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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
二次元世界に住む住人が一次元や三次元世界に行くというストーリーで多次元の存在について、三次元空間で生きる我々が四次元を想像できないことを考えさせられる作品。
楽しく次元を理解できる古典的名著。
2017/07/30 09:22
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投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
点の世界、直線の世界、立体の世界。そしてその次は・・?この話、ブルーバックスの古い版で読んだ記憶がある。今回は新しく竹内さんの翻訳となっている。
竹内さんは小学校6年の時に原文で読んで記憶に刻まれたのだそうだ(その辺は序文を読んでください)。私は大学生ぐらいになってからだったが、日本語訳で読んでも面白く、感心した覚えがある。
私たちの理解の基になる三次元から一つ次元を減らした二次元の世界=平面世界の住民に語らせることで「存在が理解できそうもない世界」を考える。その考え方から「三次元より次元の多い世界」を考える訓練をする。人間が理解を広げていく方法の基本の一つを上手く使っている。19世紀のイギリスの作品なのだが21世紀に読んでも「次元」を考えるのにとても良くできた作品であることに変わりはない。それぞれの「人間」が理解するスタート地点はそれほど変わりがない、ということなのだろう。
原著についていたという説明図もそのままで載っている。男性と女性の違いなどには時代差を感じるので読む人には抵抗があるかもしれないが、そこは仕方がないとしておこう。それを置いても、良くできたSFであり教育書。古典的名著といってもいいと思う。
表紙の「二次元なのか坂道という立体なのか」迷いそうな写真も含んだフォトシリーズも、作者の言葉と共に収録されている。多角的に「次元」を理解する面白い工夫である。
子供の頃に読みたかった
2018/05/08 11:52
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投稿者:rooibos tea - この投稿者のレビュー一覧を見る
百年以上も前に書かれた、古典SFとも教科書とも寓意とも風刺とも、大人向けとも子供向けともつかない本。かなり鋏を入れられたという、現代にそぐわない部分を読んでみたい気がしますが、読後感からするとおそらくその部分がそのままだと冗長に過ぎるのでしょうね。
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投稿者:タタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
次元の持つ不思議さというものは何年たっても変わらないなと思います。学生のころに読んで、感銘を受けたのを覚えています。
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"こんな国では、いわゆる「立体」が存在しないことには、すぐに気づくだろう。(中略)三角形や四角形やその他の図形を見分けることぐらいできるはず。そう思うだろう?ところが違うんだ。そんなもの見えるどころか、ひとつの形と別の形を区別することすらできない。見えるのは直線だけ。"
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(以下、長くメンドくさいですが、要するに超オススメです)
1次元、線。
2次元、平面。
3次元、立体。
4次元、、、、
我々は何次元に生きているのか?というのは中々に面白い問題です。宇宙兄弟にもでてきた野口宇宙飛行士の「3次元アリ」の話とも遠からず。メタに考えることの難しさと面白さが物語仕立てで楽しめます。
ノーラン監督の「インセプション」では高次元や現実の多層構造を映像や物語で、同監督の映画「インターステラー」では、高次元空間を映像として、表現していました。またアニメ「インサイドヘッド」では、ゴミ処理炉(?)でどんどん次元が下がっていき最後は線になりかける、というシーンも。
(高/多)次元を言語で表現するのはかなり難しいため、映像表現自体で説明(解釈)させることはすごい。でも、それ以上に言語表現(と少しの平面図解)だけで、(高/多)次元を表現してる本書はすごい。
多次元を生き抜くために大切なのは、
・自分の生きている世界は、自分が考えているよりも高/多次元である可能性があると認識すること。
・言語や視覚だけではなく五感をフル活用して、その世界を捉えるよう働きかけること
・そして、自分の生きている世界よりも高/多次元な世界が存在する可能性があると認識すること
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相対論よりも30年以上も前に高次元をやさしく解いた名著の新訳。第一部の「不適切な表現」にはちょっと戸惑うかもだかど,最後には中和されるので読み通して欲しい。零次元,一次元,二次元,三次元,四次元以上の高次元,と幾何学の世界が広がる様子,それまで限られていた物の見方を乗り越えて,視野が開けていく様子が,物語を読むことで分かってくる。
以下に,読みながらの感想を本文を引用しつつ掲げるとこんな感じ。
