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バレエの演目として名前は知っていたけど、ほとんどストーリーを知らなかったので、新訳シリーズででたからこの機会に、と読みました。
星はつけたけど、ほとんど評価不能です。
マノン・レスコーのキャラクター(性格)の見えなさ。
放蕩をつくす悪女にはなりきれず、かといって性格の良い女とは全く思えず。
デ・クリュの恋に盲目な(愚かな)男っぷりも、いささか常軌を逸してる。(頭が良く、論理的てあるから余計に)
この本の書かれた時代背景。当時の文学のことも知らないと読みきれないのかもしれない。
椿姫がこの本のだいぶ後の時代に、この本の影響を受けて書かれたということにもただ驚く。
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語り手の私が観たマノンの様子は、上流の令嬢にも見え、慎み深い心の持ち主に見えたというので、その後に書かれているアメリカに送られることになるまでの行動からイメージする奔放な様子とはイメージが違い、頭の中で描く姿が定まりません。
シュヴァリエのことを愛してはいるように思えるときもあるのですが、いやいや、その行動は無いでしょう、何を考えているの?本当に愛しているの?と言いたくなる。シュヴァリエが気づいているように、単に「楽しみ」を「享楽」を求めているだけで、それは「愛」を超えているように思える。愛が根底にあれば裏切り、それも楽しみや享楽を求めた裏切りを許せるものなのか?裏切る人間に愛があるのか?本当にそれは愛なのか?読んでいて、マノンがシュヴァリエをアメリカに渡るまでの間にも、本当に愛していたのか、愛しているという言動をしても、なかなかそうだとは思えませんでした。最終的にアメリカにまで付いてきてくれたシュヴァリエのことを、それ以降は本当に愛していたのかもしれないとは思うのですが。
そもそも「愛」とは何か、「好き」「恋」との違いは何か?とも思います。シュヴァリエのことを「好き」ではいたのでしょう。「好き」を「楽しみ」「享楽」が上回るというと不謹慎さがありますが、現代に置き換えて「仕事」ややりたいことが「好き」を上回る、結果、愛や結婚をあきらめるというように考えれば、ありなのでは。
楽しみたいという気持ちは責められないもので、それは現代でもある。ましてや、当時は女性が自分のしたいことをやれるような方法は全然ほぼ無かったわけで、そう思うとマノンの行動が前回読んだ時よりも、仕方ないかと思えてきました。出身が決して恵まれていないのに本も読み詩も読み、色々世界について知ってくると、その世界に近づきたい、出身の層で一般的とされている在り方で終わりたくないという気持ちが生まれるのは、ありえるようにも思えました。その結果、とる行動は反社会的で、遵法意識が無いようにも思いましたが。
そもそも、小説の形がシュバリエの話を基に書いたという形で、あくまで男側の一人称、主観で語られる世界なので、そのフィルターを通してしかマノンを語られておらず、マノンの真意がわからないですし。
椿姫と比較して、椿姫のような純愛ではないと考えられるのかもしれませんが、むしろ椿姫より本当の本物の人間らしい、椿姫は想像上の理想化された純愛だとも今回読み直して思いました。
アメリカに渡ってからマノンの気持ちに変化があったのか、わからないのですが、いずれにしても読み物としては、アメリカに行ってからのマノンでなく、堂々と楽しみを求めるマノン。マノンに振り回され、考えがふり幅大きく変わっているシュヴァリエの辺りの方が読んでいて面白かったとも思います。
もう一つ、今回再読して、ティベルジュの献身、友情部分に非常にワクワク、惹かれて読みました。これはもう友情というより愛、ティベルジュがマノンに会った時の様子が知りたい。
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大学の授業で扱われたので読んだ。
訳が古いので読みにくさはあるけど、マノンの美貌にしか惚れてないから身を落とすんだ、という気持ちだけ。
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ひで~~笑 バカダナーー
でもこの小説が世界を変えたから、このような感想を平民で女の私も抱けるようになったのでしょう。解説がフラットでよかった
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ただの愛の空回りと馬鹿騒ぎ、と捉える人間は浅はかだと感じる。フランスの恋愛文学の古典。名著。
結局2人は望みあって、最後を迎える。
デグリュよりもマノンの方が彼を愛していただけ、
