紙の本
生と生の永遠を願う人々の欲望の発露としての美術について考えさせられる
2018/01/27 12:09
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くりくり - この投稿者のレビュー一覧を見る
「表現の原点を辿る」と題するサブタイトルである。
著者は4年前に一人娘を亡くされている。そのため「この世に対する情熱の大半を失ってしまった」「虚無で荒廃した心境で、かろうじて興味を引いた美術について綴った」とあとがきに記されている。
「美術の原点の章」で取り上げられるのはアウトサイダーアート。知的障害・精神障害を持つ人の表現、死刑囚の絵画、供養人形、来世のヴィジョンなどが取り上げられる。死刑囚の絵画の記述では、死と生の狭間で「美術とは何か、人間が表現するとはどういうことか」の問いが突きつけられる。供養人形では故人の魂を供物に投影し、個人の永遠の願い、生者の「供養」という魂の安寧、慰めとなる。著者の苦しみと「美術の力」が交叉するものとなっている。
「かつて美術の主流であった宗教美術は寺社と不可分の関係似合った」「どこに飾られようと作品自体の質は変わらない。しかしどのような作品であれ美術は常に周囲の空間と一体化して観客に働きかける」「真に優れた美術は常に宗教的であり、美術と宗教は実は同じものだ」という著者の言葉には、生と生の永遠を願う人々の欲望の発露としての美術について考えさせられる。
しかし、本書はそうした、やや哲学的な絵画論だけではなく、クレパスの表現の可能性や美術館の特徴の違い、日本の絵画教育「思ったままに描け」は間違い、藤田嗣治の戦争絵画について語りながら、戦争画が日本で初めて美術が公共性を獲得した記念碑と紹介するなど、美術を総合的に知る上でも好著。
紙の本
タイトルと内容が違ってきた?
2018/05/07 16:27
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投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「美術とは人間のどういう力なのか」。これまでの著者の著述から、そろそろしっかりと著者の意見をまとめたものがでたかと期待したがちょっと違っていた。
世界中の美術を見て回る旅の記録。著者もあとがきで書いている通り、美術鑑賞をしながら心の救済を求めるような「美術巡礼」といった色合いが濃い。
それぞれの説明は十分楽しめたのだが、正直「しっかりとまとめたものを次に期待」という感想しかない。
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絶望に美術は力を持つのか。
絶望の美術、祈りの美術が取り扱われている、異色の本だ。
読みやすい。心に染みる。
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人間のあらゆる芸術の源は宗教。
ルネサンスと宗教改革により、
「信仰の時代」から「美術の時代」へ変化。
フランス革命により、教会の権威低下、社会が世俗化。
物語より、視覚的な造形性へ。
絵馬
仏像を除き私的な場所での鑑賞の日本美術唯一の公共絵画
エクスヴォートと似ている。
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ところどころで、他にはないわかりやすい説明がある。
特に、日本の絵画が発達しないのは、「自由な発想」でなければ芸術でないというような思想のもとでの教育によるものだというところは、とても納得のいくものだった。
アーティストと呼ばれる人たちでさえ、苦しんで描くことが多いのに、はなからそこを求められたら、「才能がないのだ」と思っても仕方ないように思う。
多くの美術史としての知識を含みながらも、大変読みやすく面白かった。
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西洋、日本の美術作品を、その時代や作家、モチーフの話題を交えて紹介している。新聞連載をまとめたもののため、テーマごとに短い文章で書かれて読みやすい入門書的な内容。さらに専門書で深い知識を得たくなる良書だと思う。
筆者が「美術を見るということは、感性だけの営為ではなく、非常に知的な行為」というように、歴史や寓話、作者、描かれた時代の知識を踏まえて鑑賞することで、作品の深みが増すことがわかる。
「美術というものは古今東西を問わず、どんな天才的作品であっても必ず過去の作品と密接な関係を持っており、時間と空間の制約の中からしか生まれないものであって、芸術家の天分や創意工夫などといったものはごくわずかな要素にすぎないのだ」というように、個々の作品ではなく、時代の流れの中でなぜその作品が生まれたかについても知る機会となる。
筆者は、美術を見る「知識」の重要性を語りたかったのではないか。
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美術に関するコラム集としては良質。
毎回最後の帰納的な結論が飛躍している感はあるものの、それでも著者に寄り添って美術に触れられる感覚は新鮮。
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ティツィアーノの受胎告知に影響を受けたのが、エルグレコの受胎告知。
中世は圧倒的に神の時代。ルネサンスがおこり、人間を基準として物事を眺める視点が生まれた。
