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古典とは…
2021/08/19 18:15
4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ワシ - この投稿者のレビュー一覧を見る
…セックスだそうである。エロいのは男の罪…それを許さないのは女の罪…なのだが、それ自体は人類の宝である。
もちろんそれだけじゃないのだが、なにぶん娯楽の少ない時代の話だしそういう面が強いのも事実である。
わが国で初めて「霊」の字を使った『日本霊異記』
ここのエピソードは知らずとも『今昔物語』『宇治拾遺物語』『発心集』が説話集というのはなんとなく認識されていると思う。
仏法説話のように見えて現世利益にこだわったり、勧善懲悪のようでいて聖人がアレだったり、若くきれいなお姉さんのアソコに蛇がささってセッ(略。
エロ、ギャグ、オチ無し、訓話、ヤマ無し、悲喜劇、恋愛、ありとあらゆる物語の要素・本質が詰まっている。
ここを全くかすめずにお話を書くのは不可能ではないの?と思うほど。
作者も歌人も不明の名作は数知れず、日本文学は意外に深くておっかない。
町田康訳にはゲラゲラ笑わせてもらったが、町田は“現代語訳”だからとデタラメや好き勝手を書いてるわけじゃない。
音韻や雰囲気や空気感にリズム感、現代の我々と当時のノリの差を埋める事に徹底してこだわっており忠実そのものの「訳」だ。
ぜひ原文にも当たっていただきたい、元のお話が最高に面白いから。
宇治拾遺の「孔子倒れ」は傑作。
儒学に傾倒した支那王朝、朝鮮王朝は著しく柔軟さも活気も失ってしまい、国家そのものが停滞した。
わが国では、儒学から朱子学までの盛衰をみると、一時的なミニブームになりこそするも根を下ろすことはなかった。
実に笑けるのは、ヒマさえあれば儒者は倭国を見下していたが、しかしその倭人(我々のご先祖様)は儒者の本質を結構簡単に見抜いていたというところだ。
隙が出来たのでセックス!とねじ込んでみる。
紙の本
説話って、面白いものだったのですね
2019/11/13 22:48
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
この全集に収められているのは、「日本霊異記」(伊藤比呂美訳)「今昔物語」(福永武彦訳)「宇治拾遺物語」(町田康訳)「発心集」(伊藤比呂美訳)で、いずれも説話集なのだが、説話というのは「伝説に類似するが、伝説は時代・人物が限定されないのに対して、説話は時代・人物が固有名詞で語られるのが特徴」と辞書には書かれているらしいのであるが、どうも説教臭い話だとずっと思っていた。仏教が隆盛を極めていた時代の話であるから仏教を土台とした話が多いのは当然であるのだが、みすぼらしい姿をした僧が実は尊い人だったりするから身なりで判断せずにやさしく接しろという説話があるかと思うと、ほいほい人を信用するから騙されることになるという話もある、どっちやねんと言いたくなる。でも、説話に対しての否定的な考え方が改めさせられおもしろく読むことができた。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ROVA - この投稿者のレビュー一覧を見る
町田康訳の『宇治拾遺物語』が卑怯過ぎる面白さ。
原本とどれ程かけ離れてるのかは分からないけどそんなことどうでも良いわ・・・
『日本霊異記』は性的ワードだけをカタカナにしてるわざとらしさに引く。
『今昔物語』はストーリーとして面白い。
「わが子を捨てて~」のオチでびっくりするのは現代の価値観か。
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時間の関係で宇治拾遺物語しか読めてないけれど、めちゃめちゃ面白かった。先に一般的であろう現代訳を読んでおいたあとで、この町田康訳を読んだわけだけど、この話絶対町田康訳になったら面白いだろうなぁって思った作品がたくさん訳されていて期待通りいわゆる町田節全開絶好調で面白かった。
