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投稿者:はるにゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
人工知能に興味があってたので、読んでみました…!
人工知能と哲学は、かけ離れてそうな事柄ですが、意外と人工知能にも哲学は必要かな…。と思いました…!o(`^´*)
人工知能における主観的世界
2016/10/19 23:27
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投稿者:Freiheit - この投稿者のレビュー一覧を見る
自律的な人工知能を作るためには科学、工学だけにおわらず、哲学が必要だと言う。人工知能に主観的世界を待たせることが必要だが、それができるのだろうか。
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フッサール、ユクスキュル、デカルト、デリダ、メルロ=ポンティなどの偉大な哲人達の思想を基に人工知能への実装を考察、汎用的な人口知能へはこのようなアプローチも必要なのかと朧気ながら思いつつも私にはかなり荷が重い難解な書であることは否めない一冊でした。また、人間以外の動物や昆虫の世界観と身体感覚の遠心性コピーが印象に残りました。
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★2016年度学生選書ツアー選書図書★
【所在・貸出状況を見る】
http://sistlb.sist.ac.jp/mylimedio/search/search.do?target=local&mode=comp&materialid=11600853
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哲学に全く馴染みがなかったが、人工知能の理論的側面で哲学のアプローチがあるという発想そのものは非常に面白かった。内容がやや難しいこともあり、消化不良でもあるがそれは自分の能力不足。
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ゲームAIの実装という観点を軸に近代哲学を吟味している本です。デカルト哲学を皮切りにフッサール現象学、ユクスキュルの環世界論、デリダの構造主義、メルロ=ポンティの身体論を紹介しています。人工知能を実装するためにはまず「知能とは何か?」について迫らなくてはならない、というモチベーションで書かれています。個人的にフッサール現象学が好きなので読んでいて楽しかったです。
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講義録なので著者の他の本と内容がかぶるところはあるけれど、大きな筋での見通しが素晴らしくて、最後のメルロ・ポンティに得心する。ユクスキュルと環世界のところはあまり理解していなくて、なんでこれが2番めなんだろうとか思うのですが、最後まで読むとああそういうことねとなりました。エントロピー増大の話が量子力学から導出出来た日にこの本を読んだというのもなにかの縁な気がします。
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現象学の考え方が人工知能研究で大きな意味を持ちうるという事を初めて知りました。
分野横断的に人工知能に関わり得る思想を取り上げているので、哲学や人工知能の各分野の本を読むだけではなかなか触れ合うことのない考えに触れられた気がします。
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心とは何か、という古くからの問いに人工知能が答えることができるかもしらないということに面白さを感じた。脳のリバースエンジニアリングが現在進んでいるがこの本を読むとどうもそれだけでは人工知能を搭載した人工人間は作れなさそうと思った。仮に人工知能ができたとしても、人工知能自身を自己と認識させなければならないからだ。本書では体が受けた刺激をコピーして行動との架け橋を作ることが提案されているが、確かな糸口はまだ見つかっていない。現在最も有力だと言われているニューラルネットワークだが、単に脳と脊髄、それから末梢神経を再現する回路を作るだけでは解決できなさそうだ。個人的に、この問題を解決するのは本書でもあるように現象学だと思う。フッサールの言う指向性を人工知能に持たせればよくて、あとはその指向性を持たせる方法を半ば逆探知機器のように探していけばよい。じゃあ、どんな方法を取ればよいのかということはやはり哲学なしには解明できないだろう。自分もそういう分野に興味があるので頑張って勉強しようと思った。
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ゲームの人工知能開発を手がける著者が、ゲームの人工知能をより人間らしく近づけるために、人工知能の「内面」をどのように作っていくかについて、哲学の観点から考えるゼミを行った中での、主に現象学の思想に関する解説部分の講義録。
そもそも私自身哲学が苦手だからというのもあるが、現象学というもの自体の存在意義が今ひとつ理解できず、流れについていきづらかった。直前に読んだDennettの「心の進化を解明する」にあった「理解力なき有能性」の話にも引っ張られているが、ゲームのキャラクターレベルで生き生きとした振る舞いをさせることと、主観的世界を持たせることとがどうもつながらず、主題に掲げる、主観的世界を持たせる必要性を認識できず、前提を共有できなかった。ちなみにDennettの本は人工知能にも触れているが、彼の考えとしては、人工知能はあくまでも人間の道具に留まるべきで、主観的に振る舞い、高度な判断のようなものを委ねられる存在になるべきではない、といったことが書いてあったと記憶している。なので、三宅氏とは正反対であることには留意されたい。
全体として、情報のフローが、単に何らかの情報を受けて処理をし出力する、というだけでなく、一旦アウトプットしたものをインプットし直すなど、複雑化させることで、意識とそれが行う様々な判断を再現できる…ということだが、具体的にそれがどう行動に反映されるかというのが、まだ想像できない。私の現時点での不十分な理解に基づいて言えば、記号接地問題がネックであると感じる。
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人工知能が 賢くなるのはいいことだけど、だれもが少なからず不安を持っていると思います。
アトムのようないい子のロボットは、大歓迎。ぜひそばにいて欲しいね。
でも、ロボットが反逆したら? ん それは悪い人間のせいかも。
作った人のミス? AIが学習するデータが良くない?
