紙の本
物語世界は「舞台」、登場人物は「役者」
2021/05/09 09:34
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投稿者:Carmilla - この投稿者のレビュー一覧を見る
ということは、我々「作家」は「演出家」ということなのですね。
という茶々はともかくとして……
一番心に残ったのは「描写」の大事さ。
「きれいな花」と書くより、色や形を書くだけで、読者の印象はだいぶ変わるということ。
筆者は長らく小説講座の講師を務めているが、そこで感じたことは「設定をつらつら書いただけで、作品が成立する」と思う受講生が多いということ。多分自分も、その一人に違いない……
紙の本
結局、どこでつまずくのか?
2020/02/29 23:49
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投稿者:shogiがsuki - この投稿者のレビュー一覧を見る
作品(小説)じゃないんだから、もっと論理的、箇条書き、短く書いて欲しい。でも、それじゃあ、本として高い値を付けられないというレジンマが出版業界の現状を象徴している本なのかも?
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内容が高度で、この本をガイドに小説を書こうとすると、難しくなってしまいそう。書き始めるときはうっかりしたことがたくさんあってもいいと思う。推敲や書き直しの時に参考にするのがよさそうだった。
自分の考えと対立した考えを持っている登場人物を描くというのはすごく参考になった。意識せずにやっていたことであったかもしれないが、より意識的に次回以降取り入れたい。
この本を出版した後に気づいたことがあとがきにまとめられており、創作も、創作のガイドも試行錯誤の連続であることが伺えた。
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言っていることはもっともなのだけれど、情報がこま切れな感じで読みつらい。
もう少し構成を工夫すれば全体的な流れが生まれたんじゃなかろうか。
その時点で、本書の内容の説得力が薄い気がしてしまう。
個人的に、論理的に物語の構成を見せるならば、平田オリザ氏の著書のほうがわかりやすく、個々の表現や演出ならば「「感情」から書く脚本術 心を奪って釘づけにする物語の書き方」の方が読み物として面白い。
両方とも小説とは異なるが、物語という点では参考になる。
というか、この本もあんまり「小説だからこそ」という表現には言及していない気もする。
(そのあたりは個々の作家の個性のレベルであり、教えられないものなのかもしれない)
たぶん、この本で重視される事柄と、私の好みのツボが違うのだろう。
あとがきを見ると、著者自ら「えっ、なんで再販されるの?」という動揺が透けてみえ、好感度が上がる。そこが一番面白かった。
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まえがきでもことわられていたけれど
例えが多くって、そこが面白かった。
宮原さんの小説の授業で書かれた生徒の小説を
1つ1つ丁寧に取り上げて
「この小説の何処がダメなのか?」と赤ペンしていく。
「よくできた作品だけど、ここがダメです。」
とバッサリ切っていくその姿勢や、理由の明確さが面白くもあるし
しんどくもある。為になることは間違いないと思う
取り上げられた小説作品を読む気にはあまりなれないけど
面白そうな要素は点在するし、自分が小説を書いても似たようなものになりそう。
小説を書いたらもう一度読み直してみたいなと思いました。
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芥川賞作家村田沙耶香が日経新聞(2017/3/16夕刊)で、本書について書いていて気になった。
「この本が絶版になったらと不安で、見かけるとすぐに買った。」
えっ、そんなに貴重な本なの?!と驚いたが”小説を書く人”に向けての内容なので読み手も少ないから版もそうそう重ねないからということだろう。
でも、このたび沙耶香効果で「増補版」だ。気になるので、いっちょ読んでみるかと手に取ったもの。
なかなか面白い1冊だった。著者自身もかつての芥川賞受賞作家だった(失礼ながら著作は読んだことはない、名前も知らなかった)。
「美しい花」は説明、「紫色の小さな花」は描写。安易に視点を変えるな、思いついた順と書く順は違う。設定は飛躍、展開は正確。「筆者がどう感じ、どう思ったか」を記すのは「手記」、「読者にどう感じさせ、どう思わせるか」が「小説」etc.etc....
