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電子書籍
江戸のことわざ遊び
著者 著:南和男
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江戸のことわざ遊び
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江戸のことわざ遊び 幕末のベストセラーで笑う (平凡社新書)
商品説明
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
「目から鼻へ抜ける」「頭割り」「目玉を喰う」などのなじみ深いことわざや言い回しが、奇抜な「絵」と絶妙な「戯文」で、楽しく生まれ変わる。幕末の上方で大ベストセラーとなった一荷堂半水作・歌川芳梅画、珍本『諺臍の宿替』の現代語訳、ついに登場。江戸の暮らしと笑いが現代に鮮やかに甦る。
目次
- 口車に乗る人
- 江戸へ小便しに行く人/東海道を股にかける
- 目から鼻へ抜ける人/木で鼻くくる人/眼面(まなこつら)のふし穴
- 顔が広い人/大金振りまわす人
- 日を延ばす職人/日切仕事
- 眼へ入っても痛くない孫/芝居のかぶり付き
- 人を尻に敷く/尻の毛むしる
- 口の歯にかかる人/茶臼
- わらでしても男は男/足手まとい/小便桶の三番叟
- 盃廻す/盃の捻じ合い/盃おさえる人〔ほか〕
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紙の本
風刺画からの連想で、「耳」の芸術へ。
2010/10/12 15:23
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
平凡社新書・南和男著「江戸のことわざ遊び」。
これが、なんとも、奇天烈なインパクト。
副題に「幕末のベストセラー・・」とあります。
その幕末から明治にかけての40年ほど続けて売れていたベストセラー。
と解説されております。
なにげなく使っていることわざも、それを絵で表現すると、
とたんに、インパクトのある現実離れした、絵空事に変換していくのでした。
そこの可笑しさを、すくいとってゆく、幕末の文と絵とのコラボ。
たとえば、「目から鼻にぬける」とは、
新書の解説によりますと、
「頭の回転が速くて抜け目のない様子。昔大仏の目を修理した大工が、目をはめてから鼻から抜け出た利発さをいったという説もある。・・・」
これを絵にすると、なんともグロテスク。
ちょん髷の男の顔を左側からクローズアップ。
左眼は、黒目が右側を見ているようです。
その、ちょん髷男の右目に、もぐりこんで袴の足がでていて、
鼻の左穴から、反り返った男の顔と両手がみえている。
大仏と、それにもぐりこんだ職人という大きさの構成。
こうして描くとなんとも、奇妙奇天烈な画となっておりました。
絵とともに、文も切れ味があります。
落語の枕にも使える、ネタ帳の列挙という観があるのでした。
ひとつぐらい文も紹介。
蝶よ花で育った子。これを風刺画に添えられた文は、どういうのか。
「あたしはこのように、お父さんやお母さんが大事にしてくれて、毎日、蝶よ花よと遊んでいる。これからだんだんと大きくなったら、お父さんのように、丁と半とで遊ぶのだ」
その解説は、
「表題の『蝶よ花』は、丁半賭博の『丁か半か』(偶数か奇数かの意)のかけ声をもじったもの。幼児の親が賭博師であることを示唆している。大事に育てた子が必ずしも真っ直ぐに育つとは限らない。やはり親の生き様か。」(p223~224)
そう。落語の枕をあつめたネタ帳の蔵をひっくりかえしたような味わい。
もうひとつ引用してもよいでしょうか。
「寝耳に水」
布団に寝ている男の顔だけが大きな片耳だと、想像してみてください。
その布団を、はがして、木桶で上から、大きな片耳へと水をぶっかけている図。
うがった想像を羽ばたかせれば、
ここから、しじゅう「耳」を作り続けた芸術家・三木富雄を私は思い浮かべたりします。
以下この新書の「奇天烈なインパクト」から、私なりの連想。
渋谷区松濤美術館の1992年「特別展三木富雄」カタログを開いてみました(展覧会には行けないので、カタログだけ送ってもらったものです)。
さてっと、現物はないのに、写真だけが残っているというのがカタログに掲載されておりました。「翼の生えた耳」。年譜によると1976(昭和51)年38歳。「ニューヨークに滞在中は、粘土原型のままの耳はかなり作っている。そのなかで『翼の生えた耳』が最後に作られたが、これも鋳造されることなく破壊された。」とあります。
両耳がつながっていて、その両耳から翼がもくもくと生えて、まるで蝶の羽化寸前のような感じにも見えます。
三木富雄氏の言葉も考察のあいだに、引用されており、
たとえば、こんな箇所があります。
「友人の家で突然何メートルにも耳を拡大させるという、ふってわいたような思いにとりつかれた時、そのあまりにも『ばかばかしい』想像に興奮してしまった。・・・帰りの国電の中で幾百の耳がぼくに襲いかかってくる錯覚をおぼえ恐怖を感じたことを覚えている。」
そういえば、「江戸のことわざ遊び」には、
「手わけする人」の風刺画がありました。
肘から手までの腕を、一本一本とりわけて、サイズ別に箱に選別しているタスキがけの町人。いっぱいある腕を箱に取り分けているのでした。解説には「『長い手』は、盗癖を意味する。手わけをするのも大変。自分の器量以上に商いを広げすぎると、身を滅ぼす危険もある。」
うん。三木富雄の作品に、アルミニウムにプレスされたような耳だけが42個も整然と並んでいるのが、カタログにありました。耳の標本箱のようでもあります。
そうそう。「壁に耳あり」なんてことばが、思い浮かぶのですが、三木富雄の作品からは、そんな言葉が軽薄に感じる存在感が、カタログからうかがえるのでした。