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帯に「新感覚の理系ホラー誕生」とあるけど、そういっちゃうとへんにジャンルを狭めてもったいない。ドライでありウェット。6編の短中編集のうち書き下ろし3編がよかった。特に表題作はいい話でした。
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理系ホラー的な謳い文句だった気がするけど、ブラックジョークっぽい印象だった。でもなぜか読み続けられなくて途中でギブアップ。最後まで読んだらまた印象違うかな?
読んだのは一話目の未知の殺人ウィルスの薬を作るために仲間たちと命を犠牲にしながら努力し続けてる話。二話目は稀代の奇術師と賞をもらってる科学者と調査担当の三人が詐欺師によるニセ科学を潰すバスターズをやっていて、近年流行っている、実は死んだ人間が生きている人間に混じっているからそれを倒さねばならないというニセ科学で起きた殺人事件に立ち向かおうとする話。3話目はバスターズ結成の話だったかな?ここでギブアップ。
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科学系SF短編集。最初は報われない話が続いて挫折しそうになった。特に「たとえわれ命死ぬとも」。自らが人体実験の被験者となる実験医、という設定からしてすでに切ない。
唯一救われたのは表題作の数字が理解できない障害を持った男の子の話。天才的な頭脳を持ちながら、全く数学を理解できないことを必死に隠している。その彼が、ある幽霊との出会いで大きく成長していく。
男の子の強さや、数学だけでなく生き方をも教えてくれた幽霊、障害に気づいて真摯に関わってくれる先生。それぞれに勇気づけられる温かい物語。
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理学部出身のエッセンスが散りばめられてるな。
バッドエンド好きだけど、さすがに1話は後味が悪い~
バスターズのパディはどうして死んだのかは書かれてないね。非業の死だけ書かれていたが気になる。
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ん、これってSF になるのかな?
星新一ばりの固有名詞感覚にディストピアな設定。結構好みかも。
《疑似科学バスターズ》ものはチャチなアニメみたいだけど、ドーナツは美味しそうだし、ハンニバル・レクターもどきがイイ味出してる。「砂漠」は過酷で素敵なサバイバル。そして表題作は手指失認の少年の話、どうやら実在の数学者のエピソードみたいで中々興味深い。
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SFを得意とする著者の5つの短編と1つの掌編。
表題作もよかったが,それよりも私は『たとえわれ命死ぬとも』に惹かれた。
それは「動物実験禁止国際法」が成立した世界での「実験医」という職業の物語。
動物愛護の観点から,世界中で動物実験が禁止された。
医学の進歩に実験は欠かせない。しかし,その実験を人間以外の動物で行うことができなくなった。そのため,その実験は人間の身体で行うしかない。
もちろん,人体実験は自発的に行われるべきであり,強制はされることはない。そして,被験者はその実験についてきちんと理解している必要がある。つまり,
「これらの条件を満たす者とは,実験を計画する医師自身にほかなりません」(P.12)
こうして「実験医」という職業が生まれた。
世界中でもっとも優秀な頭脳が,実験によって次々と死んでいく。
ベテラン医師の体には両足がなく,大腿の皮膚は醜いやけどで覆われている。
それでも,頭脳も身体も研究のために使い切るのが実験医の本懐であると,彼女は言った。
いったい何がきっかけでこのような世界が生まれたのだろう。『たとえわれ命死ぬとも』その後に続く言葉を,彼らは成し遂げることができたのだろうか。
医学とは,人を救うためのものではなかったか…。
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短編集。前半はSFなのかな。いきすぎた動物愛護で動物実験ができない世の中とか、ゾンビ的なものに怯える世界とか。全部面白かったけど重たい要素を含むなかで、ラストのショートショートが楽しかった!
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SFホラーとか理系ホラーとかかかれてました。
短編集。
個人的には表題作はイマイチ。若干ホラー気味な作品のあとに配置されてるのがよくないと思う。
第一章のディストピアのような話。最終章のショートショートはよかった。
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2018.8.31 読了
独立した短編集。
ほぼ どの話も ラストがバットエンド。。。
モヤモヤする。。。
この人 「代書屋ミクラ」の人や!と思って
借りるも こんな話も書くんだ~
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① 動物実験が禁止された世界の話。安全な医療とは、数多くの犠牲の上に成り立っているんだということ。 ② アンチフレッパーズ、アンチ疑似科学信仰 ③ ②の前日譚 ④ 凶悪犯罪少年集団6名を搬送していた飛行機が砂漠に墜落することによって巻き起こるドタバタ劇!(コメディとは言ってない) ⑤ いわゆる失算症の話。個人的に一番好き。
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【もしかして、ポストモダニズム】
新井素子が面白いと名前をあげていた、松崎由理の『5つまで数える』を読了。
素子ワールドと似た手触りなのに、全く異なる後味の残る読後感に、その理由を数日考え込んでいた。
もしかしたらこのざらっとした後味は、ポストモダニズムの手触りじゃあないかしらん、と思いついたのは、今朝のこと。
収録された6つの短編のうち、
「たとえわれ命死ぬとも」
「やつはアル・クシガイだ」
「砂漠」
の3編に共通して感じるのは、ある種の救いのなさ。
新井素子の小説では、物語の世界が読者にとっての日常を踏み外していく(あるいは最初から踏み外している)のに対して、主人公たちは、揺るがない骨太な「日常」を保持し続ける。
その感覚が、彼女らの危機を打破することも、多くある。
