紙の本
なぜわが子を殺すのか
2016/10/20 22:21
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投稿者:Freiheit - この投稿者のレビュー一覧を見る
子どもを殺す親も貧困や過程の複雑さを抱えて育っているケースが少なくない。地域社会や行政の支援が必要である。
紙の本
みんな知ってる
2017/05/18 11:44
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投稿者:戸田 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この感覚はみんな知ってる。
知らないと思う人もいるかもしれない。
それでもわたしは知っている。
これを読んで、ああやはりわたしも虐待されていたのだと感じた。
それでも親はわたしを愛していた。
愛し方を知らないのだと思う。
わたしも愛し方に自信がない。
登場する親の気持ちがなんとなくわかるような気がする。
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書いてある事件の当事者達の非常識ぶりが衝撃的すぎて、かなりのショックを受けてしまった。
そして、家庭環境がいかに大事かということを痛感した。事件を起こした親たちの、残された子供達の将来も危ぶまれることは間違いない。
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児童手当の振り込まれる通帳を取り上げられている場合がある
これまでは実母が語る、「愛している」「育てている
という言葉を信じてきたが、この事件を通して、人によりその意味するところに大きな違いがあることを認めざるをえなくなったのだ。
茨城県土浦市 Babyぽけっと 特別養子縁組を支援するNPO
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綿密にコツコツ現場を訪れて風景など目の前に浮かんでくるようなルポをしている。世の中には私の想像を超えるような人間が沢山いる事に驚く反面自分だって、もしかしたら形は違っても虐待を行っていたかもしれないと振り返ってみて思う。なんともやりきれない3つの話だが、似通っているのはみんな貧窮さから生まれた事件が多いように思う。まあそれだけじゃないとは思うけれど、小説じゃなく事実だって事が1番怖かった
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『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』を読んだ。
著者は、ノンフィクション作家の石井光太氏である。石井氏は、大学卒業後にアジアやイスラム圏の貧困をテーマに多くの意欲的なノンフィクションを発表してその名を轟かせた。その後、東日本大震災の被災者を描いた『遺体』は大きな話題を呼び映画化もされた。
今や押しも押されぬ日本の若手ノンフィクション作家の第一人者である。
ぼくは、初期作品、中でも『レンタル・チャイルド』には大変な感銘を受けた一人だ。
フィクションの手法を取り入れ、まるで波乱に富んだ小説のように描かれたその作風には少なからず批判もあったようだが、ぼくにとってそれまでに読んできた本の中で最も刺激的な一冊だった。
ノンフィクション作家への転身を図ったわけではないが、数年前には新宿の朝日カルチャーセンターで石井氏が講師を務めていたノンフィクション講座を受けたこともある。石井氏は、ある意味ぼくの師でもあるのだ。
そんな石井氏が今回スポットを当てたのは<幼児虐待をする親>だ。
日頃、ニュースでは頻繁に幼児虐待事件が報道されている。それらを観る時、我々は<なんて酷い親だ><理解出来ない><狂ってる>などを嘆息することが多い。実際に酷い親であることに間違いはないのだが、そこ至る経緯にまで想いを巡らすことは少ない。
石井氏は、この本の中で比較的新しい3つの事件に絞り、虐待する親たち、さらにはその両親や祖父母にまで遡りその生育家庭から、事件の起因を鋭くあぶり出していく。
石井氏のノンフィクションは、五感を刺激する描写が多い。
視覚だけでなく嗅覚や触覚を刺激する描写は、貧困や虐待などを描くことの多い石井氏の本では往々にしてグロテスクであったりして、思わず目を背けたくなるようなこともある。だが、その生々しさゆえに読者はリアルに痛みを感じたり、見逃しがちな小さな美しさを感じ取ることが出来るのだ。
本書の中で描かれる3つケースは、どれも同情には値しない残忍な事件ではあるが、その虐待を生み出す要因には少なからず納得出来る部分もあった。どれも自身が育てられた環境に何かしらの大きな問題を抱えているのだ。取り分け印象に残ったのは、ケース1で描かれる「厚木市幼児餓死白骨化事件」だ。
多忙を理由に殆ど家に帰らない父親と激しい妄想に苛まれる統合失調症の母親のもとに育った犯人。その生育過程を読み進めていくうちに、これではまともな親にはなるのは困難だろうな、という諦めにも似た感情が湧き上がる。親になってはいけない人がいる、というのは残念ながら確かなようだ。ケース1で逮捕された父親は、もっとフツウの家庭に生まれてさえいれば、或いは親にさえならなければ犯罪者にはならなかったはずだ。
本書に救いや癒やしはない。
それでも目を背けてはならない現実が確かな描写によって描かれた一冊であった。
http://nozo-n.blogspot.jp/2016/10/blog-post_14.html
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エピローグのBabyぽけっとに出てくる、19歳で特別養子縁組に子どもを出して大学へ行く女の子の話はたぶん他の本で読んでいる。養子縁組の話、なんて本だったかな?
