女性の自立と創作
2017/03/20 21:31
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:猫目太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
イギリス女性達に「自立と文学」、そして「いかに創作するか」を講演した内容。肩苦しさは無く、読み易い文体で講演の聴衆である「若き女学生達」に語りかける。参政権を得たとは言え、まだ平等とは言えない当時の女性達に、創作を通して自立を促している。そしてそれには、充分な資産と「ひとりの部屋」を得る事が必要だと言う。80年以上たった現代でも、ウルフが語る年収を男女共得られて居ないし、若い女性達が、学ぶことを良しとしない国もある。彼女が将来に夢見ら希望も叶えられていない。それがいかに難しいか読後、嫌という程強く感じた。だが、世界中に優れた女性の作家が誕生し、作品を世に出している。諦めず、まだ期待したい。訳者あとがきえお読んで、この本が、当時でも多くの人に読まれていたことを嬉しく思う。
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著者がケンブリッジ大学の女子カレッジで行った講演を元に書かれたもの。講演のテーマは『女性と小説』。
本書はフェミニズム論の古典的な文献として扱われることが多いようだ。実際、巻末の『訳者解説』でも、そのように読み解いている。
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ボーヴォワール『第二の性』よりずっと穏やか、ミシュレの『魔女』よりずっと身近。気さくな女友達と言った感じの文章が快い。
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女性論、文学論として忘れたくない一冊。
5章までは意識の流れ的に思索の過程がつづられ、6章でまとめての見解が述べられる。
著者はすぐれた精神は両性具有であること、そして人の心に伝わり、人の色々な想念を生み出し、色々な能力を呼び覚ます文学(精神の系譜?)には、精神の男性的部分と女性部分の共同作業がかかせない、と述べる。
作家とは〈現実〉を見据え、収集して読者に提示する方法を主にとるので、女性も収入を持ち、自分の部屋を持って〈現実〉を見据えるように。作家でなくても〈現実〉は人生を活力あるものにする、と述べる。ウルフ自身は親戚からの遺産収入があった。
個々人の生でなく女性全体の生を考えるなら、現在の女性のがんばりにより、将来の女性の未來は明るい、と著者は希望を持ち、具体的アドバイスもしている。
跳躍することだけを考えてね。
何より自分自身でいることが大切。自分のヴィジョンを少しでも変更してはいけない。
子供はたくさん持たなくていい。
この本が書かれて一世紀近いが、事態は驚くほど変わっていない、特に日本では。妊娠、出産、育児をどのように個々人の生活、社会制度の中に組み入れていくのか。
自分だけの経験に終わらず、現在の女性たちが連帯して未来の女性たちのために取り組まないと、女性の未来を変えることはできないのではないだろうか!
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当時の方にしては先進的な考えだとは思うんだけど、結局男女二元論の中で生きた人のご意見だなあと斜に構えてしまった。
でも経済格差の低い方は教育格差を乗り越えられないし、教育格差の低い方から詩人は生まれない、というのは目を背けちゃいけない、なおかつ変えてかなければならない事実だよな、とも思う。
それに、女性が筆を執ることが「乱心」「狂人」の兆しと取られた時代のことを考えれば、私達は小説を書いても(業界的に下に見られることはあったとしても)、奇人変人には当たらないこと、そうしたあり方を勝ち取ってきた女性たち、犠牲になった女性たちへの感謝を禁じ得ない。
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フェミニズム古典。非常に読みやすく示唆に富んでいる。
「私が簡単に飾らずに申し上げたいのは、何よりも自分自身でいることの方がはるかに大事だということです。他のひとたちに影響を与えようなどと夢見るのは止めてください。」人生の箴言
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すべての人の日々のちょっとした心がけとかそういう程度のいろいろの積み重ねでしか変化しないことだし、最終的にそういうちょっとした勇気というところにまとまっていて、やっぱり無力なんだよなと思いました
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「女性が小説を書くだって」
「ナンセンス、書けるわけがない」
という会話が普通だった時代がある。そんな時代の中でも先人を切る方々がいたおかげで、徐々に女性が創作活動にも携われることが可能になってきた。
本書が出版されたのが1929年、著者であるヴァージニア・ウルフさんがケンブリッジ大学で行った2回の講演をもとにした作品。当時、男女平等の参政権が認められて、しばらくたったころ。現代社会から見つめると、男女の収入格差が明確にあり、社会的地位も男女で差がある時代といえる。
女性が小説や詩を書くことが、まだ常識とは言えない時代に創作された古典的作品があるということを認識できたこと。そして、それらの作品を読むときには、その時代背景も考察することも大事なことだと感じた。
本書は、ユニークな語りで、子育てや家事で時間をとられ、もちろん個室があるわけでもなく、経済的な自由もない時代に、書物を創作してきた女性たちの心境を浮き彫りにしていく。脈々とつないできたバトンを聴衆である女学生たちに託すかのごとく、先人たちの力を引き継ぐことが可能であり、未来は開けていくという願いもあったのでしょう。
読んでよかった一冊。
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読みながらたくさんメモをとった。女性として生きる上でも、文章を書く上でも、心に刻んでおきたい言葉であふれていたから。シェイクスピアの妹は今でもわたしたちのなかにいる。〈現実〉を見据えて生きたい。暮らしていけるだけの自分のお金を得て、鍵のかかる自分ひとりの部屋で。
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2019.7.3
1920年代と今の日本、百年経ったけどそんなに変わってないですよ、と彼女に伝えたい 言いたいことは言えるけど、その発言にいまだあまりちからはないよ 45歳で最も評論や作るものに脂がのるって考えると、物を書くというのはとても息が長く素晴らしい職業 あまりにもすばらしい文章なので思わず怒ったり泣いたりしてしまったが、そうすることはこの作者の意図に反するので静かに考える バイブル
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なんか気難しそうで(失礼)敬遠していたウルフだけど、ユーモア精神のある素晴らしい講演だと思う。小説の「誠実さ」についてということが心に残った。しかし私はシャーロット・ブロンテのことは少し擁護したくなった。「私が私であること」のなかには、憤懣も、責任感もあって、それがシャーロット自身であったのなら、それはそれで受け入れられる。(これは読む側の私自身にはめられた枷もあるのだろうか?)