その骨太な「日常」は、
新井素子のインナースペースが世界に流出しようが、
主人公が殺されようが、異世界に行ってしまおうが、
登場人物が狂気の淵に近づこうが、
揺るぎなく物語世界を支えている。
主人公たちは、ゆらぎにさらされながらも「わたし(あたし)」という核を持ち続ける。
対する松崎有理の世界での「日常」の感覚は、脆弱だ。
主人公は世界に対して受動的で、観察者のように存在する。
強い意志を持つように見える主人公のひとり、大良すら、被害者のポジションにいるように見える。
そんな彼らは、あっけなく世界に飲み込まれていく。
そして世界の終わりとともに、その意識は終焉を迎える。
“私たちは、一回限りの生を、それが一回かぎりではなかったかもしれない、という仮想現実を挟み込むことで、はじめて一回かぎりだと認識することができる。(中略)
しかし、その変化が生み出した環境において、古くからある普遍的な感覚が、新しい表現に生気を注ぎ込むことはある。
筆者が「ゲーム的リアリズム」という言葉で呼びたいのは、そのような過程である。”(p181)
これは、東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』の中で、『All You Need Is Kill』という小説について述べた一節への注釈だ。
この作品の主人公は、プレイヤーとして死んではまた生きかえるという、ループの時間を生きている。
新井素子の小説との手触りの差を考えるうちに、松崎有理の3つの短編にあるのは、東浩紀のいう「ゲーム的なリアリティ」なのではないかと、ふと感じたのだ。
その正体は、骨太な日常をいきているという「私」の実感の喪失、「私」という存在の希薄さなのではないかと。
“(メタ物語的な宙づりは放棄してひとつの主題を選ぶべきという強い主題を与えたこの小説には)現実の日本において、物語を語ることがいかに困難であるか、あるいは、それがたやすいがゆえにいかに無意味であるか、はっきりと自覚した作家の姿が窺える。”
(『ゲーム的リアリズムの誕生』p192)
89年に大塚英志は、「物語消費論ノート」でこう記���ている。
”人が<物語>を欲するのは、物語を通じて自分を取り囲む<世界>を理解するモデルだからである。“
(『定本物語消費論』p25)
わたしが親しんでいた(たぶんポストモダン以前の)小説家が書く小説は、大塚のいう「世界を理解するためのモデル」として機能していた。
少なくとも、わたしにとってはそうだった。
小説の世界にひたっては、すこしだけ何かが変わり、そしてわたしは、この世界に戻ってきた。小説の世界で得られるものは、わたしが現実を生きていく上で必要な養分だった。
そんなわたしも、サイバーパンクSFが興隆した頃から、新しい小説家の作品を読まなくなっていた。そして10年代には、小説を読む時間自体が減ってきていた。
そんな中で、久しぶりに新しい、しかも同世代(72年生まれ)の松崎由理の小説を読んで、気が付いた。
同じく同世代の東浩紀(71年生まれ)の感覚は、もしかしてこれなのかと。
同世代、SFやオタク文化への親しみ、という共通点を持つ東浩紀。でも彼が提唱するポストモダニズムという感覚が、不思議と理解できなかった。
でも、世界を理解するモデルがうまく感じ取れないとしたならば。それを求めるあがきこそが、「ゲーム的リアリティ」なのではないかと感じたのだ。
ある人はそれを、モダンのさらに以前の感覚だよね、と言う。<大きな物語>を皮膚感覚として「知って」いるという点では、前近代人的なのかもしれない。
これは、あくまでも仮説。
ゆっくりと、考えてみたいところかな。
ちなみに、松崎由理の残りの3編のうち、「バスターズ・ライジング」は「やつはアル・クシガイだ」の過去を語る、背景説明的な一編で、手触りが少し異なっている。
表題作の「5つまで数える」「超耐水性日焼け止め開発の顛末」は、割と新井素子に近い読後感。2016年に刊行された短編集、「イン・ザ・ヘブン」を思わせる。
なんだかひどいことばかり書いたけれど、松崎由理の小説の背景はとても緻密。キャラクターよりも背景の描写が細かいタイプの漫画みたい。
「やつはアル・クシガイだ」なんて、なつかしのバタリアンのパロディのような一面もあり、とってもシュール。
ほかの作品も読んでみたくなる。
#うたかた読書
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短編集。SF。ファンタジー。ホラー。
おそらく初めて読む作家さん。
趣向は違えど、どの短編も魅力的。
青春数学ファンタジー的な表題作がとても良い物語。感動しました。
残酷な近未来パンデミックものの「たとえわれ命死ぬとも」も印象的。
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2020.3.14市立図書館
科学×ホラーの「ここではないどこか」を舞台とした「アソートタイプ」の短編集。
「たとえわれ命死ぬとも」「やつはアル・クシガイだ 疑似科学バスターズ」の二編をPR誌「ちくま」で読んでとてもおもしろかったことを、このところの感染症騒動で思い出して、本を探し出して借りてみた。
例の二編以外は書き下ろしだったが、疑似科学バスターズ前日譚「バスターズ・ライジング」、砂漠に不時着した少年たちのサバイバル「砂漠」、そしてとある恐怖との葛藤を描いた表題作「5まで数える」、ショートショート「超耐水性日焼け止め開発の顛末」どれもとてもおもしろく読めた。とくに「5まで数える」はちょうど同時期にディスクレシアの子どもについての本を読んでいたので、怖さというよりも主人公の少年のいろんな気持ちが想像できて心にしみるお話だった。数学というネタも大好物だし。
高2長女もおもしろく読んだようでうれしい。そうよね、こういうのけっこう好きよね。
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面白くはあったが。
科学の発展、もしくは人類滅亡を回避することが、技術的な問題ではなく、結局は人間のおろかさに阻まれる。毒強め。
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2021-02-09
久々に読んだフィクションは、なかなかバラエティに富んだ佳作。
ただ、ホラーと言われると、んー。わたしが思うホラーとは違うかなあ。面白いからジャンルなんてどうでも良いんだけど。
そして、ポールおじさんの伝記ポチっちゃったよ