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他人を見下す若者たち

著者 速水敏彦

現代人は自分の体面を保つために、周囲の見知らぬ他者の能力や実力を、いとも簡単に否定する。世間の連中はつまらない奴らだ、とるに足らぬ奴らだという感覚を、いつのまにか自分の身...

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他人を見下す若者たち

税込 935 8pt

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税込 990 9pt

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商品説明

現代人は自分の体面を保つために、周囲の見知らぬ他者の能力や実力を、いとも簡単に否定する。世間の連中はつまらない奴らだ、とるに足らぬ奴らだという感覚を、いつのまにか自分の身に染み込ませているように思われる。……このように若者を中心として、現代人の多くが他者を否定したり軽視することで、無意識的に自分の価値や能力を保持したり、高めようとしている――<本文より>

目次

  • はじめに
  • 第一章 感情が変わった
  • 第二章 やる気が低下する若者たち
  • 第三章 他者を軽視する人々
  • 第四章 自己肯定感を求めて
  • 第五章 人々の心に潜む仮想的有能感
  • 第六章 自分に満足できない人・できる人
  • 第七章 日本人の心はどうなるか
  • おわりに

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みんなのレビュー191件

みんなの評価2.8

評価内訳

紙の本

日本に哀しい物語が始まるのか?

2006/05/14 22:38

19人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者も言っているように、学問的にまだ実証されているわけではないが、その通りだと感じることが多い。現在、裏を取る調査中とのことなので、数年のうちには詳しい調査結果も発表されるに違いない。その前にまず、途中何度か引用されている名古屋大学等の紀要を読みたくなった。最近の大学の紀要は面白い研究でいっぱいのようだ。

 さて、著者の造語「仮想的有能感」は、言い得て妙な熟語である。著者の定義によると「自己の直接的なポジティブ経験に関係なく、他者の能力を批判的に評価・軽視する傾向に付随して習慣的に生じる有能さの感覚」(p.131)であるが、根拠のない(実績にも努力にも裏打ちされていない)優越感といったほうが分かりやすいかもしれない。

 著者の造語ではないが、本書に出てくるキーワードを並べれば、きっと多くの人がこの本を読みたくなるだろうと思う。いくつか抜き出してみよう。
 悲しみの希薄化
 怒りの文化
 根拠なき自己肯定
 ユニバーシティ・ブルー
 自分以外はみんなバカ
 ポジティブ・イリュージョン
 他者軽視
 エンビー型嫉妬とジェラシー型嫉妬
などである。

 これではまだという人に、何カ所か部分引用すると、

「現在の個人主義傾向が強まった時代では、葛藤が起きると、即座に怒りの感情として爆発したり、慰謝料などをめぐって醜い争いが展開したりする。すなわち、個人主義の社会では攻撃性が高まり、暴力が日常的に発生するのである。」(p.52)

「九〇年代以降、国際競争力をつけるために日本人はもっと自己主張をせよと言われ続けてきた。そのことが、「人の欠点をはっきり言う人のほうが有能」「先に指摘したほうが勝ち」という風潮を生み、「日本人は『あら探し』をすることがうまくなった」とまで言われるようになった」(p.79-80)

「その場その場での役割や地位というものが機能せず、あらゆる場面で誰もが同じ地平に並んでいると考えているのかもしれない。しかし、教育という場面で教育者と被教育者の間には一線が引かなければ教育は成立しがたいだろう。」(p.98)

「能力の内容はよくわからないが、とにかく自分には何人にもない特殊な才能があるはずだ、という根拠のない自己肯定をしているのである。前にもふれたように最近の社会では「オンリーワン」という言葉が流行歌の歌詞にもなり、非常によいイメージが持たれているが、この考えには落とし穴もある。なぜなら、多用な比較の次元を持つことは人間にとって幸福なことではあるが、誰もが勝手に好ましい自己評価をし、自分にもすばらしいところがあるにちがいないという、楽天的な見方を構築しやすいからである。」(p.111)

