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最後が急展開すぎてついていくのが大変だった。そして賛否両論ありそうなラストだった。
わりとマジメな恋愛物語だった
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20歳くらいの時に読んだら「わたしやっぱりあの人のことずっと好きでおることにする」って、やたら憧れるんやろうなと思う。
でも、それが幸せだとは限らないことも知ってるし、いいことだとも思わなくなってしまった今は、気持ち分かる気もするけど、危なっかしいなと思う。
まわりに振り回されてるような雰囲気で、でも実は自分が振り回してる朝子も。
気持ちをがっと持ってるのも分かってるくせにフラッといなくなって、また勝手に戻ってくる麦も。
ザ・女が嫌いな女なこずるい千花ちゃんも。
千花ちゃんとずっと連絡とっててさっさと乗り換えてる亮平も。
みんなどこかずるいし、おかしい。
でもだからこそ成り立ってる。
後ろを向いたら終わってしまう恋はもうしたくない。
だからこの本は、きっと何度も読むと思う。
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柴崎さんの独特な文章のぜんぜん流れていかない流れみたいなのがすごい苦手で、まったくよいと思わなかった。
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柴崎友香の書く作品の中で、こんなに終始、感情が漂ってるものって初めてだと思う。最初から最後まで、ざらざら。切なかった。
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主人公になんとなく好感が持てなくてモヤモヤしながら読んでいたら、あ、好感を持たなきゃいけないなんてことはないんだった、と気付くような話だった。
裏表紙にある、解説文の引用を見て、どんなことが起こるのかとワクワクしたら、想像してたのと全然違う手応えが返ってきて、でも確かに忘れがたき感触ではあった…。
今はそんなになんとも思ってないつもりでも、あとから、ふとした瞬間に感触だけ思い出しそうな、そういう感じ。
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著者のカメラアイにしびれた。
写真を撮る人、あるいは映像を撮る人、その後編集作業を通じて作品に仕上げる人。そういう人だけが持っている、時間を止めたり引き延ばしたりする技に何度も感動させられた。
冒頭のシーンもそうだけど、ズームイン、ズームアウト、パン、チルト、スローモーション、早送り、クローズアップ、コマ送り、フラッシュバック、モンタージュ、そういうテクニックが駆使された文章でめまいがしてくる。あれ、私は文字を読んでいるはずなのに。乗り物酔いしそう。
そして、さらに映画と違って文学ならではのモノローグ。
"(引用註:デジカメのモニターを通じて目の前の風景を見て)そのとき、目の前のすべてが、過去に見えた。モニターの中ではなくて、外に広がる、今ここにあるものこそが、すべて過去だった。カメラで撮られて画像の中に収まり、過去として、記録された光景として、そこにあった。カメラを嬉しそうに持っている春代も、珍しがって覗いているえみりんも、後ろの肉を切るカップルも、行ったり来たりする店員も、既に過去だった。こうやって、時間が確実に過ぎていくことが、唐突に、一度に、目の前に表された。わたしは、とんでもないことを知ってしまって、しばらく表情を失ってモニターと現実の光景とを、同じ視界の中に見ていた。(p.118-119"
”カメラを構えないで、目の前に見えるものが写真になったところを思い浮かべていた。カメラで撮ると、視界の中心のほんの一部分だけしか写らないから、ほんとうは見えているもの全部をそのまま写真に撮りたかった。写真になって、前の時間も後ろの時間もなくてその瞬間だけで、平べったい一枚の紙の表面に焼き付けられたらいいのにと思った。ただその時に居合わせた一つ一つがそこに揃って作った形を、保存したかった。光や色として、所有したかった。天井からの光で、輝く縁取りをもったたくさんの人、グラス、洋服、その全部。昼間に見た写真みたいに、海も空も同じ表面に等しくあったら、それでいいのに。(p.196-197)”
さらに。映像に興味のない人でも、本作品のモチーフは楽しめるはず。裏表紙や腰帯にはこう書いてある。
「あの人にそっくりだから恋に落ちたのか?
