解できているのか?わたし)
「批評」については、作品と双子の関係とのこと。
神様や権力者の手から離れた美は、その存在を自ら保証しないといけない。
ルールから外れた作品はなかったことになってしまう旨の記述も、なるほどそうか、と納得。
一番の肝は最終章「最後の門 アートの行方」。
近代以降の日本(列島)人にとってアート的な価値とは何か。
キリスト教の神の絶対性と関わる西洋的な「美」とは当然異なる、「あらわれ」と「消え去り」。
岡本太郎の「呪術」、柳宗悦の「民藝」。
(21世紀を迎えても、インテリ的な「美術」というのは西洋から不自由なのだなあ。)
P302から引用---
わたしたちの人生で最大の強度は、けっして芸術作品からかたちづくられているわけではないのです。…紡ぎ出された体験にとって作品とはいわば媒体にすぎないのであって、作品そのものが体験を超えて普遍的な価値がある、などということはありえない。強くそう思います。
---引用終わり
カメラで撮った月と、人が脳内で見ている月の大きさはすごく違う。
コンピューターグラフィックスで、
人の視点と同じようにカメラと対象を動かしても、
見えている対象の見え方は違う。
(だから舞台の映像化が難しいのじゃないかと思う。)
私は、以前からそれが人間のすごいところだと思っているのだけど、
そういうことを思い出した。
あと、これを読み終わったときに原研哉さんと阿部雅世さんの対談をまとめた「なぜデザインなのか。」のことも思い出した。
多分、西と東とかの話があるからだと思うのだけど。
「なぜデザインなのか。」P84から引用---
阿部 …柳宗悦さんが、昭和5年に、ハーバード大学で「日本における美の標準」という講義をしたのちに、日本は文化で世界に貢献するべきだと痛切に思った、というようなことを書いておられますが、それから八十年近くもたったいま、孫、ひ孫のような世代の私たちが、いまだに手土産持って、教えていただきにあがるばかりだとしたら、恥ずかしいことだと思います。
---引用終わり
とか。
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アートのコンテクストとは?とか、資本主義とアートとか、アメリカとアートとか、みーんなわかり易く説明してくれている。
赤瀬川、岡本太郎の偉業からこの先まで、考えずにはいられない。日本のアートについて考える際に、まずこれに出会いたかった。
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おもしろい!歴史同様一番近いようで知らない戦後のアートの動きを追いつつ、日本人としてのアートとの関わりを提起する。
アートは、“ひとはみなひとりで生まれてひとりで死んでいく”という「真理」を「心理」とつなげていくフレームワークになるのではないか。
過去のコンテクストを踏まえて解釈する知的遊戯としてのアート鑑賞であることを知るとともに、
ひとが存在していることのメディア(媒介)としての存在意義があるのだと感じました。大満足。
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ちょうど美術史の講義を受けた後に読んだが、講義で勉強した美術史の流れが書いてあり、2度目ということもあり理解しやすかった。美術史の流れをわかりやすくまとめてある。
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とても真面目な文章。
◯アートを歴史化してゆくには、作家と批評家がどちらも必要。
◯現代のアートは情報のコントロールも芸術とみなす。資本主義社会の反映でもある。
の2点にとても納得させられた。
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非常に面白く、参考になる本。現代美術の流れを分かり易く解説している良書だと思う。日本の現代美術の一つの理解として、読んでおくべき本であると思う。
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この本を読んだきっかけは忘れましたが、大きな衝撃を受けた一冊です。
序盤は今までのアートの流れに触れ、後半で椹木さんの主張が述べられています。
アートの流れをほとんど分かっていなかった私にちょっとだけその世界をのぞくきっかけを与えてくれました。
印象的だったのはお金とアートの近接性を述べた部分です。
赤瀬川原平の偽札などの事例をあげながら述べており、新しい見方をえることができたと思います。
また、終盤のアートの未来に対する希望を述べた部分でハイデガーが紹介されていたことがきっかけでハイデガーについてちょっと勉強しました。
しかし、ハイデガー関連の本を何冊か読みましたが、なんとなくは理解できたものの人に説明するほどまではいかず。。。
しかしこれが特定の哲学者について詳しく知ってみようとする初めての経験だったので、良い勉強になりました。
アートって超面白いかも!!と衝撃を受けた一冊として、印象に残っている本です。
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神が死んだ後のアート
ミニマルアート
ドナルド・ジャッド
ロバート・ラウシェンバーグ
表面と枠
ジャスパー・ジョーンズ
フランク・ステラ ブラックペインティング
郊外 サイト、エントロピー
ロバート・スミッソン
アンディ・ウォーホール
人格と作品の逆転
第二次世界大戦→バウハウス×表現→アメリカ 抽象表現主義
YBA
西海岸アート
チャールズ・マンソン 呪術的
マイク・ケリー、ポール・マッカーシー、クリス・バーデン、ジム・シャウ(スリフト・ストア・ペインティング)
もの派 端的にそこに物があり、それ以上でもそれ以下でもない
フォーマリズムという批評
民藝 柳宗悦 直観を重視せよ
工(創作)よりも趣(体験) 水墨画 禅の世界
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現代アートの出生と来歴を解説し、その問題と新たな芸術の可能性への展望が語られている。
まず著者は、現代アートの潮流を解き明かすことからはじめる。近代以降、芸術の秩序の中心にあった神が退場すると、芸術とは何かという問題が個々の芸術家や美術批評家たちに鋭く突きつけられることになった。その中から、絵画とは何よりもまず、一定の質を持つ画布の表面に絵の具をこすりつけたものだという「無神論」的な絵画が生まれた。現代アートの歴史において主流をなす抽象表現主義はそのようなものとして理解できる。著者は、こうした潮流が美術批評家のC・グリーンバーグやMoMAに主導されて登場する経緯や、J・ジョーンズ、F・ステラらの作品、アースワークの思想を、平明な言葉で解説している。
その上で、そうしたアメリカの主導で進められてきた現代アートの歴史が、同時代の政治力学との密接な関わりを中で構成されてきた一つの「制度」だったと著者は指摘する。また、そうした「制度」からはみ出すようなアートのあり方を示すものとして、ウェスト・コーストのアートや、中国の新世代の芸術家の実践が紹介されている。
ところで、これまで国家や社会という制度と芸術という制度は、対立するように見えながら、じっさいには相補的な役割を果たしてきた。だが現在、グローバル化によってあらゆるものの価値が市場に一元化される事態が進行している。いまや美術批評家は、市場で起こっていることを現代思想や批評理論を駆使して釈明し、これから起こることを中短期的に予測するコンサルタントになっている。
こうした状況を踏まえて、著者はこれからのアートのゆくえについて思索をめぐらせている。ただし著者は、「芸術の精神的価値を取り戻せ」といった復古的なやり方はとらない。すべてが市場の中で流通する現代の状況の中では、芸術作品という「もの」に固有の価値が宿るとは考えられない。著者は、現代のアートが立ち至ったこうした状況を必然的なものとして受け入れる。その上で、芸術作品という「もの」からの解放によって、一元的な市場社会の中でべつの次元が開かれる可能性を探ろうとしている。