簡潔にまとまって、参照例も多く提示されている分かりやすい指南書だった
これを読んだからといって小説家になる気はないけど、この「ブクログ」のレビューで、今後、「粗筋会話の多い作品」とか、「こりゃ手抜き回想だ」などと小賢しい言い回しが増えたら、それは本書の責任だ(笑)
そう、書く側の陥りやすい罠が多く指摘されているので、作品の良いところ悪いところを、書く側の視点で看破できるかなと思い読んでいた。
そんなこと思わず、読者はただただ感じてるだけでいいんだろうけどね。
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「コンビ二人間」の作者村田沙耶香さんの師匠に当たる人の小説指南本。自分のだめな部分をたくさん指摘された。以下印象的な箇所のまとめ。
・小説の最小単位は「シーン」。小説の書き方とは「シーン」の描き方と並べ方のこと。
・「美しい花」は説明。その花に対しては、美しいという見方しかしてはいけないということ。「紫色の小さな花」は描写。ある人にとっては美しいかもしれないが、別の人にとっては地味な花かもしれない。それぞれの読者の感受性や個性やその時の気分で違ってくる。
・小説を描写で書けば、読む人それぞれによって様々な読み方をしてもらえる可能性が広がる。作品の持つ厚みが広がる。何度読んでもその時の境遇や気分で読み方が変わる。
・読書は演奏。楽譜のように小説を書くための方法が描写。
・論理的展開の順と小説的展開の順は違う。「思いついた順」と「書く順」は同じでよいが、「読ませる順」は違う。
・小説はわからせるために書くものではない。わからせるために書くのは解説書。小説は感じさせ、味わわせるために書く。よくわからないけど感銘深い作品の方が、小説としては上等。
・設定を展開して、新局面を迎えるのが小説。設定だけでは小説にならない。設定のダイナミックな展開を放棄して、ドラマから逃げ出すことで小説を終わらせるのはもったいない。
・主人公の人間像の必然から出た変化ではなく、人間関係の発展から出た変化でもなく、それらとは無関係な外的な事情から出た変化は、新局面とはいえない。
・設定の後出しは禁じ手。伏線とは、設定のフェアな早出し。
・ストーリーの展開とは、設定の中に含まれる葛藤が、作中の時間経過の中で、状況や人間関係や心などに作用して引き起こす必然的な変化のこと。作者が小説を続ける都合上、偶発的事件を追加するのはストーリーの展開とは言えない。次々に設定が足されていっただけ。出来事の羅列。
・出来事の一つ一つに主人公がリアクションし、それが相手のリアクションも誘発し、それによってストーリーの流れが変わり、主人公の行動や心理に変化が生じる。これが小説。
・発想力が強い人は、途中で次々新しい設定が追加される。設定の積み重ねは展開ではない。展開部分で設定をつぎ足すのは設定の後出し。
・展開、新局面とは、設定に真っ向から対決し、乗り越えることで実現すること。
・一つの小説に興味深い設定を二つ入れると、効果は二倍になるのでなく半分になる。出来事の間に有機的なつながりがなくなり、二つの設定が相殺してしまうから。
・フィクションを一つ作ると、他のフィクションは成立しなくなる。あるフィクションは他のフィクションを規制する。全てのフィクションは文章の表面の下で有機的につながっていなければならない。
・フィクションとは空想そのものではなく「空想への制約」。空想だけなら幼児の方が得意。フィクションは空想に制限を与え、書き手の経験や観察や人生観や思想によって、人間の探求のために有効な設定を空想の中から選び、そこから必然と思われる帰結へと空想を展開させていくこと。
・設定においては���躍、展開においては正確が必要。
・手記は自分がどう思い、どう感じたかを書く。フィクションは、読者にどう思わせ、どう感じさせるかを目的に書く。
・筆者と私を意識の上で切り離すことができていれば、それは小説。
・小説の書き手は貧乏劇団の座長と同じ考えで、必要最低限の役者をそろえる。登場人物は必要最低限に絞り、その間の人間関係を周到にかつ深く描き込む。
・会話は登場人物がそんなことを言う人間だという描写の要素も持つ。会話には「描写としての機能「作中人物への情報伝達の機能」「読者への情報伝達の機能」の3つがある。 読者へ情報を伝えるためだけに会話を使うと説明に見える。
・無声映画のように小説を作る。会話は何かを知るためではなく、会話そのものの面白みを味わうために読む。
・短編は単語数が少ないが故に一つ一つの単語が持つ重要性は増す。
・中編、長編は登場人物それぞれの人間関係にトータルに対応しようとする。短編は一つの人間関係にだけ的を絞る。
