文人悪食(新潮文庫)
著者 嵐山光三郎
「何か喰いたい」臨終の漱石は訴え、葡萄酒一匙を口に、亡くなった。鴎外はご飯に饅頭を乗せ、煎茶をかけて食べるのが好きだった。鏡花は病的な潔癖症で大根おろしも煮て食べたし、谷...
文人悪食(新潮文庫)
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商品説明
「何か喰いたい」臨終の漱石は訴え、葡萄酒一匙を口に、亡くなった。鴎外はご飯に饅頭を乗せ、煎茶をかけて食べるのが好きだった。鏡花は病的な潔癖症で大根おろしも煮て食べたし、谷崎は鰻や天ぷらなど、こってりした食事を愉しんだ。そして、中也は酒を食らって狂暴になり、誰彼構わず絡んでいた。三十七人の文士の食卓それぞれに物語があり、それは作品そのものと深く結びついている。
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「食」は文豪の人となりを知る最高の手がかりである
2008/07/26 12:36
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は「料理から見た近代日本文学史」と言い換えることができる。夏目漱石、正岡子規、島崎藤村、志賀直哉、石川啄木、芥川龍之介、太宰治といった37名もの、だれもが知る作家の著作や研究者の文献に出てくる料理に関する逸話から、各々の作家の知られざる姿を活写してみせる。
食にどん欲な作家から、禁欲的に粗食を貫く作家まで、それはバラエティ豊かなのであるが、食を通じて、これほどまでに作家の姿に迫れるものなのかと驚いた。嵐山光三郎は健筆家であり、非常に研究熱心である。このような書物に出会えるのは、文壇に関心を寄せるものには喜びに耐えないことである。
食を起点にして、そのほかにも盛り込まれた多くのエピソードから、37名の作家の人となりを一度に理解することができる。お得感は最上といってよい。
それにしても、夏目漱石以下、三島由紀夫にいたるまで、かつての文豪たちはひと癖もふた癖もある人物ばかりである。作家によって異なるが、酒豪あり、酒による乱暴狼藉がとまらないものあり、薬物乱用あり、乱倫あり、神経質症あり、途方もない借金癖あり、放蕩と居候を繰り返すものあり、となんでもござれの世界である。
かつての文豪は、世間の規範をはずれることはなはだしい。現代の作家が同じ様な生活を送れば、たちまち写真週刊誌などの格好の餌食になってしまうであろう。
文壇に生き、歴史に名を残す作家になるためには、これほどの偏差を必要としたのである。どの作家も、人生という元手をかけて作品を残していったことが分かる。常人には凡作しか書けないわけである。
文豪とは、例外なく生活破綻者、もしくは破滅的性格の持ち主であった。食の性向に始まって、その作家論にまでいたる本書の面白さは極上と言っていいだろう。嵐山光三郎の手にかかれば、ノーベル文学賞の川端康成でさえ、冷徹にまな板の上に載せられて料理されてしまう。
教科書にも出てくる有名作家たちが、実際にはどのような人物であったのか知るにはおあつらえ向きの書物になっている。
37名の作家の中に、敬愛する作家がいる人には読むのがつらい例もあるかもしれない。たとえそうであったとしても、現代では許されないような破天荒な作家の姿の数々にふれるにつけ、本書を手に取った喜びが勝ってしまうこと間違いなしである。
面白い
2019/12/30 19:32
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
文豪は何を好んで食べていたのか?という実に興味深いお話です。森鴎外の饅頭茶漬けは聞いたことはありましたが、改めて読むとまた衝撃的でした。面白いです。
いくらなんでも「饅頭茶漬」はないでしょう、森林太郎先生
2003/10/26 13:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のらねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「食」の方面から近代の文人たちを活写した随筆集。夏目漱石、森鴎外、幸田露伴というところからはじまって、深沢七郎、池波正太郎、三島由紀夫あたりの、著者と同時代の作家まで三十七人について、ほぼ年代順に語っていく。書名の通り「文人たちの食」というのが題材にされていくわけだが、より大きな比重をもって描かれるのは、「食生活」そのものよりも、むしろ「食を通してみた文人たちの生態」のほう。食べ物の話題をとっかかりに、以外にこってりとした洋食好みだった漱石、感染症や寄生虫が怖くて加熱したものしか食べなかった鴎外、強迫神経症に近い鏡花の偏食と潔癖性、などなどが語られる。樋口一葉、与謝野晶子、島崎藤村あたりまで読み進めると「ここまで言い切っちゃっていいの?」と不安になって訪ね返したくなるぐらい、それぞれの作家の私生活の深い部分までをほじくり返し、推測し、断言する。