アルチンボルドって、野菜とか花とかで人の横側描く奇抜な感じだったから最近の人かと思ってたけど、16世紀とかの人なんだな。
フランス革命前は教会や宮廷がパトロン。
政治的、精神的に果たす役割も大きく絵画がでかい。
以後は住居に展示されるようになり小さくなる。
日本での絵画は巻物や襖絵など私的なもの。
みんなで、鑑賞するという文化がなかった。たしかに。
だから春画も流行った。
ウォーホルは敬虔なキリスト教信者。あのスープ缶などは、「誰が作ったかわからなくても、神を見る窓として機能するイコン」とつながっている。
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図が多く絵画をカラー図版で確認できイメージしやすい。自分が行った展覧会や観たことのある絵画が思い出されて読んでいて嬉しい。
絵画や美術そのものの意味を問うている精神性の高い深い内容。「絵画とは何か、絵を見るとはいかなることなのか」(p.90)を考えさせてくれるモノとして絵画が紹介されている。
また日本の美術教育に対する懸念、問題提起もされている。美術史を学ぶこと、古今の実際の作品を観ること、そして名画を模写することをしないことにより「自分の感性だけで見ればよいという姿勢に結びつく」「好き嫌いだけで見ればよく、色や形の美しさを感じるだけでよいという誤解」がある(p.136)という言葉にはドキリとした。
5章「信仰と美術」、6章「美術の原点」は特に心に響く内容だった。絵を描く・観る意味、美術の持つ力について書かれた、とても心に残る章だった。読めて良かった。繰り返し読み、取り上げられている絵を眺め、できれば実際に観に行きたい。
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自分が絵画好きになったのは、高校時代にエル・グレコの受胎告知を観てから。先週もナショナル・ギャラリーで、この本にも取り上げられているカラヴァッジォの作品を観てきたところ。実物を観た事があると、当然ながら興味のレベルが1つも2つも上がる。
「美術の力」と書かれている通り、一般的な絵画紹介本ではなく、それぞれの時代において絵画が果たしてきた役割とそのもたらす影響について書かれている。
西洋絵画だけでなく日本人による作品も取り上げられているところも好感。
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見事な絵画のカラー写真が満載で綺麗な本。新聞や雑誌で掲載された内容を集めた、とのことで全体のまとまりは無いが、章ごとに色んなテーマを扱っている
知らない芸術家がまだまだたくさんいて興味深かった。紹介される人物が多い分、いつの時代の人だったかを真っ先に明記してほしいと思った
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評価は3.5があればそれにしたい。
●美術は場も影響してくる
→非常に納得がいった。同じ絵でも日本で見るのとその作者の故郷で見るのとはまた違ってくるだろうし、前後にある絵との兼ね合いによっても変わるだろう。
自分の心境や見る時間帯によって、さらには年齢によっても変わってくるのではないか。
これは美術以外にも言えると感じた。例えば、飲食においても東京で同じものは食べられるがやはり本場に行った方が美味しいと思う場面も多々ある。
物の本質を高めるには、そういった外的要因というのも考慮するべきだ。
●絵の背景を見ること
→その時の社会やアーティストの感情等、複数の情報を得て見ることで感じ方が変わる。
今までは心を無にして見ることで心の琴線に触れる絵が良いものだと考えていたし、なぜかそう習って来たような気もする。
ただ、それは正解であって正解でなく、より突き詰めるのならば絵の背景をより学ぶことで見え方が全く異なる。
作者はそれを知的なものだと捉えており、たしかに歴史的背景や美術界の移り変わりによって描かれているものが左右されてきたということもあるようだ。
これは美術以外にも、建築物やそれこそ本においても同様なことが言えるのかもしれない。
背景を学んでから自分の目で見てみるというのは非常に大事と学んだ。
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西洋美術については、宗教と時代性に基づくモチーフに関する話など、よく聞く話ではあるが知らないことも多く興味深い。
ただ、特に独特なのは中盤からで、クレパスによる絵や日本の戦争画、踏み絵や絵馬、奉納物(エクス・ヴォート)、供養人形、アール・ブリュットとそれに伴う(と著者は解釈する)死刑囚の絵など、あまり芸術としては注目されにくい物らの紹介が面白い。
全く知らなかった作家や作品、考え方が多く、これまでいかに分かりやすく、有名どころの「芸術作品」ばかりに注視していたかを実感させられた。
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美術は、感性だけでなく、知性に働きかけるもの。作品の意味、機能、作者や注文者の意図などの、知識があれば、鑑賞を深めることができる。
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もはや心から感動できることはないのだが、作品の良し悪しはかえって敏感になった気がするし、今後もこうした求道と巡礼を続けるしかないと思っている。本書の何遍かにはそんな思いを吐露している。