130年前、聡明な英国女性が見た日本の奥地
2008/05/03 20:27
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投稿者:mikimaru - この投稿者のレビュー一覧を見る
1878年(明治11年)の横浜に、ひとりのイギリス女性が船で到着した。
持病の影響で控えめな青春時代を送ったスコットランド地方出身の著者イザベラ・バードは、医者のすすめにより20代でアメリカとカナダを訪れて旅行記を出版したのち、社会奉仕活動などを経てふたたび40代から転地療養を兼ねた旅行をはじめる。オーストラリア、ニュージーランド、ハワイ諸島などに滞在。日本には47歳で到着し、東北や北海道をまわった旅行(本書)を終えたのち関西をまわった道中で、48歳を迎えたことになる。
病気がちの一婦人による単身の旅行、しかも荷物運搬や案内人は必要に応じて雇った場合もあるが、原則として通訳兼随行者の伊藤青年以外には頼る者もない旅に出るという、その強い意志におどろいた。道路も鉄道も完備されておらず、人を乗せることには慣れていない日本の馬(多くは使役用)を利用した旅に出るには、思いきった年齢だとの思いがある。
だが著者は、地方の村や僻村での不衛生さ(*1)、人々の不作法(*2)を嘆きながらも約三ヶ月の旅行を終えた。しかも最後の四週間は各地のアイヌの集落を訪ねながら北海道に滞在し、現代の日本人がよく知らずにいるアイヌ文化や言語(語彙)についても、細かくつづっている。
随行者である伊藤青年は18歳で、面接時には紹介状もない状態だったが、三ヶ月のあいだにまたとない人材へと成長していく。著者の望みを察知し、有能で機敏に対応すると同時に、ずるがしこさや野心も持ち合わせた一癖ある存在でもある。
指示を受けずとも、著者が興味を示すその村の戸数や人口を聞いてまわったり、えらい外国の先生に付いている通訳であると自分を誇示したい場合には正装をする。自分が行きたくない僻地には、やれ道が悪い、たいへんな道のりだからやめたほうがいいと、難癖をつけたりもする。なかなか味がある。この紀行の最後、北海道でふたりは別るが、その後はどうなったのだろうと検索をした。その後も通訳兼ガイドとして活躍したようである。
だが、伊藤青年の存在が気になる人はいるようで、どうやら彼の存在をモチーフにした小説「イトウの恋」というものも、出ているのだそうだ。
閑話休題。
乳製品や肉をなかなか食べる機会がない著者に、伊藤は鶏を買ってきて宿屋にゆでるように手配する。だがその直後、鶏卵をとるためならばともかく、肉として食べられるのは哀れだと、飼い主が返金しやってくる、あるいは鶏が逃げてしまうなどの珍事も数回あった。道中の食べ物に関する苦労話は枚挙にいとまがない。
旅の序盤で日光の金谷家(のちの日光金谷ホテル)に滞在し洋風の食事ができたころや、東北地方で洋食屋に遭遇したこと、そして旅のごく最後のほうで北海道の海の幸を食べられたことを除き、著者はほとんどの日々を嘆いてばかりだった。これは著者がわがままというよりは、当時の日本の僻村が、人をもてなすほどに余分な食料を持たなかったことにもよるだろう。
あとがきによると著者はこのあと韓国やインド、ペルシャなどに旅をし、病院の建設などに携わったようである。60代でも日本を数回訪れている。旅の生涯を1904年に、72歳で終えた。
とても長い本だが、読んでみるだけの価値はじゅうぶんにあった。
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(*1)不衛生さについて
屋内や畳の蚤、人々の不衛生さからくる皮膚病の蔓延については、数え切れないほどの描写がある。著者は折りたたみ式の寝台(枠組みに布をつけたもの)を携行していた。
(*2)人々の不作法について
外国人が珍しいとはいえ、集団で見物にくるなどは序の口で、安宿で就寝中に障子に穴を開けられたり、ふすまをすべて取りはらわれて見物されたことも一度や二度ではなかった。
てらいも気取りも無い妹宛の手紙文が好ましい
2008/09/19 21:55
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投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は英国地理学会の会員ではあるが、地理学者でも民族学者でもない旅行家の、スコットランドの一中年婦人である。しかし、観察力と文才はなかなかのものである。てらいも気取りも無い妹宛の手紙文が、好ましい。この著作以前にも旅行記を何冊か発行し、再版されていたとのこと。