・中編、長編は設定から生じる諸問題にトータルに対応しようとする。短編は一つの問題のみを取り上げる。短編では全体像の切り捨て、一部分のみの提示が求められる。
・曲がり角をとらえて書くのが小説。
・小説はストーリーを味わえばいいというものではない。それぞれのシーンの描写、言葉を味わうもの。
・創作とは、これこれこうした状況進行の中で、こうした人物はどうするかという分かれ道を、その都度、こんな振る舞いはこのような人間には心理的に有り得るか否か、とか、こんな状況でそんなことは物理的に可能か、とか検討しながら、不自然な方の道を捨て、必然の一筋の道をたどることを繰り返して、ゴールまでたどりつく作業である。
・創作とは、今まで作者が獲得したものを吐き出した結果ではなく、創作それ自体が、作者が新しく何かを獲得する方法。
・自分の信念に揺さぶりをかけるために書く。これが正しいと読者に伝えるために書かない。
・創作とは、信念に最も都合の悪い設定を作中にしつらえて、作者と同じ信念を持つ主人公を行動させ、そうすることで、その信念が本当に正しいのかどうか、主人公が最後まで信念を持つことができるかどうか検証してみる。
・小説とは作者の実人生で体験したことを開示する作業ではなく、実人生では体験できなかった、あるいは体験したりなかった、新しいもう一つの人生を、書くことによって体験する作業。紙の上でもう一つの人生を生きてみる作業と言える。
・読者は向こうを向いている。
・不特定多数の読者の中には、登場人物と同じ職業の人がいる。登場人物はあらゆる専門家の前に裸でさらされている。
・作者に貴重なものはそのまま読者に貴重とは限らない。主観的に貴重なものは客観的に貴重とは限らない。「作者から書かれているものまでの距離」と「読者から、書かれているものの距離」は違うことを意識する。
・我が子とペットと道楽は書くな。書くの禁止というわけではなく、書くのは難しいからよっぽどの苦労を覚悟して書け。
・「作者からの距離」と「読者からの距離」を等しくするには、作者からの距離を延ばしてやる。これを客���化という。もう一つは、「読者からの距離」を縮めてやる。これを普遍化という。例えば、飼い猫の欠点を他人の目で見直すがの客観化。うちの赤ん坊のよその赤ん坊との共通点を発見してゆくのは普遍化。この2つの操作がうまくいくと、作者と読者の距離は縮まる。作者と読者が関心を共有でき、読者が作者の方を向いてくれる。
・小説を書くときは、いつも赤の他人に向けて書く。自分の関心から最も外れた人に向けて書く。
・小説は究極的には言葉で勝負する世界。
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小説とは時間芸術
最小単位はシーン
キャラがストーリーを思わぬ方向に導くのがふつうらしい。
短編についても少し載ってるのがよかった
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必要に迫られて、書き方系の本を何冊も続けて、
ザクザク読んでいますが、面白い記述がありました。
書きもの(特にフィクション)は、
シーンの積み重ねが集まってストーリーが出来上がるわけですが、
それらのシーンはおおまかにわけて
①設定②展開③新局面の3つに分類されるということなんですね。
本書に書いているわけではなくて私が考えた例で説明します。
例えば「桃太郎」の場合ですと
①設定→鬼がたまに悪さをする困った世界の片隅で
川から桃が流れてきて中から桃太郎が生まれる。
②展開→桃太郎は育ち悪さをする鬼を退治する。
③新展開→困った世界(村)は平和な世界に変化する
というようなことです。
で、それがどうした?といわれそうなところですが、
面白いと思ったのは、頭の使い方が特に①設定と②展開では全然違う、
という事を著者が指摘していることなんですね。
具体的に言うと①の設定を考えるには、
SFでいうところの「着想」であり、
②の「展開」ではなにか想像を広げるというよりも、
①で作り上げた世界観の中(つまり条件と制約)の中で、何が起きうるか?
という可能性を推理する能力。これもSFでいうならば「分析」が必要だというんですね。
これには、ああ、まさにそうだな、と思いました。
①は広げるチカラ②はキレイに折りたたむチカラ、というところでしょうか?
私の場合、何かを書いていて着想ばかり強くて、
収拾不可能となる場合が多いのですが、こういうことだったのだなと。
で、これはフィクションだけに限らずどんな文章でもいえるかもしれませんね。
例えばコミュなどで、この人の文章は「着想」優位だな?とか「分析」優位だな?