多くは何十年も前に物故した過去の人物のことだから、もちろん、推測の域を出ないということはあらためて念頭に置いておかなければならないわけだが、そうした推測にそれなりの真実味を与えるだけの「状況証拠」は十分に提示されている。その作家の作品(=本人の証言)だけではなく、同時代の人物の言葉や当時の流布していた風評までをひっぱりだして十二分以上の裏付けをとった上で、記述している。
中学か高校生くらいの課題図書にこれ入れたら面白いだろうね、とか思ったり。教科書に取り上げられるような文豪とか文人とか言われる人たちが、いかに変人揃いかわかると、親近感が沸くと思う。
それにしても綿密な取材をするもんだと嘆息しきり。一人当たり、文庫本で二十ページ分にも満たない短い文章のために、いったいどれだけの手間暇を費やしたのかと想像すると、ねえ。たとえば井上ひさしあたりなら、これだけの下調べをしたら戯曲にして舞台に上げた上で、さらに本にして印税をうけとるところだろう。
各章の頭にある似顔絵もいい味出している、と、思ったら、これも嵐山さんの直筆でありました。
酩酊亭亭主
食うとは、生きるとは、どういうことか。
2003/05/26 20:47
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アベイズミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
我が父親は文人ではないが、立派な悪食だと思う。
なんてったって「牛乳茶漬け」を食べていた。鴎外は「饅頭茶漬け」を好んだそうだが、その方が幾分かでも美味そうである。我が父親は炊き立てのほかほかのご飯に、隣の家からいただいてくる搾りたての濃厚な牛乳をあっためてかける。それをざくざくとかき込むのだ。米も牛乳も良いものだ。それぞれは美味しそうではあるのだが、ぶち壊しな組み合わせだ。と、娘たちはみんなして思っている。もちろん薦められるが、試したこともない。美味しいのだろうか?
さてさて、私事のそんなお話はさておいて、この数日間、なんと楽しい時間を過ごさせていただいたことだろうか。それもこれも、この本「文人悪食」のおかげなのである。この本には文士たちの「一筋縄ではいかない食卓」が37人分登場するのである。「なにを飲み食いしたかで見えてくるもの」を37人分探っていくのである。
なんと読みごたえのあることか。それは、そうそうたる37人を見ただけでも、巻末に並べられている参考文献の量からでも、簡単に納得してしまうのだが。この読みごたえは、何もそれらばかりではないことに気がついた。正直こんなに「嵐山光三郎」という人が読ませる人だとは知らなかった。
「文士の食事には、みな物語があり、それは作品と微妙な温度感で結びついている」と、嵐山さんは書いている。食べるにこだわる人あり(もちろん一筋縄ではいかないわけだが)。作るにこだわる人あり(料理は人を慰安する。と、書いてある)。店にこだわる人あり。もちろんこだわりにもいろいろあり。こだわらぬと見せる人にも何かしらの物語が潜んでおり、そこのところも通り一遍でなく、丹念に丹念に読み取っていってくれるのだ。人は食べねば生きてはいけぬと。そこのところの性めいた、悲しさだったり気迫だったり喜びだったり憂鬱だったりを、見逃すことなくすくい取ってくれるのだ。それは全く違う角度から、作品にその人に触れ直すということで。例えばどんな深刻な物語であれ、ついつい食べるものにばかり目がいってしまう私と言う人間にとっても、大変嬉しい作業なのであった。そして、ついつい食べ物へ食べ物へと目がいってしまう私という人間に潜む性までも、しばし考えさせてくれるものだった。
37人、誰をとっても面白く新鮮な驚きがあるが。特に詩人歌人の食卓の面白さは、際立っている。斎藤茂吉の「もの食う歌人」種田山頭火の「弁当乞食」高村光太郎の「咽喉に嵐」萩原朔太郎「雲雀料理」。
そして、なんと言っても私を圧倒したのが、正岡子規の「自分を攻撃する食欲」だった。「子規は死の床にあって、蒲団の外に足をのばせない苦痛のなかで食っては吐き、歯ぐきの膿を出してはまた食い、便を山のように出した。食えば腹が痛んで苦悶し、麻痺剤を使って苦痛に耐え、「餓鬼」として自分の正体を見定めるように貪り食った」のだ。その気迫に満ちた姿から「生きることはどういうことか、食うとはどういう意味かをつきつけられる」のだ。
と、恥ずかしながら、この本の魅力を伝えようとすればするほど、引用ばかりになってしまう。何か言葉で言い直すのが本当に難しいのだ。
しかし坪内佑三さんの解説を読んで、少しだけ安心もした。彼は書いている。「(この本を前にして)どのような言葉を付け加えることが出来るだろうか。「解説」なんてヤボな作業を行うことが出来るだろうか」と、それではそれではなおのことである。私とて、どんな言葉を付け加えることが出来るだろうか。「レビュー」なんてヤボな行いが出来るだろうか。なのだから。
<マガジンライターもまた文人の一人なのである>
2003/05/20 15:25
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投稿者:まんでりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