それにしても宇治拾遺物語ってこんなに下ネタ話多かったん??下ネタといってもエロってよりか下品な話なのがまた可笑しい。昔の人も下ネタで爆笑ってのは変わらないんだなぁ。
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230710*読了
説話集という言葉自体に馴染みがなかったけれど、人間味があっておもしろい話ばかり。
したきりすずめ、こぶとりじいさん、わらしべ長者の基となった話などおとぎ話要素の強いものから、現実を物語にしたようなものまで、さまざま。
最後に教訓めいたことや、集話者のまとめが書いてあるものも多かった。
前世(前生)からの運命なのでどうしようもない的な締めくくりは、その当時ならではな感じもする。
僧の話もたくさんあって、でも高尚な僧から俗っぽい人までさまざまで、本当にいろんな人や生き物、妖怪のいろんな話を集めました感がいい。
実際はこの本にまとめられている話の何倍もの数の小話が存在するわけで。
収録されていない話も気になるなぁ。
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どの説話もとても面白かったです。「瘤取り爺さん」のように私の世代の人ならだれでも知っている話も収録されていました。昔は日本人は性に対して開放的であったことがうかがいしれました。なにより笑ってしまったのは『宇治拾遺物語』の町田氏の訳文です。大阪弁のどぎつく、汚いことはなはだしい。「新妻が平仮名の暦を作って貰ったら大変なことになった話」ぶっ飛んでいます。ハチャメチャが楽しいです。でも、宇治って京都ですよね。この際そんなことは気にするな、って言われそうですが。『発心集』は仏教そのものですね。
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『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』の中には、こんなにもおもしろい話が載せられていたのかと、あらためて目を開かさる思いであった。確かに、ここに掲載されているような、特に性愛に関する説話の類は、中高生の古典学習の教材として取り上げるわけにはいかないであろうが、もしもこのような話が載せられているということを知ったなら、いつか読んでみようと興味を持つ?中高生もいるのではないか。
『今昔物語集』の福永武彦訳もよいが、出色は『宇治拾遺物語』の町田康訳。適度に関西弁が混じって、それがまた絶妙の味わいを出している。
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書評を読んで町田康さんの超訳「宇治拾遺物語」を読みたくて借りました
なーるほど いいのかってくらいの現代語訳でした
面白かった
よく知っている話も
こういう古文なら高校生にもうけるかなあ
≪ 笑いあり エロい話も 昔から ≫
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仏法説話集4作品を集めたもの。
仏教の教えに基づき、どう生きるかなどのテーマをわかりやすく説話形式に。
4編とも何となく似ていたり、同じテーマがあったりして、読んでいるうちに自分がどれを読んでいるのか分からなくなってきた(笑)
読みながら日本が仏教でなく神道が主流になったらどのような説話集になったのだろう?と思った。仏教説話集だと「被害者になったのも因果応報」「お経を唱えて死ねば極楽に行ける」という結論なのでちょっと消極的と感じてしまうことも。
いくつか「ラテンアメリカ文学で読んだぞこのテーマ」と思ったら巻末の解説でも描かれていました。距離と時代が隔たっていても人が語る物語は似るのだろうか。
【景戒(薬師寺の僧)「日本霊異記」新訳:伊藤比呂美】
平安時代初期に印された仏教説話集。
『わたくし薬師寺の僧、景戒はつらつらと世間を見るに目に入るは人の卑しい行いばかり。
人は善悪の報いを識るべきだ。
中国のとても面白くてためになる説話集に倣い、私もこの国の不思議な話を書き記そう。
…ただ困ったことにこのわたし、景戒はあまり頭がよくないんだ。元の良い話を私がうまく伝えらるだろうか?