“いきすぎた女性差別的表現をかなり削除”p.12した改訂版を底本にしてるようだけど,それでもかなりきつい表現が続出するのにドン引きしつつ読んでいる…。
第一部はフラットランドの住人が,三次元世界の読者に,二次元の世界を説明していく趣向。そこでは女性が直線で,兵士や労働者階級は鋭い二等辺三角形という設定なのだが,
“彼らは、すべての辺が同じ長さというわけでもなく、人間らしい図形じゃないから、自然法則が適用されないんだ。”p.30
“ごく稀にだが、二等辺三角形の両親から正真正銘の正三角形が生まれることだってある。そこまでたどり着くには、代々、慎重に結婚相手を選び、生まれてくる子どもの辺が等しくなるよう、長いことつつましく自制を続け、忍耐強く、計画的に二等辺三角形の知性を伸ばし続けなければならない”p.30
こんな優生思想,当時でこそ広く受け容れられてたとしても(進歩的思想でさえあった),2017年に再び世に出すっていうのは随分思い切ったというか…。
数学的内容は名著と思うんだけど,なかなか過激というか……
“たまに奴隷のような身分から正三角形が生まれることは、ひたすら惨めな存在である、その階級の者たちへの希望の光となるだけでなく、上流階級にとっても喜ばしい…自分たちの特権を損なうことなく、下層階級から革命が勃発するのを防ぐ絶好の障壁になる”p.31
よく,手塚作品とかでPC的な注釈がつくことがあるけど,この新訳でもその点もう少し分かりやすく注意喚起(というか,立場表明)しておいた方が良かったのでは,と感じる。
これ,フラットランドという異世界の中で閉じた話なのではなくて,著者を含めた当時の「上流階級」の人々がこういう認識を共有していたのは確かなのだし,訳者の竹内薫さんも「風刺だと感じた」として終わりにしないで,「もちろん現代では否定されるべき考え」と言い切って欲しかったかも。
ロボトミー的な記述も。
“国側の医者が、反逆者の中でも知的なリーダーの辺を、手術で縮めたり伸ばしたりして正三角形にして…特権階級に組み込んでしまうことだってできる。基準に満たない大多数には、自分も貴族になれるかもしれないと思わせて国立病院に入院させ、そこで一生、名誉ある監禁生活”p.32
読了。
第一部があまりにもだったのでいろいろ書いちゃったけれど,頭を冷やして第二部までちゃんと読んで,著者が(同時代の)ヴィクトリア期の女性蔑視・身分差別に疑問を呈してるってことが理解できました。あーびっくりした。
いやだってこんなのが女性に関する法律って紹介される。風邪���死刑とか,フラットランドやばすぎるし,第一部はこういう記述がこれでもかって出てくる
“小舞踏病、ひきつけ、激しいくしゃみを伴う風邪など、不随意の動きをする病気にかかっていると診断された女性は、即刻、破壊される”p.34
まえがきでもうちょっと警告もらってから読み始められるとだいぶ違ったかなあ…。
表紙と巻末に収録されてる不思議な構図の写真たち(トルコの写真家アイドゥン・ブユクタンの作品),なかなか素敵でした。
どうやって撮ったんだろう?
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映画「インセプション」を思わせる写真にひかれて読んだものの物語はちんぷんかんぷん…。巻末の写真集は良い!
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30年前、高校生だった頃に読んだ本(正確にはこの本そのものではなく、そのアイデアを紹介する読み物)の再読。当時、「その次元では見えないはずのものを、より高次の次元から見るがごとくメタ的に認識していることの不思議さ」に心を奪われたのを覚えている。今はその新鮮さを同じように味わうことはできなくなってしまったが、次元のもつ普遍的な不思議さについては十分追体験することができた。
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フラットランド(二次元)の住人の正方形が、スペースランド(三次元)の住人である球から三次元の世界を教えてもらうが、言葉の説明では理解できず、実際に三次元の世界に連れられて初めて分かった。そして、三次元の住人に対して、より高次元の四次元を見せてくれと懇願された球の困惑。正方形がラインランド(直線)、ポイントランド(点)の住人へ世界はもっと広いと説明しても、理解してもらえない。
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2次元世界の生活とそこから見た他次元を書いた本
各次元の捉え方が面白い。
n角形の役割の話は冗長な気もするけど、当時の生活の風刺になっているからこういうものと考えるしかない。
n次元から見たn-1、n+1次元の描写がわかりやすい
とはいえ3次元世界の自分に4次元を考えるのは難しかった
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『科学道100冊』の1冊。
原著の発刊は古く、1884年、ヴィクトリア朝時代である。
ちょっと変わったお話で、主人公は二次元世界に住む正方形である。
「えっと、二次元世界ってなんだ?」というところから話を始めなければならないが、タイトルにもなっている通り、フラットランド、つまり、すべてのものが平面上に存在するのが二次元世界。縦と横の世界である。
我々が普段暮らしているのはこれに高さが加わった三次元の世界、スペースランド(空間世界)である。