『追悼の達人』同様、この本は夏目漱石から三島由紀夫にいたる文人を紹介する。
どの文人の紹介のどの一行も無駄な遊びがない。
しかし、全編これ遊びである。
マガジンライターの面目躍如たるものがあろう。
面白さのつぼを心得ていて、各文人のエピソードという切り口には愉快が滲み、驚きが溢れ、痛快さが漂う。
また、それぞれの文人の食したものという全編貫通の串を用いて、一人残さず串刺しにしてしまった手際も見事と言うしかない。
『悪食』も『追悼』も書き留められたものを主として拠り所にしながら、その実、文人を物質として構築した食事、といっても「何を読むか」ではなく「何を喰おうか」というのは、その意志の表出であるからして、これはその精神を映し出すものに他ならないし、ここに着眼して、あるいは追悼文に現れ出た、物質としての実体を失った純粋精神としての文人のもとに寄せ集められた生者の想念を輪郭として、その文人を描き出すという視点や手法は、まあ、いわゆるコロンブスの卵なのだ。
繰り返すが、嵐山光三郎は、一流のマガジンライターなのであり、それだからこそ、いやそれでなくてはこういうものは書けない。
先に述べたことを理由として引用は差し控える。
「欲」の結晶が文学なのだなあ、と分かる一冊
2001/01/17 17:59
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投稿者:青月にじむ - この投稿者のレビュー一覧を見る
文人というと欲から一歩引いたところで、ストイックに芸術に向かっているように見える。私もそう思っていた。しかし、この本を読んで、他の人よりも著しく煩悩が無ければとてもじゃないけどやってられないんじゃないかと考えを変えた。食欲、性欲、睡眠欲が動物の本能から出る欲だと言われているが、それは彼らも同じように持ち合わせていたのだ。人間が生み出すものは全て欲に通じるものと考えると、彼らはいかに多くの、強烈な「欲」を後世に伝えたものであろうか。
文章というものは、世に出たときにはある程度受け入れられるような形になっている。それを額面どおり読んでも勿論面白いのだけれど、実はその表皮をぺろっとはがしてみると、ぐちゃぐちゃの「欲」がのた打ち回っているのが見えてくるのだ。つまり、今までわたしは表皮だけで楽しんでいたものと思われる。おいしい果実というものは、皮に包まれているものである。それを破ったところに、真のうまみがあるのだと思う。勿論、皮だけでも十分美味しいものもあるのだけれど。
生を受けた瞬間から死ぬ瞬間まで、ひとは欲を持ちつづけている。傍から見える他人の欲というものは、それをストレートに表現するか、工夫に工夫を重ねて隠し通すかの違いだけでで、特に文人にはその表現の方法が長けているために屈折したものが多いということだろう。あんな美しい言葉の裏にあんな意味が隠されてたなんて…。人一倍文学に親しんできたつもりのわたしは、一体、今まで何を見てきたんだろうと自分の感性を疑いたくなった。
これを読んで改めて(もしくは、避けていたのに)読みたくなった名作が沢山出てきた。全く新しい観点からの、とても楽しい読書案内だ。著者の豊富な語彙に載せられて次々とページをめくり、「食」を通して文人の欲と業と、また人生を垣間見ることができるのだ。
食いしん坊にしかこんな本は書けないし、ならば、食いしん坊であればこの本が絶対気に入るはずだ。
参考までに。これを読んだわたしがまず買った本は、谷崎潤一郎『美食倶楽部』である。著者の『素人包丁記』も手に入れようとしたが、どうも新刊書店では手に入らないようだ。発売元の講談社のリストにも出てこない。あああ、これに著者なりの答えが入っているはずなのに…。
最後に。巻末に添えられている参考文献リストを必ず見て欲しい。これだけのことをイメージするために、どれだけの本を読んだことか。わたしなぞ、これを見ただけでお腹…あ、いや、胸…いっぱいである。
「食」に見る文士達の業の深さ
2000/09/19 18:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:mau - この投稿者のレビュー一覧を見る
祝・文庫化!ということで再読したが、何度読んでも傑作は傑作だ。
漱石・鴎外から太宰・三島まで、37人の文士と食べ物とのエロティック?な関係を、豊富な資料と彼ら自身の作品群からの抜粋で切り取る、食欲からみた近代文学史。食を通じて俗な欲望が絡み合う、その艶っぽい表現には、読んでいるだけで舌なめずりをしたくなる。気取り澄ました文豪たちが、にわかに人間臭さを帯びて、手元に引寄せられてくる。
しかも著者は自らも料理の達人、編集者としての企画力も申し分なしの嵐山光三郎。御見事な包丁捌きで作家の本性を解体する。あまりの鮮やかな手口に巻末の解説者も、もはや解説することがなくて困っているくらいだ(笑)。
こんな美味しい本、そうそう巡りあえるものじゃない。文庫化を期に、もっともっと多くの人に読んでもらいたい。