だがこの話を読むみなさんが、邪な道に進まず善い道に進むことを祈り記して行こうと思う。
諸悪莫作 (わるいことをするな)
諸善奉行 (よいことをするのだ)』
説話集の中身は、人の恩を忘れず善行を進め、仏への祈りを忘れず、日々感謝の心でいきるんだよ。悪い行いをすると戻ってくるよ、というようなもの。
話は唐突で脈絡がないことも。
いきなり雷を捕まえたり、女が龍になったり。
また仏教の”徳”の現れ方も少し不可思議。
ひたすらお経を読む高僧は死後頭蓋骨で舌だけは生きているように残るとか、身籠った女が肉団子を産んだら吉相とか。
人の世の不条理さ、酷い目にあった、不思議なことがあった、という説明の出来ないことがあっても生きていくために編み出されたのが宗教や説話なのだとしたら、「前世の行い」「仏の御心」として受け入れていったのでしょうか。
訳しかたは軽めで流れるような感じです。
「風のように生きる女がいた」という文体が格好いいなあと思った。要するに「極貧で合っても仏に感謝し自給自足で子供たちに感謝の気持ちを伝えていけば、身分は低くとも神女になれますよ」ということ。
要するにこの説話集の言いたいことはこれに尽きるような。
【「今昔物語」新訳:福田武彦】
平安時代末期。
冒頭は「今は昔のこと」で始まり、これは「古い昔」と言う意味と「最近過ぎた昔」ともなる。
訳が福永武彦なのでほかの”新訳”より砕けていないが文章は綺麗で読みやすい。
個人的には”新訳”だからと言ってあまり現代調にするよりこのくらいの文章が状況を感じやすいと思う。
テーマは「因果応報」となっているなのだけれど…一方的にストーカーされた側が「ストーカーされたのも前世の因果」となったり、「盗賊から身体を守るためにわが子��捨てた女」が褒められたり、みたいなのは現代とは価値観が違うけれど、それだけ生きるのが厳しかったたのか。(…というのは巻末の解説にも書いてあった/笑)
のちに「安珍と清姫」「羅生門」「藪の中」となる作品の元の話も収められていう。
「芋粥」の元の話、「東国の武士が一騎打ち」の話などは当時の武士の猛々しくもまっすぐな気性が生き生きと描かれているが、郎党引き連れて殺し合いが日常ってのもやっぱりコワいな。
盗賊や詐欺師の出てくる話は彼らがどのようにして人々から金品を奪っていたのかなどが生々しく伝わってくるが、まさに騙される方が悪い、殺される方が悪い時代だ。
【「宇治拾遺物語」新訳:町田康】
鎌倉時代初期。
ある大納言が夏の間の避暑地として宇治に住み、退屈しのぎに道行く人を身分の上下を問わずに招き入れて面白い話を聞いて、それをまとめたものが「宇治大納言物語」。それが伝わっていくうちに話が追加されたりしていったのが「宇治拾遺物語」ということ。
「アラビアンナイト」がやはり原典からヨーロッパの話し手が加えて行った話が増えていっているが(アラジン、は原典にはなくヨーロッパで追加されたとか)、そのような伝わり方をしているということですね。
しかし生活は安定して、人々と交わり話を聞いて過すなんて、なんて羨ましいのだろう!!
新訳は軽目。
「今は昔」の訳を章ごとに
「これは結構前のことだが」「これも前の話だけど」「前」「そうとう前」などとなっていて、訳者さん遊んでるなと(笑)
使われている言葉も「マジマジマジ?」「ヤバいじゃんマズイじゃん」「『良かったね、問題ないね』とはならない話で…」みたいな(笑)
「こぶとりじいさん」「わらしべ長者」の元の話あり。
「こぶとりじいさん」は「人の真似したってダメだよ」というのが教訓だったのか。私は「無芸は身を滅ぼす」だと思って、無芸な私はこういう場面に自分が出くわしたらどうしようもないじゃないか~~と昔からびくびくしていたのだが(笑)
【鴨長明「発心集」新訳:伊藤比呂美】
鎌倉時代初期。
『何事につけても自分の心の弱くて愚かなことを忘れず、仏の御教えのまま気持ちを緩めず次の生こそ生成流転する苦しみから逃れて浄土に生まれ変わりたいと願う。』
訳者は「日本霊異記」と同じ伊藤比呂美さんだが、訳の調子はこちらのほうが少しはかっちり目で断定的。
高僧が解脱するために入水や生きたまま土中に入ったりと要するに自殺するに当たる心の美しさや、いやその瞬間に湧き上がった恐怖や疑問など…
現代の価値観だと「念仏を唱えることだけに生きて自殺して極楽往生や来世をを願うなら、善行を積んだ方が良いのでは」と思ってしまうのだが…