「仮想的有能感の高い人は、何よりも自分が弱い存在だと思われたくない。例えば、学業成績が悪い、運動競技に負けたという現実があっても、素直に自分の能力や努力の足りなさを認めるというよりは、先生の指導が悪かったとか、競技場のコンディションが悪かったと自分以外の要因に帰し、自己責任を回避するものと考えられる。その限りでは悲しみは生じない。ただ怒るだけである。」(p.186)

「幼児期から個性化が強調されると、たしかに一種の自尊感情が形成されるかもしれないが、それは、周囲からの一般的な承認をえない、柔らかでぶよぶよした傷つきやすい自尊感情にすぎない。子どもたちが社会化するために大人がしっかりしつけをすることが、仮想的有能感を抑制する。」(p.208)

 これで読みたくならない人は、現実を直視したくない「仮想的有能感」の人、その人だろう。でも、この本を読んで「そうだ。そうだ。」と思うのも、(自分自身に潜む)仮想的有能感ゆえかもしれないと自戒した。そして、これからの日本に哀しい物語が待ち受けていなければよいのだが思った。

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紙の本

何よりも立派だなあと思うのはこの著者が「では、どうすれば良いか」を書いていること

2006/05/28 23:27

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 最近の日本人、特に若者たちの行動パタンが変わってきた。彼らは社会生活が苦手で、他人からマイナスの評価を受けることを極端に恐れ、自らの成功体験によって自信を持つのではなく、(そんな体験は全くないので)先手を打って他人を貶めることによって謂れのない自己肯定に至っている。このことによって今の若者はキレやすく攻撃性に満ちた存在になってしまっているのである──この本の趣旨を私がまとめると、まあ、そんなところである。
 そして、著者はこの「他社軽視を通じて生じる偽りのプライド」を「仮想的有能感」と名づけ、さらに既存の概念である「自尊感情」と有能感とをクロス集計することによって有能感を4タイプに分類し、若者たちに多い「仮想型有能感」を深く掘り下げる一方で、逆に自らの成功体験により自信過剰に陥ってしまって周りを滅多切りにする「全能型有能感」が中年以上に増えているという現象も指摘している。
 この本は、読んでいて別に難しいことはないが、書き方としてはむしろ学術論文に近く、そういうタイプの文章が苦手な人は、例えばこの書評欄に載っているサマリーを読むだけにしておいたほうが良いかもしれない。ただ、それさえ気にならなければ大変読み応えのある論説である。この「仮想的有能感」という概念は近年著者が唱え始めたものであり、社会心理学の世界で定説となっているものではない。従って時系列データの蓄積がなされていない中、著者はいくつかの実証データと推論を交えて論を展開している。もう少し豊富に化学的裏づけがあればもっと説得力があるのにという気もするが、しかし、印象としてはまことに見事な世評である。そして、何よりも立派だなあと思うのは、この著者は単なる分析に終始するのではなく、自分なりに「では、どうすれば良いか」を書いていることである。彼の言う「では、どうすれば良いか」は公平に見てやや月次な感じもする。ただ、そういう地道なことでしか、この嘆くべき現状は改善されないのかもしれない。
 1人でも多くの親や教育関係者に読んでもらいたい。私はそのいずれでもないので、自身を分析しながら、自分がこの本で言う何に当たるかを考えながら読んだ。そういう読み方も必要だろう。
by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

時代遅れのバカがと見下されることを覚悟して、あえてオジサンには言っておきたいことがある。この悪循環を断つのは家庭の教育か、学校の教育か。家庭も学校も期待できないならばいったい誰がやれるのか

