紙の本
どんなに素晴らしい小説家でも旬がある
2021/11/18 20:14
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投稿者:GORI - この投稿者のレビュー一覧を見る
瀬戸内寂聴さんが亡くなったと聞き最後に出版された小説を読む。
95歳に書き上げこと自体が称賛。
しかし、残念だが本作は読者に向けて書かれた物語ではなく、自分の思い出を綴るエッセイだった。
誰でも歳を取って老いるだろう。
今まで出来たことも出来なくなる。
職業人と呼ばれる人だったら、その時に自分で引き際を決めて欲しい。
このような内容の本を出す出版社も如何なものだろうか。
偉大な小説家を冒涜する商売ではないか。
全盛期の瀬戸内寂聴の小説を読みたくなる。
電子書籍
交友関係の裏話?
2018/07/05 09:36
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投稿者:ピーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
痛みがある中、この本を出版されたことには脱帽。
秘書との現在の物語?と思っていたら、回顧へ。
確かにモデルとして書かれた女流作家の方々が亡くなっているので、死人に口なし。
ちょっと複雑な感覚で読みました。
紙の本
ファン向け
2018/12/01 01:46
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投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
寂聴さんのファンなら、裏話的部分も多くて楽しめるんでしょうけれど、どことなく自己満足という感じがぬぐえませんでした。
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寂聴さんの最後の小説かもということですが、お友達とのことを書いたものかな。90歳以上ともなると、いろんなことが見えてくるのかな。老いて病気、ガンになること、男の子と、女性作家との思い出などストレートな思い(しかもドロドロ感なし)、退院したあとこの小説を書き上げるなんて、強い強い精神力、「いのち」を感じました。
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寂聴さん自身と、親交のあった河野多恵子さんと大庭みな子さん、三人の女流作家の友情の話。こんな話は寂聴さんが書かなければ、誰も知らなかったはず。それぞれに夫婦仲がよかった二人の女流作家に対する称賛、わずかながらの羨望、それともそれぞれの人生への達観か。
入院して休載したこともあってか、繰り返し同じ話が出てくるところも、『老い呆け』と自らおっしゃる寂聴さん自身のいまを切り取るような、味わい深い一冊。やはり懐が深く、よい。
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瀬戸内さんの同世代の作家のことが書かれていて面白かった。大庭みな子、寂聴、河野多恵子、三人とも文化勲章受章者であることにびっくり。
寂聴さんも二人が亡くなっているからこそ書けたのでしょうね。
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先日、寂聴さんと若い秘書の方がTVに出ているのを見て興味が湧いて読んでみた。『長命は、決してめでたいことでも幸せなことでもない。』うちにも97歳になる大姑がいるので良くわかります。
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長編小説?
人生の覚書き?
実在した作家たちとの交流を、ここまで書いてしまって良いのか?という印象を持ちながら読みました。
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お年のせいか、構成は練られてないというか、行き当たりばったりっぽいが、相変わらずの瀬戸内節であった。この人は自分自身を含め、ゴシップをゴシップの醍醐味は残したまま文学にする人だと思っている。だから源氏でもかの子でも、直接知り合いであった人でも、書かれたものは女性週刊誌的な味わいがある。それでも下品になりすぎず、エンタメという感じがしないのは人徳というか、持って生まれたものというか。
これを読もうと思ったのは、河野多恵子は結構読んでいたから。下世話な興味も含め、どういう人か気になって。
河野多恵子、大庭みな子、著者自身、そして彼女たちの周りの人々を描いている。
瀬戸内さんは、面倒見と金離れが良く、怨みがましいところがないから、色んな人と縁があるのだなと改めて思った。
下世話な興味の部分も故人に失礼のない程度に書いてある。完全なる男社会であった当時の文壇で、女流作家(と昔は女性作家を読んだ。男流とは言わないのにと突っ込んだのは上野千鶴子だった。)がいかに努力し、孤独であったかが良くわかって、胸が痛くなる。
大庭みな子は読んだことがないが、読んでみたいと思った。
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著者の本は、最近何回か読んでいますが。