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1731年刊。ファム・ファタール像を示したフランス文学の古典。駆け落ちから破滅に至る悲劇的恋愛を描く。
もともとは真面目っぽい性格で、才能もあり将来に期待のもてる貴族の青少年だったのに、ひとたび恋の力に囚われると、駆け落ちから無心、犯罪、逃亡、と無茶をやらかしまくるデ・グリュ。どうしようもないなこの主人公……と呆れながらも、二転三転する展開の面白さと、恋のためにすべてを投げ出す情熱に引き込まれていく。終盤に至るころにはその純粋で激烈な愛情に感動すら覚えていた。しかし主人公の言動がわかりやすいのに対して、マノンの魅力には妖しさがつきまとう。彼女の本心に謎を感じさせるあたりも多くの読者を惹きつけ続ける要因なのだろう。そしていつも変わらぬ友情を示すティベルジュの存在も地味に大きい。感情を揺さぶる名作。
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「マノン・レスコー」アベ・プレヴォー。初出は1731年、フランス文学です。光文社古典新訳文庫、野崎歓訳、2017年。
1731年というのは、古いですね。ディケンズだってヴェルヌだって19世紀です。スタンダールも作品は19世紀。19世紀ともなると、他にも「現代にそのまま通じるエンタメ小説」はいくつもありますが、18世紀はなかなか。
…なんで、ひょっとして辛い読書かなとも微かに思ったのですが、見事に裏切られました。圧倒的に面白かった。
#お話は、はじめ18歳くらいのどうやら貴族的身分の若者デ・グリューさんが、マノン・レスコーという名前の出自不明の美少女とばったり出会うことからはじまって。
一気に一目惚れ。もともとが優等生気質だったらしきグリューさん。そして贅沢と裕福と遊びが大好きなマノンさん。そしてどうやらマノンさんは娼婦的性格(と実践)の強者のようで、グリューさんは振り回され、とめどもなく金を遣い、世間を狭くして勘当同然、ふたりして浮き沈みしつつ沈んでいく…という。
グリューさんはとにかくマノンが好きでたまらない。マノンも熱烈にグリューを愛するけど、一方で幾度も裏切ります(特にお金が無くなり始めると)。
#そもそも出会いのところが殆ど爆笑物の強引さ。その後も問答無用のジェットコースター小説。何が面白いんだろうかというと、とにかく執拗な心理描写。グリューさんの一人称小説なんです。グリューさんの恋焦がれ浮かれ舞い上がり、屈辱に震えて嫉妬に焦がされ怒りと絶望に涙する心情が物凄く豊かに描かれています。それから展開の適度なテンポ。とにかくふたりの関係性(を回想として述べるグリューの一人語り)しか表向きは題材が無いんです。そしてふたりの物語は前半からもう、アウトローの世界へと落ちて行ってしまうので、恋愛のジェットコースターはそのまま犯罪アクション、犯罪者物語と言っても過言ではありません。面白い。
#そして、「ダレ場」が殆どありません。どうしてかっていうと、「風景や人物の外見の描写、そして社会構造や思想宗教についての論考が無い」からでしょう。これは、すごい。ほんとにありません。解説を読んで「あ、そうだ」と思ったんですが、そもそも「マノン・レスコー」がどんな美少女なのか描写されていない。あと主人公は何かしらか修道士?的な職業(どうやらこの社会のなかでそれなりに名誉あるポジションだったよう。中世ですから)からの脱落者なんですが(マノンとの恋愛のおかげで)、だからと言って神や聖書や宗教と、恋愛について、道徳について、本気で論考するようなくだりも全然ない。グリューの人生は(マノンとの出会い以降)「そんなことたちよりも、マノンと一緒にいることの方が大事に決まってるじゃん」という1点で、ブレない。微動だにしない。そんなこんなでダレ場がない。ほとんど現代的とも言って良い読みやすさでした。それについて大事なのは翻訳なんですが、翻訳もそんな「勢い」とか「熱」を遮らない文章で、あと見開き左に注釈があるのも良かったです。(ページを終盤に移動して注釈を読むのは面倒なんですよね)
これが同時代でベストセラーとなったのもむべなるかな。なかなかこんな小説ありま��ん。
#何がすごいかって、グリューさんは(マノンも)恋愛とその快楽を維持するためには、犯罪を厭わない。罪悪感すら薄い。「だって僕たちの恋愛のためだもんね」的な。殺人までしちゃうんです。引きずらない。ラスコーリニコフがどっちらけです(笑)。若くて愚かで、罪を犯す一方でさすがに次々に失敗して没落していくんですけれど、これがもう痛快です。