恋に落ちたから、そっくりに見えるのか?
消えた恋人。生き写しの男……めくるめく10年の恋」
読み終えてもう一度この文を読むと、しみじみ良い作品だったと思える。
タイトルはいまいちピンと来なかった。
写真で切り取った今=過去。データになり何度でも再生できる映像になった今=過去。今を生きているようで過去を生きている。過去に生きているようで今に生きていた。わたしの人生のようでもあり、そうでないようでもあり。
そういうデタラメさの中の一貫した狂気に、確かに重なってはいるんだけど、ズレていなさ過ぎるとでも言おうか。
今という瞬間は捕まえたと思ったらすでに過去になっていて、今という瞬間は永遠に捕まえられない。そいういう手の指の間からすり抜けてしまうような、捕まえようとしなければ手のひらに残るけどそれでは手に入れたことにならない。捕まえようとすると逃げてしまう徒労感。
だけどそこに本質があることはわかっている苛立ち……
その「すり抜ける感じ」がタイトルに感じられない。本文を読めば横溢しているその雰囲気が、タイトルにも欲しかった。
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これまでに読んだ柴崎さん作品(主題歌、その街の今は)よりも物語が動く。主人公(朝子)が変わり者。朝子目線の文体は、事実、風景、感情など目に映るものが短く並べられていて、朝子が撮影した写真のよう。面白かった。
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イライラした。
とにかくイライラした。
いつまでこのダラダラした文体が続くのだろうとうんざりしながら読み進めていたら、ところどころ気になる表現が出てきたが、それでもダラダラは止まらず、結局最後の最後までイライラさせられた。
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謎の男・麦に出会いたちまち恋に落ちた朝子。だが彼はほどなく姿を消す。三年後、東京に引っ越した朝子は、麦に生き写しの男と出会う……そっくりだから好きになったのか? 好きになったから、そっくりに見えるのか? 目くるめく十年の恋を描き野間文芸新人賞を受賞した話題の長篇小説! 「ラスト三十ページ間で起こることは生涯忘れることができない」
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頑なに信じている女は恐怖でしかない。寝ても覚めてもってタイトル、どういう意味なんだろうって思ってたけど、夢と現実の区別がつかなくなってる状態のことなんだね。まわりから見れば意味分かんないだろうけど、本人はこんなにも必死なのにね
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10年愛のはなしだと思ってたら大間違い。勘違いに気づいた主人公のドタバタな生き方。共感はしたくないけど、正直で自分勝手で、でもそれを自分で引き受け、真正面から突き進む主人公が恐ろしく、ちょっと羨ましい。
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読みにくいのはわざとだと思います。
読んでだいぶ疲れた。次の本にさっと行けなくてひと眠りしました。
確かに背表紙であおるほどのことはなかったけど、柴崎友香の小説なのに、主人公が大きく行動したので驚きました。
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主人公・朝子のとった行動が非難されるのはよく分かるのだけど、朝子に猛烈にシンパシーを感じる自分がいる。
元恋人を想い続けるうちに自分の頭の中で確立させてしまったその人の像が他人からしたら全くの別人なのに自分にとっては紛うことなき元恋人そのものであるということ、
全てを手放してでも選んだのに、ほんのふとしたきっかけで目が覚めてしまうこと、
他人からしたらハチャメチャな女なのだけど朝子の中では何の論理の破綻もないだろうこと、なぜだかすごくよく分かる。
当然の感情の流れに従って行動したまでである朝子が危うくて静かに狂っているのは分かるのだけど、朝子は自分が変だとは全く思ってないし、私も朝子と同じことをするのではないかと思ってしまった。
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情景描写の瑞々しさ、何気ない会話のリアリティなど、柴崎作品の特徴を充分に味わえるなと読み進めていたら、最後にとんでもない爆弾が。