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なにがすごいって、町田康による宇治拾遺物語。身も蓋もないというか、人間ってこんなもんなんだなとげらげら笑える。
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ネットで読んだのだと思うけど、どこかに「これは宇治拾遺物語の再発見だ」と書かれていて、まさにその通り! と膝を打った。
ただ単に面白おかしく書かれているのではなく、原文の面白味を充分活かしていると知った時の衝撃たるや! 堅苦しいと思われていた古典がこんなに愉快によみがえるとは思いもしなかった。
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このシリーズ1巻、「古事記」が出た時に、僕はこう書いていた。
「全30巻、どれも楽しみだけれども、中でも高橋源一郎訳の方丈記、島田雅彦訳の好色一代男、穂村弘選の近現代短歌。早く出ないかなあ、でもあまり早くでなくてもいいよ。」
このうち、現時点で出ているのは好色一代男だけ。しかしそれより前に、本巻が出た。説話集である。
元となった説話の威力もあろうが、なんといっても町田康の『宇治拾遺物語』がすごい。
「奇怪な鬼に瘤を除去される」は、下のページで読める。
http://kawadeshobo.tumblr.com/post/129340109097/%E7%94%BA%E7%94%B0%E5%BA%B7%E8%A8%B3%E5%A5%87%E6%80%AA%E3%81%AA%E9%AC%BC%E3%81%AB%E7%98%A4%E3%82%92%E9%99%A4%E5%8E%BB%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%AE%87%E6%B2%BB%E6%8B%BE%E9%81%BA%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%82%88%E3%82%8A
他にも全編、こんな感じ。町田康に引っ張られすぎるが、他の収録作もまた、説話という、堅苦しくて忘れていたようなことを身近に引き寄せてくれる。
人の営みとか、欲とか、あんまり変わらないんだなあ。けど、すぐ忘れちゃう。折に触れて読みたい本。
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2016.2.13市立図書館
説話集の巻、時間に追われてつまみ読み。
伊藤比呂美による「日本霊異記」(新訳):上古のおおらかでふしぎなお話。男女の交わりなどもストレートな表現。
福永武彦による「今昔物語」(新訳)
町田康による「宇治拾遺物語」(1976年):こぶとりじいさん、芋粥、鼻など、おなじみのお話を、カタカナ語や俗語もありのポップでファンキーな現代語訳で。当時の読者が読んで楽しんだ感覚を追体験しているような気がする。
そしてまた伊藤比呂美による「発心集」(新訳):日本霊異記から400年後、鴨長明
池澤夏樹は御尊父の仕事に敬意を払ったのかもしれないけど、「今昔物語」も現代の新訳で読んでみたかった。
いずれにしても、またそのうちゆっくり読みなおしたい。
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「日本霊異記」(伊藤比呂美訳)
訳者あとがきで、伊藤比呂美さんはこの書に惚れ込んだ理由をこう記す。「なにしろエロい。グロい。生き死にの基本に立ち戻ったような話ばかりである。しかしそこには信仰がある。今のわれわれが持て余しているような我なんてない。とても清々しい。しかも文章が素朴で直裁で、飾りなんか全くない。性や性行いについても否定もためらいも隠し立てもない。素朴で素直で単純で正直で明るく猟奇的である。」(469p)
何しろ雄略天皇のセックスをたまたま見た小姓に向かい、天皇は場を取り繕うために「雷神を連れて来い」という話もある(15p)。これが、奈良県飛鳥の里に今もある「雷の岡」の謂れだというのだから、かなり有名な話なのであるが、実際の場所の立て看には「セックス」の話は一切ない。現代って、なんてツマラナイ。