明治11年に東京から日光・会津を経由して日本海側から東北地方を北上し、北海道に渡り、門別まで行っている。その過程での観察と印象が、当時の東北・北海道の道路事情や和人と蝦夷人の生活事情、自然や風物の貴重な記録となっている。当時の人々の貧しい暮らしぶりと、なきに等しい道路事情に驚く。その中で暮らす人たちは、好奇心が強く、明るく親切で、礼儀正しい。森林や河川の自然の美しさも格別であったようだ。現代までに失われてしまったこれらのものに、惜別の感情を持たざるをえない。しかし、とても昔に戻りたいとは思えない、蚤と蚊と、貧しい暮らしぶりと交通状況である。外国の一婦人が、そのような環境で良く旅行を続けられたものだと思う。本人の強い意志と世界中を旅行してきた経験と、当時の日本人の人の良さによるものであろうか。
この本は原著の前半でしかもいくらかの省略があるという。この本には無い後半は、奥地ではなく関西地方の旅行記であるとのこと。
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投稿者:藤和 - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治になったばかりの頃の日本を旅した外国人の手記。
東京や横浜などの主要都市、日光などの観光地だけでなく、もっと北の岩手や新潟、果ては北海道まで旅路は続く。
当時はまだ道路の整備も不十分で、いかに困難な道のりだったかが綴られている。
すこしはずれた村落に行くと、文明の影はなく衛生状態も良くないと言うことがつぶさに書かれている。
こんな時代もあったのだなぁと言うのを感じる。
明治維新当時の英国の旅行家による日本旅行記です!
2020/05/12 09:39
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、19世紀の大英帝国の旅行家であり、探検家でもあり、紀行作家でもあったイザベラ・バードの日本旅行記です。同書は、彼女が1878年(明治11年)6月から9月にかけて東京から北海道(蝦夷地)までの旅行の記録であり、明治維新当時の日本の地方の住居、服装、風俗、自然を細かく書き留めてあります。またアイヌに関する記述も豊富にあり、貴重な史料とも言える一冊です。「はじがき」はじがきには、「全行程を踏破したヨーロッパ人はこれまでに一人もいなかった」、また、「西洋人のよく出かけるところは、日光を例外として詳しくは述べなかった」という記述があり、他の紀行文とは一味違うことを著者自身がにおわせています。
明治の日本の様子がわかります
2017/10/28 23:30
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投稿者:ねったいぎょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治初期の日本を一人の外国人女性が旅行した記録です。とても詳細に書かれていて、特に日本に気をつかうこともなく、率直に書かれているのが気持ちが良いです。当時の様子がわかる貴重な本だと思います。文庫にしては値段が高いと思いましたが、この厚さと内容なら、むしろ安いぐらいですね。歴史に興味がある人は読んでおきたい一冊です。
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イザベラ・バードは明治11年に横浜に上陸し、東京から東北地方を縦断、北海道まで旅を続けた英国人女性です。彼女の足跡を追うNHK仙台制作の番組に感化され、今一番読みたい本の一つです(読んでなくてすみません)。
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この本を知ったのはJALの機内誌で紹介されてたから名前をメモってきて購入。明治時代の日本の田舎ってこんなのだったんだと素直にびっくり。外人からみたらなおさらびっくりしたということがこの本から感じ取れます。
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(2006.02.13読了)(2005.12.25購入)
宮本常一著の「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」という本を読んだのですが、本家はまだ読んでいなかったので、神さんに頼んでクリスマスプレゼントとして買ってもらいました。宮本さんの本もかなり興味深い内容でしたが、この本も、明治初めの頃の東北地方の状況が書いてありますので、貴重な記録といえます。
芭蕉の「奥の細道」と同様、同じ道をたどってみたい気が起こります。但し、この本には地図か付いていませんので、自分の地理の知識では、大雑把な道筋しか分かりません。
東京から日光に向かい、さらに会津の辺りを通り、新潟に抜け、山形、秋田、青森と辿り、函館に渡り、室蘭、苫小牧、長万部などを訪れたようです。北海道では、アイヌ部落で、生活したようです。
「本書は、私が旅先から、私の妹や、私の親しい友人たちにあてた手紙が主体となっている」(18頁)(郵便制度というのは凄いです。)