とかいう読み方もできると思います。
バランスのとれた方もいらっしゃいますしね。
SFに着想と分析が両方入ってる方の文章は総じて見事なことが多いようです。
そのあたり意識してみると面白いかもしれませんよ。
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説明と描写
美しい花 vs 紫色の小さな花
描写の視点
小説とは一種の時間芸術で「設定」から「新局面」までの時間的「展開」の中で、主人公その他の人間像と、人間関係を描き出しつつ、それが変質して行く軌跡を捉えるものだ
設定・展開・新局面
設定においては飛躍、展開においては正確
苦悩が人物を魅力的にするのではなくて、人物の魅力が苦悩を魅力的にするのだ
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とても読みやすく、また、自分が陥っている穴に気づけた、貴重な一冊になりました。
小説を書いている方は一読の価値ありです。長年愛されているだけの価値はあります。
絶版になる前に、迷わずポチれ!
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書けなくなっている私が読んでも、どうしようもなかったが、書けるようになったとき、気を付けて書いていこう、と思える技術的な点がいくつもあって、参考になった。
今までの自分の作品を思い返すと、いたたまれなくなってくるが、もう後の祭り。ネットでなら削除すればいいのだけれど、同人誌で売ってしまったからなぁ。
書く人が読む本だけれど、読むだけの人も、参考になる。小説を読みながら、隠し味に気がつけるようになりそうだから。
でもまぁ、好きだから読む、書く、がないとほんと、そもそもスタートに立てないのだけれどね…。
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・一つの文章の中のすべてのフィクションは、文章の表面の下で、互いに繋がっていなければならない。一つの列島が、水面の上では幾つかの島に分かれていても、水面下では、一つの海底山脈として繋がっているのと同じ。十作って一書く
・設定においては飛躍、展開においては正確、というのがフィクションにおける望ましい在り方
・「手記」は「筆者がどう感じ、どう思ったか」を記すもの。「小説」は「読者にどう感じさせ、どう思わせるか」を目指すもの
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氷室冴子青春文学賞の懇親会でご一緒させていただいた、作家の朝倉かすみさんから勧められたのが本書。
自慢ではありませんが、30歳ごろから、いわゆる「文章読本」を含むこの種の本をたくさん読んできました。
20冊は軽く読んだと思います。
その中では、筒井康隆の「創作の極意と掟」と並ぶくらい、とても参考になりました。
実を言うと、本書で紹介されている小説作法は、知らないうちに守って小説を書いていました。
たとえば、小説は「設定」「展開」「新局面」の3要素が必要、「設定」の後出しは禁じ手、細部は事実から盗め―などなど。
知らないうちに守っていたというのは、恐らくこれまでかなりの数の小説を読んできて、小説というものの成り立ちをそれなりに理解していたからだと思います。
小説には「調和」と「対比」が重要との指摘は、まさに我が意を得たり。
シーンに溶け込む描写が「調和」、反対にシーンとは相反する、つまり不調和な描写が「対比」です。
ぼくは敢えて不調和な描写を盛り込むのが好みです。
なかなかプロ作家のようにはうまくいきませんが。
ただ、知らないこともたくさんありました。
特に、ぼくが「地の文」と比べ、どちらかと言うと苦手な「会話文」について。
本書によれば、会話文には「描写としての会話」と「情報としての会話」があり、「情報としての会話」には「作中人物への情報としての会話」「読者への情報としての会話」があるそうです(厳密に区分けできるわけではありません)。
たしかに言われてみればそう。
描写としての会話は、特に話者の人格や性格を表現するためにも有効と思います。
一方、情報としての会話は、物語の進行上、必要な会話だと言っていいかもしれません。
そして、「読者への情報としての会話」は、安易に使わない方がいい、というのが著者の主張です。
読者への情報としての会話を登場人物たちに語らせると、どこかで無理が生じてくるからです。
本来はコレコレという発言などしない性格の登場人物なのにもかかわらず、作者が物語の進行上、必要な情報を読者に提供したいばかりに、コレコレという発言をさせてしまうのは慎むべきというのは、その通りでしょう。
本書を読んで、小説作法をあらためて学ぶことが出来ました。
では、これでいい小説が書けるのか、というと、それはまた別の話。
著者は最後にこう書いています。
「この本の内容がマスター出来たというのはいわば盛り蕎麦がマスター出来たという段階なのです。盛り蕎麦が出来なければ蕎麦職人にはなれないが、盛り蕎麦が出来ただけでは蕎麦職人とは言えない。この本の内容は、いわば作家への出発点、盛り蕎麦段階だと思ってください。勝負が始まるのはここから先なのです。」
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琉球大学附属図書館OPAC
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