どの親にも共通しているのが、社会的適応力が極端に低いこと。幼稚。幼い。
そして皆、生育環境に難があった。彼らの親もまた同様だ。ずっと連鎖している。
やはり、人の罪は本人だけに帰すことはできない。そうなってしまった原因をつくった環境、背景にも問題がある。
支え合い共に生きながら人は成長する。すべての人は、その環境さえ整えば、きっと社会で真っ当に生きて行けるのだ。たとえ個人の脆弱性があったとしても反社会的な素養があったとしても、環境さえ整っていたら、きっとカバーできるのだ。犯罪にまで至らずに済むはずなのだ。
だから、何とかしたい。あなた一人の責任ではない、絶対に何とかできる。支え合って助けあってみんな生きているんだよ、こんなに苦しまなくていいんだよ、そう言いたい。
今の社会はあまりにも自己責任論に偏り過ぎている。
おそらく、多くは個人ではなく社会の問題。そのことにみんなが早く気づくべき。
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尋常な感覚では考えられないような事件であるが、筆者は親の異常性という安易な結論にとどまることなく、事件がおきた原因に入り込んでいく。とはいえ、あまりに悲惨な内容に触れられているので、そのような表現に弱い方は読まないほうが無難だろうと思う。
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虐待の末に子どもの命を奪ってしまった3つの事件を丁寧に掘り下げています。
子どもの支援に携わる方は必読。
親の育てられた環境にも目を向け、なぜこのような悲惨な結果に導かれていったのかが描かれています。
「わが子を慈しみながら、過程を崩壊させることしかできない親の悲しみ」という表現がまさにその通りだと思いました。
一方で、救える機会はいくつもあったのに、救えきれなかった周囲の大人たちの存在にも、胸の痛みを感じました。
私たちにできることは何なのか。読後、一人ひとりに問われているように感じました。
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虐待死を行う親に対して、「鬼」だと世間は石を投げるが、はたして親は鬼なのかというルポルタージュ。ただ、親にも事情があり、彼や彼女らが育った環境にそもそも愛がなかった、と簡単に結論づけてしまっていいのだろうか。
「物乞う仏陀」を読んだときに感じた違和感が継続している。
本作は、客観的に見えるルポルタージュだ。しかしながら、私は、書き手が知った情報を整理して表現することにより、書き手の意図が反映されてしまうと思っている。
あまりにも客観的に整えられていること、その構成、掘り下げが表面的であると感じるし、「最後にあれを持ってきた」ことに、意図を感じないのだけれども、では、なぜ、その心の動きを記さないのだろうか。
ノンフィクションじゃないからしょうがないのだろうか。
ルポルタージュとはなんなのだろうか。
客観的に見せかけているけれども、明らかに主観を感じる箇所もあり、個人的にが逆に怖いなぁとおもう書き方だ。信用性がありそうに見える事への不安を感じる。
3つの事件に平等にページを割くのではなく、1つの事件を深く掘り下げること。たとえば親の親、さらにその親へと遡る、不幸の連鎖のもとは何処なのかというところまで考えさせるところまで提示してこそのルポルタージュではなかろうか。
私はこの本から「親になるべき人と、親にならない方がいい人が居る。そういう人は、子供を育てない方がいい」というメッセージを感じた。もちろん、子供は大事だし、愛される場所で育ってほしいと思う。しかし、鬼畜な親はそのまま生きていかざるを得ないのだろうか。「親になるべき人」を誰が決めるのだろうか。「親になるべき人」が定義されれば、それ以外は駄目なんだろうか。そうやって何らかの規範や正しさがあるように示されることは、それ以外を切り捨てることになりはしないだろうか。この本が主観的に書かれていたら「書き手個人の意見」だと思うのだけれども、客観的に書かれていると、そちらが常識で当たり前のことに読めてしまう。それが、とても恐ろしい。考えすぎなのかもしれない。けれど、基本的に世の中に流れる二次情報は何らかのコントロールされた情報でもある。
