意識と本質-精神的東洋を索めて
著者 井筒俊彦著
東洋哲学の諸伝統の分析から得た根元的思想パターンを己れの身にひきうけて主体化し,その基盤の上に新しい哲学を生み出さなければならない.本書はこうした問題意識を独自の「共時的...
意識と本質-精神的東洋を索めて
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商品説明
東洋哲学の諸伝統の分析から得た根元的思想パターンを己れの身にひきうけて主体化し,その基盤の上に新しい哲学を生み出さなければならない.本書はこうした問題意識を独自の「共時的構造化」の方法によって展開した壮大な哲学的営為であって,その出発点には自分の実存の「根」が東洋にあるという著者の痛切な自覚があった.
目次
- 目 次
- 意識と本質──東洋哲学の共時的構造化のために
- 本 質 直 観──イスラーム哲学断章
- 禅における言語的意味の問題
- 対話と非対話──禅問答についての一考察
- 後 記
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繰り返し時を越えて読まれるべき現代の古典
2002/08/05 22:07
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:宇羅道彦 - この投稿者のレビュー一覧を見る
宗教を現代哲学の言葉で語る試みが成功することは滅多にない。
多くが特定宗教内部の宗教哲学になってしまうのが落ちである。
この著者は宗教を現象的所与として受け止めるところから分析を始める。
イラン革命に追われ日本に帰国することがなければ我々はこの著書に
出会うことはできなかっただろう。
生涯をかけたイスラムとの取り組みが、歴史の変転という偶然を経てこ
のすぐれた書籍を生んだ僥倖こ読者は大いに感謝するべきだろう。
特に注目すべきは禅についての著述である。
老師がたの語るところと全く矛盾のないところをこの著者は哲学と言語
学の先端の言葉で語っている。実に驚くべき境涯であるといえよう。
井筒俊彦氏は現代の日本人の一つの到達点である。
日本人のイスラム理解はここから始まるかないが、ここから先にゆくには
半世紀が必要だろう。
そして、イスラムを理解することが畢竟、総ての宗教を理解することに他
ならない姿勢で取り組んでいることに、井筒俊彦氏の学問的正統と、そ
の人間の誠実と偉大が見いだされよう。
繰り返し時を越えて読まれるべき現代の古典である。
深淵な概念としての「意識」と「本質」を学ぶ
2020/02/09 20:40
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「意識」とは、「本質」とは、これらに焦点を当てて、深々と洞察した一書です。その切り口は実に洋の東西、勿論日本を含めた(日本の場合は禅と絡めて)視点から述べられています。非常に興味深い内容でした。
本書について上記以外に評する事として、それは本書が比較的解り易く説かれている、という点があります。本書はどちらかと言うと哲学に分類されるのでしょうが、私自身にはそれ程堅苦しく感じられませんでした。
著者の説き方に関して納得し易かったのかもしれません。或るいは理屈を捏ね回したような表現が殆ど見受けられなかったからかもしれません。
どちらかと言うと「意識」よりも「本質」にページが多く割かれている印象でしたが、これらの意味について深い学びを得られた事は有意義でした。
井筒俊彦氏による東洋思想の共時的構造化を試みた代表作です!
