自己を見つめる
著者 渡邊二郎
放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェやハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる気持ちを支え引き締めてくれる。「この授業、このテキスト...
自己を見つめる
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商品説明
放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。
ニーチェやハイデッガーのことばをまじえながら、
崩れ落ちそうになる気持ちを支え引き締めてくれる。
「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」
と語りつがれる哲学の名著。
日本を代表する哲学者が
「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など
15章のテーマで語る人生の真髄。
「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、
死場所への覚悟というものと深く関係している。
しかし、他方では、それは、ときにはそれを忘却した、
放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも接続していることは確実である。
この大きな振幅のなかで、私たちの生の営みは展開している」(「生き甲斐」)
「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、
それを慈しみ、人生の大事と考えて、
その尊厳を守ろうとする、
控え目ながらも持続的で強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、
また、そのことに伴うあらゆる憂いと悲しさの
情念のすべてであり、
自己としての生きる人間の根源に関わる根本問題なのである」(「愛」)
「幸福は、たいていの場合、
不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる
失われた桃源郷である」(「不幸」)
「老年になって、やっと人は、
自分の人生を変えた大きな出来事が、
そっと気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、
自分を支配することに至ったことを理解する。
自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、
ようやく分かるのは、老年になってからである」(「老い」)
(「まえがき」より)
目次
- まえがき
- 第一章 経験
- 第二章 時間
- 第三章 境遇
- 第四章 遍歴
- 第五章 自己
- 第六章 生き甲斐
- 第七章 仕事
- 第八章 孤独
- 第九章 愛
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書店員レビュー
せわしなく生活を続け...
ジュンク堂書店大阪本店さん
せわしなく生活を続ける中で、私たちは嬉しいこと、悲しいこと、愚かしく恥ずかしいこと、様々な経験を積み重ねて生きている。
同じ過ちを繰り返さないよう学習しながらも、不条理な現実に向き合い、ふと、「何のために生きてるんだろう」「(私は)どこに向かっているんだろう」とわからなくなる時がある。「生きる」というライフワークの意味とは。
日常に流されていても、自己の存在理由、生きる意味を確認したい一瞬があると思う。その時にこの本は必要となる。
「自己を見つめる」作業に慣れていない人にお薦めします。
まえがきの、「崩れ落...
ジュンク堂書店京都BAL店さん
まえがきの、「崩れ落ちそうになる気持ちを一生懸命に引き締めて、なんとかしっかり生きてゆこうとしている・・真面目な人々と一緒に、人生の諸問題について哲学的に考えてみる」。なんて綺麗な導入部だろう。
名言集のような本もよいが、このような本と出会い何かを見つける人生も素敵だ。
京都BAL店人文書担当
人生とは何か。真剣に向き合う哲学者による、やさしく強い語りかけ。
2016/03/12 13:36
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たまがわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
心に静かに染み入る、人生論。
人生とは何かなんて、人とはあまり語り合わないけど、
本書を読んで、著者の真剣な人生観に触れて、改めて自分を含む、人それぞれの人生の尊さというものを、認識させられた。
真剣に誠実に等身大に、運命や世間や人生について考えるところを語っていて、まったく説教臭くなく、青臭くなく、理屈っぽくもない。
読んで良かったと心から思える本だった。
以下、まえがきより引用。
『・・・日常茶飯のすべて、行住坐臥のすべてが、いかに生きるべきかという根本問題と直結している。
たとえば、今晩の食事は何にするのか、明日は何の仕事を片付けるべきなのか、自分の人生設計の全体は
いかに描いたらいいのか、等々、私たちの日々の営為のすべてが、こうした自己決定と自己決断の連続だからである。
私たちの人生は、生まれてから死ぬまで、こうした態度決定の連続のうちで形成される。
それは、せんじ詰めれば、生老病死の人生と、この世における人間の生存の意味への問いへと収斂する。
こうして、人間と世界の存在の意義いかんに向けた態度決定こそが、人間の生存の核心をなす根本問題となる。
この世に生きる誰もが、実は、心の奥底で、こうした深刻な問いに悩まされているのである。
けれども、誰も、この世の公共的な世俗の言説の場では、そのことを表立って議論したりはしない。
というのも、その問いは、公共的な世俗の言説の場で問題にされるには、あまりにも繊細で内面的な問題意識でありすぎるからである。
したがって、人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。』