9世紀初めに成立した日本最古の仏教説話集。奈良薬師寺の僧・景戒の筆。行基の大ファン。どうやら本気で行基は菩薩の生まれ変わりと信じていたようだ。彼の信じる仏教は、普通に読めば因果応報、現世利益なのであるが、本人は現世利益とは思っていなかったのだろうな、とも思える。でも、その「俗っ気」がとっても貴重で、彼の採取した話はホントに俗世間が多い。行間に当時の庶民の飾らない本音が垣間見えてとても興味深い。子育てをほっぽらかして男と寝てばかりいて死して苦しむ母親を、成人した子供たちが許して仏を作る話がある。「でも、私たちは恨みになんて思ってやしません。そんな母でも、私たちには慈しみの母でした。」(49p)あゝ人間ってそうだろな、と思うのである。
「今昔物語」福永武彦訳
「日本霊異記」より300年後の12世紀初めに成立。欠損はあって未完成だが、天竺震旦本朝の3部構成、壮大な意図で作られたはずだが、作者の名前も意図も不明。最後に無理やり仏教説話にこじつけているので、仏教関係者のはず。しかし、内容は無常観と淫蕩か漂い、不可解さもある。芥川が世間に知らしめ古典と変えたが、この物語が芥川を作家にした面もある。霊異記と比べれば気品があり、文章の構成力も増している。福永訳の選択には、芥川の入れた七つの話は出てこない。また、谷崎潤一郎は「少将滋幹の母」、堀辰雄は「曠野」、福永は「風のかたみ」を此処から想を得て小説を書いている。実際現代でも、何処かのエンタメ小説に出てきそうな話もある。天皇の母を鬼の霊力でもって邪淫する場面は、少なからずショックである(「天狗に狂った染殿の后の話」)。安珍清姫の道成寺のタネ本も此処にあったし(「女の執念が凝って蛇となる話」)、「異端の術で瓜を盗まれる話」は、中国で有名な説話の見事な和風になっているのだが、本朝話に載っている所を見ると、作者はそのことを知らなかったのかもしれない。「高陽川の狐が滝口をだます話」は、仏教説話にさえなっていない。1度騙した青年が少し情けをかけてくれて、2度目は騙しさえしなかったのに殺されそうになった。「人を騙そうとしたために、可哀想にひどい目にあった狐である」とつい作者もまとめてみせる。この狐に当時の庶民の女の姿が見えるのは、���だけだろうか。
「宇治拾遺物語」町田康訳
13世紀成立、「宇治大納言物語」の拾遺という意味で書かれた。付け加えた話も幾つかある。かなりくだけた文体になっているのか、町田訳もかなりくだけている。「道命が和泉式部の家で経を読んだら五条の道祖神が聴きに来た」は、現代で言えば、アイドルの桜井が石原に手をつけたあとインターネットしていたら「実は海外アーチストの多くがファンなんですよ」と外国人の下衆なファンが盗撮の報告のメールをしたというような話である。確かに、嘘か真か文春のスクープネタのようで、一般大衆の我々には、そんな話は頗る楽しい。「利仁将軍が芋粥をご馳走した」は、単なる芋煮会を開催しただけのように感じるのだけど、まあいいか。「楽人である家綱と行綱が兄弟互いに騙し合った」は、現代の兄弟芸人の間でもありそうな話だ。それにしても、訳がいいのか、選択がいいのか、それとも原作が素晴らしいのか、あまりにも傑作が多すぎ。
「発心集」伊藤比呂美訳
鎌倉時代初期、鴨長明が「方丈記」(1212年)を書いた数年後に編んだとされる仏教説話集。「宇治拾遺物語」は太田光がブラウン管の中で広く世に向かい得々と毒を吐いたのだとしたら、これは又吉直樹が教育テレビの中でボソボソと心情を語っているようなものだろう。両極端な見栄えはするが、語っているのは同じ芸人だということ、人に語っているということでは同じである。
鴨長明はマイナーな番組で、マイナーな人々(僧侶たち)に語っているのだから、内容は如何にして往生を遂ぐか、に尽きる。基本的には延々と執着を捨てよ、と書く。いくら書いても書いても、易行と難行の間を往来したり、至る所俗気満々である。ところが、細部に至ると、「玄賓、大納言の妻に懸想する事。そして不浄観の事」の最終節のように、真理に至る。(437p)彼は俗世間をよく観察した。ホントは「俗世間を離れる」ことに執着するのではなく、「俗世間を記録する」ことを生業と定めるべきだったのではないか。蓋し、事さに成り難しが人生也。
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宇治拾遺物語しか読んでないけど実に良かった。文章に芸があるから、こういう皆が名前だけ雰囲気だけ知っている作品をリライトすると相乗効果で作品が映える。