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電子書籍
憲法改正とは何か―アメリカ改憲史から考える―(新潮選書)
著者 阿川尚之
「憲法は〈国のかたち〉を表現している」「〈国のかたち〉は、改憲しても変わらないこともあれば、改憲しなくても変わってしまうこともある」―― 27回の改正を経てきたアメリカ合...
憲法改正とは何か―アメリカ改憲史から考える―(新潮選書)
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憲法改正とは何か アメリカ改憲史から考える (新潮選書)
商品説明
「憲法は〈国のかたち〉を表現している」「〈国のかたち〉は、改憲しても変わらないこともあれば、改憲しなくても変わってしまうこともある」―― 27回の改正を経てきたアメリカ合衆国憲法の歴史から、「立憲主義」の意外な奥深さが見えてくる。「憲法改正」「解釈改憲」をめぐる日本人の硬直した憲法観を解きほぐす快著。
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紙の本
日本人が知らない「立憲主義」の意外な真実!「憲法改正」「解釈改憲」をめぐる日本人の硬直した憲法観を解きほぐす快著
2018/05/17 19:02
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
新潮選書『憲法改正とは何か:アメリカ改憲史から考える』、新刊『憲法で読むアメリカ現代史』、読売吉野賞『憲法で読むアメリカ史』の<憲法三部作>は必読モノ。
社会生活を送る人々に憲法が大きな意味を持つという点では、本書が対象とするアメリカは、日本を大きく凌駕することは間違いない。著者の言葉を借りれば「アメリカ人は憲法を大切にするが、神聖視はしない。それに対し日本人は憲法を神聖視するものの、それほど大切にはしない」のである。
そのため、憲法と社会の間には複雑な相互作用が起こる。憲法は政治をはじめとする社会のあり方に影響を与えるが、社会のあり方もまた憲法に影響を与える。
本書は後者の側面、すなわちアメリカにおいて社会のあり方が憲法にどのような影響を与えてきたかを、憲法改正という視点から考える著作である。著者には既に、憲法がアメリカ社会にどのような影響を与えてきたかを鮮やかに描き出した『憲法で読むアメリカ史』という作品があるが、本書はそれを逆方向から語り尽くしたともいえよう。
著者はアメリカの法律家として出発したのであり、南北戦争後の憲法修正が持つ手続き的問題を語るときなどの論理性には、その凄味の一端が窺える。だが同時に、本書の根底に流れているのは、アメリカにおける憲法という法律文書と社会に生きる人々との相互作用に対する、著者の純粋な知的好奇心と暖かい視線である。それは、アメリカ社会と合衆国憲法への愛、と言い換えることさえできるかもしれない。
日本国憲法の改正については、本書はいくつかの含意を導くにとどまる。むしろその方が良い。憲法と社会の間にどのような相互作用があるのか、憲法改正にかかわる人々はどのような知的格闘を続けているのか。本書は、各人がそうしたことを考えるための、大切な手がかりを与えてくれる。
紙の本
憲法解釈変更と憲法改正
2018/03/20 14:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kapa - この投稿者のレビュー一覧を見る
米国の歴史を憲法の観点から見た「憲法で読むアメリカ史」を著わした阿川氏が、その米国憲法の改正史の著作を上梓された。折しも日本では、憲法改正論議が行われており、日本国憲法誕生に大きく関係した米国自身の憲法改正を見ることで、日本の議論の参考に、ということであろう。米国の約230年の歴史で憲法改正は27回、最初の10の修正条項を別にすると、そう頻度は多くない。国の形を決める憲法をほとんど変えていないと言ってよいのだが、米国は超大国になったのである。憲法はその障害にはならなかったのだ。この理由として、それが憲法改正という形か、大統領・議会の運用の積み重ねによる憲法慣習なのか、さらには最高裁による憲法解釈変更によるものか、様々な態様があるが、米国では憲法は常に時代の流れに沿って変化してきた、というのが筆者の結論であり、したがって、日本でも解釈変更を含めて幅広く考えるのが良いという示唆である。
著名な米国憲法修正条項には、例えば奴隷制度の廃止を定めた修正第13条(1865)、「アンタッチャブル」時代の禁酒法を定めた修正第18条(1919)、大統領三選禁止を定めた修正第22条(1951)などが思いつく。最近では、大統領を主人公とするハリウッドのアクション映画、「エア・フォースワン」(1997)、「エンド・オブ・ホワイトハウス」(2013)、「ホワイトハウス・ダウン」(2013)では、大統領死亡・職務執行不能時のルールを定めた修正第25条(1967)が登場する。また、連邦議会議員給与について定めた修正第27条は200年かけて1992年に発効した改正であるし、第18条は1933年修正第21条で変更されるなど、結構細かいことまで定めたり、あっさりと改正したりと、しっかりした議論をしているところは見習うべきところかもしれない。