2006/04/05 23:24

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

身近にいる若者の何人かと個人的な就職問題でいささか深刻な会話をした。その体験から本著を読んでみる気になったのだが、直後のせいもあってひとつひとつの分析結果がいちいちもっともだと思われてならなかった。その後、ある大企業の部長職に「最近の若者はキレるそうだが職場で実際そうか」とたずねてみた。「仕事上でキレて問題をおこすことはありませんね。結構一生懸命にやってくれますよ。ただし、相当なストレスがかかっているでしょうから、職場を離れたところでキレまくっていることはあるかもしれませんね。『2ちゃんねる』に上司やトップを名指しで『死ね』と悪口雑言、誹謗中傷をぶちまける社員は結構いますから」と怖いことをおっしゃる。
「仮想的有能感」。自分以外はみんなバカだといつのまにか思いこんでいるのだという。そう思いこむことで一時的に自分の体面を保ち、個を主張し、誇りを味わうことができる。厳しい競争社会についていけないものが身につけた必須の自己肯定感だそうで、哀れな心情と言えなくもない。ところがそのままに落ち着いてはいない。自分がいちばん偉いのだから罪の意識は希薄になり、劣等な大衆から気に入らないことをされると一瞬キレる、むかつく、さらには殺傷するところまで発展する。たしかに思い当たる事件は多発している。
「自尊感情」の低下が加わり、彼らにはヤル気がなくなっていることも指摘している。
「子どもや若者たちが大きな志を抱こうにも、周りにモデルとなる大人が存在しない。現実には存在しているのかもしれないが、彼らが憧れを持つようなコミュニケーションがうまくなされていないのだろう」と大人には耳が痛い。
貧しさから豊かさへ。権威主義から民主主義へ。宗教の衰退。集団主義から個人主義へ。著者はこの日本文化の大きな流れがこれを助長していると分析し、その流れは変わらないのだから、このままに世代が進めば仮想的有能感が悪循環的に繁殖するだろうと危機感を訴えている。
仮想的有能感を断ち切る方法として著者は
「本当の意味でのしつけの回復」
「自分を価値のあるものと感じ、ありのままの自分を尊敬できるという、自尊感情の強化。具体的には一定の役割を与え、それを遂行させるという経験を積ませること」
「多くの人たちに直接触れ、実際に自由にコミュニケーションできる場を増やすこと」
をあげている。
さて著者の速水敏彦氏は名古屋大学の教授で教育心理学が専門である。
学者先生の著者はこの三つの解決方法を子どもの教育として家庭、学校に期待している節がある。ところが一方ではすでに家庭や学校がその能力が喪失していると実感しているのだから、提言は迫力が欠け、むしろ本書全体の印象は悲観的であった。
たしかに家庭や学校に期待するのはそれこそ、百年河清を待つであって時間切れである。
その教育をやれるのは企業しかない。
といえば、「そういう人間を生んだ元凶こそ企業のビヘイビアではないか」との反論があろうが、私は新入社員の教育にこそ三つの視点を組み込むべきだと思うし、それはいまこそ可能なのだ。
会社は一握りの投資ファンドのために存在するという市場原理主義の悪夢から覚醒した。今年の入社式、トップの発言では「原点回帰」「倫理」がキイワードだった。会社は社会のために存在する。働いている人間が誇りをもてる会社でなければならない。企業の価値は株式時価総額ではない、真の価値を追求する企業の社会的役割について再認識宣言である。
会社は人である。仮想的有能感を持つ新入社員には現実的有能感をもてる人間に育っていただこう。経営側がこの本を読めば、マニュアルで即戦力をつけるのはいいが、それだけではすまないことに気づかされる。そしてちょっとコストがかかるが、甘ったれの新入社員に家庭や学校が放棄した人格教育をその社内において叩き込むと覚悟せざるをえない。

