彼女の作品の主人公は気持ち悪いが、読まないではいられない
2021/03/14 21:52
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が好きな作家の作品でも、基本的に西加奈子氏や辻村深月氏、小川洋子氏にでてくる人はいい人が大半なのだが、村田沙耶香氏の作品出てくる人は主人公からしてできればお近づきになりたくない人が大半だ。その最たる人が「コンビニ人間」の恵子だったのだが、この作品に登場する恵奈という主人公もそれに並ぶお近づきになりたくない人だった。恵奈の母親は母性がない、そこで恵子は「カゾクヨナニー」という密かに「ニナオ」(こんな命名彼女でないと無理)と名付けたカーテンと実施することで「家族愛」を得ている、恵奈は彼氏も彼女を家族愛を得るための道具としか見ていないことに気が付く、おかしくなった彼女を見て家族は「カゾクヨナニー」を突然始める、と、書いていて気持ちが悪くなるようなあらすじなのだが、この気持ち悪さが読んでいて快感なのだ
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投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
小学生の女の子が大人になるまでの過程を、「家庭」を舞台に描いていく。当然、初潮から本格的なセックスまでが登場するわけだが、他方、家族とオナニーを足した「カゾクヨナニー」なる造語も出てきて、最高に面白い。「コンビニ人間」で芥川賞を獲ったが、本作の方が上質ではないか。
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投稿者:お餅猫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
前半中盤は非常に読みごたえもあり
すいすい読んだのですが
個人的におちがいまいちしっくり来なかったのは残念です
村田沙耶香さん、最高。
2016/11/02 17:34
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投稿者:スカイ - この投稿者のレビュー一覧を見る
村田沙耶香様の本は、いつも発売を待ち焦がれて購入しています。
タダイマトビラ。
最高ですよ。
世界観に、最初の一行から吸い込まれました。
私は、男性に是非読んでほしいです。
そして、女性の内面を、この本から読みとってもらいたいです。
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母親が「産んだからって、どうして必ず愛さないといけないの?」
という子供に対する考え方が普通では考えられないです。
父親は仕事に励んでいるという名目で母親に対してもあまり関心がなく、
愛情に飢えている子供たちにもあまり目を向けることなく過ごしているのも
両親共に家庭放棄、育児放棄に近いなと思ってしまいました。
こんなことだから主人公の恵奈は家族という形にも憧れていたり、
本当の家族というものや自分の居心地の良い場所などを
見つけたくなったのかもしれなかと思いました。
それがカゾクヨナニーという奇妙は行動にもなっていったわけですが。
これも一見すると奇妙な行動と思ったりしますが、
形を変えれば自分の居心地の良い場所というのは誰にもあることなので
理解しようと思えば出来ることだなとも思えました。
弟も姉に例え的を得たことを言われていても、
それに動じず反抗をしていたのは
実は本当の心や弱みを見せたくなかったのではないかと思えました。
家族という形をこのような視点から見てみるとても不思議で
改めていったい何なのだろうと考え直してしまいました。
ラストの方ではSFのようなファンタジーのように
自分探しの行きついた所が描かれていて意外な展開になり吃驚です。
「コンビニ人間」の時にもユニークな世界観で驚きましたが、
こちらはもっとスケールの大きな空間になっているので別世界のようでした。
所々に少しグロテスクな表現があったりしますが、
これが村田さんの独特な世界観なので斬新で
想像力を掻き立てられた作品で面白いなと思いました。
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家族小説の一つですが、これまで読んできたのとちょっと違います。
子供達に愛情を持てない母親。かといって虐待する訳では無いが子供には無関心。しかし家事は義務としてこなす。父親は家庭を顧みない。そんな家に育った娘・恵奈の物語。
今の家族に完全に失望した恵奈が行う家族欲を満たすための自慰的空想につけた名前がカゾクヨナニー。早く新たな本当の家庭を作ることを目標に「本当に好きな人」を探す恵奈だが、彼が自分に求めたものがカゾクヨナニーだと分かり。。。
何だかつらい話です。著者は「家族愛なんて存在しないよ。そんなのまやかしだよ」と言っているようです。でも自分の体験から言ってもそんな事は無いですよね。
最後は何だか妙なSF的世界に入って行きます。その辺りの違和感も含め、どうも私は村田さんを苦手なようです
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なんでしょう、怖いです。「家族欲」って。少女とその家族を描いていますが、こんな家族あるんか、いや、あるかもな、、、と思わされました。ただ、最後はよくわかりませんでしたが。。。
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母性が少ない母親、あまり帰らない父親、そんな家族を冷めた目で見て早く自分の家族がほしいと思う恵奈、両親の気を引こうと問題を起こす弟の啓太。
恵奈によって語られる壊れた家族の物語。
恵奈は小学生の頃から「家族欲」を満たすためにたくさんの工夫をして来て、高校生になってからは彼氏もできて、着々と自分の欲望を満たすために動いてきた。
彼氏と夏休みの間、同棲したことによって、やっぱり自分の求めているものが手に入らないと気づいてしまう。
そこからの精神の崩壊がすごかった。
ラストにかけて渚さんや家族に恵奈が語ったことなんてホラーだしもう狂気しか感じなくて、読んでいて怖かった。
恵奈の壊れた世界はもう修復されることはないんだろうか。