押し付けられた価値観や役割を取り除いて、あるがままの私、でものを書くということ。あるがままの自分ってなんだろうな。
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『ヒロインズ』からヴァージニア・ウルフ2冊目。
1928年にニューナムとガートンという女性のためのカレッジで行われた講演が元になっている。「女性と小説(フィクション)」というテーマを与えられたウルフが「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」と女子大生たちに語る。
『ダロウェイ夫人』ではそれ自体が魅力的だった、ふわふわと移り変わっていく文体はとらえるのが難しく、男性たちとの優雅な昼食会から女性たちの質素な夕食会、それが「なぜ男性は裕福で女性は貧乏なのか」へと変わっていく過程を理解するのに二度読み直しました。
英文学を学んだとはいえ、シェイクスピアの時代まで遡ってでてくる固有名詞の数々には解説がないととてもついていけない。
ウルフがこの講演をしたのは1928年。女性の参政権が認められ、大学に通うことのできる(おそらく当時はかなり恵まれた)女子学生たちにに向かって語っています。
女性が小説を書くこと、それが認められることの困難な歴史を乗り越えていった女性作家たち。あと100年したら、シェイクスピアと同じような才能をもった女性も活躍できるはずとウルフは言いますが、2019年現在、私たちは自分ひとりの部屋を手に入れることができたのでしょうか。
以下、引用。
実際、人間の心と体と脳は、何百年かたったらきっと違っているにしても、別々の場所に収められているわけではなく全部つながっています。したがって良い食事は良い会話にとってきわめて重要なのです。
文学は蜘蛛の巣のように、たぶんそっと軽くではありますが、四隅でしっかり人生につなぎ止められています。
どんな女性であれ十六世紀に大きな才能を持って生まれたとしたら、気が狂うか、銃で頭を撃ち抜くか、あるいは男か女かわからない魔法使いと恐れられ嘲笑されて、村はずれの佗びしい小屋で一生を終えることになっただろうということです。
女性の正確な背丈が計れるような刻み目は、壁にはついていません。良き母としての特質、娘としての献身、妹としての忠誠、女中頭としての能力が計れるような、一インチずつ刻め目のついたヤード尺は存在しません。
もし女性が男性と同じように書き、男性と同じように生き、男性と同じような外見になったとしたら、それもじつに残念なことでしょう。
だって料理はみんな作ってしまいました。お皿もカップも全部洗ってしまいました。子どもらは学校にやり、そしてみんな世の中に出て行きました。まったく何も残ってはおらず、すべては消えてしまいました。伝記も歴史も、何も語ってはくれません。だから小説はそのつもりはなくても、嘘をつく他はないのです。
わたしが思うに、みなさんの力で彼女にこのチャンスを与えることが、現在可能になりつつあります。わたしは信じています。もしわたしたちがあと一世紀ほど生きたならーーわたしは個々人の小さな別々の生のことではなく、本当の生、共通の生について語っています。あと一世紀ほど生きて、もし各々が年収五百ポンドと自分ひとりの部屋を持ったならーー。もし自由を習慣とし、考えをその��ま書き表す勇気を持つことができたならーー。
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なんだろう、頭に全然入ってこない
お金と自分ひとりの部屋が必要
これは、今の日本となってはそんなもの男ももってないよ、と思う
でも、日本語訳がよくないのか?言葉が頭に馴染まなかった
三章の終わり、シェイクスピアの作品には、本人を見出させるような歪みがない、というようなことが書いてあったけど、そこは面白かった
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女性と小説がテーマの講演会を文字にしたもの。
正直、前半とか特に???だったりしたのですが、メッセージはビシバシ伝わってきました。
結局、自立してないと書きたいこと書けないし、お金ないと、自分と向き合う時間もない。
だから、お金と自分一人の部屋が必要と。
現実を見つめ、現実と向き合って生きていこうと言うメッセージで、言うべきことははっきり伝えつつ、温かく背中を押すような言葉に感じた。
あとは、良くも悪くも、古さをあまり感じない。
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すごい本だった。
ウルフ本人がテーマとする「個室とお金」を圧倒的に超えたことが書かれている。経済格差とか差別的言辞といった目に見える厳しさの向こうの、目に見えないもの。私たち女性さえもが無意識に自らを閉じ込めている価値観。そこから翔び立って、性別を超え、他者との偏向的な関わりも超え、自由に「自分」であれ、とウルフは言っているように、私には思えた。しかもウルフは、そのようにあるためには現実を見据えて生きよ、とも喝破する。「私」が「生きる」ということを、深く考えさせられる本。