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紙の本

見るところが異なれば、考えるところも異なるということか

2008/08/03 23:56

10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る

 別のところでも書いたことがありますが、最近の新書はタイトルで読ませるというか、タイトルほどには中身は面白くないというか、著者が本来その本で書きたいと意図するところと編集者の本を売ろうとする意図にずれがあるように思います。しかもこの『他人を見下す若者たち』は、大きな帯に「「自分以外はバカ」の時代!」などとさらに購買欲をあおろうとしているのが見えてしまうようなコピーまでついているので、最近の若者の行動様式や思考を取り上げた他の新書と同じ軽佻浮薄な新書がまた1冊増えたのかと思わせられなくもありません。
 教育心理学を専門とする著者がこの本で言わんとしていたのはむしろ、目次を眺めると見えてくるのかもしれません。
第1章 感情が変わった
第2章 やる気が低下する若者たち
第3章 他者を軽視する人々
第4章 自己肯定感を求めて
第5章 人々の心に潜む仮想的有能感
第6章 自分に満足できない人・できる人
第7章 日本人の心はどうなるか
 キーワードは、「仮想的有能感」です。もちろん著者の造語です。「過去の実績や経験に基づくことなく、他者の能力を低く見積もることに伴って生じる本物でない有能感」(118頁)であり、現代の若者の行動傾向を説明できると考え、いくつかのデータを紹介しながら説明しているわけです。そして、そのような感情や行動傾向が現代の若者だけでなく、今後日本人全体に広まっていくのではないかと警告しているのです。
 研究データの多くは著者や著者が指導している研究グループのものなので別途検証する必要はあるのでしょうが、第1章、第2章などで述べられている現代の若者の姿を読むと誰にも心当たりがあるのではないでしょうか。それだけに、この本で語られていることはある程度納得のいくものではあります。
 しかし、これは私が精神医学・医療を生業としているから感じるのかもしれませんが、「仮想的有能感」とわざわざ名づけるべきものなのか、とも思ってしまいます。精神医学の領域を見渡してみれば、「自己愛パーソナリティ障害」という精神障害があります。「仮想的有能感」とまったく同じとは言いませんが、かなりの部分を「自己愛パーソナリティ障害」で説明できるようにも思います。
 著者もその辺りは一応考えているようで、「自己愛」や「自尊感情」などすでに知られている概念と「仮想的有能感」の異同について検討はしていますが、やや説得力に欠けるように思われます。敢えて、新語を作り出してまで訴えたいものなのかどうか、学者さんたちは、「これは自分が見つけたものだぞ」というのがないとやっていけないのでしょうか。
 もっとも私も精神医学を生業としていながら、わりと近い分野である(教育)心理学でこのような概念が提出されているということをこの本を読むまで知りませんでした。知らなくても仕事はできてしまうのですが、同じようなことを考えているのだなあということを知らせてもらえただけでも、少しこの本の価値はあるようにも思います。

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紙の本

他人をどう捉えるかで、人生が変わる。

2006/05/08 22:20

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:TEMU - この投稿者のレビュー一覧を見る

現代の若者は、仮想的有能感に汚染されている。
仮想的有能感とは、周囲の見知らぬ他人の能力や実力を
否定することで、自尊感情を保つという`症状´だ。
しかも本人の自覚症状がなく、無意識に起こる。
自尊感情が傷つけられると、「自分は他人に比べてエライ、有能だ」
と考える彼らは、当たり前のように(他人に)キレる。
キレる前に、「まずは相手ときちんと対峙する」と意識することで
症状は緩和する。
かく言う私も20代で、若者に属する。
「自分以外はバカ」の時代と叫ばれているように、
自分に関心が強く、他人に(社会に)関心がない世代かもしれない。
例えば、就職を控える学生に
「やりたいことや将来の目標を`自ら探して´、`自己責任´のもとに人生を形成しなさい」という社会が求める若者像は、
あまりにも理想が高過ぎて、腰が引けてしまう。
これではますます社会から遠のく。
この場合、まずは親や周囲の大人が
「君は、○○が向いているから、この仕事をやってみてはどう」
といった手をもっとさしのべてもいいのではないか。
`自分から´相手と真っ向から対峙できる大人が、減ってきて
いるのかもしれない。