一方、次元を下げていくと一次元の世界となり、つまりは線の世界、ラインランド。さらに次元を下げてゼロ次元の世界となると、点だけの世界、ポイントランドとなる。
もしも三次元でない世界にヒト(いやヒトなのかはよくわからないが)が住んでいたとしたら、どんなふうに暮らしているのかという、ある種、ファンタジックというかSFというか、そんなテイストのお話である。
訳者はまえがきで、昨今流行りの哲学や数学や科学を物語仕立てで読ませる作品群のさきがけと言っているが、なるほどそんな風にも捉えられそうである。
物語の前半は、二次元世界の正方形が自分の暮らしを語る体裁である。
この世界では多角形になればなるほど身分が高く、最高位の聖職者は円である。鋭角を持つものやいびつなものは蔑まれていて、人々はなるべく多角形に近づけるように、結婚相手を考えたりするなど(?)で、子孫の角を増やそうとしている。正方形氏の息子も首尾よく五角形となっている。
皆が皆、平面世界に暮らしていたら、誰が何角形なのか、なかなかわからなそうなものだが、声の高さで知ったり、触って確かめたり、視覚的に判断したりする。
他人に触る場合には礼儀があって、どうやって触ってもよいというものではない。うかつに角で刺してしまったりすれば、相手が傷ついたり死んだりしてしまう。
視覚の場合は、繊細かつ複雑な判断が必要になる。例えば六角形を真横から見た場合、中央に均一に見える部分があり、両側は比較的短く暗めに見えるといった具合。
兵士はもちろん尖っており、二等辺三角形で身分が低い(同じ三角形でも正三角形の方が身分が高い)。
女性は線であり、身分も低いが、まぁこのあたりは時代だろうか。
その他、家の構造や気候などが語られる。
この正方形氏があるとき、一次元世界や三次元世界と出会う。
さて、彼にはどのように見えるのか、というのが後半である。
物語的に非常におもしろいかと言われると、そうではないのだが(身分や階級の話が多くてげんなりするし)、この時代に「次元」について深く考えていることの先見性には驚かされる。
この本に触発されて物理や数学の道に進んだ人も多いのだそうで、そういう意味ではランドマーク的な作品なのだろう。
発刊当初はさして評価はされなかったのだが、アインシュタインの相対性理論が発表されて、四次元の可能性について多くの人が考察するようになってから脚光を浴びるようになったという。
それもそのはず、物語の終盤で、正方形氏はなんと、自らの世界を俯瞰するかのような三次元世界を知った際、その三次元世界をも俯瞰するさらなる次元(ソートランド(思考世界))もぼんやりとだが思い浮かべているのだ。もっともその代償は大きくて、これに関する論文を書き上げた正方形氏は、誰にも理解されないばかりか、「危険思想」を持つものとして投獄されてしまう(!)のだが。
著者のアボットは、神学者の家に生まれ、26歳で学校長を務めるほどの秀才だった。数学や古典にも精通していた人物だったとのこと。
巻末には本作に想起されたという写真家による、次元を超えた世界をイメージする作品群である。表紙もその1枚。
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次元が変わると世界観がこうも変わるのかという気づきがありとても面白かった。2次元の世界フラットランドの仕組みは数学の観点でとても興味深かったが、3次元に比べとても窮屈に感じられた。とはいえ4次元に比べると3次元も窮屈なのかな?
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主人公は二次元の世界に住む正方形。この世界では女性は線,男性は多角であるほど身分が高く,最高位の聖職者はほぼ円!1884年出版の数学フィクションの本書は,異次元小説の元祖とも言われ,知識が無くても物語として楽しめる一方で,現在も数多くの科学者に影響を与えています。
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19世紀末の英国で書かれた奇想小説。2次元の平面世界であるフラットランドの数学者である主人公の正方形が前半はフラットランドのその奇妙な世界を解説、後半は3次元世界からやってきた球と遭遇するという話。次元の解説は判りやすく、フラットランドの描写も興味深い。ただ風刺小説としての傾向が強く、フラットランドの世界は持つ辺の数による厳格な階級社会であり、中でも女性は辺を一つしか持たない最下級の存在である直線とされ差別されているという、スィフトを思わせるディストピアとして描かれている。作中、女性はかなり酷い扱いだが翻訳は原作の差別的表現を削除した改訂版とのことなので、オリジナルがどれほどのものなのか気になってしまう。
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主人公は二次元世界に生きているため、三次元の存在を知らないし、立体を見ることはできない。その主人公が「三次元の福音」を受けるべき存在として選ばれ、三次元世界を経験する。
三次元世界で見る平面は、二次元世界の存在から見ると「内部」なんだなぁ、と。二次元世界から見る線も、一次元世界の存在から見ると内部なのも理解できた。
ということは、四次元世界の存在には私たちの内部が見えちゃうということ、なんだろう。
二次元の世界にない「上」という方向。三次元の私の世界にないどこかの方向のどこかの空間を知る四次元の存在に想いを馳せた。
ところで特別収録の「アイドゥン・ブユクタシによる三次元の外へ誘う写真シリーズ≪フラットランド≫」もめちゃくちゃ良かった。ほかの作品も見てみたい。