●横浜駅(36頁)
切符切り《これは中国人》、車掌と機関手《これは英国人》、その他の駅員は、洋服を着た日本人である。
●中国人(43頁)
横浜に一日でも滞在すれば、小柄で薄着のいつも貧相の日本人とは全く違った種類の東洋人を見ずにはいられない。日本に居住する二千五百人の中国人の中で、千百人以上が横浜にいる。もし突然彼らを追い払うようなことがあれば、横浜の商業活動は直ちに停止するであろう。
商館で何か尋ねたり、金貨を札に換えたり、汽車や汽船の切符を買ったり、店で釣銭をもらったりするときには、中国人が必ず姿を見せる。街頭では、何か用事のある顔つきで元気よく人のそばを通り過ぎる。彼は生真面目で信頼できる。彼は雇い主からお金を盗み取るのではなく、お金を絞り取ることで満足する。人生の唯一の目的が金銭なのである。このために中国人は勤勉であり忠実であり克己心が強い。だから当然の報酬を受ける。
●日光、入町村の学校(118頁)
学校の器具はたいそうよい。壁には、立派な地図がかけてある。先生は、二十五歳ばかりの男で、黒板を自由自在に使用しながら、非常に素早く生徒たちに質問していた。英国の場合と同じように、最良の答えを出したものがクラスの首席となる。従順は日本社会秩序の基礎である。子供たちは家庭において黙って従うことに慣れているから、教師は苦労をしないで、生徒を、静かに、よく聞く、おとなしい子にしておくことができる。
●子供をかわいがる(130頁)
子供たちは両親と同じように遅くまで起きていて、親たちのすべての話の仲間に入っている。私は、これほど自分の子供をかわいがる人々を見たことがない。子供を抱いたり、背負ったり、歩く時には手をとり、子供の遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れてゆき、子供がいないといつもつまらなそうである。他人の子供に対しても、適度に愛情をもって世話をしてやる。父も母も、自分の子に誇りを持っている。
●「外人が来た!」(168頁)
外国人がほとんど訪れることもないこの地方(猪苗代湖辺り)では、町のはずれで初めて人に出会うと、その男は必ず町の中に駆け戻り、「外人が来た!」と大声で叫ぶ。するとまもなく、老人も若者も、着物を着た者も裸の者も、目の見えない人までも集まってくる。
●日本の子供(312頁)
私は日本の子供たちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子供がうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。
私は、子供たちが自分たちだけで面白く遊べるように、うまく仕込まれているのに感心する。家庭教育の一つは、色々な遊戯の規則を覚えることである。子供たちは自分たちだけで遊び、いつも大人の手を借りるようなことはない。
私はいつも菓子を持っていて、それを子供たちに与える。しかし彼らは、まず父か母の許しを得てからでないと、受け取るものは一人もいない。許しを得ると、彼らはにっこりして頭を深く下げ、自分で食べる前に、そこにいる他の子供たちに菓子を手渡す。
著者 イザベラ・バード
1831年10月15日 イギリス生まれ
1854年 医者に航海を勧められアメリカとカナダを訪れる
1878年(明治11年) アメリカを経由し上海へ。さらに横浜へ。東北、北海道を旅行
1880年 「日本奥地紀行」出版
1894年 朝鮮旅行
1898年 「朝鮮とその隣国」出版
1904年10月7日 死亡、享年72歳
(「MARC」データベースより)amazon
文明開化期の日本…。イザベラは北へ旅立つ。本当の日本を求めて。東京から北海道まで、美しい自然のなかの貧しい漁村、アイヌの生活など、明治初期の日本を浮き彫りにした旅の記録。73年刊東洋文庫の再刊。
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中島京子の『イトウの恋』を読んで読みたくなった本。
あまり期待せずに読み始めたのに
イトウの恋を先に読んでいたせいもあったのか
意外ののめり込んでしまった。。
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明治時代に、東北から北海道を旅した、イギリスの女性探検家の紀行文。
若干の優越意識はありそうだけど、でも、日本を見る目がすごく素直でかつ鋭い。好奇心といい、描写力といい、視点の確かさといい、この著者は、私にとって「尊敬する女性」のひとりだなぁ…。
寺子屋で教材にしていたという「いろは歌」の訳し方(これはいい訳だ!)とか、「子どもにこんなクラい歌を教えるのがよくわからん」という感想とか、非常に面白いです。
日光に行ったあたりで、著者は「将来ホテルを経営したいという夢を持ってる金谷さん」のおうちにお世話になっています。のちのあの金谷ホテル! 夢をかなえたんですね、すごーい!!
