現代に通じる古典
2022/10/24 21:00
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投稿者:こっこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代小説にみられる心理描写の先駆的古典だと思います。ヘッセの自伝的小説ということですが、精神的な苦闘があったからこその大作です。現実と意識下の堺が分からなくなる描写が(あくまで私見ですが)村上春樹を想起させられました。
私的にはヘッセ最高の作品
2002/07/31 21:29
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投稿者:影山 師史 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は昔、ヒッピーのバイブルとも呼ばれた本で、「荒野のおおかみ」と呼ばれた社会的ではない孤高のハリーという男を主人公とし幻想と現実の入り乱れた世界を描いている。私はこの本が数あるヘッセの著作の中で一番好きである。ハリーは自身の内面におおかみという分裂症的な存在を持つ。私が、はじめてこの本を読んだのは、高校時代であるから当時、このハリーに自分を投影しとてものめり込んで何度も読んだ覚えがある。同じヘッセの後期の作品で人に聞く所によると良いという話の『ガラス玉演戯』はなかなか手に入らなかったのでまだ読んでないが、この作品は、ヘッセの著作の中では、特異な構造と性質を持っていると思う。
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2007.6.12の感想
字が大きくなって読みずらかった。
まったく出版社は余計なことをする。
ヘッセのリズムが狂っちゃうじゃんか。
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厭世家の恋のはなし。
堕ちたエリート。不思議なアンナ。
諭すような眼差し。
狼、ノックアウト。
曖昧な現象の中でいくつもの啓示。
「いかにして、愛によって、人を殺すか」
この命題は今も忘れない。
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読むのに非常に時間がかかった。話が現実と幻想を行き来しているし、第一人称で描かれているし、構造がムヅカシかった。もちろん読みごたえ十分。この作品は世界へむけて描かれたものなのかな。主人公は既読の「デミアン」「シッダールタ」「知と愛」と同じく、現実世界の背後の永遠の世界を求める、というようなヘッセ自身の投影なのだろうけど、悟るのではなく現実社会に打ち砕かれる、というところがこの作品の特徴。近代世界への強烈な揶揄というか。
最後の狂気じみた劇場での幻想の場面の、言葉の使い方が美しい!!これは翻訳の高橋さんの手柄なのかな。やっぱりドイツ語で読んでみたい。
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読みづらい。
びっくりするほど読みづらい。そして分からない。
ヘルミーナとのやりとりは面白い。
ところでパブロがやばかった。萌えた!!
これは究極に腹黒いというか超越した。
最初に出てきた時の描写がいいんだ。
パブロの本性をひとつもにおわしていないから。
いいな〜パブロ。
いつかまた読み返したい。
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最後に向うほどに面白い!ってすごいことだな。
読み終えたら自分も一つ強くなったような、そんな気がしてしまう本。
自分だけじゃないよ、と。
こういう人いっぱいいそうー。
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タイトルが「共同体の中で友愛関係を失い追放された異人である人狼」を連想させ、ぱらぱらっとめくったページに書いてあった、
「今夜4時から魔術劇場
――入場は狂人だけ――
入場料として知性を払うこと。
だれでもの入場はお断り。ヘルミーネは地獄にいる。」
「ハリーの死刑執行」
などに心惹かれたので読んだ。
序盤のハリーの心理描写などがよかったが、途中退屈して読むのを中断していた。
2006年の秋頃の精神的につらい時に読んで90ページくらいで中断し、また今年の9月に入ってから読んでいたが、退屈するところは同じなようで、90ページ目くらいで数日放置し、その後、1日30〜40ページくらいのペースで読み、今日読み終えた。
ハリー・ハラー(H.H)とはヘルマン・ヘッセ(H.H)自身を指すらしい。
魔術劇場での将棋の駒は小説の登場人物を指し、それの組み合わせから展開するものは小説を指しているのだろう。
魔術劇場での一場面は、マンガの「ベルセルク」のガッツの心理描写を思い起こさせるところがあった。「ベルセルク」が影響を受けた全作品(文学、映画など)リストがあればいいなと思う。三島由紀夫の「真夏の死」という作品からの影響もあるとか。
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自分が抱いている自分のイメージがどれだけ偏っていて、狭いものであるかを強く感じさせられる一冊でした。わたしもハリー同様、新しいことに踏み出すことにためらってしまうし、固定観念をかなり強く持っているところがあるので、ハリーがヘルミーネやマリア、パブロとの会話の中で抱く感情がわかりすぎて読むのが辛かったくらいです。生きているだけでとても価値があるということ、そして人生は短いからこそたくさんのことに挑戦することで輝きを増すということを改めて感じることのできた作品でした。
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共感しすぎて初めて読んだ気がしない本。
それでいて先人は刺激的で、まだ見たことのない世界まで連れて行ってくれる。現実の日常でもなかなか得られないような交流が、本を介して作者との間に生まれるのだから、作者の力にただただ頭が下がるばかり。体の奥から勇気が湧いてくる。
もっと頑張ろう、楽しもう。一度きりの人生を。ひとつだけの世界を。
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1927年にドイツで発表された作品。
第一次世界大戦を省みるどころか、再び戦争に向かおうとしている社会を疑うこともなく生きる市民を批判する「アウトサイダー」の立場(おおかみ)の立場をとりながらも、まぎれもなく市民的行動の一部に加担している自分の葛藤が描かれています。そしてそんな自分は自殺によってしか報われない、と考え死を望むハリー・ハラーが主人公。彼はヘッセの自画像だそうです。
この葛藤はまさに、神経が不安定であったヘッセが色濃く表現されていて、
その如何ともし難い苦痛には時に目を覆いたくなります。
一方で、一般論や世の中の体制によって作られる考えを排除し、確固たる「自己」を追求すべきであるという考えは、ヘッセの作品で一貫してみられるスタンスで、現代にも通ずるヒントであるように思います。
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根本はデミアンと通じるものがあると思ったけど たぶんもう少し年をとってからじゃないと本当には分からないな
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なんかわかる部分もあるけど、今の時代に読むと・・・これどうなんだろう。
訳のせいもあるかもしれないが、難解かつ読みづらい。
グダグダ電波自己告白文・・・
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1927年(昭和2年) ヘッセが50歳の時の作品。
同じ年に紀行『ニュルンベルクの旅』を出版。
フーゴー・バルがヘッセ50歳の誕生記念に最初の伝記『ヘッセ伝』を出版。その直後バルは41歳で逝去。
ルート・ヴェンガーと離婚。
心は自分が全てと繋がっていることを知っている。
目の前のことに集中している時、没入しきっている時、過去に存在した全て、未來に存在する全てに確信を持てる。
微笑みを学べ。
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主人公ハリー・ハラーは著者ヘルマン・ヘッセの一部であり、完全な思索の人である。行動の人からみると主人公は世迷言を言っているハムレットの様なものであり、あれこれ思索しもナチズムの暴走を止められなかった訳であるから、文人の価値を考えさせられる。途中で読むのを止めて仕舞った。再読だったが印象に残っていなかった。