周りに流されがちな人畜無害のようでいて、実はあまりにエグい主人公、朝子の身勝手さに何とも言えない後味の悪さを感じつつも、この作品のラストを単なるハッピーエンドにしなかったところに不思議な魅力を感じてしまいます。
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今作は全体的に他の著者の作品とは雰囲気が違うと感じた。いつもの穏やかな語り口をやめて淡白な書き方をしているし、終わり方も後味のいい終わり方ではなかった。また、柴崎友香の小説には必ず写真が出てくるけど、写真が局面を分ける決定的な要素として使われたのも初めてでは?という気がする。作者の持ち味の一つの「目の文体」(解説より)のほうは今作でも相変わらず魅力的。雰囲気の違いに初めは戸惑ったが、文章から漂う不穏な空気に引き込まれるように読めた。読後感もすっきりしたものではないが、面白かったと思う。
恋の盲目は怖いね。自分で気付けないのが何より怖い。そんな恋に熱中するようなタイプじゃないしと自分で思ってる人のほうが自分の盲目さに気付きにくいというのは大いにあると思う。衝動的な感情に突き動かされているという感じではないのだが、忍び寄るように理性を着実に支配されている。恋に限らず、そういうことって思ってるよりたくさんあるのかもしれないと思った。
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映画を観ている時に、画面に酔うことがある。
美しさに見惚れるということじゃなくて、ただ単純に車酔いに似た気持ち悪さが頭をぐらぐらさせること。
カメラがあっちこっちに振れて、そのたびに揺れて、脈絡がいまいち掴めないカットワーク。2時間が長くなって、上映が終わって黒いスクリーンが白くなってからも頭のなかにはあっちこっちへの揺れが残っているような。
この小説にはその酔いがあった。
「わたし」の視点が出来事を描写するぶつ切りのカットがいくつも連なって、克明に情景が描出されていく。でも、小説の中の「わたし」と、読んでいる私とは違う人間だ。だから、見る方向が予測もつかなかったり、出来事の描写が自分とは全然ちがうふうだったりもする。でも、この酔いはそれだけが原因ではないようにも思うのだ(当たり前だけど、小説だけでなくとも物語というのはたいてい私とは違う「わたし」が描かれるのだし)。
読み進めるうちに「わたし」が無邪気で無自覚なエゴイズムに支配された女性であることがわかる。でも、「なんとなくこの人だったらこういう状況になったとき、こうするだろうな」といった反応が、まるで想像もつかないことにも気付く。
「ああ、私は得体の知れない人間の目線の、その移ろいに酔っていたんだ」とそのときやっと思い至った。
でももっと言えば、「この人がきっとこうするだろう」というシミュレーションが頭の中でできたとしても、そのことが「その人のことを本当に理解した」ということにはならないのかもしれない。だって人は何の意味もなく嘘をつくし、錯覚もする。一瞬の出来事で、今までの私はいったいなんだったのかと思い直すことがある。過去の自分が別人のように思えたりもする。人間には本来脈絡なんてものが、あるようでないものなのかもしれない。
(陳腐な表現に堕してしまうが、)ラストは壮絶だった。
酔いが回って完全に吐きそうになるくらいに気味が悪くて、人間が信じられなくなりそうだった。恋愛の気持ち悪さを突きつけられて呆然とする。「恋とかって、勘違いを信じ切れるかどうかだよね」って台詞はその通りかもしれないが、信じすぎればそれは恋ではなく毒にもなるだろう。好きな人にただ好きって伝えることが素晴らしいと信じて疑わない愚昧な「わたし」、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……。
穏やかで柔らかい文体と瑞々しい感性で描かれた文章が、こんなに背筋の凍るようなサスペンスになるなんて思わなかった。
人の呼吸を狂わせる小説。これは紛う事なき傑作だ。
叙述トリック的な要素があるので、映像化がいったいどんなものになるのか予想もつかないが、濱口竜介監督の手によるこの「得体の知れない気持ち悪さ」は絶対に見てみたい。きっと、映画を観たあとの私をとりまく誰かとのコミュニケーションが、この作品によって塗り替えられてしまうような――気味の悪い期待のような不安のような何かを、痼りのように胸のうちに抱いている。