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紙の本

過剰反応はしたくない

2006/02/22 11:37

36人中、36人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 自己保存、自己肯定の欲求は、恐らく人間には普遍的にある心理活動だと思う。それが現代社会ではどのような形をとるようになっているのかを検討してみた、という教育心理学者の本である。著者は朝日新聞に掲載されたと言う、吉岡忍の『「自分以外はバカ」の時代』をひき、個人の競争、自己主張を重く見る社会が自分の能力はどうあれ他人をバカにすることによって自己保存を図る若者を作ったのではないか、と主張する。  「仮想的有能感=実績や経験に基くことなく、他者の能力を低く見積もることに伴って生じる本物でない有能感」を現代の若者を理解するキーワードとして造語している。
 感情日記を書かせて事項の数を集計したり、使用される単語の数、種類を分析したりと、心理学という学問はこんな風に調査をし、結論を出してゆくのかが書かれていて、勉強になった。幾つかの要素を組み合わせて類型を考える(ここでは自己肯定感と仮想的有能感)、というのは心理学の一般的なやり方なのだろう、さまざまな行動パターンがすっきり理解できる。
 質問形式のテストでデータを集めることが多い、ということがわかるが、「文化背景によってだけでも違う解答がでるのでは?」とか「現在の年代差なのか、10代の時の環境差なのかわからないのでは?」など、人文系のデータを使った研究の難しさも伝わってくる。文の中に「であろうと思われる」などの推測の単語が多いのもそのあらわれなのだろう。また、インターネットの2チャンネル利用頻度を調べ、インターネットの利用頻度の高い者が仮想的有能感が高いという結論を導き出しているが、著者も書いている「誹謗・中傷の多いと言われる」チャンネルだけの調査でインターネット全般との関係としてしまうのはやはし少々無理ではないだろうかと、もう少しデータを検討して結論を出して欲しいと感じた部分もあった。
 こういったデータ集めの難しさや、上にもあげたように少々無理を感じる部分もあるが、そのあたりのところは著者も充分承知の上で、それでもとにかく指摘をしておきたかった、ということらしい。しかし、新書という形にして広めたことの必要性はなんなのだろう、という疑問がやはり残る。論点は面白いが、もう少し多角的に検討してから世に出したほうがよいのではないか、と思われるのだけれども。
 一般読者の気持ちをあおることだけに終わらないことを祈りたい。読み手側も過剰反応をしたくないものである。
 どうも昨今はこのような「まだ早いのでは?」と思うような新書が増えているような気がするのだがどうだろうか。

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紙の本

若者をなげく年長者たち

2006/09/04 01:21

18人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 はたして今の「若者」が本当に他人を見下しているのかどうかが気になって本書を手に取り読み出したわけだが、冒頭からいきなり「実はこの著者が若者を見下しているのでは?」ということが気になってしまう。
 他人を見下す行為は他人を決めつける立場から開始される。なぜなら、相手が自分より低いと「決定」しなければ見下すことができないからである。そしてこの著者は科学的とは到底言えない「データ」をもとに若者や子どもの傾向を「決定」し、それから安心して、「最近の若者の傾向にはほとほと困った困った」という趣旨でぼやく。しかしその内容は何も「現在」の「若者」や「子ども」にのみあてはまることではなく、「過去」の時代の若者や子どもたちにも、そして著者の態度を例に引くまでもなく、現在の、かなり年長で、いろんな意味で模範を示さなければならないかもしれない人たちの中にも容易にあてはまる人が多い、そういう傾向であると思うのだ。
 それなのになぜ著者は問題を矮小化し、現在の若者にのみタイトルのような問題があるかのように語ってしまうのだろう。若者は若者たちだけで若者になり得るものなのか?
 古今東西、世代と世代との間には広くて深い価値観のミゾが走っているものなのではなかろうか。どの世代も若いときには老人から「最近の若いモンは‥‥」と嘆かれるものなのではなかろうか。その証拠として採用できるかどうかわからないが、古代の遺跡から発掘された「くさび形文字」で書かれた文章の中にも「最近の若者はなっとらん」的に書かれているのだそうである。(「最近の学生はちっとも勉強しない」という嘆きも不滅らしい。勉強する学生・しない学生、ともに昔からそれぞれ大量にいたということなのだろうか。)
 ‥‥この本は、そのような、上の世代が下の世代をわけもなく嘆く、そういう文章の一つであるように思えてならない。