2020/05/02 10:42
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、我が国の代表的な言語学者であり、イスラム学者でもあり、さらに東洋思想研究者でもあった井筒俊彦氏によって著された代表的な著作の一つです。井筒氏は「語学の天才」と言われ、彼の大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されています。同書は、その井筒氏が、東洋思想の「共時的構造化」を試みた一冊で、氏の広範な思想研究の成果が盛り込まれた代表作です。彼は、同書の中で、「東洋哲学の諸伝統の分析から得た根元的思想パターンを己れの身にひきうけて主体化し、その基盤の上に新しい哲学を生み出さなければならない」と説いており、なかなか興味深い内容となっています。
覚者こそ哲学者である、本当は
2020/04/18 00:06
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タヌ様 - この投稿者のレビュー一覧を見る
プラトンやデカルトは読んだことがある、いろんな哲学史も、程度では理解不能であろうなと思う。私もその一人だったのだ、その後、インド哲学の中村元氏の著作と格闘して唯識や空観がある程度わかったかなというレベルになって、何年もかかるのだが、やっと再読した。わかるのである。やっと、字面を読むだけではなく意味もわかるようになれたこと、井筒氏の懸命に語る世界が浮かび上がるようになった自分に少し驚いた、こんなことが書いてあったのかと。なんのことはない井筒氏は覚者なのである。修練によって悟りのある人なのである。いわゆる哲学を勉強したただの教授とはわけが違う、覚りの人が観る世界、言語を超えた世界を何とか伝えようとしているのである。
名著
2017/02/13 03:07
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あきみち - この投稿者のレビュー一覧を見る
井筒俊彦の主著にして昭和の哲学的著作の代表ではあるが、一般的に理解される(近代大学制度においての制度としてみた)哲学からはかけ離れている(その意図を「哲学的」に受け継ぐには、いくつかの手順を踏む必要があるだろう)。多くの人は、井筒が東洋の宗教思想を中心的な理念に抽象化して比較した(しかも中途半端に終わっている)とみなすかも知れないが、これは井筒本人の哲学的思索を準備する前前前段階だったということが伝わりにくいからではないか。井筒本人の哲学的思索や体験の省察がないという驚きもそこに由来するのではないか。この本の本領は、西洋哲学史二千数百年の展開を、東洋を素材に、独りでやってのけようという途方もない試みにある。その意義がどれほどのものかは人によって違うだろうが。個々の分析だけを取っても、大変に明晰で単純化しすぎ・図式化しすぎと言われかねないだろうけれど、それはただの本質主義にあるのではなく、理念化を通してその先に見据えるものがあり、この経緯は西洋哲学が辿った道だという著者の、言外の、西洋哲学史理解であると言えるんじゃないか。
井筒マンダラ
2016/04/22 13:29
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、イスラーム思想研究の第一人者であり自ら禅を通して深く自己の心を見つめる実践を行ってきた井筒俊彦ならではの「本質論」が展開される。人間が対象とする事物の「本質」の捉え方の多様性は、人間の意識のありかたの多様性に原因を求めることができる。すると、本質論を論じることは、人間の意識とはどういうものなのか、という極めて根源的な問いを立てることにほぼ等しい。ここでは、極めて戦略的に、不二一元論ヴェーダンタ、老荘、イスラームのイブン・アラビーの存在論、易学、南宋禅覚者たちの言行録、ユダヤのカッバーラ等など東洋系思想が縦横に引用展開される。それらの差異性、共通性などが目の当たりにできるようになるに従い、自身の思考内容を観照すべく読者の脳を刺激する。
認識対象の存在の淵源を辿ろうとする先人たちが、如何にその絶対無分節的存在(ゼロポイント)を目指すために苦闘してきたのか、そして、そのゼロポイントから分節化された認識世界というものが如何に展開するのかを、同様に「分節化された」言語という極めて限定された手段で説明するのに苦闘してきたのかが、「本質論」になじみのなかった私のような素人でも想像できるようになっている。そしてこの先人たちのアプローチは、全人類的なものであったこともよくわかる。(それは日本においても例外ではない。)
この「本質論」の多様性も、やはりゼロポイントが分節化していく展開の多様性を表しており、まさに絶対無分節的存在からの分節化が、「両界曼荼羅」特に金剛界曼荼羅がホログラフィックに展開しているような状況を呈しているといってよいだろう。
そしてこの書が日本語で書かれたことは日本人にとって慶賀に堪えない。日本が世界に向かって誇ることのできる名著と思う。特に、これから禅を実践しようかと考えている読者にとって、本書がまたとない禅の入門書としての機能も十分に果たしうることを付記したい。