本書を手に取った時は 人工知能と哲学 ??? と思ったけれど よく考えれば
AIも人間も 「考える」時の指標の一つが 「哲学」。
これからじっくり読もうと思ったのに、時間切れ・・・。
また借りて読みます!
やはり 哲学のことを知らないので 入っていけず 読まずじまい・・・。
本書とは関係ないかもしれないけれど、下記の講座で知ったこと。
17世紀の科学は、哲学(フィロソフィー)と呼ばれていたんですって。
⇒ URLはこちら 科学史講座第3、5回に参加
『科学史講座第3回に参加 』 〜 Myブログ「パそぼのあれこれフリーク:Part2」
2017/05/01 予約 5/3 借りる。5/10 読み始める。5/30 途中で時間切れでいったん返却。 予約、再度借ります。
2017/7/4 2回目借り 7/20 読まずに返却
人工知能のための哲学塾
内容と目次・著者は
内容 :
2015年5月〜2016年4月に全6回で開催のイベント「人工知能のための哲学塾」の講演録。
ゲームAI開発を牽引する著者が、人工知能を支えるさまざまな哲学について解説。
世界、自己のあり方から人工知能に迫る一冊。
目次 :
第一夜 フッサールの現象学
第二夜 ユクスキュルと環世界
第三夜 デカルトと機械論
第四夜 デリダ・差延・感覚
第五夜 メルロ=ポンティと知覚論
著者 : 三宅 陽一郎
東京大学大学院工学系研究科博士課程を経て、人工知能研究の道へ。
国際ゲーム開発者協会日本ゲームAI専門部会チェア、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会編集委員。
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AIが本物のAIになるための必要な要素のひとつとして著者が考える、哲学を解説してある、と思ってたら大間違いだった。
哲学塾とあるものの、実際は心理学や生物学も含めた幅広い分野をAIに絡めつつ、AIに主観を持るためには何が必要なのかを認知を中心として解説していくように自分には読めた。
本書の素晴らしいと感じたところは、例えば、さりげなく
「意識」を「注意」と置き換えて考えてみます。
といって(理由をくどくど説明することなく)、よどみなく読み進められるところか。
唯一残念だったのは、巻末に読書ガイドがあるとてっきり思い込んでいたのが、めくってみたら講義のディスカッションの記録だったことくらいか。読書ガイド、実在すると思ってたのだけど。。。
勉強不足が身にしみた一冊でした。
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本書は「人工知能」よりも「哲学」に寄っている。
ここで学んだ用語を羅列してみる。
あくまで用語の羅列なので、章題に入っている人物の言葉が登場しない場合がある。
第一夜:フッサールの現象学
・エージェントアーキテクチャ……環境世界と知能世界を分離して考える。
環境世界→センサー・身体→記憶・認識→意志決定→運動の構成→エフェクター・身体→環境世界。
・サブサンプションアーキテクチャ……階層的に作られた知能。エージェントアーキテクチャの情報処理の段階を増やした形。
現象学について
・知能は試錐するだけの存在ではなく、あらゆる感情、あらゆる行為を行う存在である。【新デカルト主義】
・そのあらゆる感情作用、あらゆる行為が、知能の持つ世界を構成する【自然的態度による世界の定立】
・そしてあらゆる感情、あらゆる行為は世界において、あるいは自分自身において対象を持つ。つまり何かを志向する形で存在する。【志向性】
・現象学は対象とともに、志向する様相も記述する【ノエシス=ノエマ】
世界について「考えること」だけを特別視すると、全体的な世界を捉えられない。
「考えること」以外の、世界に対するあらゆる作用を考えなければならない。
第二夜:ユクスキュルと環世界
ユクスキュル
・環世界……生物が主観的に見ている世界のこと。
・対世界……世界からの信号を興奮として中枢神経で受け、行動を励起する固有の世界。
ギブソン
・アフォーダンス……人間がある客体を見るときに、客体に対して無意識のうちにいろいろな価値を自分自身で見出していること。
・オプティカルフロー……光の明暗の変化。自身の身体状態の把握に繋がる。
