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矢内原忠雄 戦争と知識人の使命
著者 赤江達也著
非戦のキリスト教知識人の最大のミッションとは何だったか? 内村鑑三門下の無教会キリスト教知識人,植民政策学者,東大総長,戦後啓蒙・戦後民主主義の象徴といった多面的な相貌と...
矢内原忠雄 戦争と知識人の使命
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矢内原忠雄 戦争と知識人の使命 (岩波新書 新赤版)
商品説明
非戦のキリスト教知識人の最大のミッションとは何だったか? 内村鑑三門下の無教会キリスト教知識人,植民政策学者,東大総長,戦後啓蒙・戦後民主主義の象徴といった多面的な相貌と生涯を,預言者意識,「キリスト教ナショナリズム」,「キリスト教全体主義」,天皇観など,従来の矢内原像を刷新する新しい視点から描く.
目次
- 目 次
- はじめに 預言者の肖像
- 第一章 無教会キリスト者の誕生──一九一〇年代
- 1 生い立ち
- 2 新渡戸稲造と内村鑑三
- 3 信仰、学問、交友
- 4 住友・別子銅山
- 第二章 植民政策学者の理想──一九二〇~三七年
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紙の本
信仰の人
2023/05/29 18:38
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投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今から80年前日中戦争が勃発したとき、「神の国」と題した講演において「いくさを止めよ」と叫んだ男がいた。キリスト者・矢内原忠雄である。右翼の蓑田胸喜らの攻撃を受け東大から去った。戦中の言論統制下に転向する知識人が続出する中、また多くのキリスト教徒もまた戦争協力した中で、信念を貫いて非戦を唱えた彼は、戦後一転多くの人の尊敬を集めた。東大教授に復帰し、内村鑑三や新渡戸稲造の謦咳に接した同じ無教会派キリスト教信徒の南原繁の後を継ぎ総長にもなった。しかしある頃から彼の名を聞くことがなくなる。
彼は、評者のような無信仰の人間にとっては理解が難しい知識人である。戦前は植民地政策学を講じる社会科学者だった。大航海時代を経て西欧列強が帝国主義化していく過程にあってキリスト教が果たした歴史的役割は大きかったとは思うが、今見ると、おや?と素朴な疑問が湧く。彼の信仰心との間に内部矛盾はなかったのか、と。しかし本書によると、彼の定義による「植民」とは、社会群の移住とその活動がその本質であって、その植民政策学は新しい地域へと移住して社会的・経済的に活動する現象を対象とすることで、現実の帝国主義下の支配・被支配関係がすっぽり脱落しているところが特徴である。移民それ自体には可も不可もない。キリスト教発祥のユダヤの歴史はまさに移民としてのそれある。現代における難民問題や移民政策を射程に入れていたのかと思われるほどだ。そして、当時の英帝国において本国と諸ドミニオンからなる自主諸国民連合という形で新たなる紐帯の国家群として発展しつつある状況を、国際連盟よりも好ましいとした。ユニークな視点だ。理想的状況は実現していないものの、英連邦的な自主独立かつ平和的な結合への希望を、神への信仰心をかけて語る。多くの台湾や朝鮮出身の弟子たちが彼の人と学問に魅了されたのもそれによる。彼の経済学には紛れもなくマルクス主義との親和性があるものの、その思想的基盤としての唯物論を受け入れることはなかった。彼の中には絶対的信仰心に基づく神の国の理想・原理は確かにある。しかし彼のまなざしは現実を見据えていて、理想へ導いていくための「プロセス」を重視している。本人に自覚はない、或いは信仰との激しい葛藤の末に到達した理念によるものか定かではないが、プラグマティックな思考が彼を支配してもいる。
著者によると、丸山眞男は近代日本のキリスト教には抵抗権の思想があまり見られないと指摘したが矢内原も例外ではない、という。キリスト教に神に対する絶対服従の観念が浸透しているためだろう。だから全体主義に対する批判も弱い。彼の中では神の国は一種権威主義的なのである。ただし現実の神の国を体現していない国家がその権力をもって個人の自由や権利を蹂躙する全体主義については批判している。徴兵拒否にも批判的だったというが、放逸した自由主義に対する嫌悪が、秩序を重んずる気持ちに転化したのかもしれない。この辺り家父長的権威主義的な傾向が認められる。その傾向はどこから来るのか?著者が指摘するように、恐らく彼自身預言者としての自覚を持っていたためだろう。彼が戦中「神の国」講演で悲愴な覚悟をもって非戦を訴えた時、預言者即ち権威者としての使命をもって語っていたのではないか。彼の「イエス伝」等を読むと、その強烈なビジュアル的明晰性に多くの人が驚く。いかに彼が聖書研究に没頭したのか。その賜物だろう、恐らくその中で度々心に浮かんだであろう生き生きとしたイエスらのイメージや当時の風景に、神の啓示を確信したのではあるまいか。
電子書籍
良心的知識人というイメージでは収まり切らないものがある。
2020/10/06 20:07
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投稿者:三分法 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1930年代の後半において、矢内原は、預言者的ナショナリズムによる日本の変革を語った。それは、現状を肯定する国体論的ナショナリズムではなく、現状を批判する対抗するナショナリズムであった。このことから、時の政府から言論を抑圧され(矢内原事件)、東京帝国大学教授という職も辞すこととなった。戦後も絶対平和主義を訴え続け、近代国家に普遍性の次元を導入することを夢見ていた。新渡戸稲造に傾倒し、内村鑑三を生涯にわたって師事し、無教会キリスト者となったということが、矢内原の論理の基礎あるいは媒介となっている。学問的な知識よりも、人間への理解を深めることの重要性、信仰にもとづく「真理」を知ることの重要性を訴え続けた。彼は、戦前・戦中は預言者としての使命と自覚に生きた。戦後は良心的知識人と呼ばれているが、この一般的イメージには収まり切れないものがある。