古典なんで、もう擦り切れるほど各方面の論考がなされているみたいですが、やっぱり共感を呼ぶのはその弱さやだらしなさも含めた人間味ですね。正義を行って確かに道徳的にその社会当時に何も悪いことをせず、したがって他者を糾弾非難して道徳と法律に君臨した人物の物語は、やっぱりおもしろくないでしょう(笑)。だってそんなの「そう言っているだけでホントはどうせちがうでしょ」。そして何と言ってもマノンさん。酷いこともいっぱいするんですけれど、ブレブレながらもグリューさんを愛しているんですね(まあ、「流れに任せて、グリューに巻き込まれて生きてしまった」という解釈も可能かもしれませんが、それだけでもないような不思議な人物像です)。
#色々疑問は残るんです。突っ込めばキリがありません。それでも直球一本勝負、三球で三振以外に考えない怒涛のピッチングという感じで、えっ…という間にスリーアウト、みたいな読書の快楽でした。(同時にこれが長丁場になると、これでもたないだろうなあ、ボロが出るだろうなあ、とも思います(笑)。適度な長さです。つまり、省略が上手い)
#それにつけても、「恋愛」と「お金」という関係性の物語とも言えます。カネが無くなる恐怖。カネがなくなればマノンは裏切るしかない。極北の個人的な営みと感情が、この上なく社会的なものに絡められてします。だからこれは都市の快楽と資本主義の台頭をざっくりと本質的に削り出した小説でもあります。実は「恋愛」というふわふわした、限りなく不可思議で狂おしいドラマが、実はそういう社会環境の産物なのかもしれませんね。恋愛感情は太古からでしょうが、それが人生を支配する葛藤になり得るというのは風俗現象かもしれません。そんなあたりを確信犯で削り出している。鉈で一気に仕上げた木像のぞっとする凄み、の如し。この延長にボヴァリー夫人が佇んでいることは間違いなく、フランス小説っておもしれえなー、という。
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亀山先生が“モーツァルトの手法で書かれた言葉のオペラ”と帯に書いてらっしゃった。
たしかに亀山先生は、ドストエフスキー作品を訳をされてらっしゃるし、オペラ的な作品がお好きなのかな。
自分は、フランス人がずっと感情的に叫んでるのに、驚いた。
マノンちゃんが、この後の時代のファムファタルのモデルになってるらしいので、世の中にあふれてるいろいろな女性キャラのボスの物語を読めてよかった。
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「1731年の小説なんて絶対面白くないだろうけど、まあここらで古典でも一冊読んどかんとなあ」程度で手に取ったのだが……衝撃をうけるほど面白い。それも圧倒的に。いやいやまんまとこのハチャメチャな物語に魅了されてしまった。訳者あとがきで「従来の常識では考えられないようなパッションのありさまは、読者をいまだに驚かせ、魅了し、あるいは呆れさせるだろう」とあるが、まさにこの通り。シュバリエ・デ・グリュとマノン・レスコーという300年前を生きた2人の若い愚か者のまあ魅力的なことといったらない。
ヤッバイ恋愛楽しすぎる‼これ運命だわ。でも金に困ったので友達とか親戚にたかりまーす。それでも足りないので詐欺しまーす。あ、捕まっちゃったけど脱獄しまーす。ついでに殺人もしまーす。あ、普通に浮気もしちゃうぞ。
いくらなんでも無茶苦茶すぎる。クズ過ぎる。
にもかかわらずどこまでも情熱的で、刹那的で、自分に正直で、気持ちを真っ向から他者にぶつけ、したたかさも持ち合わせて、不必要な謙遜も自虐もなく、人間味にあふれ……。
つまりとても真面目に真摯に誇り高く、自分たちの人生をとことん生きている。それって最高じゃん。一番大事なことじゃん。もう堪らないくらい2人が愛おしい。憧れる。
まああまりに男性中心主義的な展開には不満も当然あるのだけれど、そういった短所すら「では現代的にこの物語を解釈した時にどういった結末がありえたのだろうか」と考える端緒になり、いやあこの本と出会えてよかった。
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マノンレスコーは主人公の男性の名が
題名だと思っていたが、主人公が出会う
宿命なのか悪名なのか一目惚れをする
美女の名であった。
マノンとグリュの逃避行は直ぐに始まり
グリュはマノンの散財や浮気を思い悩み
苦しみながらも、マノンを何とか引き留める
為に無二の親友や身分さへも捨てて
悪徳の道へと突き進み、挙句に殺人も辞さない
暴挙に至ってしまう。
マノンはグリュにとっては神以上の存在
なのだ。
マノンの心情はグリュが語る以外には
表面的にしか分からないがマノンの様な
女性にはグリュは忠犬のさながらの存在
でしか無かっただろう。
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読んでいて、これがフランス革命より前の時代の小説かと疑いたくなるほど臨場感があった。