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紙の本

研究書とは呼べない

2006/06/25 00:32

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る

 実績や他者からの評価に基づかない自身の有能感を「仮想的有能感」と名づけ、これを持つ若者が多くなったから日本社会には色々問題が起きはじめた、と言うのが著者の主張だと思う。こういう考え方自体は別にあってもおかしくないが、いくつか疑問点がある。
 まず、なぜ若者に限定したのか、と言うこと。他者を見下して有能感にひたるというのは、昔からよくあったことだと思う。有名な政策の例では、被差別部落の問題が挙げられると思う。あとがき部分にもあるように、著者の若者に対する先入観が若干先行しすぎているきらいがある。
 次に、何を根拠にしているのかと言うこと。研究者であるならば、客観的根拠に基づき自説を主張すべきと思う。後半の章で、有能感に対する年代別評価の調査を行っているが、その結果は著者の見解を必ずしも裏付ける結果ではない。それにもかかわらず、対象が女性が主であり、仮想的有能感は男性に多いと考えられるから、と言う根拠のない理由で、それ以後も自説を展開している。そう考えるのならば、それを検証する調査を行ってから自説を展開するのが筋なのではないだろうか?
 評論家であれば自分の思っていることを主張したいように主張してもかまわないと思うが、研究者であれば客観的事実に基づいて主張すべきだと思うのは間違いなのだろうか?

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紙の本

タイトルで失敗している。若者に限定するのは疑問。

2011/05/27 21:51

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みす・れもん - この投稿者のレビュー一覧を見る

読了するまでに思いの外、時間を要した。それは本書の構成に問題があるように思える。理論の展開に流れがなく、論点があっちこっちへ飛び、気がつくと先ほど読んだことと同じようなことが書かれていたりする。内容を咀嚼して消化するまでにかなり時間を要する。そのせいか途中で飽きがきてしまい、読み流してしまった。

まずは、このタイトル「他人を見下す若者たち」。これは失敗だと思う。このタイトルに釣られて本書をめくった人(私も含め)は、少なからず失望することになるのではないだろうか。なんとか若者の他者に対する侮蔑感情について理論づけようとしているのだけれど、読んでいるうちに「若者だけじゃないのでは? 何故に若者だけに限定するの?」との疑問が生じる。著者に言わせると、若者の持つ他者への侮蔑感情は自分の経験に裏付けされていないもの、本書で定義されるところの「仮想的有能感」であるということになる。一方、中高年が持つ他者への侮蔑感情は自分の経験に裏付けされたものである「自尊感情」からくるものだということだ。

確かに、若者たちが蔑視する対象は、具体的に自分には関係のない人たちに限定されるのかもしれない。それは芸能人であったり、あるいは政治家であったり、犯罪者であったり。自分がその立場になることがないと思われるものが対象となることが多い。自分の実際の経験と比べることがないからこそ、簡単に批判し、「死ね」などという過激な言葉を投げつけることもできるのかもしれない。
一方、中高年者がもつ蔑視感情は誰に向けられたものか。自分より格下(と本人が思っている)の若者だろうか。
自分の経験と照らし合わせて、「今の若者は・・・」とお決まりの台詞を口にするわけだ。

しかし、あたりまえだが、これを「若者」と「中高年」とに単純に分けることはできない。「若者」のなかにも「中高年」のなかにも当てはまらない人は多く存在する。ま、数で言うと少数派になるのだろうか・・・。

最近よく感じるのは、若者だろうがそうでなかろうが、「想像力」の欠如している人が多くなっているのではないか、ということ。相手の立場にたって物事を考えることが出来ないと言い換えてもよいかもしれない。
困っている人をみて、その人の気持ちを想像する。自分の行動が他人にどのように受け止められているか、それを想像する。そういう力が衰えているのでは?と思うことが頻繁にある。だからこそ、簡単に人を嗤い、平気で迷惑行動を起こす。

他人を見下すことによって、自分を持ち上げる。自分自身は変わっていないのに、それで偉くなったような気分に浸る。実態のない自信。「努力」という裏付けのない自信。
何も「若者」に限定することはない。それを世相のせいだというのであれば、あらゆる世代にいても不思議ではないのだから。

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2007/02/23 20:26

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2006/03/14 00:14

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2006/03/21 21:55

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2007/02/20 23:46

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2006/04/14 13:52

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2006/04/14 20:25

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