母性ってみんなが当たり前にもつものじゃなくて、やっぱり育ってきた環境も重要で、恵奈の母親が十分に愛されてなかったから、こんな状態になってしまったのかなとも思う。
それは恵奈にもかなりの影響を及ぼしている。
もちろん恵奈が悪いわけはなく、ただただ恐くて切なかった。
家族に与えられなかった愛情の代償は大きすぎた。
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家族という生活形態を成しながら絆を持たない親子4人。長女の冷めた視点から形骸化した人間関係を描く。この世の事とは思えない展開なのに一皮むけばどこにでもありそうな話だと思えてきてしまうのが恐ろしい。
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んんん~私には分からないやつ。
これ最後どうおさめるのかなと思ってたらこういうラストね~凡人には理解できなかったです。この人の前読んだのは好きだったのでぼちぼち読んでいくと思う。
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この世のすべての作品が、とはいいがたいかもしれないけれど、作品の結びに作品のタイトルがひたりと吸いつくことがある。
主人公はいわゆる「かわいそうな女の子」ではなく、家族も「特別な家」では決してない。人は自分の人生しか歩めないのだから、彼女にとっての日常はそこにしかない。それはこの世に生きる誰もにとって、同じことだ。主人公は生きることに工夫をして、「ふつう」に生きている。ふつうに生き、ふつうに成長をした、彼女のふつうが、どうしても「ふつう」ではいられなかった。わたしは傷ついたのだと嘆くこともしなかった主人公が、ある日なにかを決壊させてしまうまでの、人生を見つめた観察日記のような話だった。
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フィクションを書くというときに、現実に何かを足したり現実の何かを入れ替えたりするのではなく、現実そのものが持っているフィクション性を引き算することでその外に出るというような。もちろん、この作品において引き算されるフィクションとは、家族である。
家族の愛に飢えていてそれを自分で工夫してなんとかする主人公は、普通なら異常なものとされ、成長の過程で現実の家族と和解するとか、それができなくても新しい家族を見つけて満たされるとかが成功とされる。あるいは、ついに家族愛にめぐりあえなかった不幸ということになる。だが、この話では、家族という欲望自体が「人類」と一緒にフィクションとされて、生命体へと退化することが、最も合理的であるかのような気にさせられてくる。
あと面白いのは、周りの恋愛が幼く見えるところだろう。彼女の家族欲が真剣すぎるだけに、家族欲にたどりつかず恋に燃える男とか、家族欲なのだろうが熱狂的で地に足がついていない男は、ぴんとこない。彼女の欲望は真剣だから、家族はオナニーのしあいであってはいけないし、持続的なものでなくちゃいけない。この欲求不満に耐えてそれ以外のものを受け容れるためには、彼女は他の人間全てを生命体に還元する必要があった。
設定こそ突飛で独創的であっても、物語の運びにはやり過ぎ感とか余計な飛躍とかが感じられず、それでもぐいぐい盛り上がって引き込まれる、みたいなところがある。読者を置いていかないようにかなり気が配られているのだろうな。
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図書館で予約した「コンビニ人間」を読むまでに予習として購入してみた。中盤までは理解できていたと思っていたのですが、ラストで崩壊。心がザワザワとして、なかなか難解な作品でした。恵奈ちゃん、何でもかんでも小難しく考えすぎだよ~と言ってやりたくなりました。
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家族が絶対なのも、全てこの世が創ったもの.
ふつうってなに?がいつも村田沙耶香さんの
小説読むと突き刺さる.
当たり前ってなに?揺さぶられる、揺さぶられる!!
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オナニーとは欲望の自己処理と知って、機能不全な家族に代わってカーテンにくるまってhshsすることをカゾクヨナニーと呼ぶことにした、とか、
水色のカーテンをニナオと名付けた、とか、
とにかくネーミングの面白さが抜群。
このカゾクヨナニーという概念とネーミングを思いついた時点で、作者としては勝ったも同然だ。
語り手の名前恵奈が胞衣(胎児を包んでいる膜および胎盤・臍帯)と同じ発音なのも明らかにダブルミーニングだろう。
ちなみにカゾクヨナニーが、インターミッションのごとく頻繁に行われるのも、実際のオナニーみたいで興味深い。
ところで初潮への嫌悪感は、「ギンイロノウタ」とは真逆。
なのにむしろセックスという行為自体にはすんなりと飛び込む。
そして閉じ籠る「ギンイロノウタ」に対し本作では「外に出る」(いろいろな意味で)。これも真逆だ。
恵奈がトビラやドアに固執するのは、母の子宮に帰りたいからだ。
なのに当の母は「インナーチャイルドを、撫でようと思ってもどうしてか血だらけになるまで殴っちゃうんだよね、ははははははははは」と言うほどの変わった人なのだ。
そして作者はよくある虐待ものとして描かない。
母親は決して悪意の塊ではない、自分自身も母親的になりかねない、なる可能性はある、誰もがああなり得るということを、割と突き放している。
「家族というシステムは、実はカゾクヨナニーシステムで、その中で皆、ヒトをバイブにして自慰を繰り返しているに過ぎないのだ」という達観を得てしまっては、もう誤魔化しの家族には戻れないだろう。
作者もあっちに行っちゃっており、読者をもあっちに連れて行っちゃう、極めて劇薬的に作用する小説なのだ。
ラストはビジュアル的には「グロテスクE.T.」だが、SFと解釈してしまっては野暮だろう。
内面の変容=進化=退化、によって世界がこんなふうに見えた、ということで、もうあっち側の視点なのだ。
アリス。アセクシャル。など少女的な趣味が盛り込まれているのも、あー今まで自分が着目していたものは間違いじゃなかったんだ、とも感じた。