彼や彼女らに救いは無いのだろうか。
そもそも、いまの時代の「愛情のある家庭」で育った子供の親の親のそのまた親の……と考えると、愛情ってなんだろうとも思う。当たり前と思われる子供に対する愛情っていうのもごく最近に生まれたんじゃ無かろうか。愛を与えられず育ち、愛を与えられるようになった親はどうして生まれたんだろうか。
なんかこう、無駄に危機感を煽る感じの本という印象だった。私が過剰反応な気もするが、むしろそうであってほしい。
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教育に携わる人間は特に読むべきである。虐待やネグレクトなどは、個人の問題でもあるが社会的問題でもある。
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「親が子どもを殺す」なんて、どんなひどい親なんだろうと思いながら読んでいた。
しかし、読んでいるうちに、この親たちも「かわいそうな人」なのかもしれないと思うようになってきた。この本に出てくる「子どもを殺した親」は、どの人も「普通の」家庭、「普通の」親に育てられてこなかった。
そして、驚くことに、子どもを殺してしまったけれども、「自分なりに」子どもを愛していたのだ。
この本を読んで、そういう(自分たちと違う)感覚の人がいることに気づかされた。こういう感覚は、やはり育ってきた環境が大きいだろう。児童虐待を減らすには、どうしたらよいか……考えさせられた。
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世間を騒がせ震撼させた子殺し三件を詳しく取材した一冊。
まずは胸くそ悪い。色々事情はあるだろうし本人なりに一生懸命だったのもわからなくはないけど胸くそ悪い。子供が子供作るな。バカは子供作るな。貧乏人は子供作るな。あとクズは子供作るな。つか死ね。
色々あるだろうけど、やっぱり親の教育はとても大事で、特になんだかんだで母親の影響は極めて大きいことを改めて痛感した。
後はね、結局運なんですよ、残念ながら。我々は生まれる時代も場所も選べないからね。でもそれだけに、まともな親の元に生まれ育った自分の境遇には感謝しなきゃいけないなぁと。
それと同時に、親に普通に愛し育ててもらった事を改めて心から感謝するし、今子供たちを普通に愛し育てていられる自分はとても仕合せなのだなぁと痛感する。
子育てはツライこととか面倒くさいこととかたくさんあるけど、そんなときはこの本の事を、この本の中に出てきた子供たちの事を、その子供たちがされてしまった事を思い出してみよう。その分という言い方はおこがましいかもしれないけれど、自分の子供を精一杯愛してあげようとか思える。
あと親が子供のことを愛するのは本能だ、とかってやっぱり嘘なんだなぁと改めて思った。子供が生まれたらやっぱり可愛いよ〜本能ってやつだよねぇとかそんなこたぁねぇよと。それは脈々と受け継がれてきた先祖からの愛なんですよと。本能論とか子育てにはかんけーねぇと改めて痛感した次第です。
あとはまぁ教育大事だよねぇ…
それと、不幸にも亡くなってしまった子供たちには心から冥福を祈る。
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逃れられない負のスパイラル。ネグレクトや虐待は、当人だけの問題で留めておくべきことではなく、社会全体として受け止め守ってゆかなくてはいけないもの。
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考えてみたら「親になる訓練」なんて、自分の経験しかないなかで、虐待をする親たちの「私なりに」という発言に対して、どう否定したらいいものだろうか。
やはり子供のことを考え、最適な支援を行うのがいいのだろうが、言うは易し、といったところでしょう。
「愛してる」「育ててる」という言葉が人によって異なる、というのは重い。