スタンダールの恋愛論といい、デュマフィスの椿姫といい、フランス文学は恋の情熱がいかに幻想的で破滅的かを克明に表現している。
主人公のシュバリエがいかにマノンを愛しているかが、主人公の視点で終始書かれているので、いかにそれが狂気と隣り合わせかということが客観的にわかるようになっている。
世界を支配できるとしても彼女の愛さえあれば他に何もいないという境地には、恋は盲目という言葉があるとおり、多くの人が共感できるように思う。
作者は、浮気をされようともここまで友人や家族を翻弄し苦しめ、詐欺を働き、人を殺しかける主人公の愚かさを描く。挙げ句にその情熱の元となった恋人を失う顛末から、恋愛感情が麻薬的な作用をもたらすこともあるということを教訓として伝えたかったのだろうか。
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女に溺れて身を滅ぼすのが夢だ。が、一度きりの人生をそうそう頻繁に棒に振るわけにもいかないので、ファム・ファタール文学で憂さを晴らすのが関の山。『マノン・レスコー』と言えば、ファム・ファタールの嚆矢にして最高峰と言われる作品だが、18世紀前半という時代制約は如何ともしがたく、まあこんなものか。野崎歓の解説も良い。
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悪女の話だというくらいの知識しかない状態で読み始めました。
もっと高尚な感じなのかなと思いきや、語り手のデ・グリュが正しく恋に狂っていてまったく落ち着いていないので(笑)そりゃ恋に堕ちたら冷静ではいられないよね……と勝手に納得。
マノンはもっと計算高い感じなのかと思っていましたが奔放で天真爛漫で自由でなんだか憎めない魅力があります。
弄んでやろうと思ってやっているのではなくてその時の自分の気持ちに正直なだけというか。
若さもあるんでしょうね。
計算高いという点ではデ・グリュの方が悪に染まっているような……
あなたが悪いんですよとか言いながら門番を撃ち殺したり。それに良心の呵責を感じるどころかさっさと次の計画を練っていたり、人心掌握に長けていたり。全部マノンのためなんですけどね。
流刑先で平和な生活が手に入ったかと思いきや、マノンの美貌のせいでまたいざこざが起こり最終的にマノンは衰弱死。
デ・グリュは嘆き悲しみ熱も出しますがラストでは特にマノンの話も出ず、兄のところに戻ってなんだかんだ元々描いていた人生に戻るんだろうな、と思わせるどこか虚しい終わり方でした。
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G・プッチーニのオペラの原作。絶世の美女に一目惚れし、純愛を捧げた青年が人生を踏み外して転落していく物語。とても面白かったです。
時は18世紀前半のフランス。17歳のデ・グリューは、成績優秀で将来を有望視されていました。ある時、街で出会った修道院送りになったマノン・レスコーに一目惚れ。二人でパリに駆け落ちをします。愛に満ちた二人と思われましたが、マノンは貧乏暮らしを良しとせず、他の金持ちの男と通じていたことが発覚。一度は、父と兄によって引き離されて恋心は下火になりますが、運命のイタズラは放っておいてくれませんでした。デ・グリューが神学部の公開審査を受けるにあたり、彼の名前を見つけたマノンが神学校に訪れて、またしても学業を投げ出して二人で田舎町のシャイヨに逃亡。しかし、自由奔放で享楽的な生き方のマノンには、田舎暮らしは退屈過ぎました……。
と、ここから先は、純愛を求めるが故にデ・グリューが転落の一途を辿っていくのですが、ことごとくマノンの裏切りにあっても一途なデ・グリューに、呆れるのを通り越して感心してしまった。独りよがりと言いますか、ここまで相手を好きになれるというのも、ある意味羨ましいですね。
それにしても、マノンの悪気の無い天然さは何なんでしょうね。お陰で次々と破滅的な事件が起きて飽きさせず、側から見ている一読者としては、共感できなくても大変おもしろかったです。二人とも幸せになれるタイミングはいくつかあったのですが、そうはならずに悲劇に向かって突き進むこのような展開だからこそ、読み継がれてきた古典ともいえるのかな(シェイクスピアも悲劇が人気ですからね)。
追記:
デュマ・フィス『椿姫』(1848年刊)を読み始めたら、この『マノン・レスコー』(1731年刊)のネタバレが序盤から書かれていてビックリ。それだけ19世紀の中頃には、『マノン・レスコー』の内容が、一般的に知れ渡るほど読まれていたということでしょうね。
『マノン・レスコー』の巻末にある解説も、ネタバレが書かれているので、未読の人は注意してください。