・知識表現……ルール、属性、位置、対象に対する認識の型のこと。
・世界表現……ゲームのマップ全体に対する表現のこと。
ベルンシュタインの運動構築のレベル
A……姿勢制御
B……関節の連合による運動の原型。
C……生成した運動を周囲の空間に合わせる。
D……運動を連鎖させる行動。
ベルクソン
デカルト批判。内的に生成される時間。
時間は、内部では持続的、軽量できない。外部では持続的ではなく、軽量できる。
今作られている人工知能は、外側から知能や機能を押しつけている状態である。
第三夜:デカルトと機械論
人間の思考と機械の思考との対比。
デカルト
一定の精神の使い方(理性)によって人間は誰でも真理に到達できる。『方法序説』の動機。
ライプニッツ
・普遍学……我々の思考はすべて計算で表現できるという考え方。
・普遍記号学……自然言語では無く、記号によって人間の推論を記述しようとする試み。
フレーゲ
∀∃などを量化記号という。
・量化……「すべての」とか「少なくともひとつ存在する」など、対象の「量」を明示すること。
・一階述語論理……変数について量化する述語論理のこと。
ラッセルのパラド���クスによって第五公理(量化と集合を結ぶ公理)を否定される。
「市長は自分が市長をする市以外に住まなくてはならない。
市長を集めた「不在市長市」に、すべての市長が住まなくてはならない。
「不在市長市」の市長は、どこに住めば良いのか。
ゲーテル
・アレフゼロ……無限における自然数の濃度のこと。
ラッセル
・型階層理論……自己言明を回避するように、集合に対して集団を作って、「この階層からはこれに言及できない」とする。
・シンボルグラウンディング問題(記号設置問題)……世界を記号の体系で記述することができるのか、という問題。人工知能の「知識表現」が直面する。
・「Logic Theorist」……世界最初の人工知能のプログラム。ラッセルの『Principia Mathematica』(著書)の定理をプログラム上で動かすことで、プログラムに数学の定理を証明させる。
・インフォメーションフロー……アーキテクチャにおける情報の流れのこと。
・「Machine Consciousness」……マシンの持つ意識のこと。
・P-Consciousness……主観的に体験されるもの。風の匂いなど。
・A-Consciousness……精神活動、つまり推論、思考、想起など。
(以下はA-Consciousnessを作ろうとするときのモデル)
-Blackboard Architecture(黒板モデル)……記憶体と知識を書き込むナレッジソースがあって、ナレッジソースがOrbiterの指令に従ってBlackboardに描いたり消したりすることで、いろいろな知識をため込んだり、加工したりする。
-Global Workspace Theory…… 情報が書き込まれるWorking Spaceといろいろいなプロセッサがあって、プロセッサがWorking Spaceを処理する役割を持つ。今どこか意識が向いている対象の情報にフォーカスして、いろいろな処理を書く。フォーカスがずれると、プロセッサは新しくフォーカスされた情報にいって処理を行う(劇場モデル)。
-Multiple Draft Model……プロセッサがある程度クラスタ化している。ある問題があり、それに対してプロセッサが連携して解釈がされて書き換えられる。(新聞社の編集モデル)
・「CERA-CRANIUM 認識モデル」……意志決定の部分が階層化されたエージェントアーキテクチャモデル。
第四夜:デリダ・差延・感覚
構造主義……一見異なる対象の中に共通する構造を見出す考え方。
デリダ(ポスト構造主義)
・差延……同一たる自己が変化(差)を持ちながら、時間的に先送りされていくこと。
・現前……現象学でいうところの「いま自分に与えられている経験」
・自己触発……自分自身を差異の起源として差延し、自分を対象化すること。これによって自分自身を・作用化し、記号によって代弁する、表現するということになる。
・サブサンプション構造……反射レイヤー、抽象的レイヤー、知的レイヤー、意志決定の構造。
ソシュール
・シニフィアン……記号における音(表現)。
・シニフィエ……記号における意味。