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転地療養のため明治の日本を訪れ、北海道までを旅したイギリス人女性による紀行文。病弱なはずなのにとんでもなく元気だ。当時の日本人の暮らしぶり、特に歴史の表舞台に立つ事の無かった東北や北海道の庶民の暮らし、あるいは既に迫害を受け始めていたアイヌの暮らしなど、外国人ならではの「外部の視線」で描かれているのが新鮮だった。
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20091218
イザベラ・バードさん。
身体が弱いので旅行でもしたら?で世界中回って紀行文書いて
旅行家扱いなお方。
明治初期の日本の関東~東北~北海道(アイヌ)の観察紀行記。
詳しく書いてあるので面白い。
昔の日本て古いところだったんだなあ。
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明治時代の東北北海道の風俗を知る貴重な旅行記
文明開化期の日本。イザベラは北へ旅立つ。本当の日本を求めて。東京から北海道まで、美しい自然のなかの貧しい農村、アイヌの生活など、明治初期の日本を浮き彫りにした旅の記録。
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」は是非読んでみたかった一冊です。東洋文庫は高価な2冊組みですが、平凡社ライブラリーでは安価で入手することができます。
イギリス人の女性が日本の東北北海道を一人旅するというのは、交通網が発達した今とは違って、当時はとても勇気の要ることだったと思います。それでも日本の奥地へ向かったのは、彼女の好奇心の強さによるもので、従者を一人だけ連れて何度も落馬したり危険な目にあって苦労しながらも北海道に向かいます。
途中の町で様々な日本人と交流し、その土地の風俗を手紙に書きとめて発信したものが、この記録の基になっています。
日本人にとって、当たり前の習慣は記録に残りにくいものですが、外国人の彼女の目からは、見るもの聞くものが風変わりで珍しいものに見えたのでしょう。
この本を読んでいくと、明治初期の日本の地方の姿がどのようなものであったか、よくわかります。
江戸や京都などの大都市を描いた外国人の著作は多いのですが、彼女のように地方を旅した人は少ないと思います。同じ日本でありながら全く違う習慣や風俗を見て、別の国を旅している気分になったかもしれません。
日本という国の多様性を知る意味でも大変貴重な記録だと思います。
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[ 内容 ]
文明開化期の日本…。
イザベラは北へ旅立つ。
本当の日本を求めて。
東京から北海道まで、美しい自然のなかの貧しい農村、アイヌの生活など、明治初期の日本を浮き彫りにした旅の記録。
[ 目次 ]
初めて見る日本
富士山の姿
日本の小船
人力車
見苦しい乗車
紙幣
日本旅行の欠点
サー・ハリー・パークス
「大使の乗り物」
車引き〔ほか〕
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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今の日本に生きるぼくの視点は、明治時代の外国人であるイザベラ・バードの視点に近い。アイヌとの接触が興味深い。この人の旅はあまり楽しい感じはしないけど、なんで旅しているんだろう?