憲法典の改正だけでなく、憲法解釈による憲法改正について、大統領・議会・最高裁の三権の間の攻防、そして憲法への挑戦も興味深い。三権は当然に自ら憲法解釈を行うことができるが、それが常に一致するとは限らない。三権は自らの解釈を貫徹するための手段を持つが、大統領が法案に署名する際に付与する「署名時声明」で、特定の条項の憲法違反を主張し、執行しないという手法が自らの権力を維持拡大に活用されているというのも、抑制と均衡の厳格な米国三権分立ならではの手法である(「大統領が変えるアメリカの三権分立制 署名時声明をめぐる議会との攻防」梅川健著、東大出版会2015)。かつてヒューズ第11代最高裁長官は、「憲法とは裁判所がこれが憲法であるというところのものにほかならない」といって最高裁の最終的有権解釈権を印象づけたが、ニューディール期の連邦政府への権限集中を憲法解釈の変更で認めた「憲法革命」は、実質的には「憲法改正」であり、アメリカという国の形を変えたといっても過言ではない。しかしその最高裁とて、判事任命手続・予算承認は議会に握られているし、何より紛争の解決手段としての憲法解釈なのだから、争いがあって裁判所に事件が上がってこないとどうしようもないのである。例えば、戦争権限法のように大統領の戦争権限を縛る法律は、共和・民主どちらの大統領も違憲というのにそのまま効力を持つことになる。このように見ると、三権分立の原理が憲法解釈の安易な変更で実質的な憲法改正をできないようにしているとも考えられ、あらためて建国の祖父の知恵に感心する。
ところで、米国連邦制の歴史は、州と連邦の対立の歴史である。阿川氏は、州による連邦憲法への挑戦については、「また別の機会に記そう」(本書184頁)とされている。本書続編として著作を期待したい。
紙の本
憲法秩序の守り方・あり方についての先行事例
2016/12/31 14:59
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:miyajima - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はアメリカ合衆国憲法とりわけ権利章典と呼ばれる修正条項全10条に重きを置いて述べると同時に、これらの条項にまつわる権利について、憲法改正によってアメリカが大きく変容した部分と、憲法改正を経ないで変容した部分の双方を取り上げています。
立憲の父祖たちは、憲法が最高法規であることを認めているがゆえに改正がその基本性を損ねることも、同時に、だからと言って改正を不可能とする憲法は暴力による体制変革を招きかねないことを理解していました。そのバランスを入念に検討したのです。とりあえずは安易な改正に否定的だったマディソン(フェデラリスト)主導で改正手続きが相当高いハードルに落ち着きました。
主権を君主が有している場合に、恣意的な権力乱用に歯止めをかける点では、例えば1689年の権利章典などは意味がありました。ですが、マディソンは共和国において恐れるべきは政府による権力乱用ではなく、むしろ主権を有する人民の多数による権力の乱用だと考えていた点は注意が必要です。そこで憲法の基本は統治機構と呼ばれるものの基本的な制度のありかたを定めることが中心となります。権力分散と抑制、均衡によってそれを防ぐことです。
1788年に憲法の成立を受けたのち1791年に第1修正から第10修正までの権利章典と言われる改正条項が発効します。マディソンは国民の同意なしには憲法の正統性が得られないことも理解していました。権利章典という憲法改正を自らが手掛けて、この憲法が改正可能であること、それゆえ正統なものであることを証明したのです。
で、制定から230年たっても当初の憲法典が解釈と改正によって少しずつその形を変えていながらも機能しているのは、憲法典が時代の価値観を盛り込まなかった点に負うと考える学者も多いようです。それを物足りなく思う進歩主義勢力が積極的に憲法改正を実現しようとした経緯があります。
一方で日本国憲法はニューディーラーの起草した非常に進歩的な条項が盛り込まれ、国内の革新派が支持したという事情もあり、憲法改正をめぐる議論はとかく価値観に関する対立になりがちです(愛国心・家族・公の秩序など)。この点、著者は「好ましくない改憲に対抗するための、あるいは好ましい改憲を実現するための改憲運動が保守派だけでなく進歩派にあっても良いのではないか」とします。
さらに、アメリカの憲法改正が特定の条項ごとに行われるのに対し、日本国憲法の場合は根本的に改正するかあるいはまったく変更しないかに傾きがちです。アメリカの場合は最初の10の修正条項が一気に制定された以外は修正条項の一つ一つがそれぞれかなり慎重に制定されてきた経緯があります。憲法を大きく変更したら国のかたちの根本が崩れるという暗黙の了解があるように思われるとも指摘します。
それを受けて、完全な書き直しや大幅な現行憲法の改定は戦後70年にわたって築かれた憲法秩序を不安定にするおそれがあるから、全体のバランスを崩さぬように確かめつつ、一歩一歩進むほうが安全であろうと説きます。