・シニフィアンの連鎖……言語体系の中に社会や環境の思考の考え方が入り込んでいて、そういったものが人間の社会的知能を形成するひとつの要素になっていること。
第五夜:メルロ=ポンティと知覚論
運動主体感……自分が自分の身体を動かしているという感覚。
身体保持感……自分の身体が自分のものであるという感覚。
ラバーハンド錯覚……自分の腕を隠して、その位置にゴム製の腕を配置し、刺激する実験。
遠心性コピー……何かを感じて身構える、運動を予測すること。
イマージュ……感覚を開けば近くされ、閉じれば近くされなくなるもの(ベルクソン)
遠心性情報……知能から身体へ送られる制御信号。
求心性情報……末端から知能へフィードバックされる信号。
自己受容感覚……自分自身の内部情報――いまどういう姿勢なのか、どうなっているのか、いまからどうなるのかという感覚のこと。
ニューラルネットワーク……全部が数値入力で数値出力のネットワーク。
RNN(リカレント型ニューラルネットワーク)……環境の情報と、リカレント型といって途中の自分のニューラルネットの出力情報を自分に戻すことができるネットワーク。
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2020年の夏休み図書として購入。
2017年から社会人として博士後期課程に進学したことがきっかけで哲学的思考に興味を持ち始め、自身の研究を進める傍ら様々な西洋哲学の入門書も読み進んでいくなかで偶然本書を知ることとなった。
著者は国内におけるゲームAI開発者の第一人者ともいえる三宅陽一郎氏であるが、本書は三宅氏が「人工知能のための哲学塾」というイベントを5回に渡って開催した際の、いわば講義録的な内容となっている。
人工知能関連の書籍はサイエンスやエンジニアリングに偏った内容が多い中で、本書は人工知能に関する専門的な内容は最小限に留めつつ、人工知能開発における哲学的思考の必要性について、終始一貫して取っ付きやすい話し言葉と図解で綴られている。
そのため、"人工知能と哲学"という一見難解かつそれぞれの関連がなさそうなテーマにも関わらず、専門家でなくても読み進めることのできる構成となっている点が、本書の最大の特徴であるといえる。
個人的に興味はあるものの、何から手を付ければ良いのか分からなかった「現象学」について、人工知能という切り口でデカルトとフッサールの哲学を対比させながら冒頭で解説し、最終章でメルロ=ポンティの知覚論に繋げる展開は、非常に理解の助けとなった。
また、本書は現象学アプローチだけでなく、ユクスキュル、ギブソン、ベルンシュタインなどによる生物学的アプローチや、デカルト、ライプニッツ、ラッセルなどによる数学・記号学的アプローチ、そしてジャック・ラカン、ジャック・デリダなどによる構造主義的アプローチに関しても解説され、人工知能開発を下支えするための多角的・多面的なアプローチの必要性を説いている。
「ゲームキャラクターにAIを実装する」と聞くと軽い響きに感じるが、これは「コンピュータに知能を持たせる」ことと同義である。さらに言い換えると、文字通り"人工的に知能を創り出す"ことに他ならない。
そのためにはまず、プログラミングや開発以前に「知能とは何か?」という疑問が出発点となり、その解を足がかりとして構築していかなくてはならず、途方もない地平が広がっていることに気付く。
そしてその解を導出するために、哲学的アプローチが必要であると著者の三宅氏は主張する。
5回のテーマそれぞれが異なる学説やアプローチで展開され、時には哲学から離れる部分もあるが、図表がふんだんに使われ首尾一貫した構成であるため、困惑することなく読み進められた。
また本書を通じて、人工知能開発に対する現在の課題および将来の可能性だけでなく、新たに学んでみたい哲学者について知ることもできた。
最後に、本書を読み終わった時の率直な感想は、
『人間は、根源的に時間的・空間的存在である。』
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人工知能を理解するために、近代哲学の系譜を俯瞰して捉え、知能とは何か?自己とは何か?について考察している。どちらも、まだ明快な説明ができない自分のために読んでみた。読後もいまだに説明ができそうもない。
手元に置いておき再読したい一冊。