さすがに文書は非常に読みやすく、すらすら
読めるのですが。
内容としては、著者の旧来からの友人の小説家仲間の
動向や人となりがかかれているような内容で
これで何を言いたいのか?と考えてしまうような
感じです。
ただし、最後の2~1ページは読んでいて、深く
心に残る内容でした。
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明石家さんまさんの「さんまのまんま」に瀬戸内寂聴さんがゲストで出演。新刊「いのち」の宣伝もしていった。
読んでみた。
「群像」に連載されて居た。寂聴さん曰く、
連載されて居たこの「いのち」と言う小説も病気などの入退院で3度も休載されて居たようだ。
書き下ろしの作品ではないので、時代の流れは一貫して居ない。前後に時代が行ったり来たりで、私小説とも、エッセイとも見えるこの本の中身の登場人物の作品や恋愛、結婚生活などの動きが把握できないと理解しづらい読者もいることだろう。
私小説、エッセイとも解釈できるこの作品。
宇野千代さんについては、最初の方にわずか。
ほとんどは自分の恋愛遍歴にまつわる事柄や、長年の親友でもあった河野多惠子、大庭みな子とその夫たちについてにの文章が多い。
そして、多数の文豪たち。
もちろん!最近の寂聴さんの生活ぶりも読み取れる。
その辺りは軽妙で寂聴さんのユーモアを感じる。
「作家と言うものが身近な人を傷つける業深きもの作家と言うものが身近な人を傷つける業深きものといって居た森瑤子さんのいうとおり、作家たちの業の深さをしみじみ感じる。常識人、良い人ぶりが最上とは決して言えないこの仕事人のたまらなさ。。。
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女流作家が特別な存在だった時代を彩った彼女と仲間。
あたりまえに芥川賞、直木賞ともに女性の時代となった現在。
その頃は「特別な考えを持った女性」しか作家にはなれなかったんだ、と解った。
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井上荒野さんの『あちらにいる鬼』という、フィクション小説のモデルになったとされる、瀬戸内寂聴さんの作品を1作も拝読したことがなかったので、何か1作と思い他社レビューで評価が高く比較的最近書かれたこの作品を手に取りました。
この作品は寂聴さんが94歳の時に書かれたもののようで、何か今後の私の人生の指針となるお言葉でも頂戴できればと思って拝読しました。
主に小説家で芥川賞作家の河野多恵子さん、大庭みな子さんの二人のご親友とのご交流を中心に書かれていますが、小説家同士の交流や、生涯は一般人のそれとはかなり違う気がしました。九十歳を超えたお元気な年長者が周りにいないので、何か参考になるかと思ったら、経済観念も、人間関係の交流の仕方もおそらく全く違うので、その世界の方の話と思って拝読するだけでした。
河野さんは文学賞の選者をされたり、大庭さんは全十巻の全集をだされたりした、著名な文学者であられ、寂聴さんも源氏物語の現代語訳という大きなお仕事をされ、大変人気もあられる方らしいのですが、私にとっては、あまりなじみのない文学者であり、これからもその作品を拝読してみたいとは、この作品を読んでますます思えなくなってしまいました。
大変失礼な言い方ですが、なんだか浮世離れした、赤裸々な内輪話の垂れ流しを読まされたような感がありました。
いち一般人の私のような若輩者が匿名で言うのもなんですが、なぜ皆さんがこの作品に星5をつけているのか、よくわからないと思いました。
私の感覚がおかしいのかとか、レビューをしないでおくことも考えましたが、読むのに数時間かけたのですから、一つくらいこういう意見も書かせてほしいと思いました。
ただひとつ、死ぬことより、呆けることの方が怖いというご意見には大変うなづけました。
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死を内包しながら生きている94歳の生き様として面白かった。ここまで生き、その年代の境地を作品に残すということがまず稀有。往年の名だたる文筆家の女たちも男たちもすべて見送って、自らがいかに人生の終わりを迎えるか、もっと書いてほしいとも思う。
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内幕ものというか、ミーハー気分で読んでしまった。でも、そこはさすがの寂聴さん、河野多恵子、大庭みな子との関係など、さらっと書いてあるようで、普通ならここまで書けないよなという内容だった。上品とか、格調高いとまではいかないし、そうである必要はないと思うが、すごくうまく描写されてると思う。
亡くなった人のことを実名で書く、欠点というか、事実だとしたらバラされたくなかったようなことを書く、というのはどうなのだろうと思うが、一応小説の形なのでいいのだろうか。
と、批判めいたことを書いてみたが、生き証人として、やはり書いておいてほしい、もっともっと書いてほしいとも思う。
どの人に対しても悪意が感じられない。嫌な部分もあったけれど好きだった、好きだったから書き残しておきたい、という思いだと解釈した。